BED
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公開中

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少し長めの文章を書きました。


読んでみてください。


どうぞよろしく。







「 カミュー アディー ミー 」 全文

https://bedhappy.wordpress.com/








句集 「 挙句の果て 2015 」 更新中

http://blogs.yahoo.co.jp/one_day_one_word/MYBLOG/yblog.html?fid=329767&m=lc


※上記ページのリンクは外れています。

 お手数ですが上記アドレスをコピー&ペーストしてください。。




 

詩集 「 罪の町にいくる 」

 http://blogs.yahoo.co.jp/one_day_one_word/folder/1009853.html










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カミュー アディー ミー

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カミュー アディー ミー





目次

プロローグ

1.小学生だったころ

2.中学生だったころ

3.高校生だったころ

4.大学生になって

5.ヴァルナへ

6.カミュー アディー ミー

7.帰国して

エピローグ





プロローグ

 この授業[文章表現Ⅰ]を履修してとても勉強になりました。
今年Ⅱも履修したかったのですがⅠを履修済みでないと履修できないとのこと。
卒業の予定なのでⅡを履修することができず残念です。

 この後期課題[思い出]でなにかしら表現できればと書き連ねます。
ご批評のほどよろしくお願いします。

 1年間どうもありがとうございました。





1.小学生だったころ

 カミューとアディーは双子の姉妹だ。
彼女たちは私の住む町へ越してきた。
それからすぐの小学校の入学式ではじめて彼女たちと会った。

 6才といったらはじめはなんでも緊張する。
入学式といえばなおさらだろう。
しかも引っ越して数日しか経っていない入学式といったらなおなおさらだろう。

 入学式が終わって母親のところへ行くと知らない女の人としゃべっていた。
その女の人のとなりで彼女たちがこっちを見ていた。
緊張が走った。

 おんなじのがふたりこっちを見ている。
その知らない女の人は彼女たちの母親で、よろしくね、と言われて照れくさかったのをおぼえている。

 家も近かったのでなにかと縁があった。
彼女たちもそう感じていたと思う。
おばさんから聞いてきた彼女たちの話を母親から聞くこともよくあった。
そんなときは胸の内で、へぇ、そうだったのかぁ、と思った。

 学校ではあんまりしゃべったりはしなかったけれど2対1でお互いなにかしら通じ合うものを感じていた。

 彼女たちはいつも一緒にいた。
どこでもだ。
着る物もまったく同じで最初は見わけがつかなかった。
でも仲よくなるとそんなことはなかった。

 家で母親が、双子ちゃんはどっちがどっちかわからないわね、と言っていた。
今双子ちゃんに会ったけれどどっちがどっちかと聞いてくることもしょっちゅうあった。

 彼女たちは性格もよく似ているところがある。
でも顔と同じで性格も仲よくなって見ると違うところがあった。
カミューのほうが姉でしっかりしている。
なにかあると机に座ったままのアディーの側へやって来てジッと話を聞くような感じのところがあった。

 彼女たちは小学生にしてはお洒落だった。
なにかしらアクセントのある洋服というか着ているものが締まった感じに見えた。
おばさんの趣味もあったのだろうけれど彼女たちは小学生にしては小綺麗だった。

 彼女たちのおばさんはけっこう化粧の濃いおもしろい人なのだけれどおじさんがダンディだった。
中背の中太りで口ひげとあごひげを生やしてうす茶のサングラスをかけている。
無口で怖い感じのする人だったけれど洒落た人だった。

 彼女たちはどちらかといえばお父さん子だった。
もし彼女たちに、どんな男性が好みかと聞けば間違いなく、父親みたいな人が好きと言うだろう。
おばさんが少し厳しいぶん彼女たちにとってはパトロンでもある父親が人一倍大きな存在だったと思う。
もちろん母親のおばさんとも仲はとてもよかった。

 小学校の入学式ではじめて会ってしばらくしてカミューとアディーという双子の女の子がいることはごく日常のこととなった。



 10才くらいになると7才ころとは体型もみんな変わってくる。
彼女たちはその中でもとてもスタイルが良かった。
頭が小さくて手足がスラリと伸びて長い。
体育の時間になったりするとそれがいっそうよくわかった。
そして彼女たちは足が早かった。

 このころの男女の体力差はあまりない。
彼女たちが体育のトラック走で男子に勝って女子が大喜びなんてことが時どき起こった。
日本人体型のダイコン女がリーダーになって、勝負しろ勝負しろと迫って来るのだ。
これには男子一同子供ながら深刻に決断を迫られた。

 彼女たちはどちらかといえば静かな女の子だ。
男子一同に正面向かってタンカを切るようなことは絶対しない。
いつもその後ろでお互い見合って笑っているのだ。
そこからよく私と目が合った。

 彼女たちは私の様子をよぉく見ていた。
ほかは見ないで私ばかりを見ている気がした。
そうしてダイコンがタンカを切るたびにクスクス笑っているのだ。

 背が低かった反動からか私は小さなときから正義感というか負けん気みたいなものが人一倍強かった。
それとすばしっこくて足も早いほうだった。
それで何度か勝負したことがある。

 あるときもうひとりの足の早い男子と私とで彼女たちと勝負することになった。
走る距離が長くなればなるほど男子に有利だとみんな感じていた。
体力差があまりないといっても中距離以上ではやはり女子は最後バテる。

 でも50メートル走となると焦った。
おそろしいことにダイコンとその一派が、今回は50メートルで勝負するとゴリ押しで決めてしまった。
そうしたらもうひとりの男子は、走りたくない、だって調子悪いから俺、風が強い日は、などと言って走ろうとしなくなってしまった。

 でも私はそうしたくなかった。
今になれば、可愛い子だったなぁ、と思えるけれど当時ダイコンはシャクにさわった。
それにカミューにもアディーにも負けたくはなかった。

 実際身の毛もよだつような思いでスタート位置につく。
彼女たちは右左とそれぞれ私の両側の位置についた。
負けるわけにはいかない。
男の子だったから。
そして勝った。
彼女たちもそれをとても喜んだのだ。

 勉強はカミューのほうが得意そうに見えた。
でも彼女たちはだいたい同じくらいの成績だったと思う。
そのころの私はまだ勉強はできたほうだったので彼女たちになにかあると教えてやった。
それを後ろから見ていたほかの男子が悪意のある言葉を言ってきても私にはそんなこと関係なかった。
彼女たちには真剣だった。

 彼女たちも私の立場と気持ちをとてもよくわかってくれていたのだろうと思う。
そんなとき私はよそよそしい態度というか冷静を気取ったというか妙に大人ぶったような感じで彼女たちと話をした。
私は彼女たちには体当たりっぽかった。
彼女たちを放っておいたり黙って見たりしていられなかった。



 私にはそのころから大の大人をギョッとさせる小さいながらもの武器がいくつかあった。
そのひとつが絵だ。
私は絵がうまかった。

 国の展覧会で銀をとった。
その理由は、うますぎて子供の絵とはいえない、そのためひとつ落として銀にしたというものだった。
なんだよそれ、と思った。

 それは6年生のときだった。
担任は若い男の先生だった。
その先生からその理由を聞いた。
わざわざ電話してきてくれた。
理由を直に伝えてくれた。

 私はとにかく陽気でやんちゃな目立ちたがり屋だった。
小学校のときの通信簿を母親に見せられたことがある。
明るく元気すぎるほどです、とか、人の問題に口をはさんで大げんかになってしまいました、とか吹き出してしまうような先生の評が書かれていた。

 その評を書いてくれた先生は2年生のときの担任で独身の若い女の先生だった。
私はおぼえていないのだがこの先生と机を並べてじゃんけんで勝ったら給食をひと口食べていくということをして遊んでいたらしい。
中学でダイコンと同じクラスになったときに言われた。

 でも当然そんな先生ばかりじゃない。
そのときはわからなかったけれど白髪の年寄り教師に憎悪の対象のような存在として扱われることもあった。

 5年生のとき写生会でお寺を描いた。
その絵を今見ても、ホント構図からして気取ってる、と思える。
体育の先生にその絵を見せたら私の名前をゆっくりと言って息を吐いた。
金は間違いなかった。

 絵はクラスごとに廊下に貼り出されて金銀銅の賞を先生たちが決める。
結果発表の朝に勇んで学校へ行くとみんな廊下へ出ていた。
そうして私に言ったのだ。
私は金どころか銀銅にも入っていなかった。
賞なし。

 5年生はわからない気持ちで負け惜しみのごまかしをきかせてその日の学校を終えて帰って行った。
その日は動揺と興奮とで平衡感覚を失ったような気分だった。
さっぱりわからなかった。
家に帰って、おかしい!絶対におかしい!と母親にぶちまけた。

 後日ある女の先生に、君残念だったねぇ、白髪先生が、この子に賞はやらない、ギャーギャーって騒いでさぁ、私たち黙ってるしかなかったのよぉ、と告げられた。
毎度うるさくて小生意気なチビは得意の絵を逆手に取られ見せしめにされた。
ショックと悔しさで帰り道歩きながら泣いた。

 カミューとアディーは絵がうまかった。
でもそれは可愛らしい女の子の絵だ。
アディーなんかとても絵が好きでよくチョコチョコッとなにか描いていた。

 写生会なんかでも彼女たちは時どきダイコンなんかと一緒にやって来て私の描く様を背後からジィーッとのぞいていた。
よぉく見ているのだ。
あの結果発表の日も一列後ろから私のことを見ていたに違いない。



 私は彼女に魅かれた最初の記憶がある。
彼女たちはバレエを習っていた。
それで時どきというかけっこうまめに学校を早引きしたりした。

 あるときおばさんが車で迎えに来て偶然私に会って、私の娘たちはどこじゃ~、と聞いてきた。
おばさんと校内を歩いて行くと彼女たちが身支度を済ませて廊下へ出て来る。
私は彼女たちに、それじゃあバイバイ、と言って見送った。

 小走りで車へ向かうおばさんとその後ろについて行く彼女たちを私は窓から見ていた。
彼女たちがこっちを横目でチラッと確認したりするのがわかった。
そして真っ赤になったようにしておばさんの車で帰って行った。

 私はなんでか手を振ったりはしなかった。
車が見えなくなるまで人目を避けてそっと見送った。

 私の小学校は1クラス40人ちょいで1学年2クラスの田舎だった。
彼女たちはここから電車に乗ってバレエ教室へ通っていた。
6年生くらいになるとはほぼ毎日通っていた。
発表会やコンクールもある。
そんな日が近づくと朝から学校に来なかったりした。

 うちの母親もおばさんからチケットを買って発表会へ行ったりしていた。
私も誘われたが断った。
男が母親とバレエ鑑賞なんておかしいだろ、と私は口では言っていた。
でも本当は、観たいなぁ、という気持ちだった。

 母親は発表会から帰って来ると、双子ちゃん上手できれいだったよ~、と私にひとしきり話して聞かせた。
私は、いつでも観られるからいいや、と思っていた。

 彼女たちは体はとても丈夫だった。
風邪で休んだりケガをしたなどということは一度もなかったと思う。
それで彼女たちが学校にいないときは、バレエでいないのだとみんな思った。

 彼女たちは目のクリッとした少し面長で色白な女の子だった。
鼻筋は通っていて鼻先はけっこう丸っこかった。
髪の毛は少し栗毛っぽくて低学年のころはマッシュルームカットだった。
そのあとポニーテールだったり高学年のころはバレリーナのおだんごヘアだったりした。
背は私よりも高かった。
笑顔がとても可愛いらしいのだ。

 そんな双子のうち一方のアディーがクラスの女子にバレエシューズで踊ってみせたことがあった。
シューズを履いてスッと立つとバレエの基本的な動きみたいなものをいくつかサラッとやった。
まわりに座っているダイコンたち女子は、わぁとなって拍手した。
双子のもう一方はこのときなぜか見えなかった。

 私はそれを離れた場所から見ていた。
着ている服の感じはいつもと同じだけれど手足体の動きは全然違った。
少し首をかしげてスラッとした腕と足を動かす様子はとても目を引きつけられた。
それを眺めていてとても満ちたりたような気持ちだった。
その姿に優雅で清楚な女性を感じなんとも素敵な気持ちになったのを憶えている。



 そうして入学式ではじめて会ってから6年が経った。
いよいよ卒業する歳となる。
私はそのまま地元の町立中学校へ進む。
大部分の連中はそうだった。

 でも何人か私立の中学へ進む子もいた。
カミューとアディーもそうだった。
そのことは前々に母親から聞いていた。

 うちの学校の卒業式は卒業生は中学の制服を着て出席するのが慣例だった。
多くは地元の中学の学生服を着てくるがほかの中学へ進む子はそれぞれ違う見たこともない制服を着てくる。

 まわりと違う制服を着たカミューとアディーはとても恥ずかしそうにしていた。
でも今思えば恥ずかしいのはこっちだろう。
地元中学へ進む私たち大多数は間抜け面した貧乏人だ。
彼女たちは間違いなく、育ちのいい子、と言える。

 式が終わってそのまま帰ったと思う。
彼女たちとはひと言も言葉を交わさなかった。

 私は彼女たちのことなら学校でいちばんよく知っていただろうと思う。
彼女たちのおばさんはうちの母親と仲が良かったし会えば話は自然と子供のことになるらしかった。
私が彼女たちについて知っているのと同じだけ彼女たちも私のことを知っていただろう。
お互いによく知り合っていた。

 私は、彼女たちとつながっていると無意識のうちに感じていたと思う。
別々の学校へ進むのは少しさみしいけれど自分たち3人は胸の奥底でつながっている、という確信のようなものがあった。
それで卒業式が同じ学校最後の日といっても切羽詰まったような気持ちはなかった。

 式のあと親たちは先生の話を聞くとかで学校に残った。
私は先に家に帰って着なれない学生服を脱ぎなにも考えずにお菓子かなにかを食べていた。

 夕方ごろ母親は彼女たちのおばさんと一緒に帰って来た。
学校での先生の話やら中学校での生活の様子やら母親はいろいろと私に話して聞かせた。

 その中でもいちばん印象的だったのが彼女たちのおばさんは、彼女たちをバレリーナにしたいと考えているということ。
彼女たちのおじさんも、オーケーしたということ。
そしてなにより彼女たち自身がそれを望んでいるということだった。





2.中学生だったころ

 中学校へ進み新しい生活についていくのがやっとの私の日常からは次第に彼女たちの存在は薄れた。
時どき母親が、今朝双子ちゃんに会ったなどと言うのを聞いた。
私も自分の家の前や買い物先などで彼女たちにばったり会って話し込んだりしたことが何回かあった。
彼女たちは都会っぽかった。

 彼女たちが、部活はやらないで毎日バレエ教室へ通っていると母親から聞いていた。
近い学校へ通う私に比べて電車通学で朝早く夜遅く遠くまで通う彼女たちは大変だったと思う。

 それでかどうかは知らないが彼女たちの家は引っ越すことになった。
私は学校が忙しかった。
学校のことで精一杯で彼女たちが引っ越すことに気を使っていられなかった。

 母親と立ち話をしていたおばさんが家へ帰って来た私に、ぜひ遊びに来て、なんて言ってくれた。
でも勉強がどうのこうの部活がどうのこうのと結局彼女たちの家には行かなかった。

 あす引っ越すという夜におばさんとおじさんが家に訪ねて来て挨拶をしていった。
彼女たちもそこにいた。
私は自分の部屋にいて母親に呼ばれておばさんおじさん彼女たちに挨拶をした。

 次の日彼女たちは引っ越したのだろう。
私はいつものとおり学校へ行った。
そしていつもと同じように家へ戻った。

 それから10日ぐらいした日曜の午後に彼女たちの住んでいた家を見に行った。
フラッと行ってみた。
彼女たちの家は近かったけれど学校とは真逆の方向でそのわずかな距離も遠く感じていた。

