三越伊勢丹を応援するブログ from Osaka
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

大丸心斎橋店を見れば今の百貨店が分かる

先月20日、大丸心斎橋店本館が建て替えオープンしました。大阪市内の百貨店は阪急本店(12年)、近鉄本店(あべのハルカス/タワー館・14年)と建て替え開業済み。阪神本店は1期棟が昨年オープン、リモデルにとどめているのは大阪タカシマヤ、大丸梅田店、近鉄上本町店の3店のみ。ちなみに大阪タカシマヤは09年、大丸梅田店は11年にビルを建て増して増床を果たしています。さらに上本町は近鉄グループの長期計画でビルの建て替えが想定されている、こうなれば大阪市内の全ての百貨店が建て替えか建て増しをしたことになります。東京で大掛かりな増床といえば日本橋タカシマヤくらいで、建て替え案件なんて思い浮かびませんので、百貨店のハードの面では大阪が先行しているというのが現状であります。そんな中でのオープンということでありますので、期待を持って見に行ったのですが………


■貶すだけでなく、先ずは褒めましょう!

先ずは褒めるところを褒めます。
外壁は旧ビルのものをそのまま残す構造。新しいビルに古いビルの外壁のみを取り付ける「腰巻き」の手法であります。最近は丸の内などでもトレンドのようになっていますが、ここもそれを採用したということ、内装も旧ビルの意匠をそのまま再現、これも評価が高いです。また、上層階では内装の意匠をコンサバ的に表現したところなども面白いと思います。
フロアではB2のフードコートが飛び抜けて面白く、百貨店でありながらグローサラント型、クォリティーへの意識が高く、オペレーションのしかたによっては心斎橋のオフィスワーカー御用達になれるかも。
もうひとつ、エスカレーターの壁面を使ったデジタルアート。ライゾマティクスがプロデュースした光の芸術が設置され、反対側の壁は鏡張りなので両面がアートという中でフロア移動が楽しめます。普通は催し案内などが流れるサイネージやペーパーの掲示があるのですが一切排除され、エスカレーター乗り場付近に小さいサイネージが設けられていました。フロア中央にあるエスカレーターをシンボルと位置付けたこの取り組みは大変面白いと感じました。


■「シンボル」が存在しない

批評一発目は先ほど記したこの一文、「フロア中央にあるエスカレーターをシンボルと位置付けた」、ここに込めております。
まず、エスカレーターがここのシンボルだとすれば、少し弱い気が致します。ここにはシンボルと言える大空間が存在しません。例えば阪急本店は1階のインフォメーションセンター付近と中ほど9階の祝祭広場、13階のレストラン(旧阪急梅田駅コンコースを移築)で大空間を用意した、それとは真逆であります。
旧ビルを再現した1階がシンボルであるならば、1階の使い方が間違っていると思います。荘厳な大空間の下で小物(化粧品)というのは、男性の方には一定の評価があるのですが、化粧品フロアに必要な照度が明らかに満たされていないため、あれで果たして売れるのかどうか心配されます。例えば誰でも使えるカフェバーにして、時間ごとに、あの空間を使ったデジタルアートを魅せることができれば、誰もが大丸の伝統の凄さに気づくはずなのでしょうが…。


■化粧品はB1で良かったのでは

銀座三越と構造的に近い大丸心斎橋店にとって、化粧品はB1で良いのでは、と感じます。これは旧ビルの頃からですが、心斎橋の店は化粧品フロアの照度が低く、照明色も相俟って肌色が良く見えません。私はBCの経験はありませんが、もし私がBCだったらここで売る自信がありません(笑)。それならばあえて地下鉄御堂筋線改札に面したB1に化粧品を持っていき、ここの建物の地下構造は存じ上げませんがB2とB3に食品を配置する、こうすれば大阪のファッションの最先端たる心斎橋において、昼夜問わず改札を通る人たちに向けてのブランディングができてくるはずです。


■館としてのコンセプトが不明確

2〜3Fにはラグジュアリーを集積。実はここまでが「百貨店」で、その上は大丸心斎橋店でありながらテナント展開、つまりはファッションビルです。面白いのは自社の紳士服PB「トロージャン」もインショップ展開。これは初めて見ました。そしてさらに上は「ポケモン」や「ローソン」、レストランフロアには「さ○○き女将」の愛称で世間の注目をさらった大料亭の伝統を受け継ぐ日本料理店もあり、リーズナブルな回転寿司もあり…。
JFRは11年の梅田増床あたりから館としてのコンセプトを軽視している傾向がみられます。梅田には阪急という不動の一番店があるためやむを得ないのですが、大丸にとっては本店である心斎橋店でこれはまずい、というのが印象として残っております。


■ちぐはぐさはゾーニングだけではない

もうひとつ、「ちぐはぐ」なのはゾーニングだけではなく、照明の使い方であります。エスカレーター付近は先ほど申しましたライゾマのウォールアートがあるため照度が落とされている中、各フロアごとに別のデザイナーに委嘱したのかと思わせるようなバラバラさ。特にラグジュアリーの2階が明るい一方で3階より上の専門店部分の通路が著しく暗く、加えて専門店部分でも対応がバラバラで目が疲れます。ハイエンドで言えば表参道ヒルズや銀座東急プラザなどのように統一感ある照度でないと、どうしてもショップの持つ高感度さが霞み、館全体のイメージにブレが生じるのが非常に残念に思いました。


