左のページにフランス語、右ページに日本語。短編小説や、散文詩、評論文などで短く読めるものをまとめて、フランス語で読んでみようという本。
 ただこういう対訳って不真面目な読者には向かない。最初の方はちゃんとフランス語だけ読んでたのだけど、後半は日本語しか読まなくなる。『美女と野獣』から始まりバルザックまで。
 ちゃんと対訳をチェックしたのは『美女と野獣』だけ、疑問点だけ記す。
Le marchand n'avait pas le cœur de manger ; mais Belle, s'efforçant de paraître tranquille, se mit à table, et le servit.(36)
ここの訳が「商人は到底食べる気になりませんでしたが、ベルは努めて落ち着いているように見せようと食卓につき、給仕が始まりました。」とある。
そして「給仕が始まりました」、の部分に注がついている。
「leはle marchandとしか考えられない。父親は食べる気が起こらなかったが、ベルが食卓についたので、それが食事をする合図とみなされ、まず父親に料理の給仕が開始されたと考えられる。」?

なぜかservitの主語をBelleではない何か(文中には存在しないが、透明人間か、館に住むマジカルな食器たちとでもいうのか?)として一生懸命取ろうとしている。その誤りはおそらく、servirを「(主人がお客に)料理を出す」ということとして考えているからだろう。そうではなくて「料理を取ってやる」という意味で取るべきだろう。「しかしベルは落ちついているように見えるように努めながら、テーブルにつき、父親のために取り分け始めた。」と取るのが普通ではないか。

三つ目にモーパッサンの怪奇譚『手』が来る。モーパッサンの紹介がまずい。
「母親の紹介であったギュスターヴ・フロベールに師事し、・・・・らに出会う中、初めて左記の短編『剥製の手』を発表。その後、ゾラを中心とする同人作品集『メダンの夕べ』に『脂肪の塊』や『テリエ館』などの短編を掲載するにいたり、文豪としての地位を確立した。しかし、先天性梅毒の神経系異常から麻酔薬を乱用。1891年に発狂し、その後パリの病院で亡くなった。」(85)
これはなかなかにひどい。
La main 『剥製の手』は、本書の紹介でも明確に1883年初出と書いてある。
そして『メダンの夕べ』は1880年。そして『メダンの夕べ』は一回きりだし(ところでこれを同人作品集という言うのは一般的なのか?今の時代、そう言われるとすごく素人臭く聞こえる)、それに収められたのは『脂肪の塊』だけだ(一人一作だからね)。
 「文豪としての地位を確立した」とあるが、不思議なことにウィキペディアでも「メダンの夕べに・・・が掲載され、文豪としての地位が確立した。」と書かれてある(どっちが先なのかは知らない)。そもそもモーパッサンは『脂肪の塊』が一作目の短編なのであって、「文壇にデビュー」したなら分かるが、そんな簡単に文豪となれるものなのか?

 そして「先天性梅毒」???
 モーパッサンの梅毒が先天性だった???大発見だそりゃ!今適当に調べてみると、大体のページでモーパッサンの梅毒罹患は1877年、彼が27歳だった頃のことだと書いてある。あーでも訳者、去年亡くなられているのか、あんまり言わんとこう。