ヴァレリー全集〈10〉芸術論集 (1978年)/筑摩書房
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19世紀後半のフランス美術に関する本を片っ端から読んでいっているので、ヴァレリーも一応目絵を通しておいた。ところが、思った以上に面白い。美術批評って、どうしようもない作家が書くと、退屈極まりないゴミにしかならないんだけども、ヴァレリーはそうじゃなかった。文学者が書く美術批評ってのは、やはり面白いなと再認識。もちろんプロというわけではないから、技法上での限界はあるものの、ヴェレリーの美術批評は面白い。19世紀末の美術を20世紀初頭の批評するのだからそこそこ時間的に間がある。同時代美術批評とはまた違った、味がある。
同時代美術批評だと、擁護する作品を高めるために、必要以上に誇張した表現になったり、体制側をおそろしく厳しい言葉で批判したりするものだが、数十年もたつと、さすがに穏やかになる。後世からみて、結果的に勝利したほうを批評するのだから、いらない肩の力はぬけている。
それでいて、19世紀末美術を、その数十年後のフランス人はどのように捉えていたのかとかが読み取れるのがよい。

(アカデミズムの技法に関して)
一つの作品を完成するということは、其処からすべて制作の後を消し去ることである。 (p.23)

モローが或る時ドガに言った。「君は舞踏によって絵画芸術の再興を図るつもりなのかね?」
「君は宝石細工でそれが革新できるとでも思っているのだろう。」ドガが答えた。
 ドガはまたモローを評して次のように言った。「彼奴はギリシャの神々に時計の鎖を下げさせている・・・・・・。
 彼はラ・ロシュフーコー街にあるモローの家の私設絵画館を見に行って、それまでは自分も蒐集した絵で(それから或は彼自身の作品の一部とで)そういう絵画館をつくろうとしていたのを思い止まった。「なんだか気味が悪くなる、」と彼はモローの家から出てきて言った、「まるで墓穴の中にいるようだ・・・・・・。絵があれだけ集ると、百科事典とか韻律辞書とか言った感じしか起こらない。」 (pp.36-37)

 他の画家たちに率先して彼[ドガ]は、ミュイブリッジ少佐の高速写真による馬の真の動作の研究を行なった。他の画家たちがまだ写真術を軽蔑するか、或はそれを利用していることが人に知れるのを恐れていた時に、ドガは真先に写真というものを理解し、自分でも撮影した。 (p.45)

次に、以前は特別の注意が払われていた人間の像が、――いかにそれが重要視されていたかは、レオナルド以来、解剖学が画家の学問の一つに加えられていたことからも察せられるが、――その人間の像が、他の物体と同じ扱いを受けるようになった。すなわち皮膚の輝きや、肌理が、人間の形の実相に代わって描写され、顔からは表情が失われ、特に人間を描こうとする意図が見えなくなった。肖像画が後退した。 (p.86)

しかし、多大の努力の結果、画家が光線の再現に成功するや否や、悪魔はすべてが光線によって征服されたことを嘆き、もはや、画家の表現する色彩が半音階に並ぶ世界には、幻影や、ちらちらする木の茂みや、きらめく水溜りや、建物の影しかなく、殊に、人間がほとんどいないことは惜しむべきだと言う。そして、どこか非常に深く、余りに深いので、そこにしまわれているものの中でも最も古いものさえも、斬新になって再現する場所から、悪魔は球と円錐と円筒と、それから、最後まで取って置いた、立方体とを取り出す。 (pp.90-91)

 クロード・モネは白内障の手術を受けねばならなかったが、その数週間後に私に語るのに、手術刀が彼の眼から不透明になった水晶体を抽出する瞬間、彼は類ない、冷徹な美しさの青色が現れるのを感じたと・・・・・・。 (p.142)

それまで、人びとは風景画を歴史画、逸話画、肖像画の下位に、静物画(死んだ自然)の傍らに置いていた。 (p.145)

批評家としのボードレールは決して誤ることがなかった。すなわり、審美的意趣は十の異なった姿を有したにもかかわらず、彼がその作品を賞味し、その才能あるいは天才を認めた人々は字爾後七十余年間皆勝ちを失わず、偉大な画家としての名声を持続させたということで、ポオ、ドラクロア、ドーミエ、コロー、クールベから――おそらくコンスタンタン・ギーズさえも、――あるいはヴァーグナーにしても、また当のマネにしても、すべて彼が賛美した人びとは常に賞賛されつづけている。 (p.159)

(マネの勝利)
 彼の絵画は比類なき人びとを等しく彼の下に従わしめた。文学の両極端において、ゾラとマラルメが彼の芸術に熱中し、かくまで恋着したことは、彼の誇りとするに足ることであった。 (p.163)

  青年達というものは必然的に現在光栄の絶頂にある人々を攻撃し或は排斥するものであるが、・・・・・ (p.285)

マラルメは崇高な嫉妬に溢れて、演奏会から出るのでした。彼は、あまりにも強力な「音楽」が、われわれの芸術から掠めとった霊妙なもの、重要なものをば、われわれの芸術のために奪還する手段を見出そうと、必死になって努めるのでした。 (p.316)

(建築家に関する逆説)
・・・・・若々しい優美さを持つ迫持は植物の茎に見られる可憐な傾斜に従って彎曲し、窓に嵌められた色硝子は敷石の上に紫色の、或は白い光を斜めに指させ、また幾多の宝石の雨を降らせている。 (P.359)

私はこの横たわっているヴィーナスの画の前に立ちどまって、まずかなり遠くから眺める。
この最初の眺めは、心のうちにドガがよくいっていた言葉、良い絵は平らだという言葉が思い浮かぶ。 (p.389)

「美」は、口に言い得ず、名状し得ず、言語に絶するという効果を含む。そしてこの用語自体何kごとも言わぬ。これには定義がない。なぜなら、建設による以外に真の定義はないから。 (p.415)


ヴァレリーの面白さと、読みやすさが兼ね備わったのが、彼の芸術論集かもしれない。ヴァレリーにアレルギーある人にこそお勧めかも。美術批評家としても、思った以上にやり手に思える。