■今の百貨店がやりたいことを如実に表現

大丸心斎橋店は食品と雑貨、身廻品、ラグジュアリーで構成する低層階は「百貨店」として運営する一方で、婦人服、紳士服などのほとんどのフロアはSCとして運営しています。また、利益率の悪い催物場や大規模ギャラリーは設けられていません。
MIも一応のところ催物場の廃止とは至っていませんが、杉江氏は「1億の催事で1銭も利益が出ていない」などと苦言を呈していますので本音ではやりたくないのでしょう。現実にファッション関連の催事が多くおこなわれていた新宿本館7階の催物場はあっさり廃止となりました。
「1日楽しめる仕掛けを用意するのが百貨店」と定義づけるのならば、明らかにこの流れは違います。が、現実問題として、利益の取れないカテゴリーは早くやめてしまいたいという本音の部分を切り出せば、大丸心斎橋店のようになるのでしょうか。良くも悪くも今の百貨店の思考が手に取るように分かりました。

三越伊勢丹の初商前倒しに思う

この記事はあまり書きたくないのですが、三越伊勢丹の初商を2日にふたたび前倒しにするという記事であります。

(2019.10.3 FASHIONSNAP.COM)

三越伊勢丹グループでは2016年から労務環境の改善のため初商を1日繰り下げ3日からとしていましたので、初商繰り下げは4年で終止符ということになります。


私自身、初商には特段興味も何もありません。福袋とセール初日がぶつかり、あえて危険なほどの混雑を誘発させる商法には、「MIを応援するブログ」をやる私でも賛成できません。おまけに初商繰り上げというのは何でなのでしょうか。前任者の施策をそれほどまでに否定したいのか、と訝しく思います。


その「前任者」にあたる大西社長が何故、年始の連休に拘ったのかという事を、杉江氏なのか経営陣なのかそのすべてなのか、まったく理解しておられません。大西社長の思いは、店頭で働くスタイリストの方々に、せめて正月くらいは一斉に休んで、リフレッシュしてほしい、また、地方から上京している方々には、地元で家族や旧友たちとゆっくり過ごしてほしい。大西社長はかねてより一番苦労しているのはスタイリストなのだとおっしゃっています。そういう現場で働くスタイリストへの愛に満ちた施策のひとつが、この年始の連休でありました。大西社長は3日までを休みにして4日初商にする計画もお話になっておられた通り、わが国の「働く」のありかたに一石を投じた計画でありました。


昨今は働き方を変えないといけないと各社が知恵を絞る中、百貨店の動きは非常に鈍く、さらにMIに至っては退化ではないですか。こういう前任者の否定と眼前の数字にしか動くことのできないマネジメントには、もはや未来を感じることはできません。

「サンモトヤマ」の終焉

わが国に「グッチ」や「エルメス」を紹介した「サンモトヤマ」破産…フォーエバー21や米バーニーズ社の破産も驚きつつも他国での出来事ということで対岸の火事のようにみていましたが、これは非常にショッキングなニュースであります。

(2019.10.1 WWD JAPAN)


サンモトヤマの創業者で、グッチやエルメスなどのブランドと対等に渡り歩いた名バイヤーの側面も持つ茂登山長市郎氏が亡くなって2年弱、苦戦しているというのは漏れ伝わってはいたものの、まさか破産というかたちで幕切れを迎えようものとは、全く想像がつきませんでした。


実は一昨年の茂登山氏の死去を受け、大西社長も興味深いコメントを寄せておられます。

(2018.2.19 WWD JAPAN)

「売り場に『編集』という概念を持ち込んだのは、茂登山さんが初めてでしょう」と大西社長は回顧しておられます。メンズ館の編集スタイルも茂登山氏に刺激されたのだとか。若き頃の大西社長が茂登山氏に面会を求めた時に快く受け容れ、グッチとの取引に至る過程を包み隠さず話したというエピソードも語っておられます。


私は銀座の本店は結局見ずじまいだったものの、大阪の阪急17番街にあるショップは何度も見ていました。が、ビルのロケーションもあって、こういうラグジュアリーの編集に顧客がいるものなのか、不思議な感覚を持っておりました。そんな私がもっとも身近にサンモトヤマを感じたのが「サンフェア」であります。こどもの頃より親の買い物に同行して見ておりまして、最初は物珍しく楽しんでいた記憶がありますが、だんだんと楽しみが失せていったように感じます。あれだけサンフェアに張り切って足を運んでいた親も「クォリティが低くなっている」とだんだんと足が遠退いていったようです。事実、クォリティが下がったかどうかは別として、百貨店の特招やアウトレットの台頭などでラグジュアリーのセールそのものが珍しくなくなっていった時期と符合するので、相対的に期待感が薄らいでいったのかもしれません。


サンモトヤマにロイヤリティーを感じ、新たなラグジュアリーを求めてショップに足を運んだ時代は過ぎ、サンモトヤマが育てたブランドそのものに顧客が付いていった時代。サンモトヤマは海外の舶来品を日常にしたという意味では、大いに成功したとも思いますし、また、百貨店と並ぶ功労者ともいえましょう。しかし、自身が生き残るためには、この国の消費マインドをもう一度見直し、あらたな編集に挑むべきであったのかもしれません。時代によって変幻自在にかたちを変え得るのが編集売場の強みであって、その強みを、編集売場の祖は、忘れてしまっていたのでしょうか。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>