 いい天気だというのに雨戸は全部閉まっていて庭の木もなんだか元気なく見えた。
あ~あ、おばさんもおじさんもカミューもアディーも本当に引っ越したんだなぁ、と思った。
でもさみしい気持ちのようなものはなかった。

 今にしてみれば私は直感していたのだと思う。
言葉にはしなかったけれど、彼女たちとはこんなさよならでは済まないとわかっていたような気がする。
だから引っ越したって別に全然関係なかった。



 彼女たちが引っ越してはじめての正月が来た。
年賀状の中に彼女たちからのハガキもあった。
決まり文句のほかに少し時間をかけてあれこれした跡の読める文章がそれぞれのスペースに書かれていた。

 絵も描き込まれていた。
私に見せる絵ということで、かなり緊張して描いたな、と見てわかった。
もちろん返事を出した。
ごくありきたりな言葉に自分の絵をつけて返事とした。

 夏になった。
今度は暑中見舞いが届いた。
淡いきれいな紺色に白い波が映えた絵だった。
彼女たちからの文章も添えられていた。
私も返事を出した。

 冬になった。
私の誕生日は12月30日で年の瀬の忙しい時期に生まれた。
誕生日会をしたことがない。
その誕生日に私へ速達の手紙が届いた。

 彼女たちからだった。
開くと♪ハッピーバースデートゥーユー♪と誕生日を祝う曲のデジタル音が流れるバースデーカードだった。
私の誕生日をおぼえていてくれて今年は誕生日もお祝いしてくれた。
正月の決まり文句なども書かれていて年賀状も兼ねていた。
私は、へぇー、と感心してしまった。

 小学校のときも彼女たちから年賀状や暑中見舞いは何枚かもらった。
けっこう恥ずかしかったのか毎年はもらわなかった。
もらえば必ず返事は出した。
彼女たちの家のポストに直接入れたりしていた。

 誕生日に彼女たちからなにかもらうというのはそのときがはじめてだった。
音の出るカードというのを見たのもそのときがはじめてだった。
とてもうれしかった。

 返事を書かなきゃいけない。
年賀状を書いていて彼女たちの誕生日を知らないことに気がついた。
小学校の名簿を出して彼女たちのところを見ると4月21日だった。
へぇ、そうだったのかぁ、と思った。





3.高校生だったころ

 高校に入ってから私は本格的に脱線するようになった。
それはすでに中学のころからはじまっていたがまだやる気というものがあった。
そんなものも失せた。
大人たちのだれもかれもが私のことを、馬鹿だと思っているように感じた。

 私は自分なりに悩み抜いていた。
なにもかもー筋縄では行かないようになってしまっていた。
でも絵を描かせてみたり走らせたりしてみると私は人よりもうまくやった。

 それで先生たちは私のことをつかみにくかったらしい。
結局私のことを、とらえどころのない扱いづらい奴として見るようになったらしかった。
そんな感じで過ぎていった。

 カミューとアディーはお嬢さんだ。
バレエの道をどんどん進んで行った。
彼女たちはヨーロッパのあるバレエ学校に合格し通っていた高校を休学して留学した。

 彼女たちは実際もうバレリーナだった。
あとはいずれかのバレエ団とプロとして契約できるかどうか。
彼女たちは契約した。
海外のバレエ団に入団した。
彼女たちは何千人何万人にひとりという選りすぐられたバレエダンサーになっていた。

 いつしか彼女たちからの便りも来なくなっていた。
それにまったく気づかぬほど私は昼も夜も乱れた生活にはまり込んでしまっていた。
右往左往したあげくの果てに大学へ逃げ込もうと遅れて入学した。





つづく



































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カミュー アディー ミー     .

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4.大学生になって

 私は大学へ通う。
大学に入学してからひとり暮らしをしていた。
ゴールデンウィークに実家へ帰った。

 電話がきた。
母親が出てしばらく話していた。
あらそう、この前電話でお母さんと話したのよ、などと言っている。
それから私を呼んで受話器を差し出した。

 私は受話器を受け取って、だれ、と聞いた。
母親は小さな声で、カミュー、と言った。

 私は驚いて慌てた。
でも受話器を持ってから、出ない、とか切ってしまったりもできない。
どぎまぎしながら、もしもし、と言った。

 カミューからだった。
カミューも緊張しているようだった。
久しぶり、などと言ってお互い話しはじめた。
アディーは元気かと聞くと、元気だと言った。
今一緒なのかと聞くと、一緒でなく自分ひとりだと言った。

 話は和んでいった。
それで私は、なにか用なのかと聞いた。
カミューは、どこかで会えないかと言った。
日にちと場所と時間を決めて会うことにした。

 電話に出てから15分くらい話をして電話を切った。
短い時間にサラッと話をしてという感じだった。
電話を切ると母親が、あんたを好きなんじゃないの?と言った。
うるせぇな。



 私とカミューはゴールデンウィーク中に会った。
すぐにだ。
私は着飾ったりもなにもまったくしなかった。
髪型もどうもこうもせずまったく普段のまんまにして行った。
私はボーッとしていた。
でも、あぁ、会うのかぁ、ととても楽しみだった。

 うちの母親はカミューのおばさんと時どき手紙や電話でやりとりをしていた。
母親に留学先の彼女たちの写真を見せられたこともある。
だから私は成長した彼女たちの容姿のだいたいは知っていた。
それは逆に彼女たちも同じだっただろう。
前に母親が、あんたの写真送っちゃった、などと言っていたから。

 時間にルーズな私だがこのときは奇跡的にも10分くらい前に待ち合わせ場所に着いた。
ふわぁと歩いて行って連休で混雑する中で、ああっていう感じでカミューと会った。

 何分ごろ来た?と聞くと、今来たところだった、とカミューは言った。
あれ、俺だってすぐわかった?と聞くと、うん、わかった、とカミューは笑った。
お互い照れるなんてことはしないで面と向かって話をした。
待ち合わせしているらしい隣にいた男がけげんそうな顔をしてこっちをチラチラ見ていた。

 あ、それじゃあ、どっか行こうか、と私は言った。
ごはん食べる?どっかサ店にでも入ろうか、などと言った。
カミューは、どこでもいいよ、と言った。
私はブラブラと歩きはじめてカミューもその横について来た。

 カミューはとても素敵な感じだった。
ウェーブのかかった髪は肩より少し長いくらいで真ん中からわけている。
ストライプの入ったシャツに紺の薄手のジャケットを着ていた。
スリムなパンツにかっこいいシューズを履いていた。
銀の首飾りをしていた。
写真で見ていたより大人っぽかった。

 かっこいいおねえさんというのだろうかバッグを肩にかけてとても活動的に見えた。
ラフな感じなのだけれどあか抜けていた。
大学で見るきれいな女子学生の感じとは違った。
とにかく品良く見えた。

 私と彼女は喫茶店に入った。
お互いの今までのことを話したりした。
彼女は私が連休に実家へ帰ることをおばさんから聞いていた。
私が大学に入学したことを彼女は知っていた。
彼女たちの入団したのが別々のバレエ団だということを私はここではじめて知った。

 私は彼女の話にただただ感動して聞き入っていた。
けれどもカミューとアディーが別々に暮らしているなんて…。
それで私は聞いた。

「さみしくない?」

「 ? 」

「アディーがいなくて」

「 … 」

「アディーはさみしくないのかな」

「 … 」

「カミューがいなくて」

「 … 」

「なんかほかに注文しようか」

「アディー結婚したよ」

「 … 」

「結婚した」

私は〝頭を殴られたような衝撃を感じ〟というのがどういうものかこのときはじめてわかった。



 アディーは結婚したのだという。
相手は同じバレエ団のダンサーで4つ年上の外国人だ。
アディーにはまだ子供はいない。
アディーはこのままの状態でプロのダンサーとして続けていく考えなのだという。

 彼女たちは一緒に同じバレエ学校に留学した。
さらに同じバレエ団のオーディションを受けようとした。
その直前にカミューは足を故障してオーディションを辞退した。
アディーはオーディションを受け合格しそのバレエ団と契約を交わした。
そして結婚した。

 カミューはアディーより遅れて別のバレエ団に入団した。
先月故障を再発して舞台を離れていた。
彼女のおばさんとおじさんは引っ越したままでいる。
ゴールデンウィークにあわせて彼女は一時日本に帰って来た。

 彼女は人目を引いた。
一緒に歩いても彼女は背筋が伸びて自然ときれいな歩き方をする。
カップひとつを持つにしてもそうだ。
動作のひとつひとつが洗練されていた。

 それに比べて私のだらしのないこと。
彼女はそんな私を見て、おかしくて仕方ないという感じだった。
私は彼女に、あんまり変わっていないと言われた。
私も彼女にそう感じていた。
変わったのは背で私のほうが高かった。

 別れ際に彼女は、今日は会えてとても嬉しかった、と言った。
どうもありがとうございました、と私に向かって頭を下げた。
私も、いえいえ、などと言って改まった。
すると彼女は思いつめたような表情で、また会えないかと聞いてきた。

 私は考えた。
会ったってかまわないけれど問題はその方法だ。
日本と国外と遠く離れて、週末ごとに会おう、なんてことはできない。
う~ん、どうしようか、家まで送るからそのあいだに考えよう、と一緒に電車で彼女の駅へ向かった。



 彼女は私に話した。
今年ある国際バレエコンクールが開かれるという。
それは黒海に面したリゾート地のヴァルナという街でおこなわれる。
ブルガリアが国を挙げてのコンクールだそうでかなり有名らしかった。
世界中のダンサーが目指すバレエコンクールのひとつらしい。
7月の中旬から末までのあいだ開催されるという。

 彼女はそのコンクールに次回出場する予定で準備をしていた。
今年そのコンクールを現地で下見するつもりでいた。
そこで会えないかと彼女は聞いてきた。

 あまりの突然な話に私は最初驚いたが、アディーも来るという。
それを聞いた私の反応も彼女は、よぉく見ていたのだろうなと今になって思う。

 私は7月中旬までは前期テストでそれさえ終えれば行ける。
日本からいくらぐらいかかるかを聞いて安い額ではなかったが私は決めた。
そのコンクール開催地でまた会うことになった。

 話は決まった。
私は優柔不断ではない。
バシバシ決めていく。
彼女も不満はひとつもなかっただろう。
昔からこうだった。

 実際彼女も私がそうするのを期待し予見していたりする。
私の決定を聞いてチョッチョッと意見したり、ほかにこういうのもあると私のまったく知らないものを教えてくれたりした。

 私が最後に、それでいいかと聞くと、それでいいよ、と笑った。
カミューとアディーは私のそんな脳天気で無鉄砲なところが好きだったに違いない。
それが作り笑顔でないことは私がいちばんよくわかった。

 お互い手紙なり電話なりで連絡し合うことにした。
お互いのアパートの住所と電話番号を交換した。
アディーのご主人は一緒に来るのかと聞くと、今のところまだわからない、と言うので、一緒に来るように頼んでとお願いした。

 彼女とは途中で別れた。
おばさんとおじさんによろしく、と私は言った。
それじゃ今度会うのは7月だね、それまでお互いがんばろうね、と言った。
アディーによろしく、また連絡するね、と言った。

 私にはいろいろと考えもかけめぐった。
この際はじめて外国へ行ってみるのもいいだろうとも思った。
それにしても彼女たちのことを気にしないではいられなかった。
おせっかいにも私は彼女たちのことを気づかわずにはいられなくなってしまった。

 アディーが結婚したなんて信じられなかった。
というかよくわからなかった。
まったく実感というものがわかなかった。

 アディーの結婚をこの目で見なければと思った。
そうでなければ気が済まない。
そう思った。



 ゴールデンウィークも終わった。
私はまた大学へ。
ひとり暮らしとなる。

 カミューはなぜ突然、会って欲しいなどと言ってきたのか。
答えはひとつだ。
カミューとアディーは別々の道を歩きはじめていた。
アディーはひとりでオーディションを受けることを選択した。
カミューに先んじてバレエ団に入団することを選んだ。
彼女たちに生まれてはじめて差という違いが生じた。

 カミューはなぜアディーと同じバレエ団を選ばなかったのか。
いくつかの事情があったことを話してくれたが彼女の言わなかったことがある。
それは彼女のプライド。
妹の後を追ったと見られる思われることは彼女のプライドが許さなかった。
プロ契約をひとり目指していた頃のカミューは姉よりもひとり先へ進むことを選んだ妹を許せなかった。

 そのあとそれぞれの選択が最善でなかったことに彼女たちは別々に苦しむようになった。
アディーは結婚という方法でその苦しみから自分を救済しようとした。
ふたりの距離はさらに離れていく。

 カミューは孤独なリハビリを続ける中で痛めた足を不安に思い焦りもしただろう。
彼女はおばさんとおじさんと私に会うことを選んだ。
おばさんとおじさんと私に会うことで彼女は気を和ませることができる。
それはおばさんとおじさんと私にしかできない。

 わざわざ彼女は日本に帰って来た。
たったそれだけのために。
それほどに迷い苦しんでいた。

 私が知っていたのは彼女たちがバレエ団に入団したということまでだった。
おばさんはうちの母親に〝別々のバレエ団〟とまでは知らせなかったのだろう。
彼女たちの〝別々の入団〟をおばさんは好ましく思っていなかったはずだ。
だからうちの母親に知らせてこなかった。
〝アディーの結婚〟にしても〝カミューの故障〟にしてもそうだ。
ましてやふたりの〝別々の住所〟を人に教えるわけがない。

 いずれにせよカミューは私にどうしても会いたかったのだろう。
もちろんおばさんとおじさんに会いにも来た。
おばさんとおじさんは彼女たちの苦しみ理解することができる。
でもそれ以上に私に会いたかったはずだ。
私がアディーに会うためヴァルナまで行ったように…。





5.ヴァルナへ

 この夏ブルガリアまで出かけて行ってカミューとアディーに会う。
一体どんなふうになるだろうか。
いろいろと想像した。

 私はそのころバレエにあまりというかまったく興味はなかった。
調べてみてそのコンクールが世界的に権威ある大会なのを知った。

 カミューへ手紙を出した。
出発日を決めて滞在日を彼女に知らせた。
アディーはいつ来るのかアディーのご主人は来るのかも聞いた。

 返事が届いた。
予約してくれたホテルのアドレスと料金を知らせてきた。
アディーがヴァルナにいつ来るかご主人が一緒かはまだわからないとあった。
手紙はワープロで打たれていて最後に彼女のサインがされていた。

 再度彼女へ手紙を出した。
アディーはいつ来るかアディーのご主人は来るかを再度聞いた。
しつこいと思われただろう。

 返事が届いた。
アディーのヴァルナ滞在は私と同じ日程と知らせてきた。
私がヴァルナに着く日にアディーもヴァルナへ来て私と同じ日に帰るとあった。
ご主人が一緒かはわからない。
アディーのホテルは彼女が自分で見つけるので私たちとは別。
ヴァルナで会いましょう。
カミュー。
サイン。



 ソフィアはブルガリアの首都で古い街だ
古代中世からの建築物をそのまま大切に保存していたりする。
ソフィアの空港に着いて市内のホテルに1泊した。
東欧というと暗く怖いイメージを持っていたがそんなことはまったくなかった。
物価も安かった。

 首都といっても少し閑散としていて静かな郊外の都市といった感じだった。
どの色にせよくすんだように見えるちっちゃなマッチ箱みたいな車が走っていた。
それがトラバントという車だというのはあとになって知った。

 次の日ソフィアから列車で黒海へ向かう。
ソフィアとヴァルナは国の東西両側にあって列車は国をまたいでいる。
半日列車に乗って国をはじからはじまで横断するようなものだ。

 美しい東欧の風景が夏の日射しのもとゆっくりと続いていた。
空気も湿気がないためか日本みたいに汗ドロドロなんてことはなかった。
日射しが無限に透き通っているみたいだった。

