去る9月26日、映画監督のハーシェル・ゴードン・ルイス氏が逝去なさいました。

スプラッター映画の生みの親であり、僕にとってかけがえのないヒーローの一人でした。
高校生時代の僕は、H・G・ルイスが生み出した奇妙な映画の虜になり、
憑かれたようにビデオを探しては、夢中になって見まくりました。

そんな奇妙な映画を何本も生み出し、スプラッターの始祖と言われたルイスの最期は
血みどろ映画の帝王という印象とは異なる、就寝中の静かな逝去だったそうです。

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1963年にハーシェル・ゴードン・ルイスが発表した『血の祝祭日』(1963年)によって、
残酷シーンを生々しく描き上げる「スプラッター映画」はこの世に誕生しました。

1960年に巨匠ヒッチコックが発表した『サイコ』(1960年)はセンセーションを巻き起こし、
異常心理が生み出す恐怖を描いたスリラー映画が世界各国で流行しました。
そうした流れの中で、低予算ピンク映画の製作者だったH・G・ルイスが監督したのが
人体が切り刻まれるシーンを生々しく画面に叩きつけた血まみれの猟奇映画
『血の祝祭日』であり、これによって映画における直接的な流血描写が解禁されました。

スプラッター映画というと、1970年代後半から流行した『ハロウィン』(1978年)や
『ゾンビ』(1978年)、『サンゲリア』(1979年)、『13日の金曜日』(1980年)
といったあたりが、多くの人には真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。

しかしそういった後年のホラー映画に比べるとH・G・ルイスの映画は
稚拙としかいいようのない演出・演技のキワモノ映画なんでしょうね。

『血の祝祭日』においても人肉料理作りに夢中になるコック、ラムゼスを演じる
マル・アーノルドというおじさんは、本職の俳優ではなくドシロウトの大根役者。
珍妙な顔芸で睨みを効かせながら「いえす、みせす・ふりーもんと!
あい・ぷろーみす・ゆー!」などと大袈裟で不自然な台詞まわしで喋るのは、
本人は怖がらせる積もりなんだろうけれど、見てるほうはあまりの奇妙な演技に
思わず呆れて笑ってしまうヘンテコリンなシロモノでした。

そんな大根役者せいぞろいの珍妙な演技にくわえて、妙にホノボノしたムードが
怖いというよりもなんだかユルーいコメディを見ている気分になってしまいました。
なのに、人体解体シーンになると一転して画面に異様な迫力になるのが凄いんです。

出来の悪いコメディみたいなムードと異様な残酷描写が同居する奇妙な作風は
まともな映画扱いされることは稀で、罵倒に近い酷評を受けることもしばしばでした。
90年代に僕が持っていたホラー映画の研究書では、ルイスに関しては
かなり批判的に書かれた本が主流だったのを覚えています。
残酷シーン以外に見るべきところがない…というのが大方の論点でした。

確かにルイスはストーリーテラーとは言えないし、脚本もハッキリ言って
いい加減としか言えないお粗末な出来なんですが…それなのにビックリマーク
H・G・ルイス作品における、手づくりの特殊メイクによる残酷シーンの
生々しさは僕の度肝を抜きました。70年代後半以降のスプラッター映画
と比べても、ルイスの残酷シーンはまったく見劣りしないほどの強烈な
インパクトを僕の心に刻み込んだのでした。

殺人が起こるまで、のんびりとしたレトロな味わいのムードはコメディのよう。
それなのに殺人が起こった瞬間、グルーサム趣味の限界に挑むかのような
凶悪・強烈な血みどろ絵巻が画面に展開。その落差もあって衝撃を受けました。



ルイスの映画を見て「怖い!」と感じたことって、まったく無いんですよね。
残酷なことが行われているのに、あっけらかんとしたノー天気なムードが
全編を覆っていて、ホラーというよりブラック・コメディみたいな感じなんです。

画家が女性の血を絵具に使って絵を描くとか(『カラー・ミー・ブラッド・レッド』
かつら屋の母子が女性の頭の皮を剥いでかつらを作るとか(『悪魔のかつら屋』
マジシャンが舞台上で女性を惨殺して解体しながら、観客に催眠術をかけて
解体された女性がもとに戻ったかのように思わせるとか(『血の魔術師』

