下の子が産まれて半年。
上の子は度々、何がなんだか分からないまま初体験をさせられる。
いきなり置いていかれる、知らない子と一緒にご飯を食べて昼寝をする、大きな小学校の校庭で全力で走り回る
(一応、2日くらい前から話をして言い聞かせらしきことはしている。)

本人がどう思っているかは正直分からないが、まだ2歳の今はどうなるのも親の勝手であって、保育園に行かすのも家で一緒にの過ごすのもどっちも悪くないと思う。
どっちも悪くないと思う故に、私のフラフラした意志に振り回される我が子が可哀想に思う時もある。

結果的に、可哀想だから面倒だから楽だから、どんな理由でも嫌な思いをするのも良い思いをするのも我が子な訳で、私は一向に変わらない。変われない

今回の事の発端もまた、私の『やっぱり2人大変だわ。まともに過ごせた日は一度もない、両方と向き合えてない。』なんてテキトーで自己満な理由つけて、上の子を保育園に通わせた。

『いつかはみんな体験することよ~』
『温室育ちは可哀想だからね』
『一人っ子は可哀想、3人産みなさい』
『母乳?へー、ミルクなんだ。母乳は出ないの?最初からやってないの?』

人との付き合いが少ない私でも、スーパーで知らない人から話しかけたりして、巷で噂のあれこれに振り回される日々である。


本題に戻ると、保育園に通わせて数日は良かった。前回通わせた時は一日で貰い物を持って帰ってきたからだ。
今回は3日セーフ、4日にダウンした。

自ら名札をつけろ!と言い、靴を履いてカバンを持ち玄関に向かい、登園も自らの足で歩み、靴箱に靴をしまう。ちょっと成長したと思った矢先だった。

吐く、吐く、吐く……

吐くなんて、去年の年末に義実家、うちら家族で全滅したノロウイルス以来。11ヶ月ぶり。思い出される、夜中の寝ゲロ(笑)

菌が移るので汚物の処理は気をつけましょう。手袋をしましょう。って、ゴム手袋したまま寝ろってことかよ。布団は毎回捨てろよってことか?なんて思ってた。

実際自分もゲロゲロだったから、寝ぼけたまま寝ゲロをキャッチして手を洗う。その繰り返し

今回もそうだった(笑)が、息子のみ。ダウン

木曜日の昼ごはん、義母と上野動物園に居たがあんまり食べず抱っこ要求が多かった。
異変を感じつつも、人が多いところに行くと食べない、歩かないは珍しくもなく判断がつかなかった。

そのまま義実家に戻り夕食時、ついに事件が起きた。食べようとした途端に吐いた。
昼のものが出てきた
あまり消化されてない

やばい。おかしい。

結局夜ご飯は食べず、ひとりでおもちゃで遊んでいた。そろそろご飯って雰囲気になると出来上がる前に一番に席につく息子なので、これは誰から見ても異常だった。

そのまま義実家で2回吐き、落ち着いたあたりで急いで帰宅。夜8時
朝イチで小児科に行こう。そう思ったこの一瞬が実は大きな間違いだったかもしれない。

息子が吐くのを見るのは人生でまだ二回。ツイッターの先輩パパは、この夜確かに『夜間の救急に行ったほうがいい』と言ってくれていた。

だが私は、こんな夜遅くに六ヶ月の下の子を連れてゲロゲロしてる息子を病院に連れて行ってもどうなることか。
と、自分のことしか考えていなかった。

でも一応……と、タクシーか救急車か迷ってた頃、パパが帰ってきた。
『土曜はゴルフ行くよ~』いつものパパである。嘔吐のことは知っていてもこの様子。いかにこの大人二人が無知であったか。(子供は親を選べない。。。)


そのまま帰宅後も何度か嘔吐し、ついには下痢。もう寝るのを諦め下の子のミルクと嘔吐と下痢とでしっちゃかめっちゃか朝になってしまった。
パパはゲームをしていて、呼んで指図しないと動けない様子だった。