 ソフィアで一緒に乗った人たちは途中で降りていった。
列車は白人ばかりが乗っていた。
東洋人や黒人はひとりも見なかった。

 ヴァルナで降りた。
ヴァルナからの列車は南下してトルコへも入って行く。
電車でほかの国へ行くという感覚がよくわからなかった。

 ヴァルナに着いたのは夕刻だったがまだ外は明るかった。
ヴァルナはソフィアとまったく違っていた。
さっきまで車窓から見ていた町並みと同じ社会主義の国とは思えないほど活気があった。
整備された道路にはヴァルナ国際バレエコンクールの旗が連なりたなびいていた。

 ひと目見て東欧の人の服装は地味だ。
このヴァルナは明らかに観光客という人たちで賑わっていた。
海が見えた。
私は荷物はでかいショルダーバッグ1個しか持っていかなかった。
しばらくその辺をブラブラして予約してもらったホテルを探した。

 立派で綺麗なホテルだった。
カウンターで片言の英語でしゃべるとフロントのおじさんは私にカードをよこした。
開けてみるとそれはカミューからで彼女のルームナンバーが書かれていた。
今出かけている7時ごろに戻るとあった。
彼女は先々用意していた。
私は感心した。



 その夜ホテルのロビーで彼女と会った。
私は、アディーも来た?と聞いた。
アディーは来ていなかった。

 アディーは昨日突然、行けなくなったと知らせてきたという。
なんでかと聞くと、わからないと彼女は言った。
仕事なのかと聞くと、よくわからないと繰り返した。
連絡できなくてごめんなさい、と彼女は言った。
私は出鼻をくじかれた。

 アディーは予約していたホテルもすべてキャンセルしたという。
なんというホテルかと聞くと、聞いていないと彼女は言った。
ご主人も来る予定だったのかと聞くと、それも聞いていないという。

 アディーの連絡先を聞くと、今アドレスはわからないと彼女は言った。
連絡先を控えてないのかよ、と私は思った。
彼女は黙ったままでいた。

 私は、彼女の部屋の通話記録をフロントに出してもらって電話番号をチェックしようとまで言いかけたがなんとか押しとどまった。
そんな私の様子は動転しているように見えただろう。

 今さら電話してどうなる。
それでも私は、話だけでもしたいと感じていた。
せっかくここまで来たここから。
声だけでも聞きたいという気持ちだった。

 沈黙が続くうち彼女が物寂しげに見えてきて私はそれ以上言わなかった。
私が再度アディーの連絡先を問うと彼女は、アパートへ戻ればわかるから追って連絡すると言った。

 私は、残念だなぁ、と言った。
会いたかったなぁ、でもしょうがないな、と言った。
本当ははらわたが煮えくり返りそうだった。

 そのあとコンクールを観に行く彼女の誘いを断り私はホテルの部屋にいた。
出鼻をくじかれはらわたを煮えくり返すためにはるばるここまでやって来たのか。
そういうことだこの抜け作め。



 次の日は午前中からカミューとホテルのロビーで話をしたりして過ごした。
ロビーからは外が見えた。
そこにはヨーロッパの夏景色が広がっている。
透き通った日射しは降り注いで新鮮。
なにもかも新鮮に色鮮やかに見えた。
彼女はヴァルナ滞在中も毎日レッスンへ通っていた。
この日は正午前に出かけて行った。

 午後は外へ出た。
少し歩くと海へ出る。
道路から浜辺の様子が見えた。
パラソルが立ち並ぶ。
浜辺は人で賑わっていた。
〝世界中どこへ行っても日本人はいる〟というがここには白人しかいなかった。

 やっぱ外国だなぁ、と思ったのは浜辺の人たちの水着だ。
日本では考えられないような変わった色をした水着であちこちゆっくりと動いていた。
それに髪の毛の色が相まってカラフルだった。
トップレスの人もいた。
素っ裸でボールを持って盛んに泣いている白人の子供。
突きぬけるような空の青さ。

 今まで見たこともない日射しの源が夏を輝かせていた。
平穏になにごともなく無事に過ぎ去っているように思えた。
この浜辺をこうやって見ていると…。

 ヴァルナの空と海の色は中学のとき彼女たちからもらった暑中見舞いとゴールデンウィークのカミューのジャケットを思い出させた。
時の流れを感じる。

 不思議と、アディーは結婚したんだなぁ、と受け入れられるようになっていた。
知らぬ間にはらわたもおさまっていた。
鼻も元に戻った。
この空と海とがそうさせたのかもしれない。

 浜辺のざわめきは海へ出ていった。
そうしてゆっくりゆっくりと太陽のほうへ昇っていった。



 レッスンから戻ったカミューを誘って夕方に浜辺の砂浜へおりた。
太陽は傾いてそれをさえぎるものはなにひとつない。
海と空が広がっている。
海水浴客は昼間より少なくなっていた。

 カミューとその砂の上を歩いて行った。
見慣れぬ顔つきが服を着て歩いて行くのを、なんだあれと子供が驚いた顔をしてこっちを見ていた。
トップレスの人のそばを通るときに口を閉じたまま下あごを伸ばして額にシワを寄せてカミューに見せた。
カミューは笑うと歩く足元に目を向けた。
砂を踏み歩く感触。
海を見たり足元を見て黙ってみたりしながらゆっくりと歩いて行った。

 カミューとは手をつながずに歩いた。
カミューもそれはわかっていた。
手をのばせばカミューも手をのばしただろう。
なんのためらいもなく…。



 日は暮れていった。
浜辺の人は少なくなってもいなくなりはしなかった。
海岸はゆるやかにこの先も続いている。
ふり返ると歩きはじめた場所はなぜか遠く見えなかった。

 浜辺も人も建物もなにもかも。
夕暮れの日射しを浴びてオレンジ色のフィルターをかぶせたように。
あせて淡く変色していた。
そのまんまのことを彼女にしゃべった。
ほら、あそこを見てごらん、て。

 カミューはその景色を見ながら聞いていた。
しゃべり終えると見つめられた。
まっすぐな瞳で。



 ヴァルナは賑やかだった。
恒例のコンクールは野外の劇場でおこなわれる。
それはシックでエレガントだ。
舞台の背景はアーチのある石造りの壁で緑のツタがはりつめている。
日が沈む。
スポットライトがその野外ステージを照らし出す。

 夏の夜ステージがはじまる。
それは海辺に面してまばゆくすがすがしくこの社会主義国のひとつの祭典だ。
世界のバレエ関係者が注目しているといっても過言ではない。
カミューはこのコンクールに次回エントリーしようとしている。
すごいことだ。

 そのまんまをカミューに言った。
本当、尊敬しちゃうよ、と。
カミューは首をかしげてニッコリと笑った。
とてもうれしそうに体をゆらして少しはにかんだ。

 コンクールはこのとき終盤を迎えていてヴァルナはさらに活気づいていくように見えた。
朝から晩まで晴れやか。
そうしてこの夜もいつしか朝になっていったのだろう。



 アディーはなぜ来なかったのか…。
最初からこうなることは目に見えていた。
私はそれにまったく気づかないでいた。

 もしアディーが来ていたら私はアディーに問いただしただろう。
なぜ結婚したの、と。
これほど残酷なことはない。

 でも私は問いたださなければ気が済まない。
アディーのご主人が横にいても聞いただろう。
カミューはそうなることに気づいた。

 会えば私がアディーを傷つけることになる。
アディーは私に会わないほうがいい。
カミューはアディーにそれを伝えた。

 なぜ来ないと聞かれて、あなたに傷つけられるからとは言えない。
それでカミューは、わからないと口をにごした。
カミューは私からアディーを守った。

 カミューは私に、アディーの連絡先は追って教えると言った。
けれど今になって、カミューは教えてくれるだろうかと思う。
アディーを私から守ったカミューだったとしたら。



 ゴールデンウィークにカミューが言った、アディーも来るという言葉に嘘はない。
それは私がいちばんよくわかっている。
5月はじめの時点ではアディーはヴァルナへ来ることにしていた。

 アディーは私と同じ日にヴァルナへ来る予定だったという。
その前日に、行けないと伝えてきた。

 だとすればアディーはぎりぎりまでヴァルナへ来ようとしていた。
最後の最後にアディーは決めたということか。
私に会わないと。

 でも本当はもっと前にアディーは、ヴァルナへ行かないと決めていたのかもしれない。

 もしそうならカミューはそれを私に連絡してこなかった。
アディーが来ないことを事前に知れば私はヴァルナへ来なかったかもしれない。
そうなることをカミューはおそれた。

 カミューはどうしても一緒に見て欲しかったのだと思う。
この観光の街とコンクールの舞台の様子を。
そこに挑む自分の姿を知って欲しかった。
この私に。

 そうすることで彼女は自らの苦しみを和らげることができる。
それはおばさんとおじさんと私にしかできない。
カミューは私を選んだ。

 私をヴァルナへ来させるために、アディーも来ると手紙に打った。
本当は来ないのに。
同じ日に来て同じ日に帰る。
ホテルは私たちとは別。
そこまで打った。

 到着予定の前日にアディーは伝えてきたという。
そのとき私は機上だ。
カミューが私に連絡できなくても仕方ないということになる。
カミューに非はないと…。

 アディーが予約したというホテルをカミューは、聞いていないと言った。
もしホテルがわかれば私はそのホテルへ行って本当に予約されていたか到着予定の前日にキャンセルされたかを調べたかもしれない。

 さらにそれをした私はカミューの言うことを信じていないということになる。
そうならないために彼女は最初からアディーのホテルを聞いていないことにした。



 もしカミューがそこまでしたとしたら。
アディーはそれを知っているのか。

 カミューがそうするのをアディーが知っているとしたら。
そこまでして私をカミューに会わせようとした。
カミューが私に会いたがっているから。
このヴァルナで。

 もしアディーが知っていないとしたら。
カミューひとりでそこまでしていたとしたら。
それほどまでにカミューは私と会いたかった。
このヴァルナで。

 こうなるまでにカミューの心は疲れていた。
それほどまでに迷いもがき苦しみ深く傷ついでいた。
私はそこまで気づかなかった。



 ヴァルナ到着の前日―。
ソフィアからカミューへ電話していたとしてもことは同じだ。
カミューは言っただろう。
今日アディーが来られないって伝えてきた、と。

 ソフィアでアディーが来ないとわかっても私は次の日ヴァルナへ来たはずだ。
カミューだけにでも会いにここへ来た。
結局この街へ来ることになっていた。

 アディーの連絡先をもっと早くに聞いておけばよかったのか。
ゴールデンウィークにカミューと会ったときにでも。
なぜか聞かなかった。
きっとアディーが結婚したと知ったから。

 アディーの連絡先を教えてもらったとしても私はアディーには連絡しなかったと思う。
カミューとの連絡だけにしてあとはなにもしなかっただろうなと思う。
結局こうなることになっていた。

 アディーの旦那が一緒に来るかをカミューは、聞いていないと言った。
そうなのだろう。
今となってはそんなのどうでもいいことだ。

 私は出鼻をくじかれてはらわたを煮えくり返すためにわざわざここまでやって来たのだ。
私は翻弄されていた。
双子ちゃんに。
6才のときから。
それにまったく気づかないでいた。





6.カミュー アディー ミー

 ステージで順番に踊っていくダンサーたちを観ながら私は後悔していた。
そういえばカミューとアディーが舞台で踊っているのを観たことなかったなぁ、と。
あんなふうに衣装をつけて優雅に舞う彼女たちの姿を観たことがない。

 彼女たちのことをよく知っているなんて思うわりには彼女たち自身ともいえるバレエのその姿を観たことがないなんて。
いつでも観られるなんて思っていたっけなぁ…。

 見知らぬ外国人ダンサーの演技が終わりすべての照明が一度消えた。
舞台の背後のアーチをライトが再び照らし出すと女の子がふたり立っていた。
それは衣装をつけた小学生のときのカミューとアディーだった。
カミューとアディーは舞台中央へ進み出て来た。

 曲がはじまる。
アコーステックギターのその曲のタイトルは「カミュー アディー ミー」。

 高校のときバンドに夢中になっていた私が作った名曲。
留学したふたりへお祝いにと私はその録音テープを贈りつけた。
その返事はなかった。

 聴いてくれたのだろうか。
ゴールデンウィークのときもカミューはテープのことは口にしなかった。
なんだかみっともなくてこちらからは聞けなかった。
3人は一緒という想いだけで深くも考えずにつけた題名。

 今それは「カミューは私をアディーする」と読めた。
その通りだ…。



 小学生のカミューとアディーは踊りはじめた。
私は彼女たちを見つめた。

 ギターにオーケストラが寄り添っていく。
中学生のカミューとアディーが同じ衣装で踊った。

 留学したカミューとアディーも同じ衣装で踊り継いでいった。
私はそれも見つめた。

 同じ衣装で今このときのカミューとアディーがステージに踊っている。
私は彼女たちを見つめて泣いた。



 カミューもアディーも私も成長していった。
苦しみ傷つきながら。
これからもそれを繰り返していくのだろう。
さらに濃く深く苦しみ傷ついていく。

 でもどんなに苦しみ傷ついてみせても時の流れにはあらがえない。
過ぎ去った出来事は戻らない。
小さかったころへは帰れない。

 なんて切ないんだろう…。

 このステージの光は遠く宇宙からも見える。
この舞台の輝きは宇宙の星ぼしのひとつ。

 記憶になってしまったとしても光り輝き続けていく。
永遠に忘れられないものとして。

 私の旅は終わった。





7.帰国して

 夏休みの最後は実家で過ごした。
1冊の本を見つけた。
それは古い本で[花の図案]という題名だった。
装丁も時代を感じさせるデザインでいちばん後ろの頁に買った日付が書いてある。
私が2才のときに母親が買った。

 本の最後に[誕生日の花言葉]というのがあった。
1月1日から12月31日まで日ごとに誕生花というのが決められていてその花の花言葉が記されている。
花による占いのようなものか。

 パラパラとめくって12月30日を見てみた。
12月30日の誕生花はロウバイという花で花言葉は〝慈愛、広い愛情〟とあった。
へぇ~、と思った。

 カミューとアディーは4月21日。
誕生花はヤナギで花言葉は〝悲しみはわが胸に、自由〟とあった。
その部分から目が離せなかった。

 偶然その花言葉を知って今までのカミューとアディーに想いをめぐらせた。
彼女たちは自由だ。
とても生き生きとしている。
でもその反面なにか普通にはない悲しい思いをしているようでもあった。

 その悲しみとはなんなのか。
それを聞いたって、じつは…などと話すような彼女たちではない。
胸にしまって絶対に言葉にはしない。

 〝悲しみはわが胸に、自由〟
そのふたつの言葉は彼女たちを端的に象徴し言い当てていた。
なんとなくため息をつかずにはいられなかった。



 9月になって夏もどこかへ消えはじめていく。
昼と夜のひっくり返った生活を何日か続けて久しぶりに午前中に目が覚めた。
Tシャツに半パンツできゃしゃな体をしてベッドから起きたのだろう。

 廊下に出ると涼しかった。
午前の光が廊下に射し込んでいる。
しばらくそれを見ていた。

 光は目覚めたばかりの目にさえもう眩しくはない。
廊下を静かに風が流れていった。
それは秋の匂いがした。
なにかさみしい気持ちがした。



 最後の便りが届いた。
アディーから。

 決まり文句に続いて彼女が予定していたというヴァルナへ行く日と帰る日が記してあった。
共にそれは私と同じ日。
到着予定の前日にホテルの予約をすべてキャンセルしたとも記されていた。
そのホテル名は記されていなかった。
ご主人が一緒だったのかどうかも。

 アディーはヴァルナへ行く前にケガをした。
出発まで迷ったが大事をとって行かないことにした。
カミューを心配させるのでそのときは行かない理由をはっきりとは告げなかった。
記されたケガの箇所はカミューの故障した箇所と同じだった。

 最後に、自分の連絡先を私へ教えるのは控えたいとあった。
どうぞお元気で。
アディー。
サイン。

 先月の日付が入った写真が同封されていた。
カミューとアディーがアディーのご主人とその弟の4人で食卓を囲んでいる写真。
もう1枚はカミューとアディーが並んでいる写真。

 自分が恥をかいた馬鹿者に思えた。
もはや、どちらがカミューでどちらがアディーか見わけがつかなかった。
まったく同じに見えて、どっちがどっちかまったくわからなかった。

 封筒の差出人の部分には カミュー アディー ミー とだけ打たれていた。





エピローグ

 目が覚めた。
夕方だった。
まだ暑い。
古い雑居ビルの3階から上は住居。
その1室でまたひとり暮らす。

 狭い部屋だ。
東の空が見える。
電気もつけず薄暗い部屋からその明るい空を見ていた。

 積乱雲が淡いピンク色に染まっている。
沈んでいく太陽に照らし出されて。
夕暮れの風に吹かれながらそれを見ていた。
夏の終わり。

 またひとつ子供でなくなってしまったような気がしました。





おわり





400字詰め原稿用紙125枚





☆ カミュー100 アディー100 彼女たち100 ふたり5






























.

