「ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み・・・」大叩き男(イラストレーター渡辺隆司)のブログ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

最高気温30度を切ったなら



ゴルフってのは、やっている時はもちろん楽しいんだがやる前も楽しいってのが、いい。
今は、俺の後半ゴルフの取らぬ狸の皮算用を楽しんでいる。

6月29日が俺の今年の前半最後のラウンド。
今年前半はナンダカンダで6ラウンドしか出来なかった...後半は目標12ラウンドなんだが、どうなるか...

この夏は7月・8月と毎日体温近い暑さが続いて、練習どころかクーラーの効いている部屋から出て日に当たる事さえ苦痛の日々だった...当然練習なんぞ全く行く気がしなかったが(酷暑の中で動くと心臓がおかしくなるとお医者さんから注意されているし、せっかく奇跡的に良くなっている体調をまた再起不能の状態に崩しかねない不安もある),,,ただ、やりたい気持ちだけはやれない日々にどんどん積み重なって行く。

もう9月も半ばだっていうのに、相変わらず毎日最高気温は30度を超えていて、陽射しの強さは真夏のまんまで変わらない。

しかし、だ。
やっと天気予報が最高気温が27〜8度の日がもうすぐ来ると言い出した...(ただし、来週は「雨予報」の日だけの話だけど)。
季節は嫌がりながらもなんとか流れて、早いスタートなら壊れずに回れる季節は近い。
しかし、現状自分はもう2ヶ月半もクラブを握っていないので、今ちゃんとゴルフを遊べる自信が全く無い。
(「いいスコアで回れるか」ではなく「ちゃんと楽しめるか」の話)

なので気温を見計らって、そろそろ練習を始める。
最初は大ダフリや大トップや当たり損ねの頻発が予想出来るので、準備練習の第一歩は「壊れないクラブ」でのスイング思い出し...多分今の状態はゴルフの動きがろくに出来ないジジーそのもの(身体は日に日に衰えて固くなる)...なので壊れない現代クラブでゴルフスイングの「思い出し」だ。
去年はリハビリ現代クラブは、競技で遊んでいた時のエースクラブ「ミズノプロ」のアイアンだったけど、これはヒッコリーゴルフの練習には全くならなかった(しなりも硬さも重さもタイミングも違い過ぎた)。
で、今年はヒッコリーシャフトに近いというウィルソンのファットシャフトを使ったアイアンで練習する。
これは写真の様にネックが太くなったシャフトで、ヒッコリーシャフトのクラブヘッドの接続部分が太くなっている形状と似ていて、その「しなり」のタイミングがヒッコリークラブに「似てるっちゃあ似ている?」というアイアン。
ただ、かなりのキャビティだしソールは分厚いしで...他の現代クラブよりほんの少しマシ程度だと思う。

これで何度か練習して、天気予報を見たうえで1回だけ現代クラブでラウンドする。

...そして、その次からはヒッコリークラブでオープンコンペに参戦するつもり。
奥さんとの旅ゴルフは、奥さんの調子が今ひとつなので今秋はお休みとなりそう。

だから、せめて「美味しいもの」が賞品のコンペで、奥さんに美味いものを持って帰れるように結構真面目にラウンドしようと思っている。


...まあ、正直スコアは期待出来ないから、俺の強運をあてにして当たって砕けるつもり(笑)。

もう9月も半ばで...



まだまだ30度越えの日が続き、下手すりゃ35度越えだってまだまだありそうな9月の半ば。

少しでも涼しくなれば(と言っても、30度切ったぐらいじゃ太陽を浴びたらダウン必至なのはわかっている)...つまり最高気温が25度を切るくらいになってから全力でゴルフを楽しめるように、そろそろ準備を始めよう。

俺のゴルフ人生の最後のパートは「ヒッコリーゴルフ」と決めているので、パー72に対するスコアは全く目的とはせず(ヒッコリークラブ・糸巻きボールでのスコアはもちろん向上を目指す)、ヒッコリーゴルフでのプレー自体の楽しみの追求となる。

しかし俺の残り少ないゴルフ人生の「2024年第2シーズン」は、現在のところ前途多難。
まずは暑すぎる日々...たまたま「今年だけ」の天候不順じゃなく、これからはもっと酷くなるような異常な天気の日々に、ゴルフを楽しめる時間がどんどん削られて行くようだ。
その「暑さ」プラス、天気予報を見てワガママな日程でラウンドを決めるパートナーの奥さんの病気が思ったより大変で、今年の第2ラウンドに間に合うかどうか...
二人で「2サム割り増しの無い安くて面白いコース」という前提でコースを探して、多少遠いコースでも下道でのんびり旅ゴルフとして楽しむ相手がいなければ、あとは「一人参加」の出来るコースを探して楽しむしか無い。