翌朝金曜日、ほぼ寝ずにナチュラルハイのまま病院に行く。朝イチで義母さんが来てくれて下の子を見てて貰った。(パパ爆睡)

受付開始前に行くが19人待ちの20番だった。約二時間後、順番が来て『胃腸炎でしょう』の診断。
『出した薬でおさまらなけれは、明日市立病院で点滴してもらってね』
ここもミスだったかもしれない。

坐薬を三分の二投与。微熱もあったので熱冷ましも。嘔吐がおさまってきたら、とビオフェルミンももらった。

昼になっても、夕方になってもいまいち機嫌が良くならず食欲はあるもののたいして食べずに遊んでいた。

食べないから、もちろん上からも下からも出ない。
しかしその夜、水分を取ると秒殺で出た。

もしかすると先輩パパさんが病院に行ったほうがいい。と言ったのはこの夜だったかもしれない。もうテンパってて何も連絡取らずだった

翌朝土曜、唸る息子といつも通りキャッキする下の子を連れて市立病院にきた。(オエオエしてる息子の相手で忙しく運転はパパ)
紹介状がない場合、初診料2700円がかかるとのこと。もうお金のことなんてどうでもいい

受付から1時間後、『点滴しましょう。』
2時間後『帰ってまた明日、点滴しに来るか入院するか。』もうどっちも辛い

下の子は見てくれる人がいなかったので仕方なく同行。パパには前夜にゴルフをキャンセルするようお願いした。彼の危機感はそんな感じだ。

結局、昨日と今日と二泊入院。
いま時点では明日の昼に退院予定。
急性胃腸炎のようだ。保育園から貰ってきたのだろうか、ストレスだろうか。

24時間点滴と1回の採血、一日数回の診察。もうメソメソグズグズ絶食の彼は手の施しようがなかった。

だが、回復してくれている。

明日の退院はちょっと無理をしてもらうが、六ヶ月の夜中のミルクが2回ある下の子を見ている義母も年齢的に心配だ。

パパはこんな日も自営のくせに(と言ったら聞こえが悪いが)仕事だ。
『仕事だから仕方ないだろう。』そんな仕事人間の彼に珍しく私は言い返した。
力ない、説得力のセの字もない反論だった気がする。


運悪く明日は4月から通う予定の幼稚園の説明見学会の日だ。
パパは、嫌そうだったが仕事だろうが寝不足だろうが行ってもらう。(入院が決まった時、仕事だから説明会には行けない。と突然言い出した。仕事より先の1ヶ月も前から幼稚園の予定は入っていて、見学に行くべきと言ったのはパパ本人。保育園より幼稚園にしようと言ったのもパパ本人。保活幼活?を甘く見すぎだ。)

今日の昼から点滴の量が半分になり、昼にはイオン水とゼリーが解禁、夜はお粥と味噌汁の上澄みが解禁された。他にもおかずは出ているも歯ごたえで嫌がり食べず。(これはよくあること)

わりと神経質で気にしやすい息子は、下の子が産まれて、保育園に行って、自分が100パーセントじゃなくなり、つらい半年だったかもしれない。
もしかすると、妊娠後期から切迫早産で安静が出ていたので、そのころからストレスが溜まり始めていたかもしれない。


いろいろ考えて、息子と向き合おうと思い入院を選んだ。
私も仕事を増やし、下の子を家で見て、上の子は保育園、夜中はまた仕事
そんな日々に疲れていた。(育児とキャリアに焦るしょうもない短大中退者だ)

妊娠も出産も育児も仕事も、すべて自分で決めて進めてきた。
今後は今以上に考えて進んでいかないといけない。
ママ歴二年ちょっと、23歳の私はまだまだ未熟だ。
こんな仕事人間の彼と親として成長していかないといけない。(こんなと表現するが人一倍想っていて尊敬している大事な存在。)


明日の朝の回診で異常なければいいな。
病院に居ても家にいても辛い(笑)

笑うしかないのだ。












2児のママ あやの