カミュー アディー ミー     ..

.













カミュー アディー ミー



目次

プロローグ
1.小学生だったころ
2.中学生だったころ
3.高校生だったころ
4.大学生になって
5.ヴァルナへ
6.カミュー アディー ミー
7.帰国して
エピローグ



プロローグ

 この授業[文章表現Ⅰ]を履修してとても勉強になりました。今年Ⅱも履修したかったのですがⅠを履修済みでないと履修できないとのこと。卒業の予定なのでⅡを履修することができず残念です。
 この後期課題[思い出]でなにかしら表現できればと書き連ねます。ご批評のほどよろしくお願いします。
 1年間どうもありがとうございました。



1.小学生だったころ

 カミューとアディーは双子の姉妹だ。彼女たちは私の住む町へ越してきた。それからすぐの小学校の入学式ではじめて彼女たちと会った。
 6才といったらはじめはなんでも緊張する。入学式といえばなおさらだろう。しかも引っ越して数日しか経っていない入学式といったらなおなおさらだろう。
 入学式が終わって母親のところへ行くと知らない女の人としゃべっていた。その女の人のとなりで彼女たちがこっちを見ていた。緊張が走った。
 おんなじのがふたりこっちを見ている。その知らない女の人は彼女たちの母親で、よろしくね、と言われて照れくさかったのをおぼえている。
 家も近かったのでなにかと縁があった。彼女たちもそう感じていたと思う。おばさんから聞いてきた彼女たちの話を母親から聞くこともよくあった。そんなときは胸の内で、へぇ、そうだったのかぁ、と思った。
 学校ではあんまりしゃべったりはしなかったけれど2対1でお互いなにかしら通じ合うものを感じていた。
 彼女たちはいつも一緒にいた。どこでもだ。着る物もまったく同じで最初は見わけがつかなかった。でも仲よくなるとそんなことはなかった。
 家で母親が、双子ちゃんはどっちがどっちかわからないわね、と言っていた。今双子ちゃんに会ったけれどどっちがどっちかと聞いてくることもしょっちゅうあった。
 彼女たちは性格もよく似ているところがある。でも顔と同じで性格も仲よくなって見ると違うところがあった。カミューのほうが姉でしっかりしている。なにかあると机に座ったままのアディーの側へやって来てジッと話を聞くような感じのところがあった。
 彼女たちは小学生にしてはお洒落だった。なにかしらアクセントのある洋服というか着ているものが締まった感じに見えた。おばさんの趣味もあったのだろうけれど彼女たちは小学生にしては小綺麗だった。
 彼女たちのおばさんはけっこう化粧の濃いおもしろい人なのだけれどおじさんがダンディだった。中背の中太りで口ひげとあごひげを生やしてうす茶のサングラスをかけている。無口で怖い感じのする人だったけれど洒落た人だった。
 彼女たちはどちらかといえばお父さん子だった。もし彼女たちに、どんな男性が好みかと聞けば間違いなく、父親みたいな人が好きと言うだろう。おばさんが少し厳しいぶん彼女たちにとってはパトロンでもある父親が人一倍大きな存在だったと思う。もちろん母親のおばさんとも仲はとてもよかった。
 小学校の入学式ではじめて会ってしばらくしてカミューとアディーという双子の女の子がいることはごく日常のこととなった。

 10才くらいになると7才ころとは体型もみんな変わってくる。彼女たちはその中でもとてもスタイルが良かった。頭が小さくて手足がスラリと伸びて長い。体育の時間になったりするとそれがいっそうよくわかった。そして彼女たちは足が早かった。
 このころの男女の体力差はあまりない。彼女たちが体育のトラック走で男子に勝って女子が大喜びなんてことが時どき起こった。日本人体型のダイコン女がリーダーになって、勝負しろ勝負しろと迫って来るのだ。これには男子一同子供ながら深刻に決断を迫られた。
 彼女たちはどちらかといえば静かな女の子だ。男子一同に正面向かってタンカを切るようなことは絶対しない。いつもその後ろでお互い見合って笑っているのだ。そこからよく私と目が合った。
 彼女たちは私の様子をよぉく見ていた。ほかは見ないで私ばかりを見ている気がした。そうしてダイコンがタンカを切るたびにクスクス笑っているのだ。
 背が低かった反動からか私は小さなときから正義感というか負けん気みたいなものが人一倍強かった。それとすばしっこくて足も早いほうだった。それで何度か勝負したことがある。
 あるときもうひとりの足の早い男子と私とで彼女たちと勝負することになった。走る距離が長くなればなるほど男子に有利だとみんな感じていた。体力差があまりないといっても中距離以上ではやはり女子は最後バテる。
 でも50メートル走となると焦った。おそろしいことにダイコンとその一派が、今回は50メートルで勝負するとゴリ押しで決めてしまった。そうしたらもうひとりの男子は、走りたくない、だって調子悪いから俺、風が強い日は、などと言って走ろうとしなくなってしまった。
 でも私はそうしたくなかった。今になれば、可愛い子だったなぁ、と思えるけれど当時ダイコンはシャクにさわった。それにカミューにもアディーにも負けたくはなかった。
 実際身の毛もよだつような思いでスタート位置につく。彼女たちは右左とそれぞれ私の両側の位置についた。負けるわけにはいかない。男の子だったから。そして勝った。彼女たちもそれをとても喜んだのだ。
 勉強はカミューのほうが得意そうに見えた。でも彼女たちはだいたい同じくらいの成績だったと思う。そのころの私はまだ勉強はできたほうだったので彼女たちになにかあると教えてやった。それを後ろから見ていたほかの男子が悪意のある言葉を言ってきても私にはそんなこと関係なかった。彼女たちには真剣だった。
 彼女たちも私の立場と気持ちをとてもよくわかってくれていたのだろうと思う。そんなとき私はよそよそしい態度というか冷静を気取ったというか妙に大人ぶったような感じで彼女たちと話をした。私は彼女たちには体当たりっぽかった。彼女たちを放っておいたり黙って見たりしていられなかった。
 私にはそのころから大の大人をギョッとさせる小さいながらもの武器がいくつかあった。そのひとつが絵だ。私は絵がうまかった。
 国の展覧会で銀をとった。その理由は、うますぎて子供の絵とはいえない、そのためひとつ落として銀にしたというものだった。なんだよそれ、と思った。
 それは6年生のときだった。担任は若い男の先生だった。その先生からその理由を聞いた。わざわざ電話してきてくれた。理由を直に伝えてくれた。
 私はとにかく陽気でやんちゃな目立ちたがり屋だった。小学校のときの通信簿を母親に見せられたことがある。明るく元気すぎるほどです、とか、人の問題に口をはさんで大げんかになってしまいました、とか吹き出してしまうような先生の評が書かれていた。
 その評を書いてくれた先生は2年生のときの担任で独身の若い女の先生だった。私はおぼえていないのだがこの先生と机を並べてじゃんけんで勝ったら給食をひと口食べていくということをして遊んでいたらしい。中学でダイコンと同じクラスになったときに言われた。
 でも当然そんな先生ばかりじゃない。そのときはわからなかったけれど白髪の年寄り教師に憎悪の対象のような存在として扱われることもあった。
 5年生のとき写生会でお寺を描いた。その絵を今見ても、ホント構図からして気取ってる、と思える。体育の先生にその絵を見せたら私の名前をゆっくりと言って息を吐いた。金は間違いなかった。
 絵はクラスごとに廊下に貼り出されて金銀銅の賞を先生たちが決める。結果発表の朝に勇んで学校へ行くとみんな廊下へ出ていた。そうして私に言ったのだ。私は金どころか銀銅にも入っていなかった。賞なし。
 5年生はわからない気持ちで負け惜しみのごまかしをきかせてその日の学校を終えて帰って行った。その日は動揺と興奮とで平衡感覚を失ったような気分だった。さっぱりわからなかった。家に帰って、おかしい!絶対におかしい!と母親にぶちまけた。
 後日ある女の先生に、君残念だったねぇ、白髪先生が、この子に賞はやらない、ギャーギャーって騒いでさぁ、私たち黙ってるしかなかったのよぉ、と告げられた。毎度うるさくて小生意気なチビは得意の絵を逆手に取られ見せしめにされた。ショックと悔しさで帰り道歩きながら泣いた。
 カミューとアディーは絵がうまかった。でもそれは可愛らしい女の子の絵だ。アディーなんかとても絵が好きでよくチョコチョコッとなにか描いていた。
 写生会なんかでも彼女たちは時どきダイコンなんかと一緒にやって来て私の描く様を背後からジィーッとのぞいていた。よぉく見ているのだ。あの結果発表の日も一列後ろから私のことを見ていたに違いない。

 私は彼女に魅かれた最初の記憶がある。彼女たちはバレエを習っていた。それで時どきというかけっこうまめに学校を早引きしたりした。
 あるときおばさんが車で迎えに来て偶然私に会って、私の娘たちはどこじゃ~、と聞いてきた。おばさんと校内を歩いて行くと彼女たちが身支度を済ませて廊下へ出て来る。私は彼女たちに、それじゃあバイバイ、と言って見送った。
 小走りで車へ向かうおばさんとその後ろについて行く彼女たちを私は窓から見ていた。彼女たちがこっちを横目でチラッと確認したりするのがわかった。そして真っ赤になったようにしておばさんの車で帰って行った。
 私はなんでか手を振ったりはしなかった。車が見えなくなるまで人目を避けてそっと見送った。
 私の小学校は1クラス40人ちょいで1学年2クラスの田舎だった。彼女たちはここから電車に乗ってバレエ教室へ通っていた。6年生くらいになるとはほぼ毎日通っていた。
発表会やコンクールもある。そんな日が近づくと朝から学校に来なかったりした。
 うちの母親もおばさんからチケットを買って発表会へ行ったりしていた。私も誘われたが断った。男が母親とバレエ鑑賞なんておかしいだろ、と私は口では言っていた。でも本当は、観たいなぁ、という気持ちだった。
 母親は発表会から帰って来ると、双子ちゃん上手できれいだったよ~、と私にひとしきり話して聞かせた。私は、いつでも観られるからいいや、と思っていた。
 彼女たちは体はとても丈夫だった。風邪で休んだりケガをしたなどということは一度もなかったと思う。それで彼女たちが学校にいないときは、バレエでいないのだとみんな思った。
 彼女たちは目のクリッとした少し面長で色白な女の子だった。鼻筋は通っていて鼻先はけっこう丸っこかった。髪の毛は少し栗毛っぽくて低学年のころはマッシュルームカットだった。そのあとポニーテールだったり高学年のころはバレリーナのおだんごヘアだったりした。背は私よりも高かった。笑顔がとても可愛いらしいのだ。
 そんな双子のうち一方のアディーがクラスの女子にバレエシューズで踊ってみせたことがあった。シューズを履いてスッと立つとバレエの基本的な動きみたいなものをいくつかサラッとやった。まわりに座っているダイコンたち女子は、わぁとなって拍手した。双子のもう一方はこのときなぜか見えなかった。
 私はそれを離れた場所から見ていた。着ている服の感じはいつもと同じだけれど手足体の動きは全然違った。少し首をかしげてスラッとした腕と足を動かす様子はとても目を引きつけられた。それを眺めていてとても満ちたりたような気持ちだった。その姿に優雅で清楚な女性を感じなんとも素敵な気持ちになったのを憶えている。

 そうして入学式ではじめて会ってから6年が経った。いよいよ卒業する歳となる。私はそのまま地元の町立中学校へ進む。大部分の連中はそうだった。
 でも何人か私立の中学へ進む子もいた。カミューとアディーもそうだった。そのことは前々に母親から聞いていた。
 うちの学校の卒業式は卒業生は中学の制服を着て出席するのが慣例だった。多くは地元の中学の学生服を着てくるがほかの中学へ進む子はそれぞれ違う見たこともない制服を着てくる。
 まわりと違う制服を着たカミューとアディーはとても恥ずかしそうにしていた。でも今思えば恥ずかしいのはこっちだろう。地元中学へ進む私たち大多数は間抜け面した貧乏人だ。彼女たちは間違いなく、育ちのいい子、と言える。
 式が終わってそのまま帰ったと思う。彼女たちとはひと言も言葉を交わさなかった。
 私は彼女たちのことなら学校でいちばんよく知っていただろうと思う。彼女たちのおばさんはうちの母親と仲が良かったし会えば話は自然と子供のことになるらしかった。私が彼女たちについて知っているのと同じだけ彼女たちも私のことを知っていただろう。お互いによく知り合っていた。
 私は、彼女たちとつながっていると無意識のうちに感じていたと思う。別々の学校へ進むのは少しさみしいけれど自分たち3人は胸の奥底でつながっている、という確信のようなものがあった。それで卒業式が同じ学校最後の日といっても切羽詰まったような気持ちはなかった。
 式のあと親たちは先生の話を聞くとかで学校に残った。私は先に家に帰って着なれない学生服を脱ぎなにも考えずにお菓子かなにかを食べていた。
 夕方ごろ母親は彼女たちのおばさんと一緒に帰って来た。学校での先生の話やら中学校での生活の様子やら母親はいろいろと私に話して聞かせた。
 その中でもいちばん印象的だったのが彼女たちのおばさんは、彼女たちをバレリーナにしたいと考えているということ。彼女たちのおじさんも、オーケーしたということ。そしてなにより彼女たち自身がそれを望んでいるということだった。



2.中学生だったころ

 中学校へ進み新しい生活についていくのがやっとの私の日常からは次第に彼女たちの存在は薄れた。時どき母親が、今朝双子ちゃんに会ったなどと言うのを聞いた。私も自分の家の前や買い物先などで彼女たちにばったり会って話し込んだりしたことが何回かあった。彼女たちは都会っぽかった。
 彼女たちが、部活はやらないで毎日バレエ教室へ通っていると母親から聞いていた。近い学校へ通う私に比べて電車通学で朝早く夜遅く遠くまで通う彼女たちは大変だったと思う。
 それでかどうかは知らないが彼女たちの家は引っ越すことになった。私は学校が忙しかった。学校のことで精一杯で彼女たちが引っ越すことに気を使っていられなかった。
 母親と立ち話をしていたおばさんが家へ帰って来た私に、ぜひ遊びに来て、なんて言ってくれた。でも勉強がどうのこうの部活がどうのこうのと結局彼女たちの家には行かなかった。
 あす引っ越すという夜におばさんとおじさんが家に訪ねて来て挨拶をしていった。彼女たちもそこにいた。私は自分の部屋にいて母親に呼ばれておばさんおじさん彼女たちに挨拶をした。
 次の日彼女たちは引っ越したのだろう。私はいつものとおり学校へ行った。そしていつもと同じように家へ戻った。
 それから10日ぐらいした日曜の午後に彼女たちの住んでいた家を見に行った。フラッと行ってみた。彼女たちの家は近かったけれど学校とは真逆の方向でそのわずかな距離も遠く感じていた。
 いい天気だというのに雨戸は全部閉まっていて庭の木もなんだか元気なく見えた。あ~あ、おばさんもおじさんもカミューもアディーも本当に引っ越したんだなぁ、と思った。でもさみしい気持ちのようなものはなかった。
 今にしてみれば私は直感していたのだと思う。言葉にはしなかったけれど、彼女たちとはこんなさよならでは済まないとわかっていたような気がする。だから引っ越したって別に全然関係なかった。

