おんせんババサ闘病記

おんせんババサ闘病記

検診を受けていたのに、子宮頸癌ステージ4で癌発覚!
肝臓、肺、副腎に癌の転移あり。全身癌状態ですが明るく前向きに闘病しています。

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こんばんは息子の拓哉です

温泉ババサのブログですが母の最期の手紙を載せてブログが終わる予定でしたが、

皆様からの温かいお言葉をいただき息子として母が亡くなる一週間の出来事を皆様に

報告したいと思います。

まず皆様から母が5日の日に亡くなって家族写真が撮れなくて残念と言うコメントが多かった

んですが実は写真は取れたんです母が亡くなる3日前に写真が撮れたんです。

医師から5日くらいが母にとって山場になると言う話を聞いた時僕はどうしても母が最期に家族で写真を

撮りたい、看護服を着て娘と写真を撮りたいこの母の思いだけは何とかして叶えてあげたい

僕は動きました医師、看護師長、着付けのお店などに連絡をしなんとか病院の病室でなんとか

写真を撮らせてほしい母の最期の望みを叶えてあげたい事を看護師長さんに話した所部屋を

変えてくれてプロのカメラマン、着付けのスタッフも来ていただいて病院で写真が撮れました。

母玲奈の着物姿見てキレイと言ってくれていました。確かに凄く美人でした。

僕の妹とは思えないくらい綺麗でした。(笑)

