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友人の地域史研究家 大成ケイボンさんが
調査をしていたときに、見つけた紙面
越智郡大島宮窪石材同業組合 の謹賀広告
明治43年の海南新聞です
組長という、恐い名の方もいますが
購買主任の長井兼太郎は、宮窪での名が残っている石材業者
当時、大阪の心斎橋に使う大島石を販売したと記録が残っています
ちょうど、その頃ですね
そんな感じで、組織化の必要があったのかもしれません
直ぐ近くには
余所国の造り酒屋
後の笹の井酒造の社長の名が
石の販売も行っていたとこが分かりますね
余所国 両社明神社の前には
秋山好古揮毫 忠魂碑があります
かなり立派な石碑ですが
これが、村上幸造によって建立されたものと彫られています
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調査をしていたときに、見つけた紙面
越智郡大島宮窪石材同業組合 の謹賀広告
明治43年の海南新聞です
組長という、恐い名の方もいますが
購買主任の長井兼太郎は、宮窪での名が残っている石材業者
当時、大阪の心斎橋に使う大島石を販売したと記録が残っています
ちょうど、その頃ですね
そんな感じで、組織化の必要があったのかもしれません
直ぐ近くには
余所国の造り酒屋
後の笹の井酒造の社長の名が
石の販売も行っていたとこが分かりますね
余所国 両社明神社の前には
秋山好古揮毫 忠魂碑があります
かなり立派な石碑ですが
これが、村上幸造によって建立されたものと彫られています
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ほぼ2年ぶりの更新
申し訳ないです<(_ _)>
後継者から要望があったのですが
販促用の、大島石のパンフレットを作り直しました
販促用って言っても
我が組合は、資金に乏しく販売しています
今回、思うところがありまして
少しだけ無料で持って帰っていただこうと
試験的に少量ですが、村上水軍博物館に置かせていただきました
宮窪・石文化体験ツアーのパンフレットとセットです
少しでも大島石を気に掛けていただきたいって思っています
よろしくお願いしますね
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後継者から要望があったのですが
販促用の、大島石のパンフレットを作り直しました
販促用って言っても
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今回、思うところがありまして
少しだけ無料で持って帰っていただこうと
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少しでも大島石を気に掛けていただきたいって思っています
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すごく、久しぶりの更新
にほん風景遺産 という番組がありまして
しまなみを取り上げてくれると言う
風景案内人は、テレビでお馴染み
加藤千洋さん
お会いするのが楽しみでした
数日前に、打合せを行ってました
心配していた、当日の天気も台風がそれたので
良いお天気
大島石の採石場を見るには
ここが一番でしょうね
関係者の許可を頂いて入っています
良い風景ですが
ただ、案内人の加藤さんは
若干の、高所恐怖症のようでしたね
ロケ中
この場所での、ロケは無事に終了
この後は
インタビューに対応して下さった
社長の段取りで
この場所へ下りていきます
迫力の採石場
放送では、私の知り合いの漁師さんなども登場するようで
10月の放送が楽しみです
大島石をよろしくお願い致します
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しまなみを取り上げてくれると言う
風景案内人は、テレビでお馴染み
加藤千洋さん
お会いするのが楽しみでした
数日前に、打合せを行ってました
心配していた、当日の天気も台風がそれたので
良いお天気
大島石の採石場を見るには
ここが一番でしょうね
関係者の許可を頂いて入っています
良い風景ですが
ただ、案内人の加藤さんは
若干の、高所恐怖症のようでしたね
ロケ中
この場所での、ロケは無事に終了
この後は
インタビューに対応して下さった
社長の段取りで
この場所へ下りていきます
迫力の採石場
放送では、私の知り合いの漁師さんなども登場するようで
10月の放送が楽しみです
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尊徳翁の像は、全国各地にあったと思いますが
ここにあるのは
また、違う面で良いですよ
台座が、大島石です
でも、ここにあるの知らない人がほとんどかも
この石碑の裏に隠れて
ひっそりと立ってます
吉海町立泊小学校跡です
ほんと、この真裏に有ります
像は、新しいですね
戦争の時に持って行かれたのでしょうか
宮窪には、石の像が有ります
像よりも
昭和の初期に作られた
この台座
綺麗ですね
まだまだ、光沢のある
立派なものです
ここ、泊地区にも大島石の採石場があるので
おそらく、大島石で作られたものだと思います
寄贈したのは
地元の方ですが
不幸な幼少時代を過ごした後
真面目に仕えて出世した方
地元に恩返しですかね
良い物なので、見て下さいね
大島石をよろしくお願いします