 彼女たちが引っ越してはじめての正月が来た。年賀状の中に彼女たちからのハガキもあった。決まり文句のほかに少し時間をかけてあれこれした跡の読める文章がそれぞれのスペースに書かれていた。
 絵も描き込まれていた。私に見せる絵ということで、かなり緊張して描いたな、と見てわかった。もちろん返事を出した。ごくありきたりな言葉に自分の絵をつけて返事とした。
 夏になった。今度は暑中見舞いが届いた。淡いきれいな紺色に白い波が映えた絵だった。彼女たちからの文章も添えられていた。私も返事を出した。
 冬になった。私の誕生日は12月30日で年の瀬の忙しい時期に生まれた。誕生日会をしたことがない。その誕生日に私へ速達の手紙が届いた。
 彼女たちからだった。開くと♪ハッピーバースデートゥーユー♪と誕生日を祝う曲のデジタル音が流れるバースデーカードだった。私の誕生日をおぼえていてくれて今年は誕生日もお祝いしてくれた。正月の決まり文句なども書かれていて年賀状も兼ねていた。私は、へぇー、と感心してしまった。
 小学校のときも彼女たちから年賀状や暑中見舞いは何枚かもらった。けっこう恥ずかしかったのか毎年はもらわなかった。もらえば必ず返事は出した。彼女たちの家のポストに直接入れたりしていた。
 誕生日に彼女たちからなにかもらうというのはそのときがはじめてだった。音の出るカードというのを見たのもそのときがはじめてだった。とてもうれしかった。
 返事を書かなきゃいけない。年賀状を書いていて彼女たちの誕生日を知らないことに気がついた。小学校の名簿を出して彼女たちのところを見ると4月21日だった。へぇ、そうだったのかぁ、と思った。



3.高校生だったころ

 高校に入ってから私は本格的に脱線するようになった。それはすでに中学のころからはじまっていたがまだやる気というものがあった。そんなものも失せた。大人たちのだれもかれもが私のことを、馬鹿だと思っているように感じた。
 私は自分なりに悩み抜いていた。なにもかもー筋縄では行かないようになってしまっていた。でも絵を描かせてみたり走らせたりしてみると私は人よりもうまくやった。
 それで先生たちは私のことをつかみにくかったらしい。結局私のことを、とらえどころのない扱いづらい奴として見るようになったらしかった。そんな感じで過ぎていった。
 カミューとアディーはお嬢さんだ。バレエの道をどんどん進んで行った。彼女たちはヨーロッパのあるバレエ学校に合格し通っていた高校を休学して留学した。
 彼女たちは実際もうバレリーナだった。あとはいずれかのバレエ団とプロとして契約できるかどうか。彼女たちは契約した。海外のバレエ団に入団した。彼女たちは何千人何万人にひとりという選りすぐられたバレエダンサーになっていた。
 いつしか彼女たちからの便りも来なくなっていた。それにまったく気づかぬほど私は昼も夜も乱れた生活にはまり込んでしまっていた。右往左往したあげくの果てに大学へ逃げ込もうと遅れて入学した。



つづく

































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カミュー アディー ミー     ...

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4.大学生になって

 私は大学へ通う。大学に入学してからひとり暮らしをしていた。ゴールデンウィークに実家へ帰った。
 電話がきた。母親が出てしばらく話していた。あらそう、この前電話でお母さんと話したのよ、などと言っている。それから私を呼んで受話器を差し出した。
 私は受話器を受け取って、だれ、と聞いた。母親は小さな声で、カミュー、と言った。
 私は驚いて慌てた。でも受話器を持ってから、出ない、とか切ってしまったりもできない。どぎまぎしながら、もしもし、と言った。
 カミューからだった。カミューも緊張しているようだった。久しぶり、などと言ってお互い話しはじめた。アディーは元気かと聞くと、元気だと言った。今一緒なのかと聞くと、一緒でなく自分ひとりだと言った。
 話は和んでいった。それで私は、なにか用なのかと聞いた。カミューは、どこかで会えないかと言った。日にちと場所と時間を決めて会うことにした。
 電話に出てから15分くらい話をして電話を切った。短い時間にサラッと話をしてという感じだった。電話を切ると母親が、あんたを好きなんじゃないの?と言った。うるせぇな。

 私とカミューはゴールデンウィーク中に会った。すぐにだ。私は着飾ったりもなにもまったくしなかった。髪型もどうもこうもせずまったく普段のまんまにして行った。私はボーッとしていた。でも、あぁ、会うのかぁ、ととても楽しみだった。
 うちの母親はカミューのおばさんと時どき手紙や電話でやりとりをしていた。母親に留学先の彼女たちの写真を見せられたこともある。だから私は成長した彼女たちの容姿のだいたいは知っていた。それは逆に彼女たちも同じだっただろう。前に母親が、あんたの写真送っちゃった、などと言っていたから。
 時間にルーズな私だがこのときは奇跡的にも10分くらい前に待ち合わせ場所に着いた。ふわぁと歩いて行って連休で混雑する中で、ああっていう感じでカミューと会った。
 何分ごろ来た?と聞くと、今来たところだった、とカミューは言った。あれ、俺だってすぐわかった?と聞くと、うん、わかった、とカミューは笑った。お互い照れるなんてことはしないで面と向かって話をした。待ち合わせしているらしい隣にいた男がけげんそうな顔をしてこっちをチラチラ見ていた。
 あ、それじゃあ、どっか行こうか、と私は言った。ごはん食べる?どっかサ店にでも入ろうか、などと言った。カミューは、どこでもいいよ、と言った。私はブラブラと歩きはじめてカミューもその横について来た。
 カミューはとても素敵な感じだった。ウェーブのかかった髪は肩より少し長いくらいで真ん中からわけている。ストライプの入ったシャツに紺の薄手のジャケットを着ていた。スリムなパンツにかっこいいシューズを履いていた。銀の首飾りをしていた。写真で見ていたより大人っぽかった。
 かっこいいおねえさんというのだろうかバッグを肩にかけてとても活動的に見えた。ラフな感じなのだけれどあか抜けていた。大学で見るきれいな女子学生の感じとは違った。とにかく品良く見えた。
 私と彼女は喫茶店に入った。お互いの今までのことを話したりした。彼女は私が連休に実家へ帰ることをおばさんから聞いていた。私が大学に入学したことを彼女は知っていた。彼女たちの入団したのが別々のバレエ団だということを私はここではじめて知った。
 私は彼女の話にただただ感動して聞き入っていた。けれどもカミューとアディーが別々に暮らしているなんて…。それで私は聞いた。
「さみしくない?」
「 ? 」
「アディーがいなくて」
「 … 」
「アディーはさみしくないのかな」
「 … 」
「カミューがいなくて」
「 … 」
「なんかほかに注文しようか」
「アディー結婚したよ」
「 … 」
「結婚した」
私は〝頭を殴られたような衝撃を感じ〟というのがどういうものかこのときはじめてわかった。

 アディーは結婚したのだという。相手は同じバレエ団のダンサーで4つ年上の外国人だ。アディーにはまだ子供はいない。アディーはこのままの状態でプロのダンサーとして続けていく考えなのだという。
 彼女たちは一緒に同じバレエ学校に留学した。さらに同じバレエ団のオーディションを受けようとした。その直前にカミューは足を故障してオーディションを辞退した。アディーはオーディションを受け合格しそのバレエ団と契約を交わした。そして結婚した。
 カミューはアディーより遅れて別のバレエ団に入団した。先月故障を再発して舞台を離れていた。彼女のおばさんとおじさんは引っ越したままでいる。ゴールデンウィークにあわせて彼女は一時日本に帰って来た。
 彼女は人目を引いた。一緒に歩いても彼女は背筋が伸びて自然ときれいな歩き方をする。カップひとつを持つにしてもそうだ。動作のひとつひとつが洗練されていた。
 それに比べて私のだらしのないこと。彼女はそんな私を見て、おかしくて仕方ないという感じだった。私は彼女に、あんまり変わっていないと言われた。私も彼女にそう感じていた。変わったのは背で私のほうが高かった。
 別れ際に彼女は、今日は会えてとても嬉しかった、と言った。どうもありがとうございました、と私に向かって頭を下げた。私も、いえいえ、などと言って改まった。すると彼女は思いつめたような表情で、また会えないかと聞いてきた。
 私は考えた。会ったってかまわないけれど問題はその方法だ。日本と国外と遠く離れて、週末ごとに会おう、なんてことはできない。う~ん、どうしようか、家まで送るからそのあいだに考えよう、と一緒に電車で彼女の駅へ向かった。

 彼女は私に話した。今年ある国際バレエコンクールが開かれるという。それは黒海に面したリゾート地のヴァルナという街でおこなわれる。ブルガリアが国を挙げてのコンクールだそうでかなり有名らしかった。世界中のダンサーが目指すバレエコンクールのひとつらしい。7月の中旬から末までのあいだ開催されるという。
 彼女はそのコンクールに次回出場する予定で準備をしていた。今年そのコンクールを現地で下見するつもりでいた。そこで会えないかと彼女は聞いてきた。
 あまりの突然な話に私は最初驚いたが、アディーも来るという。それを聞いた私の反応も彼女は、よぉく見ていたのだろうなと今になって思う。
 私は7月中旬までは前期テストでそれさえ終えれば行ける。日本からいくらぐらいかかるかを聞いて安い額ではなかったが私は決めた。そのコンクール開催地でまた会うことになった。
 話は決まった。私は優柔不断ではない。バシバシ決めていく。彼女も不満はひとつもなかっただろう。昔からこうだった。
 実際彼女も私がそうするのを期待し予見していたりする。私の決定を聞いてチョッチョッと意見したり、ほかにこういうのもあると私のまったく知らないものを教えてくれたりした。
 私が最後に、それでいいかと聞くと、それでいいよ、と笑った。カミューとアディーは私のそんな脳天気で無鉄砲なところが好きだったに違いない。それが作り笑顔でないことは私がいちばんよくわかった。
 お互い手紙なり電話なりで連絡し合うことにした。お互いのアパートの住所と電話番号を交換した。アディーのご主人は一緒に来るのかと聞くと、今のところまだわからない、と言うので、一緒に来るように頼んでとお願いした。
 彼女とは途中で別れた。おばさんとおじさんによろしく、と私は言った。それじゃ今度会うのは7月だね、それまでお互いがんばろうね、と言った。アディーによろしく、また連絡するね、と言った。
 私にはいろいろと考えもかけめぐった。この際はじめて外国へ行ってみるのもいいだろうとも思った。それにしても彼女たちのことを気にしないではいられなかった。おせっかいにも私は彼女たちのことを気づかわずにはいられなくなってしまった。
 アディーが結婚したなんて信じられなかった。というかよくわからなかった。まったく実感というものがわかなかった。
 アディーの結婚をこの目で見なければと思った。そうでなければ気が済まない。そう思った。

 ゴールデンウィークも終わった。私はまた大学へ。ひとり暮らしとなる。
 カミューはなぜ突然、会って欲しいなどと言ってきたのか。答えはひとつだ。カミューとアディーは別々の道を歩きはじめていた。アディーはひとりでオーディションを受けることを選択した。カミューに先んじてバレエ団に入団することを選んだ。彼女たちに生まれてはじめて差という違いが生じた。
 カミューはなぜアディーと同じバレエ団を選ばなかったのか。いくつかの事情があったことを話してくれたが彼女の言わなかったことがある。それは彼女のプライド。
妹の後を追ったと見られる思われることは彼女のプライドが許さなかった。プロ契約をひとり目指していた頃のカミューは姉よりもひとり先へ進むことを選んだ妹を許せなかった。
 そのあとそれぞれの選択が最善でなかったことに彼女たちは別々に苦しむようになった。アディーは結婚という方法でその苦しみから自分を救済しようとした。ふたりの距離はさらに離れていく。
 カミューは孤独なリハビリを続ける中で痛めた足を不安に思い焦りもしただろう。彼女はおばさんとおじさんと私に会うことを選んだ。おばさんとおじさんと私に会うことで彼女は気を和ませることができる。それはおばさんとおじさんと私にしかできない。
 わざわざ彼女は日本に帰って来た。たったそれだけのために。それほどに迷い苦しんでいた。
 私が知っていたのは彼女たちがバレエ団に入団したということまでだった。おばさんはうちの母親に〝別々のバレエ団〟とまでは知らせなかったのだろう。彼女たちの〝別々の入団〟をおばさんは好ましく思っていなかったはずだ。だからうちの母親に知らせてこなかった。〝アディーの結婚〟にしても〝カミューの故障〟にしてもそうだ。ましてやふたりの〝別々の住所〟を人に教えるわけがない。
 いずれにせよカミューは私にどうしても会いたかったのだろう。もちろんおばさんとおじさんに会いにも来た。おばさんとおじさんは彼女たちの苦しみ理解することができる。でもそれ以上に私に会いたかったはずだ。私がアディーに会うためヴァルナまで行ったように…。



5.ヴァルナへ

 この夏ブルガリアまで出かけて行ってカミューとアディーに会う。一体どんなふうになるだろうか。いろいろと想像した。
 私はそのころバレエにあまりというかまったく興味はなかった。調べてみてそのコンクールが世界的に権威ある大会なのを知った。
 カミューへ手紙を出した。出発日を決めて滞在日を彼女に知らせた。アディーはいつ来るのかアディーのご主人は来るのかも聞いた。
 返事が届いた。予約してくれたホテルのアドレスと料金を知らせてきた。アディーがヴァルナにいつ来るかご主人が一緒かはまだわからないとあった。手紙はワープロで打たれていて最後に彼女のサインがされていた。
 再度彼女へ手紙を出した。アディーはいつ来るかアディーのご主人は来るかを再度聞いた。しつこいと思われただろう。
 返事が届いた。アディーのヴァルナ滞在は私と同じ日程と知らせてきた。私がヴァルナに着く日にアディーもヴァルナへ来て私と同じ日に帰るとあった。ご主人が一緒かはわからない。アディーのホテルは彼女が自分で見つけるので私たちとは別。ヴァルナで会いましょう。カミュー。サイン。

 ソフィアはブルガリアの首都で古い街だ古代中世からの建築物をそのまま大切に保存していたりする。ソフィアの空港に着いて市内のホテルに1泊した。東欧というと暗く怖いイメージを持っていたがそんなことはまったくなかった。物価も安かった。
 首都といっても少し閑散としていて静かな郊外の都市といった感じだった。どの色にせよくすんだように見えるちっちゃなマッチ箱みたいな車が走っていた。それがトラバントという車だというのはあとになって知った。
 次の日ソフィアから列車で黒海へ向かう。ソフィアとヴァルナは国の東西両側にあって列車は国をまたいでいる。半日列車に乗って国をはじからはじまで横断するようなものだ。
 美しい東欧の風景が夏の日射しのもとゆっくりと続いていた。空気も湿気がないためか日本みたいに汗ドロドロなんてことはなかった。日射しが無限に透き通っているみたいだった。
 ソフィアで一緒に乗った人たちは途中で降りていった。列車は白人ばかりが乗っていた。東洋人や黒人はひとりも見なかった。
 ヴァルナで降りた。ヴァルナからの列車は南下してトルコへも入って行く。電車でほかの国へ行くという感覚がよくわからなかった。
 ヴァルナに着いたのは夕刻だったがまだ外は明るかった。ヴァルナはソフィアとまったく違っていた。さっきまで車窓から見ていた町並みと同じ社会主義の国とは思えないほど活気があった。整備された道路にはヴァルナ国際バレエコンクールの旗が連なりたなびいていた。
 ひと目見て東欧の人の服装は地味だ。このヴァルナは明らかに観光客という人たちで賑わっていた。海が見えた。私は荷物はでかいショルダーバッグ1個しか持っていかなかった。しばらくその辺をブラブラして予約してもらったホテルを探した。
 立派で綺麗なホテルだった。カウンターで片言の英語でしゃべるとフロントのおじさんは私にカードをよこした。開けてみるとそれはカミューからで彼女のルームナンバーが書かれていた。今出かけている7時ごろに戻るとあった。彼女は先々用意していた。私は感心した。