その3日後に母は亡くなりました。

そして僕自信の話に変わりますが26日の日に介護福祉士の国家試験の合格発表がありました。

結果は…見事合格しました。これも母の支えがあったからこそだと思います。

母の遺書には介護福祉士の試験諦め無ければ絶対合格できると書いてありました。

まさにその通りでした。

母に生きているうちに報告したかったですがきっと天国で喜んでくれていると思います。


最後に天国のババサへ

ババサ僕は良い友達に恵まれたよ

これからババサのやりたかったイベントとか後輩を大切にしたお付き合いしてくからね

悪い女に騙されないようにするでね


次回があるはず











旦那さんへ

この手紙読んでいるって事は・・・私はこの世にいないんですね。

本当はもっと旦那さんと一緒にすごしたかったです。

拓哉、玲奈が結婚して孫が出来て・・・

二人で時々喧嘩しながらも仲良くくらしていくんだろうなぁーと思っていました。


そんな、あたりまえの生活ができなかった。

まさか、この年で癌になってしまうとは思いませんでした。

しかも・・・末期癌で告知を受けるなんて・・・

検査も受けていたのに・・・神様は残酷です。

あまりの辛い現実に生きる希望もなくしかけた時期もあったけど・・・

いつも明るく、優しく支えてくれたのは旦那さんでした。


癌の治療が始まり、抗癌剤の副作用や、手術後は本当に辛かったけど、

旦那さんがいつも側に居てくれたから頑張って来れました。

癌患者になっちゃったけど、沢山幸せだって思えたし、おいしい物も食べたし・・・

家族とのなにげない生活が本当に幸せだって思えた。


私の人生は人より少し短かったけど、旦那さんと出会ってからは世界で一番幸せだったと思います。

旦那さんに伝えたい言葉は感謝の言葉しかありません。私と結婚してくれてありがとう。

おいしい物を食べる事が大好きで、いろんなおいしいお店につれてってもらったし・・・

クエや松茸、高級な食材も買ってくれた。

病気になってからも、仕事も忙しいのに、病院に連れて行ってくれたし、家事も手伝ってくれたし、

湯たんぽもお湯を毎日入れ替えてくれたり、本当に世界一やさしい旦那さんでした。

そして、何よりユーモアがあって笑がたえない家庭でした。

旦那さんのおかげです。本当にありがとう。


結婚してから、ずっと自慢の旦那さんでした。

背も高くて、イケメン?浮気もしない、性格もいい。

私は旦那さんにとって、ダメな奥さんだったかもしれないけど。。。

病気になって、だんだん調子が悪くなっていく私に、家の事は俺がやるから無理しなくていい。

頑張ってってもう言えないけど・・・それでも生きていてほしい。いっしょに居たい。って言ってくれた事

生まれ変わったら、健康な体に生まれてきてほしい。絶対またおばさんと一緒になるから・・・って言ってくれた。


本当に本当に嬉しかった。旦那さん本当にありがとうございました。


旦那さんに私は何もしてあげられなかったけど、

ずっと天国で旦那さん、拓哉、玲奈を見守っています。家の掃除、洗濯どうしていますか?外食ばかりじゃ栄養も片寄るから心配だけど・・・

旦那さんには私の分も長生きしてほしいです。唯一の趣味のゴルフまた頑張ってほしいなぁー


私は結婚してすごく幸せだったから・・・子供たちも結婚して、明るい家庭を築いていってほしいなぁー

と思います。拓哉と玲奈の事宜しくお願いします。


二人ともいい子に育ったから、旦那さんの事助けてくれると思うんだ。


私が旦那さんに残せたものは、宝物は拓哉と玲奈だから・・・癌になって母親らしいこと何もできなかったけど旦那さんや子供たちに支えられて一生懸命前を向いて生きてきました。お母さんは頑張ったって言ってもらえたらうれしいです。


旦那さん、これからもずっと旦那さんの事大好きです。

話はできなくなっちゃったけど、これからもずっと旦那さんの事見守っていきます。

旦那さんは良い友人も多いからこれからの人生はきっと幸せだと思います。


元気で笑顔でいて下さい。照れ屋で口が悪くて、私の事「おばさん」って呼んだけど、いつも愛されてると実感していました。 



旦那さんありがとう。



また、結婚してネ



ババサ



本日、11時14分、母は天国へ旅立ちました。

今までブログを通して母を応援してくれた皆様。

本当にありがとうございました。

母からの遺言で、手紙の内容を更新させて頂きました。


だいぶ時間が前後しちゃいますが、1月5日ごろに戻って書きたいと思います。


平成27年1月4日、仲直りしたババサは旦那さんと昼間、ドライブがてら玲奈に頼まれていたお土産のお漬物を買いに出かけた。

多少ダルさはあったけど、漬物センターで少し旦那さんと昼食に山菜うどんを食べられたし、玲奈の好きなわさび味の野沢菜づけをたくさん買って送ってあげられる事が出来た。

だけど、神様は残酷だ。夜中から吐き気、何度もゲロゲロ吐いた。

トイレにも間に合わず、おしっこを失敗しながら便槽も汚した。

ああ、これ以上は放送禁止だわあ~ピーピーピー

旦那が心配して駆け寄ると、マックが旦那さんに

「この野郎、いじめるな」とガブリとやるし、たまらんわ。

結局、もう限界と判断し、ババサは次の日入院することになった。


あと、考えたのは「入院したら家に帰って来れないかもしれないなぁ、生きて帰って来れないかもしれないなぁ。いよいよターミナル期なのかなぁ・・・・」

そして、ババサは入院した。病室は四人部屋の大部屋。

病室に入ると、ババサが一番重症だった。

一人は抗がん剤目的の短期入院の人。

もう一人は右腕にギブスをつけているオバアチャン。

もう一人はイレウス管の入った60代の女性だった。

ババサは情けなくなった。

ババサは抗がん剤もできない状態。

こんな状態でいつまで生きられるんだろうか

治療法がはっきりしていない。

こんな時にイレウス管を入れているKさんに

声をかけられた。

「奥さんはどちらが悪いの?」

ババサは、半分ヤケクソになり

「子宮頸癌の末期で肝不全に近い状態でもう治療法の無い状態です。(おほほほほ♪すごいだろ~)心の声」

その女性は穏やかな笑顔で言った。

「そう。私と一緒ね。私は子宮体癌の手術をして、イレウスになってご飯も食べられないの。」

ババサ

「え、そうなんですか?・・・・・」 

( ババサはまだご飯が食べられる。)心の声

やけになってた自分が恥ずかしく思った。

Kさんは、こんな状態でも笑顔をたやさず明るく生きている。

しっかりしなきゃ。今週の金曜日は腫瘍内科のS先生に治療を受ける予定になっている。

少し前向きになれたババサであった。