この普通の「一人参加」のコース、過去に何回か参加しようとしたが人数が集まらずに前日に日程キャンセルになった事が何回もあった。
そのために一人参加で確実にラウンドするには、ちょっと高くなるが一人参加出来て賞品ゲットのチャンスがあるオープンコンペに参加するのが一番...ただし、これが天気が予想出来てから申し込むと、面白そうなコースほど早く満員になって空きが無くなる。
そうなると、毎回空きがあるような幾つかのコースしかプレー出来なくなる...これが遠いだけで別に特に悪くも無いコースが殆どなんだけど...ただ、同じコースばかりだと飽きてくる。
早い時期に予約入れれば出来るところは多いんだけど、天気の悪化で(雨のこと)直前にキャンセルするのが心苦しく、通常一週間天気予報を見て申し込む俺にはそれ以上先の予約に踏み切れない。

だから本格的なスタートは10月からかも知れない。
ただ、練習場のボールでさえヒッコリークラブには負担が大きく、車内にバッグを入れて置くには温度が高すぎてヒッコリークラブが乾燥して壊れる可能性があり過ぎる。

そのため、練習場で打つのはスイングを思い出すためにダフってもトップしても壊れない現代クラブで...後半戦最初のラウンドもラウンド勘を思い出すためにまず壊れない現代クラブで、という事になりそうだ。

そして2ラウンド目からは、100叩きになるヒッコリーゴルフだ...これは、ボギーがパーの「パー90ゴルフ」としての俺のヒッコリーゴルフのルール。
(基本一打多いボギーがパー、つまりパーをとったらバーディーになる。)


糸巻きボールは3ダース増えた,,,つまり、その分寿命が延びたって事で、「ボールが無くなるまで俺の人生は続く」という、これも「俺ルール」(笑)。

奥さんの「大変」



獨協病院で診察を断られ、市立病院で急遽手当てを受け、体調悪化で救急車に乗り...奥さんにとっては大変な災難の数週間,,,発症から今日で三週間...

左顔面に出た帯状疱疹は、髄膜や脳への広がりの危険もあって、検査に治療にこの三週間でどのくらいの距離を車で走ったろう。
まだ、昨日は獨協医科大学埼玉医療センター・今日は越谷市立病院での半日かかる診察と続いて、結構疲労が溜まってくる。

症状は幸いゆっくりと回復に向かっているようで、初めの頃のまるで怪談の「お岩さん」のように腫れ上がり、病院ですれ違った子供が泣きそうになった容貌よりだいぶ以前の顔に戻って来た。
しかし、この病気特有の「痛み」は変わらないようで、それが睡眠不足や食欲不振を呼び込んで体調を弱らせている。
帯状疱疹自体の皮膚症状は山を越えたということで、治療の中心は「ペインクリニック」となり、この残る痛みをどう抑えるかが今の治療の中心。
この病気の「痛み」と言うのはかなり個人差があるそうで、1ヶ月も経たずに無くなる人もいれば、数年続く人もいるんだとか。
この病気の後に残る痛みは「神経の痛み」ということなので、見た目は元に戻っても結構辛いらしい。

幸い心配だった病気への悪影響は無かったということで一安心...というのは俺の話で、本人はいつまでその「激痛」と付き合わなくちゃ行けないかが大問題...
目安は3ヶ月くらい、とか。
1〜2年痛みが続く人は普通にいるらしいので、奥さんに幸運が舞い降りて短い期間で痛みが去る事を願うしか出来ない。


そして食欲が戻り、体調を回復し、もう直ぐ来るだろう秋を楽しめれば...

ふと、気がつく...