 その夜ホテルのロビーで彼女と会った。私は、アディーも来た?と聞いた。アディーは来ていなかった。
 アディーは昨日突然、行けなくなったと知らせてきたという。なんでかと聞くと、わからないと彼女は言った。仕事なのかと聞くと、よくわからないと繰り返した。連絡できなくてごめんなさい、と彼女は言った。私は出鼻をくじかれた。
 アディーは予約していたホテルもすべてキャンセルしたという。なんというホテルかと聞くと、聞いていないと彼女は言った。ご主人も来る予定だったのかと聞くと、それも聞いていないという。
 アディーの連絡先を聞くと、今アドレスはわからないと彼女は言った。連絡先を控えてないのかよ、と私は思った。彼女は黙ったままでいた。
 私は、彼女の部屋の通話記録をフロントに出してもらって電話番号をチェックしようとまで言いかけたがなんとか押しとどまった。そんな私の様子は動転しているように見えただろう。
 今さら電話してどうなる。それでも私は、話だけでもしたいと感じていた。せっかくここまで来たここから。声だけでも聞きたいという気持ちだった。
 沈黙が続くうち彼女が物寂しげに見えてきて私はそれ以上言わなかった。私が再度アディーの連絡先を問うと彼女は、アパートへ戻ればわかるから追って連絡すると言った。
 私は、残念だなぁ、と言った。会いたかったなぁ、でもしょうがないな、と言った。本当ははらわたが煮えくり返りそうだった。
 そのあとコンクールを観に行く彼女の誘いを断り私はホテルの部屋にいた。出鼻をくじかれはらわたを煮えくり返すためにはるばるここまでやって来たのか。そういうことだこの抜け作め。

 次の日は午前中からカミューとホテルのロビーで話をしたりして過ごした。ロビーからは外が見えた。そこにはヨーロッパの夏景色が広がっている。透き通った日射しは降り注いで新鮮。なにもかも新鮮に色鮮やかに見えた。彼女はヴァルナ滞在中も毎日レッスンへ通っていた。この日は正午前に出かけて行った。
 午後は外へ出た。少し歩くと海へ出る。道路から浜辺の様子が見えた。パラソルが立ち並ぶ。浜辺は人で賑わっていた。〝世界中どこへ行っても日本人はいる〟というがここには白人しかいなかった。
 やっぱ外国だなぁ、と思ったのは浜辺の人たちの水着だ。日本では考えられないような変わった色をした水着であちこちゆっくりと動いていた。それに髪の毛の色が相まってカラフルだった。トップレスの人もいた。素っ裸でボールを持って盛んに泣いている白人の子供。突きぬけるような空の青さ。
 今まで見たこともない日射しの源が夏を輝かせていた。平穏になにごともなく無事に過ぎ去っているように思えた。この浜辺をこうやって見ていると…。
 ヴァルナの空と海の色は中学のとき彼女たちからもらった暑中見舞いとゴールデンウィークのカミューのジャケットを思い出させた。時の流れを感じる。
 不思議と、アディーは結婚したんだなぁ、と受け入れられるようになっていた。知らぬ間にはらわたもおさまっていた。鼻も元に戻った。この空と海とがそうさせたのかもしれない。
 浜辺のざわめきは海へ出ていった。そうしてゆっくりゆっくりと太陽のほうへ昇っていった。

 レッスンから戻ったカミューを誘って夕方に浜辺の砂浜へおりた。太陽は傾いてそれをさえぎるものはなにひとつない。海と空が広がっている。海水浴客は昼間より少なくなっていた。
 カミューとその砂の上を歩いて行った。見慣れぬ顔つきが服を着て歩いて行くのを、なんだあれと子供が驚いた顔をしてこっちを見ていた。トップレスの人のそばを通るときに口を閉じたまま下あごを伸ばして額にシワを寄せてカミューに見せた。カミューは笑うと歩く足元に目を向けた。砂を踏み歩く感触。海を見たり足元を見て黙ってみたりしながらゆっくりと歩いて行った。
 カミューとは手をつながずに歩いた。カミューもそれはわかっていた。手をのばせばカミューも手をのばしただろう。なんのためらいもなく…。

 日は暮れていった。浜辺の人は少なくなってもいなくなりはしなかった。海岸はゆるやかにこの先も続いている。ふり返ると歩きはじめた場所はなぜか遠く見えなかった。
 浜辺も人も建物もなにもかも。夕暮れの日射しを浴びてオレンジ色のフィルターをかぶせたように。あせて淡く変色していた。そのまんまのことを彼女にしゃべった。ほら、あそこを見てごらん、て。
 カミューはその景色を見ながら聞いていた。しゃべり終えると見つめられた。まっすぐな瞳で。

 ヴァルナは賑やかだった。恒例のコンクールは野外の劇場でおこなわれる。それはシックでエレガントだ。舞台の背景はアーチのある石造りの壁で緑のツタがはりつめている。日が沈む。スポットライトがその野外ステージを照らし出す。
 夏の夜ステージがはじまる。それは海辺に面してまばゆくすがすがしくこの社会主義国のひとつの祭典だ。世界のバレエ関係者が注目しているといっても過言ではない。カミューはこのコンクールに次回エントリーしようとしている。すごいことだ。
 そのまんまをカミューに言った。本当、尊敬しちゃうよ、と。カミューは首をかしげてニッコリと笑った。とてもうれしそうに体をゆらして少しはにかんだ。
 コンクールはこのとき終盤を迎えていてヴァルナはさらに活気づいていくように見えた。朝から晩まで晴れやか。そうしてこの夜もいつしか朝になっていったのだろう。

 アディーはなぜ来なかったのか…。最初からこうなることは目に見えていた。私はそれにまったく気づかないでいた。
 もしアディーが来ていたら私はアディーに問いただしただろう。なぜ結婚したの、と。これほど残酷なことはない。
 でも私は問いたださなければ気が済まない。アディーのご主人が横にいても聞いただろう。カミューはそうなることに気づいた。
 会えば私がアディーを傷つけることになる。アディーは私に会わないほうがいい。カミューはアディーにそれを伝えた。
 なぜ来ないと聞かれて、あなたに傷つけられるからとは言えない。それでカミューは、わからないと口をにごした。カミューは私からアディーを守った。
 カミューは私に、アディーの連絡先は追って教えると言った。けれど今になって、カミューは教えてくれるだろうかと思う。アディーを私から守ったカミューだったとしたら。

 ゴールデンウィークにカミューが言った、アディーも来るという言葉に嘘はない。それは私がいちばんよくわかっている。5月はじめの時点ではアディーはヴァルナへ来ることにしていた。
 アディーは私と同じ日にヴァルナへ来る予定だったという。その前日に、行けないと伝えてきた。
 だとすればアディーはぎりぎりまでヴァルナへ来ようとしていた。最後の最後にアディーは決めたということか。私に会わないと。
 でも本当はもっと前にアディーは、ヴァルナへ行かないと決めていたのかもしれない。
 もしそうならカミューはそれを私に連絡してこなかった。アディーが来ないことを事前に知れば私はヴァルナへ来なかったかもしれない。そうなることをカミューはおそれた。
 カミューはどうしても一緒に見て欲しかったのだと思う。この観光の街とコンクールの舞台の様子を。そこに挑む自分の姿を知って欲しかった。この私に。
 そうすることで彼女は自らの苦しみを和らげることができる。それはおばさんとおじさんと私にしかできない。カミューは私を選んだ。
 私をヴァルナへ来させるために、アディーも来ると手紙に打った。本当は来ないのに。同じ日に来て同じ日に帰る。ホテルは私たちとは別。そこまで打った。
 到着予定の前日にアディーは伝えてきたという。そのとき私は機上だ。カミューが私に連絡できなくても仕方ないということになる。カミューに非はないと…。
 アディーが予約したというホテルをカミューは、聞いていないと言った。もしホテルがわかれば私はそのホテルへ行って本当に予約されていたか到着予定の前日にキャンセルされたかを調べたかもしれない。
 さらにそれをした私はカミューの言うことを信じていないということになる。そうならないために彼女は最初からアディーのホテルを聞いていないことにした。

 もしカミューがそこまでしたとしたら。アディーはそれを知っているのか。
 カミューがそうするのをアディーが知っているとしたら。そこまでして私をカミューに会わせようとした。カミューが私に会いたがっているから。このヴァルナで。
 もしアディーが知っていないとしたら。カミューひとりでそこまでしていたとしたら。それほどまでにカミューは私と会いたかった。このヴァルナで。
 こうなるまでにカミューの心は疲れていた。それほどまでに迷いもがき苦しみ深く傷ついでいた。私はそこまで気づかなかった。

 ヴァルナ到着の前日―。ソフィアからカミューへ電話していたとしてもことは同じだ。カミューは言っただろう。今日アディーが来られないって伝えてきた、と。
 ソフィアでアディーが来ないとわかっても私は次の日ヴァルナへ来たはずだ。カミューだけにでも会いにここへ来た。結局この街へ来ることになっていた。
 アディーの連絡先をもっと早くに聞いておけばよかったのか。ゴールデンウィークにカミューと会ったときにでも。なぜか聞かなかった。きっとアディーが結婚したと知ったから。
 アディーの連絡先を教えてもらったとしても私はアディーには連絡しなかったと思う。カミューとの連絡だけにしてあとはなにもしなかっただろうなと思う。結局こうなることになっていた。
 アディーの旦那が一緒に来るかをカミューは、聞いていないと言った。そうなのだろう。今となってはそんなのどうでもいいことだ。
 私は出鼻をくじかれてはらわたを煮えくり返すためにわざわざここまでやって来たのだ。私は翻弄されていた。双子ちゃんに。6才のときから。それにまったく気づかないでいた。



6.カミュー アディー ミー

 ステージで順番に踊っていくダンサーたちを観ながら私は後悔していた。そういえばカミューとアディーが舞台で踊っているのを観たことなかったなぁ、と。あんなふうに衣装をつけて優雅に舞う彼女たちの姿を観たことがない。
 彼女たちのことをよく知っているなんて思うわりには彼女たち自身ともいえるバレエその姿を観たことがないなんて。いつでも観られるなんて思っていたっけなぁ…。
 見知らぬ外国人ダンサーの演技が終わりすべての照明が一度消えた。舞台の背後のアーチをライトが再び照らし出すと女の子がふたり立っていた。それは衣装をつけた小学生のときのカミューとアディーだった。カミューとアディーは舞台中央へ進み出て来た。
 曲がはじまる。アコーステックギターのその曲のタイトルは「カミュー アディー ミー」。
 高校のときバンドに夢中になっていた私が作った名曲。留学したふたりへお祝いにと私はその録音テープを贈りつけた。その返事はなかった。
 聴いてくれたのだろうか。ゴールデンウィークのときもカミューはテープのことは口にしなかった。なんだかみっともなくてこちらからは聞けなかった。3人は一緒という想いだけで深くも考えずにつけた題名。
 今それは「カミューは私をアディーする」と読めた。その通りだ…。

 小学生のカミューとアディーは踊りはじめた。私は彼女たちを見つめた。
 ギターにオーケストラが寄り添っていく。中学生のカミューとアディーが同じ衣装で踊った。
 留学したカミューとアディーも同じ衣装で踊り継いでいった。私はそれも見つめた。
 同じ衣装で今このときのカミューとアディーがステージに踊っている。私は彼女たちを見つめて泣いた。

 カミューもアディーも私も成長していった。苦しみ傷つきながら。これからもそれを繰り返していくのだろう。さらに濃く深く苦しみ傷ついていく。
 でもどんなに苦しみ傷ついてみせても時の流れにはあらがえない。過ぎ去った出来事は戻らない。小さかったころへは帰れない。
 なんて切ないんだろう…。
 このステージの光は遠く宇宙からも見える。この舞台の輝きは宇宙の星ぼしのひとつ。
 記憶になってしまったとしても光り輝き続けていく。永遠に忘れられないものとして。
 私の旅は終わった。



7.帰国して

 夏休みの最後は実家で過ごした。1冊の本を見つけた。それは古い本で[花の図案]という題名だった。装丁も時代を感じさせるデザインでいちばん後ろの頁に買った日付が書いてある。私が2才のときに母親が買った。
 本の最後に[誕生日の花言葉]というのがあった。1月1日から12月31日まで日ごとに誕生花というのが決められていてその花の花言葉が記されている。花による占いのようなものか。
 パラパラとめくって12月30日を見てみた。12月30日の誕生花はロウバイという花で花言葉は〝慈愛、広い愛情〟とあった。へぇ~、と思った。
 カミューとアディーは4月21日。
誕生花はヤナギで花言葉は〝悲しみはわが胸に、自由〟とあった。その部分から目が離せなかった。
 偶然その花言葉を知って今までのカミューとアディーに想いをめぐらせた。彼女たちは自由だ。とても生き生きとしている。でもその反面なにか普通にはない悲しい思いをしているようでもあった。
 その悲しみとはなんなのか。それを聞いたって、じつは…などと話すような彼女たちではない。胸にしまって絶対に言葉にはしない。
 〝悲しみはわが胸に、自由〟そのふたつの言葉は彼女たちを端的に象徴し言い当てていた。なんとなくため息をつかずにはいられなかった。

 9月になって夏もどこかへ消えはじめていく。昼と夜のひっくり返った生活を何日か続けて久しぶりに午前中に目が覚めた。Tシャツに半パンツできゃしゃな体をしてベッドから起きたのだろう。
 廊下に出ると涼しかった。午前の光が廊下に射し込んでいる。しばらくそれを見ていた。
 光は目覚めたばかりの目にさえもう眩しくはない。廊下を静かに風が流れていった。それは秋の匂いがした。なにかさみしい気持ちがした。

 最後の便りが届いた。アディーから。
 決まり文句に続いて彼女が予定していたというヴァルナへ行く日と帰る日が記してあった。共にそれは私と同じ日。到着予定の前日にホテルの予約をすべてキャンセルしたとも記されていた。そのホテル名は記されていなかった。ご主人が一緒だったのかどうかも。
 アディーはヴァルナへ行く前にケガをした。出発まで迷ったが大事をとって行かないことにした。カミューを心配させるのでそのときは行かない理由をはっきりとは告げなかった。記されたケガの箇所はカミューの故障した箇所と同じだった。
 最後に、自分の連絡先を私へ教えるのは控えたいとあった。どうぞお元気で。アディー。サイン。
 先月の日付が入った写真が同封されていた。カミューとアディーがアディーのご主人とその弟の4人で食卓を囲んでいる写真。もう1枚はカミューとアディーが並んでいる写真。
 自分が恥をかいた馬鹿者に思えた。もはや、どちらがカミューでどちらがアディーか見わけがつかなかった。まったく同じに見えて、どっちがどっちかまったくわからなかった。
 封筒の差出人の部分には カミュー アディー ミー とだけ打たれていた。



エピローグ

 目が覚めた。夕方だった。まだ暑い。古い雑居ビルの3階から上は住居。その1室でまたひとり暮らす。
 狭い部屋だ。東の空が見える。電気もつけず薄暗い部屋からその明るい空を見ていた。
 積乱雲が淡いピンク色に染まっている。沈んでいく太陽に照らし出されて。夕暮れの風に吹かれながらそれを見ていた。夏の終わり。
 またひとつ子供でなくなってしまったような気がしました。