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ここにあるのは
また、違う面で良いですよ
台座が、大島石です
でも、ここにあるの知らない人がほとんどかも
この石碑の裏に隠れて
ひっそりと立ってます
吉海町立泊小学校跡です
ほんと、この真裏に有ります
像は、新しいですね
戦争の時に持って行かれたのでしょうか
宮窪には、石の像が有ります
像よりも
昭和の初期に作られた
この台座
綺麗ですね
まだまだ、光沢のある
立派なものです
ここ、泊地区にも大島石の採石場があるので
おそらく、大島石で作られたものだと思います
寄贈したのは
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不幸な幼少時代を過ごした後
真面目に仕えて出世した方
地元に恩返しですかね
良い物なので、見て下さいね
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昨年の出張記事
http://ameblo.jp/oshimaishi/entry-10402119700.html
瀬戸内の石材産地が集まる会議です
各産地の状況報告など
情報収集の場でもあります
まだまだ、新米の局長には
勉強の場でもあり
良い刺激を受けますね
出張先は、香川県の庵治石産地
石の採掘から加工まで
本当の産地なんですよね
でも、庵治石だけでは成り立ちません
大島石も加工されているんですよ
しかし、風が強かったですよね
しまなみを渡るとき
怖かったですよ~
でも、無事に予定通り会場着
今年は、行けなかった
石あかりの作品を少しばかり見せていただきました
気に入る作品が見つかれば
一つ欲しいです
会議を終えて
一緒に行った、役員の方が
ご家族の方から
うどんを頼まれていたようです
すぐ近くにある
うどんの名店
山田屋さん
局長も嫁さんにお土産
思いがけなく、美味しいうどんが買えて
ラッキーでした
大島石をよろしくお願いします
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情報収集の場でもあります
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勉強の場でもあり
良い刺激を受けますね
出張先は、香川県の庵治石産地
石の採掘から加工まで
本当の産地なんですよね
でも、庵治石だけでは成り立ちません
大島石も加工されているんですよ
しかし、風が強かったですよね
しまなみを渡るとき
怖かったですよ~
でも、無事に予定通り会場着
今年は、行けなかった
石あかりの作品を少しばかり見せていただきました
気に入る作品が見つかれば
一つ欲しいです
会議を終えて
一緒に行った、役員の方が
ご家族の方から
うどんを頼まれていたようです
すぐ近くにある
うどんの名店
山田屋さん
局長も嫁さんにお土産
思いがけなく、美味しいうどんが買えて
ラッキーでした
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大島石の歴史を知るには
石屋治右ヱ門という人物も知っていただきたい
今治出身の治右ヱ門は、大阪城築城の祭に人夫として働き
石積の技術を習い覚えたそうです
その後、今治に帰ってきて
更に腕を磨いた、治右ヱ門の名は
近郊に知れ渡るほどに
そして、石工の棟梁の一人として
今治城築城に加わることに
しかし、今治城完成前後に
城の秘密を知るものは、口封じに処刑されることに
密かに、その手筈がととのえられていた中
治右ヱ門の技量を惜しんだ武士が
処刑の事を知らせたことにより
治右ヱ門は、月の暗い夜に
蒼社川の河口より用意していた筏で海へ
大島の泊地区にたどり着くことになる
泊から念仏山の深い谷に落ち着き
隠れ家を構えて住むようになりました
たまたま、隠れていた 余所国(よそくに)に
良質の花崗岩があることを知り
自らの技術を活かして
石を切り出すようになったという
それが、現在、高級墓石として
採掘されている大島石丁場の起源と言われています
治右ヱ門の子孫は、現在も大島石の採掘を行っています
その後、大島石は
余所国から、宮窪へと
開発が行われるようになりました
現在の余所国地区
大島石をよろしくお願いします
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今治出身の治右ヱ門は、大阪城築城の祭に人夫として働き
石積の技術を習い覚えたそうです
その後、今治に帰ってきて
更に腕を磨いた、治右ヱ門の名は
近郊に知れ渡るほどに
そして、石工の棟梁の一人として
今治城築城に加わることに
しかし、今治城完成前後に
城の秘密を知るものは、口封じに処刑されることに
密かに、その手筈がととのえられていた中
治右ヱ門の技量を惜しんだ武士が
処刑の事を知らせたことにより
治右ヱ門は、月の暗い夜に
蒼社川の河口より用意していた筏で海へ
大島の泊地区にたどり着くことになる
泊から念仏山の深い谷に落ち着き
隠れ家を構えて住むようになりました
たまたま、隠れていた 余所国(よそくに)に
良質の花崗岩があることを知り
自らの技術を活かして
石を切り出すようになったという
それが、現在、高級墓石として
採掘されている大島石丁場の起源と言われています
治右ヱ門の子孫は、現在も大島石の採掘を行っています
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