「そんなバカな!?
と思わせるようなトンデモ設定&トンデモ展開が妙におかしいんですよね。

殺人が起きているのにホノボノムードでぜんぜん怖くない…というルイスの作風が
アガサ・クリスティーみたいな(笑)感じで個人的には大いに気に入ったんです。



僕が一番好きな作品は『ゴア・ゴア・ガールズ』(1972年)です。
僕にとってのH・G・ルイス初体験であり、同時にスプラッター映画の個人的
ベスト1に挙げても良いほどお気に入りの映画。

ゴーゴー・ガールたちが異常な手口で殺されていく連続猟奇殺人を、まるで
ポワロをパロディにしたような探偵アブラハム・ジェントリーが捜査する。
ルイスの作品の中でもとりわけユーモアが全面に出ている作風と、それに
全然そぐわないグッチャグチャの残酷シーンの落差が最高なんです。

いちおう本格ミステリ仕立てなんですが、犯人を割り出すための手がかりが
ギャグとしか言いようのないほどにムチャクチャな伏線なのが最高です。
観客を笑かそうとして狙ってやっているのか、本気で意外性を狙った結果が
アレなのか、どうも後者ではないかと思えるのがルイスの好きなところです。

僕がH・G・ルイスを知った90年代末にはすでにルイスの引退後でした。
ルイスが存命であることは知りながら、おそらくもう新作は見れないだろうと
思いつつ、ジョン・ウォーターズ監督の映画に『血の祝祭術』が引用されている
のを見てちょっとうれしくなったり、ルイスについてコメントが書かれた
本であればどんなにささいなコメントでも、どんなに否定的なコメントが
書かれていても即購入して、ルイスに思いを馳せていました。

そんなとき、なんと2002年に突如、ルイスが新作を撮ったのには驚きました。
『ブラッド・フィースト 血の祝祭日2』(2002年)は、『血の祝祭日』の
正式な続編として作られ、1972年以来映画界から去っていたルイス自身が
演出を担当した紛れもない新作でありました。

こんな夢のようなことがあって良いのだろうか、と思いながら見た
『ブラッド・フィースト 血の祝祭日2』は、往年のH・G・ルイス作品に
比べると演技も演出も洗練されてしまっていました。やはりルイスの魔力は
60~70年代ならではのファッションと音楽が占める役割が大きかったの
だと思いましたが、それでも十分に楽しめる映画ではあったと思います。

もしかしたら今後もルイスの新作が見れるかも…と期待したのですが、
奇跡は一度きりで、それ以降ルイスが血みどろ映画の新作を撮ることは
なかったのがかえすがえすも残念です。

ルイス自身の演出ではないものの、『2000人の狂人』(1964年)の続編である
『2001人の狂宴』(2005年)がイーライ・ロスの製作で作られもしました。
面白い映画ではありましたが、やはりルイスの異常なテンションの名作と
比べてしまうと、『2001人の狂宴』のほうは普通のスプラッターといった
印象であり、やはりルイスの作風を再現するのは難しいのかなと思いました。

正式な続編・リメイクではないものの、『血の祝祭日』をパロディにした
ホラー映画が80年代にも製作されており、それもビデオを買いました。
『ブラッド・ダイナー/悪魔のメニュー』(1987年)という映画がそれで、
『血の祝祭日』の殺人鬼ラムゼスと同じ邪教にとり憑かれたコック2人が
連続殺人を犯して女神イシターに捧げる…というのをかなり狙ったコメディ
タッチで描いており、安っぽいながらもけっこう楽しめました。

僕に懐かしい青春時代を思い出させてくれるハーシェル・ゴードン・ルイス。
王道の映画史に残る巨匠ではないし、また本人もそんなことを望んでなかった
ようですが、僕にとっては多くの夢を与えてくれた恩人です。

いまだに「にっかつビデオ」「VAPビデオ」のパッケージを見ると
あのころの情熱がよみがえって、甘くほろ苦い気分になります。
映画界を引退後、ルイスは知人にハメられて詐欺の濡れ衣を着せられたり
いろんなことがあったそうですが、晩年は多くのファンに囲まれて
それなりに幸福な余生を送り、穏やかに旅立っていったのでした。

亡きルイスに言えることはただ一つ。
ありがとうハーシェル・ゴードン・ルイス、あなたは僕の永遠のヒーローです。