おわり





400字詰め原稿用紙125枚





☆ カミュー100 アディー100 彼女たち100 ふたり5





























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了 × ┐〟 □

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2014年3月

「 鐘の鳴る 」各章の2稿のテーマを追加し各章の2稿の記事を公開しました。



2014年11月

「 鐘の鳴る 」各章の2稿のテーマを修正し各章の2稿の記事を再公開しました。

それにあわせてフリースペースを再編集しました。

ブログ「 鐘の鳴る 」 を 「 BED 」 にしました。

わたくし 一日一期 は BED になりました。

どうぞよろしく。



連絡先  yourbed@hotmail.com














ネ 兄 / /  了 × ┐〟 □ │○  =/  _]_  ├┴」   -/\<    ´」
    ` `


















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鐘の鳴る 233・165~168・195

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 これまでのあらすじ

 キタという男がいた。放浪の末、飢饉にあるツジという都市にいる。治安の悪化するツジ鎮圧に、朝廷からは乱僧と目付の兵士が送り込まれた。兵士を束ねるのがキジという長身の男だった。キタとキジは、この飢饉の都市ツジで、はじめて出会い言葉を交わす。
 キジはツジ鎮圧と並行して、大陸へ渡る船に同乗させる乞食を探してもいた。ツジの名士カワナニの住んだ大屋敷に、乞食がいたことをキタはキジに伝える。さらにキジは赤子を救い、その子を知らぬ女に託してもいた。飢饉を生き延びた女は、その子をサルと呼んで育てることになる。
 ツジは乱僧と兵士に制圧され封鎖される。キジは乞食を連れ出した後にキサラギへ、キタも何年も帰らずにいた故郷へと向かった。

 キタの故郷である海辺の集落は消えている。士に連れ去られた後であった。武装集団化する者たち、士(し)が各地で台頭しはじめていた。士たちは人身売買の独自の市場を持っている。そこで膨大な金品が流通されていた。
 キタはこの海辺でキビという海女と出会う。キビは夫の暴力で不生女とされ、その夫と死に別れて親元へ出戻った女であった。料理が上手いキビに団子を作らせて、キタは街道沿いの市で売るようになる。大陸船の出る港へ向かうキジが、そこを通り偶然にキビの団子を食べた。キジに問われたキビは、その団子を「キビ団子」と呼ぶ。
 大陸から還ったキジは、バクセという偽名を用い再び朝廷に傭兵として雇われた。キタとキビは山へと移り住んでいた。その場所からさらに内奥に桃源郷と揶揄される小国がある。朝廷の配下に属することを拒んだ小国は朝廷との戦いで消滅、その妃は生まれたばかりの王子を籠に乗せ渓流へ逃がした。それをキビが拾い上げる。
 朝廷軍として戦うキジもそこにいた。キジとキタはその山あいで再会する。キタはキジに流れ着いた赤子を見せた。キジはそれが桃源郷の王子であることを認め、さらに王子の命を見逃す。キタとキビは、その赤子を連れて密かに河を下り消息を絶った。

 士の勢力は増し続け、朝廷の脅威となっていった。士のうちには「貴族」に対抗して「士族」を名乗る意識が広まりはじめていた。さらに先鋭的に「朝廷を倒す」と考える者が現れてくる。 ☆233




















 これまでのあらすじ(一)

 キタという男がいた。キタは漁村で生まれ育ち、親と弟妹たちを捨てた。帝都キサラギへ向かった。後に各地を流転する。世間を知らぬ少年は、誰よりもしたたかな大人になっていった。
 キタは飢饉の都市ツジにいた。妙な女に翻弄されて金を貸した。金を取り返し故郷へ帰ると決めていた。女が立っていたらしい南門は荒廃しており、女の姿はない。外部から鬼畜たちが集い、ツジを混乱させていた。キタはツジ内部へと入っていく。
 ツジ中央の大屋敷、カワナニという名の権力者が住んでいた。その兄がツジを造った男でありキサラギにいた。男の妻が宮中で毒を盛り、帝の怒りに触れた。夫婦は都を追われ、夫は自死し妻は消えた。朝廷はツジを孤立させ、飢饉に陥らせた。
 キタはカワナニの屋敷に入る。屋敷の座敷牢で金を貸した女が死んでいた。盲目を装う不思議な乞食にも出会う。キタは屋敷の備品から身支度を整え、ツジを脱出した。
 キタは僧と兵士の一団とすれ違う。兵の一人がキジという男だった。キタとキジは、お互いの名も知らず会話を交わした。それはお互いの胸に残った。
 キジは以前、朝廷の組織する暗殺部隊、天網と闘っていた。キジの怪力に朝廷は驚き、傭兵として迎え入れ和解とされた。
 僧たちはツジの異常事態を鎮静させるため、朝廷からの命を受けた乱僧だった。兵たちは僧たちの目付けである。その主格が傭兵キジであり彼は部隊長だった。ツジは乱僧と兵士たちにより制圧され、封鎖される。キタはツジから故郷へと向かった。 ☆165

 これまでのあらすじ(二)

 キジは混乱のツジで赤ん坊を拾ってもいた。発狂寸前だった見知らぬ女にその子を託した。この女はのちに、その子をサルと名付けて育てるのだった。
 キタは故郷の漁村へ戻った。キタの集落は無くなっている。人身売買を行う者たちに連れ去られた後だった。各地で人さらいが横行していた。人さらいたちは武装するようになり、騎馬を連ね軍団化していた。朝廷はこれらを問題視していた。彼らは士(し)と名乗り呼ばれていた。
 キタは故郷の浜辺でひとりの女と出会う。キビといった。キビは嫁ぎ先で夫に死なれ、父のいるこの浜、元あったキタの集落の隣の集落に出戻った女だった。夫の暴力で不生女にされた海女である。キタは浜の近くの空家に住み付き、世話好きのキビはその家へ通うようになった。夫婦のように見える二人だった。
 キビは料理の上手な女だった。キタはそれに目をつけた。キビの作った団子を街道沿いの市で売ると売り切れた。二人は市場で団子を売るようになる。
 キビがはじめて店に立った日のことであったが、キビがひとりで団子を売っていると、通りがかりの騎兵がそれを買い上げた。キジであった。キジは大陸へ渡る船に乗るため、その港へ南下して行く途中だった。キジに団子の名称を問われて、キビは「キビ団子」と答えた。その日は「キビ団子」誕生の日となった。
 キジは朝廷が大陸の巨帝へと送り出す戦士として渡航に臨む。大陸船にはツジの乱僧たち、カワナニの大屋敷にいた不思議な乞食も乗船していた。キジは大陸へ渡る。大陸の帝国、その斥候としてさらに西へ向かった。その外人部隊の一員となって。
 西の果てで部隊は分裂、崩壊していく中、キジは祖国への帰還を目指し大陸の東の果てに戻った。海を越え伝説の土地エゾに渡り着く。エゾの島々を南下、さらにキサラギが東奴と呼んだ土人の森、フジと呼ばれる巨山を崇拝する彼らの森に身を隠した。
 帝の崩御を知りキジはキサラギへ接近する。時の流れに人や物は様々に変わっていた。キジはバクセという偽名を用い、再び傭兵として朝廷へ召し入れられた。 ☆166

 これまでのあらすじ(三)

 キタは故郷の浜で一年を過ごしてその地を去った。キビはキタの後に着いて行った。
 キタは山奥に移り住んだ。その場所は1本の渓流を中心に、右岸左岸に炭を作るための窯が点在している。それぞれの窯に寄生して、いくつかの集落が形成されていた。集落のひとつにキタとキビは住みついた。
 集落の男たちは伐採のため、さらに山の奥へと入る。奥地で木を倒し、渓流に乗せて集落まで下る。木は集落で炭にされ、さらに下った場所で売られた。
 それまでの生活で、キタは集落の人々よりも多くの金を持っていた。金の力で集落の男たちの中へ割り入った。キタは金を払って仕事を教わった。さらに誰よりも、手際よく仕事をするようになっていった。
 集落の女たちは粗雑だった。キビの料理の旨さに集落の誰もが驚いていた。キタもキビもその経験値は只者ではない。ふたりは集落の人々に認められ、土地に馴染んでいった。
 キタは貯めた金で、集落よりさらに山奥に家を建てた。そこでふたりは過ごした。キタは樵の船頭を引退し、山で集めた芝や小枝、キビの作った団子などを集落に売り届けていた。キビは団子を作ったり、河で洗濯をしたりしていた。 ☆167

 これまでのあらすじ(四)

 炭焼きの集落よりさらに内奥に、独自の文化と風習を持つ王朝が栄えていた。山の民と呼ばれる人々が暮らしていた。桃の産地であり桃源郷と呼ばれた。この小国が朝廷の配下に属することを拒絶していた。朝廷は桃源郷討伐のため挙兵する。
 桃源郷の女王は自らの王朝が崩壊する直前に、その独り児を逃していた。生まれて間もない我が子を籠に乗せ、河へ流したのである。その後、桃源郷の王家と民は捕らえられ、そのほかのすべては朝廷軍により焼き討たれた。
 河へ流されたのは王子であり、ひとり難を逃れていた。行方不明となった王子を追い、朝廷軍は捜索を開始する。キジがそこにいた。バクセという伝説の武人として知られる存在であった彼は、朝廷軍の一人であった。自らの隊を率い桃源郷の王子を追う。 ☆168

 これまでのあらすじ(五)

 河へ流された王子。桃源郷より遥か下流の炭焼きの地へ流れていった。流れる籠をキビが拾う。籠の中には赤ん坊が包まれていた。キタもその子を見た。子の装いは、まるで流れ着いた桃のようであった。キタとキビは、拾った赤ん坊を家へ連れ帰る。
 バクセという偽名を使って生きていたキジ。王子の流された渓流の岸を下っている。キタとキジ、ふたりはその渓流の岸で偶然に再会する。ツジで出会ってから数年ぶり―
 キタはキジを家へ招き、河から拾った赤子をキジに見せた。キジはその子が桃源郷の王子であることを認め、その事実をふたりに告げる。キジはその子を捕えなかった。キタとの再会、なぜか不思議と見逃した。キジは部下を引き連れて朝廷軍本営へと戻って行く。
 キジとの再会、キタは不思議と決めていた。この子を育てると。キタとキビは、住み慣れた家を残し姿を消す。/
 滅ぼされた桃源郷王家、唯一の生き残り、王子の消息は失われる。

 貴族のみが支配した社会、そこから新しい時代が生まれようとしていた。国は変貌をはじめている。武力を掲げる者たちが出現しはじめていた。出生に関わらず支配する力を持つ者たち。各地方で武力をもって支配する者たちが台頭をはじめた時代。
 彼らは自ら士(し)と名乗り、武装化と集団化を進めていった。わずか数年の間に各地に人身売買の市場が生成されていく。朝廷の権力が及ばない場所、地帯の急造。誘拐と拉致が最も盛んな時代に突入し、人身売買市場には莫大な金が流通していた。
 反貴族、反朝廷の意識を持つ者たちの登場。彼らは遂に朝廷の脅威となりはじめる。

 時が過ぎて。コンという男がいた。彼はバクセに率いられ、桃源郷討伐に参戦した経歴を持つ。バクセの下、桃源郷王子を捜索した部隊のうちのひとりであった。
 コンはこの時、天網(てんもう)の主要なひとりとなっていた。天網とは反朝廷勢力を抹殺するために組織された部隊。朝廷により運営された暗殺部隊である。
 コンは反朝廷勢力と戦っていた。コンは、バクセという偽名を用いた伝説の武人、キジの消息も追っていた。さらにバクセが見逃した桃源郷王子の消息をも追っている。 ☆195

233・165~168 400字詰め原稿用紙19枚



















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鐘の鳴る 295~307

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 水中の巨大な影は筏の斜め下にとどまっていた。サルは水面に顔をつけてみた。巨大なイカの目玉がこちらを見ている。―ブファ。サルはたまげた。
 すかさずモモと賊がのぞいてみる。イカの目は確かにこちらを見ているように見える。まばたきしたようだった。イカの全長は沈んだ中型船よりも大きい。
「すごいでかいぞおおお」
「おれもはじめてだ。ダイオウイカは。船を沈めたりするって話に聞いたことある」
 モモは水中をのぞいていた。イカは白く透明。左右のヒレをなびかせている。顔を上げてモモが言った。
「おれたちに何か用なのかな。あれでぶつけられたらこなごなだね」
「食べてほしいんじゃないの。漂流ご苦労様あってさ。うまいのかな刺身とか」
「どうだろ。あんまうまそうな面には見えない」
イカはゆっくりと筏の真下につけた。―「真下にきた」
浮上してくる。―「おいおいおいおい」
 イカは浮上してその頭部に三人と筏を乗せた。俯瞰すれば筏の左右両側に目玉がある。
「あんま食べるとか言わない方がいいんじゃないのか。赤くなってるぞ。イカ」
「あホントだ。赤いわ」
「なら焼いて食っちまおうぜえ。味付けは君よろしくう」
イカはその触腕を筏の左右両側の水面上に突き出してきた。三人は驚きの声を上げた。さらにイカの手は両側からくねりながら近づいてきた。
「うわうわうわうわああ」
/
 イカの一方の手が筏を押さえてきた。その手を見る三人。背後からもう一方の手が伸びてモモに巻き付いた。
「うわわわ。ちょっと待ってなにこれ、痛い!吸盤」
サルが刀を抜いた。 ☆295

 やめろ!斬るな!と賊が止めた。チイッ、構えたサルは止まった。顔をしかめているモモを見た。イカの手はモモを持ち上げる。
「わあああい。高い高~い。高い高~い、い、い痛い痛いよ!吸盤がっ」
 持ち上げられたモモは筏から海上へ連れていかれた。
「どうすんだよ、おい賊」
「知るか。おれだってダイオウイカははじめてなんだ」
 モモの足は宙に浮いている。モモが叫んだ。
「イカあ!イカさん!キュッきゅっ吸盤が痛い!聞いてくれ!あなたを食べると言ったのはおれじゃあない!向こうで見ているふたりのうちのどっちかだ!イカさん!おれはイカは食べないよ!ホントに!イカさん!おれは今後もイカを食べないからに!」
モモは巻きを解かれ海面へ落ちた。
「賊よ、ダイオウイカって言葉分かるのか」
「知るか。おれだってダイオウイカははじめてなんだ」

 モモは少し離れた場所に泳ぎ潜って水面下の様子を眺めた。
 太陽の光が水中に射している。それはおちていく。底へと。その斜めの光は白く透明な光線。海の青にゆらぐ。映える。水面下に浮遊する巨大なイカの姿。その下半分は影。水中に射しおちる光線はイカの前後左右にもおちている。その先に広がる海の奥ゆき。光と影の交錯。イカの胴部は太い。そこから長い足が伸びてさらに遠くにまで届くようにして揺れている。海の向こうにまで続くように。揺れている。

 モモは水面に顔を出した。筏にいたふたりはそれぞれイカの左右の触腕に巻き上げられていた。ふたりは懇願していた。潮風がその叫び声を運んでくる。もう二度とイカは食べませんなどとふたりして叫んでいた。
 ふたりは巻きを解かれ海面へ落ちた。 ☆296

 午後の海。続く漂流。
「いつまでいるつもりなんだ、イカさん」
「賊、どうよあんた」
「知るか。おれだってダイオウイカははじめてなんだ」
 筏の真下にダイオウイカの巨大な全身が浮いている。陽に照らされたその体。頭部に筏を乗せるようにしてまったく離れないままでいた。
「気味悪い。なんか不思議と喉の渇きもなくなったし。聞いてるのかな。おれたちの会話を」
「ダイオウイカという言葉の分かる化け物がああ」
「あんま化け物とか言わない方がいいぞ。ほら見ろ赤くなってく」
「あホントだ。赤いわ」
「気の短いダイオウイカなのでしたああ」
「すぐに赤くなるのでしたああ」
ゆっくりと水面下から触腕が立ち上がった。それを見た三人は息を呑む。
「聞いてるよ…」
「高い高い怖あい。吸盤痛あい。イカさん。私。ごめんなさいね」
「私もお。ごめんなさいねええ。ほら。賊、あなたもおお」
/
「知るか。ダイオウイカははじめてなんだ。だから私もお。ごめんなさいねええ」

