今日ドナーの親父が退院しました。
ヒマだし、お酒も飲めんし早く退院したかったんだろう。
元気に嬉しそうに、母親が付き添って退院していきました。
本当に親父に何も無くて良かった。
ありがとうという感謝の気持ちしかない。
移植をしてもらうにあたって、両親に対する自責の念は凄くあった。
思えば、私は親に甘えて自由にわがままに育ってきたと思う。
反抗し、ひどい言葉をぶつけたり、時には親に頭を下げさせたこともあった。
それでも、不自由なく生活させてもらい、大学で独り暮らしもさせてもらった。
大学時代なんて、その暮らしが楽しすきで、全く自分の体を気遣うことすらなかった。
酒をガンガン飲めればカッコイイ。
タバコ吸うのもカッコイイ。
徹夜して、遊びまわるのもカッコイイ。
今考えれば、iga腎症を持つ身にとって、いかに愚かでバカげた行為だったかと思う。
なんとなく、そんな様子を察した母親から諭される場面はあったが、私は特に聞き流していた。
やがて、時は経ち、就職し、結婚し、家庭をもった。
家庭を持って始めて分かる親の偉大さ。
良く言われるが、本当に心から親の偉大さ優しさが分かった。
この頃から、学生時代の不摂生が祟ったのか、腎臓の機能が低下しはじめ、食事療法等の制限を加え、保存をしていくようになった。
そこから、移植に至るまで、わずか数年。
両親に今の腎臓の状態と今後の治療は透析か移植しかないと告げると、すぐに移植を勧めてくれた。
本当にありがたい話であった。
しかし、
親父はちょうど65歳。
ようやく定年を迎え、これから母と第二の人生を楽しんでいこう!とまさにそのタイミングでの手術。
高齢の親父の身体にメスをいれる?
もともと高血圧の親父の腎臓をとる?
親父の寿命を縮める?
散々手をかけさせて、孝行するんじゃなくまだ負担をかけるのか?
私はなんだ?バカか?
そんな葛藤があって、移植について話ている時に思わず、両親の前で
ごめん。ほんとごめん。
って涙を流してしまった。
そんな涙をみて、母親は
なんで泣いてんの?
って不思議そうに。
親父は気持ちを察してくれたのか、特に頷くだけだった。
今はもう、自責の念より、感謝といかに長持ちさせて、元気に生活して行くことがお返しになると割りきっている。
だからこそ記しておかないと。
自分を戒めるために。
これからしっかり孝行させていただきます。
ありがとう。