「あれ?  もうこんな時間か?」
「え? もうこんな時間なの?」


「いいアイデアが浮かんだのに...」、「会って話がしたいと思ったのに...」、「たまには一杯飲みたいと思ったのに...」。

「そうか、俺はそんな仕事はもうやっていないんだ...」「あいつはもういないんだ...」「あの店は、もうとっくに無くなってたっけ...」。

...ふとした時に、時間の感覚が混乱する事がある。
もちろん、すぐ「ああ、そうだ...あれから何十年も経ったんだ」と気がついて、溜め息をつくんだけど。
鏡の中の老人が自分だとは認め難く、重く硬い体を納得し難く、イメージだけは風を切る。
ロッククライミングを「やれそうだ」なんて勘違いし、フェンシングを見て「俺の得意な動きじゃん」なんて妄想が湧き上がり、バドミントンを見ては「俺もあのくらい出来たんだ」なんて阿呆らしい幻覚を見る...そして、「若かったら可能性はあったんだろうけど」といくらか冷静な自分が苦笑しながら頭を振る。


たまに東京に出ると、昔自分がいた頃の店を探している。
新橋のビヤホール「グレートジャーマンクック」は既に無く、御徒町の居酒屋「ゆうかり」も無く、有楽町ガード下の焼き鳥屋も経営が変わり、大好きだった六本木の「突撃ラーメン」の「冷やし突撃」もとうの昔に無くなった。
他にもいくつもあった「行きつけ」の店は一件も無くなった。
飲み相手がいた色々な出版社も引っ越したり潰れたり...その前に元気だった編集の友人達もとっくの昔に定年になって...今はもうすっかり誰もいなくなった。

もうこんな時間なのか...
もうそんな歳なのか...

もっと早く終わると思っていた俺の人生は、思いもかけず続いている。
「俺が死んだら女房子供の相談相手になってくれ」と頼んでいた仲間は俺より早く死にやがって...

さてさて...「予定通りにゃ行かないのが人生」って改めて認めなくちゃの俺の人生。
「おお、もうこんな時間か!」なんて、ちょっと驚きながら・焦りながら、酒を片手に「ケ・セラセラ」で「セ・ラビ」と...行くしかねえだろなあ(笑)。



同窓会



と言っても、学校の同窓会じゃなくて銀座でヌードクロッキーの会をやっていた人達の同窓会。

俺はその頃30代、仕事が忙しくなって来た時だったけれど、美大も何にも出ていない俺の「絵を描く」基本が独学のクロッキーで、それが自分のイラスト制作の土台を支えていると自覚していてクロッキーを描き続けようとしていた。

この会は某大手広告会社社員のT氏と芸大卒のイラストレーターS氏が中心となって、種々雑多な職業の若者達が集まって割と真剣に描いている会だった。
俺はよっぽど仕事が詰まってない限り、毎週火曜日のこの会に出ることを決めていた。
集中して描くことも楽しかったが、会が9時で終わった後にほぼ毎回銀座近くの飲み屋で一杯やることがまた楽しかった。
その上、なぜかこの会に参加してくれる女性は魅力的な人ばっかりで、職業や年齢が違うのにワイワイ飲んで語った時間は、その後時間が経つほどに懐かしく思えて来る「充実したひと時」だった。(本当に美人が多かったよ・笑)

そんな楽しい時間も中心人物だったT氏が、会社を離れ独立した時に終わりを迎えた...当時40歳くらいだったか...

その後30数年、何年かごとに同窓会を重ねて来て、今回は病気から復活したS氏の復活祝いを兼ねた同窓会。
まだまだ当時の参加者は多かったのだが、今回都合がついたのは18人。
(いつも一番大騒ぎの中心だったSYUUZOUがいないのが寂しいが、回を重ねるごとにそういう人が増えていくのは世の定めか。)

久しぶりの銀座は、元「地元」のつもりだったのに、すっかり迷子になった俺は会に遅刻...しかし、たどり着いて飲む酒の旨いこと!

全員、近づいて見れば流石にシワが増えた顔ではあるけど...話し始めれば20代・30代の頃の顔に見えてきて...自分も若いつもりになって来て...不思議なもんだよな(笑)。

内心、後3年後とか言っている「次回」の同窓会に参加出来るのかわからない、という気持ちはみんなあるんだろう...会の終わりは気持ちが溢れて別れ難く...でも、いい時間だった。


終わってもまだ明るい9月の昼間、俺はS氏の個展会場が近いのでそこに寄って、それから二次会をするという人たちと合流するつもりだったけど...連絡が取れず(また迷子?)。



なので、帰りに一人で浅草の神谷バーに寄って一人宴会。

...以前、ここに来るたびに見かけていたハットを被った老紳士達や小綺麗に洒落た老婦人達を一人も見かけなかったのがちょっと寂しく、...時の流れをしんみり感じて。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>