▲298 ☆297

 三人は指をさし背伸びをして見ていた。指さす先の波間に木箱が浮いていた。
 三人は誰が木箱を取りにいくかの勝負をした。せえので自分の口をふさぐ、片目をふさぐ、片耳をふさぐ、じゃんけん。
 五度目の勝負で賊が負けてのけぞった。筏の下にいるイカの気にさわらぬようにのろりと、賊が泳いで木箱を取りにいく。☆297
 木箱は両手に抱えられる大きさで。上部は蓋になっており開けられるように金具されていた。しっかりと防水されている。男の手によるものだと思える。
 開けてみれば黄白色の布に巻かれた桐箱。紫と赤のひもで十字に結ばれている。女の手によるものと感じられた。
 桐箱を開ければ口を封された六つの白い瓶と大きめで深い六つの杯が入っていた。杯はそれぞれ赤、白、黒、青、緑、黄の色。書状が添えられていた。
 三人は読んだ。こうある。

鐘の鳴る

鐘の鳴る

海に山にその丘に

鐘の鳴る

鐘の鳴る

あなたの暮らすその場所に

あなたの眠るその場所に

鐘の鳴る

鐘の鳴る



鐘の鳴る

鐘の鳴る

 女の字。署名はない。その表装はすべてが品格あるものに感じられた。/
 瓶の中身は酒らしい。何も疑わずにそれを飲んだ。酒だ。うまい。それぞれに杯を取り。モモは赤、サルは青、賊は黒。
 この漂流と真下にいるダイオウイカに乾杯した。 ☆298

 夕暮れ。西の水平線に積乱雲が-白く明るくわきたっている。
 海が揺れる。その風。東には黒くたちこめた沖の雲が低く動いていく。/
 太陽の-横を細く長く垂れた白い雲が-流されていく。三人も見ていた。波に揺れて。酒を飲む。

 その夕陽をイヌも見ていた。いつもの屋根の上で。草原と林。遠く森の影。
 酒を飲む。思い出される―。
 集落のおとなたちに交じってイヌものぼった。上流へと。細長い何かを包んだ袋を持って。イヌは途中で姿を消した。隠れておとなたちのあとを追っていく。伐り出しの場所へ。

 海洋へと沈む夕陽。鳥が横切る。

 上流の山々は小雨となり薄霧に包まれていった。おとなたちは伐り出しを終えて休んでいる。イヌは降りていった。流れる霧と一緒に。おとなたちはイヌを見た。

 野の林。森。飛んでいく鳥。夕陽にすべては影絵のように映り。イヌはそれを見つめる。
 サルとモモも見つめていた。沈みゆく太陽。海の風に吹かれて。波が揺れる。

 イヌは斬りかかった。おとなたちを次々と斬り刺していく。ナタや斧と戦った。逃げようとした者の背にも斬り刺した。走りいく者を追いかけて殺した。馬乗りになり。血に濡れて。

 太陽がにじむ。泣いているように。赤く燃えて。燃えているのに沈んでいく。非情な。

 霧がすべてを包み込んだ。振り向いていたイヌは河べりを下っていく。/あとに残された死体たち。
 イヌは集落に戻り長の家の戸を開けた。入っていく。しばらくして若い男女が走り出てくる。その戸からイヌも出てきた。血に染まり出てきた。
 悲鳴と絶叫が山合いと集落にこだました。

 イヌは人殺しだ。それはサルもモモも同じ。 ☆299

 夜。ダイオウイカは強烈に発光した。体全身。光ったのである。ゆっくりと光り、ゆっくりと消える。それをくりかえしていた。海中と海面を照らす。真下からの光に影となる筏。その上に焚き火が燃える。
 ダイオウイカの光にはたくさんの魚が寄ってきた。筏とダイオウイカの間の海中に魚たちが回遊しはじめる。水面をのぞく三人。その顔をイカの光が照らしだす。
 三人は刀をモリのようにして魚を突いた。競い合う。
 モモの鞘の紋章をサルは再度横目に確認した。ツジ南門の屋根にいた男の顔が頭に浮かぶ。
 突きあげた魚をさばく。刺身にして食べる。腹も落ち着く。酒はまだある。
 夜の海。次々に盛り上がりきては去る波波。筏は上下に浮遊する。周辺はイカの光で明るい。焚き火の炎もゆらめく。筏にあたる波の音。不思議な夜の空間。
 沈んでいった中型船にダイオウイカが反応したのだろうと賊が言った。ダイオウイカが夜に光るなんて聞いたことがなかったとも言う。
「海底にいたのを驚かせたのか。人間の船なんて珍しいもの見れてよかったじゃないさ、イカ」
「しい。気をつけろ。聞いてるぞ」
 モモは流れ着いてきた書状を見つめている。
/
 焚き火に昼間干した木っ端をくべる。
「ダイオウイカに遭遇するなんざ二度とないことだ。しかも離れないでいる」
「そのうえ光ってますうう」
「こういった事象をどう見るかだ。桐箱の酒と書状といい。こいつはもう普通じゃない。これは吉事なのか、凶事なのか。タロウさん。あんたどお見るよ」
モモは即答した。
「何かつながっているように思える」
夜の真っ黒な大洋。点滅して輝く白い光。そのダイオウイカの頭部に筏は揺れる。 ☆300

 日が昇るのはまだ先。けれど夜の終わり。空の色が変わりはじめる頃。暗い朝の海に筏は揺れている。
 焚き火はくすぶっている。あぐらをかき頭を垂れて三人は深く眠っていた。ゆっくりと黒く盛り上がる波。筏の下をとおりすぎていく。
 モモがぶるっと身震いして起きた。薄目を開けて首をまわしてみる。遠くに船を見た。こちらへ近づいてくる。三人は大きくした炎の横と後ろで手を振った。助かった。

 やってきた船は昨日、モモとサルが港から乗って離岸した大型船である。船に乗っていたのは置き去りにしてくれた副船長と船乗りたちだった。
 聞けば船乗りたちは見捨てたのではない。ただ逃げただけだと言った。客を行き先へ届けるのが自分たちの商売。それを優先させたまでだと言う。
 乗客は全員が無事に予定の港に着いたそうだ。ひとりも欠けず。家族ぐるみで乗っていた者たちはモモに感謝しているらしい。彼らが副船長と船乗りたちにモモを捜すようにと強く願い迫った。
 副船長は客を目的地に届けたあとには捜索に出向くつもりだった。などと言っているが本当はどうかな。とにかく見つかる確率は三七で見つからないと見ていたそうだ。賭けにされていた。
 真夜中の終わる頃に船を出し港を発った。しばらく進むと遠洋の暗闇に点滅する白い光が見えた。それがモモたち三人だった。あっけなく見つかった。
 船頭たちは賊の奇抜な風体に一歩引いた。☆301 賊は骨太な体格。着衣は黒ずくめ。首と腕に数珠らしきを幾重かにして巻いている。肩まで伸びてはねた髪。肌は浅黒い。垂れた目尻。太い鼻筋。大きな口。割れたあご。若い。★304
 縄で縛るかと訊くから必要ないと言う。賊も捕らえられることをおそれて緊張しているようだった。
―遠洋の暗闇に白い光か。
 モモは船乗りたちに何か見たかと訊いてみた。それは例えば馬鹿でっかいタコだったりイカだったりカメだったりするかもしれないけれど、みたいに。船乗りたちは何も見ていないと言う。
―それじゃあ見たのはおれたち三人だけってことだ。不思議にも。
 空が白みはじめる。三人は桐箱から残りの酒を取り出した。乾杯する。漂流の終わりに。 ☆301

 体についた血も汗も潮と風に洗い流された。朝の浜。船乗りたちに連れられてモモとサル、賊が歩いていく。先にはむしろにくるまれた死体が並べられていた。
 中型船から乗り込んできた海賊たちがいた。そのうち八人が船上で死んだことを知る。その死体。あとの七人は海へ飛び込んだ。行方は知れない。
 賊はむしろを開いてひとりずつその顔を確認した。死体の名前らしきを呼んで泣いていた。賊はモモとサルをにらんで言った。
「あんたらが斬ったのか」
モモは無言。サルも黙っていた。無言のふたりの横顔を船乗りたちが見つめる。
「船も一隻沈んだしいい。襲った相手が悪かったああ」
サルの言葉に賊は浜を打ち叩いてうなっていた。
 モモもサルも自分の荷は船から無事に取り寄せた。保管されていた。その点では船乗りたちは正直だった。モモとサルは刀を袋に包みそれぞれに荷を整えた。
 大型船は今日から三日間ここに停泊する。賊は死体を回収しに船でここへ戻ると言う。三日間までは船乗りたちが死体を預かっておくが、その先はどうなっても知らないこととなる。
 船乗りたちは死体を預かっておくための金を賊に要求した。賊が引き取り時に支払うこととなる。
「あいつら海賊相手に商売たあ抜け目ねえ。死体ひとりにつきいくらなんでしよおお」
 ひとしきり話も済んで船乗りたちはここをあとにしようとした。船乗りのひとりがモモに言った。
「船の客はあんたに感謝してた。何人かまだこの町にいるかもしれない」
 賊はモモに言った。
「奴らと話をつけたが。もうここは危ねえかな。おれは丘じゃ生きていけん」
「平気さ。捕まるならとっくに捕まってるはずだよ」
 漁師相手に早朝から開く店を見つけて入った。見慣れない三人だが店主も客もなにも言わない。誰も賊のことを通報しないでいてくれた。いい町だ。静かだし。めしもうまい。
 宿を探すが午後からでないと入れないと言われる。浜辺に降りた。岸壁を背に海を見ている。 ☆302

 晴れてるからまだよかった。これで雨なんかが降っていたら気分は最悪だったろう。人をあやめたあとだ。刀を伝わってきたその触感は忘れることのできない記憶。
「あんたら斬り師でなけりゃ何で食ってんだ」
「だからおれは薬売りよ」
「タロウさんは団子売りかい」
/
 モモは船から受け取り背にしょってきた商売道具一式の入った木箱を叩いてみせた。賊は腑に落ちないようだった。

「これからどおすんのさ」
「おれは死んだ奴らを弔わなきゃなんねえ。連れて帰る。おれたちの住む場所に。詳しいことは言えないが、おれたちには奪ったものを陸揚げする秘密の場所がある。この辺りにもいくつかあるんだ。海賊仲間で共通で使う場所が。そこで船を待つ。自分たちの船でなくても知り合いの船は必ずくる。そいつにおれの住んでる近くまで乗せてもらって。あとは自分たちの船でこの町へ寄って亡骸を乗せる」
「奪ったものを陸揚げするって人もか」
「ああそう」
「海からどうやって陸にさばく。士に売り渡すのか」
「方法はいろいろだ。おれたちの場合は仲買人に売り渡してる。その先は知らん。仲買人は士にも売り渡してるだろうな。士は何かといえば刀を使う。おれたちと同じで血の気も多い。海賊が士と商売すると問題が起こりやすい。仲買人に卸す方が楽だね。金はいくらか持ってかれるが」
「近頃急に増えたような。海賊たちが」
「金になるからな。人の売り買いは最高に割りがいい。海賊同士でも小競り合いしてるよ。おれたちも元は漁師だったんだ。でももう戻れないね。うま味を知った」 ☆303

「あんたたちの住む場所ってどこ」
「フッ。それは言えない。海の上のどこかだよ」
モモのさりげない問いを賊は微笑してはぐらかした。サルの大きな目がそれを見ている。
「奪ったものは本土へ運んで南土へは運ばないのか」
「南土へ運んでいる連中もいるだろう。ただおれたちは本土へだけ運んでるまでのことよ。南土にも士はいるが市場の勢いは本土に劣る。そのぶん付く値はいまひとつらしい。仲買人の数も本土ほどには多くない」
 ▲301
「今回の一件でおれたちは大損害だ。人も死んで船も失くした。海へ落ちた仲間は今も漂流してるかもしれん。襲った相手に襲われるなんざ聞いたことないぜ。とんだ赤っ恥だ」

 賊は先を急いでいこうとした。モモとサルも見送りに立ち三人は岸壁を上がった。しばらく歩くと人影があり漁師とその女たちだった。獲れた大量のイカを次々と天日干しにしているところだった。
―これイカうまいだあ。食べてってくれやあ。
漁師たちは三人に言った。
「おれってもうイカは食えないのかな。ダイオウイカと約束しちゃったから」
 三人は別れに乾杯した。賊にはその黒い杯とまだ開けていない酒瓶一本を持っていかせた。賊は去り際に言った。
―仲間殺してくれてありがと。これもなにかの縁なのか。
 モモとサルは浜辺を歩いていく賊の後ろ姿を見送った。/天日干しのイカが揺れる。
「あいつら海賊は内海に潜んでる。内海に無数にある島のどこかに。内海は潮が渦巻いて素人には難しい。入れても中で迷うって誰かに聞いたな」
 モモもサルも日焼けした。ふたりは賊の名を知らない。そのまま別れた。訊く気がしなかったし。別に知りたくもない。 ☆304

/

 「あんな道具。どこで手に入れたんだ」
サルは訊いた。書状を読み返していたモモに。/
「あんな道具って」
「ほら枡みたいなやつさ。投げてドカーンと凄い音を立てるやつ。あと火を点けて船首をぶち壊してたろ。どかーんと。あれ何なの」
「ああ。爆弾ね」
「バクダンネ?」
 ふたりは宿の部屋にいる。窓から身を乗り出して横を見れば死体をくるんだむしろの並びとそれを見張る船乗りが見える。海沿いの宿。
「火薬っていうんだ」
「カヤク」
 この頃は火薬を使用する者は国内にはほとんどいなかった。「爆弾」「爆発」という言葉はまだ一般に知られていない時代。すでにモモは大陸からの武器商人と関係を持っていた。/
「大陸の連中はみんな馬に乗ってあんなのを爆発させながら戦うんだってさ」
「バクハツ」
「そう。どっかーんドカーンってさ」 ☆305

 「お客さん。お客さんタロウさん。あんたにお客さんだよ」
宿の親父に呼ばれてみれば入口に老いも若きも男が数人待っている。襲われた船で見た顔。モモを見て深々と頭を下げた。
 モモがここに居ることを聞きつけてわざわざ訪ねてきたという。表に出れば女子供の老いも若きもの幾人かが、これもまた深々とモモに頭を下げた。
 そのなかの老女がふたりモモの足元に歩み寄り土下座した。
「なんだよ。やめてくれ。そんなこと。さ。ほら立って」
 助けられた男たちは銭であろう小さな包みをモモに手渡そうとしてきた。モモは受け取ろうとはせず-男たちには包みを引っ込めさせた。
 男たちはそれぞれの家族、女子供たち、そのほかゆきずりの何人かを連れてこれからこの町を発つという。その行き先はこの近隣にある都市のひとつだった。山岳を避けて海路をまわってきた。
「ああ。それがいい。海も山も近頃は賊が流行りだし。人気が少ない土地には必ず士がくる。大きめの街に入ったほうが安全だ。どうぞ気をつけて」
 土下座した老女のひとりは息子に死なれて娘の嫁ぎ先へ身を寄せるのだという。きっと娘夫婦とその子供たちにはいじめられるだろう。だから本当は行きたくないとモモにひとしきり聞かせるのだった。
 もうひとりの土下座の老女も似た境遇らしい。その年寄り女は自分の胸と股ぐらをつかんでモモに迫った。まだ使えるいいモノだから私をあんたが貰っておくれえと笑い猛る。
 皆で大笑いした。後ろから見ていたサルと宿の親父も笑っている。
/

 モモとサルは宿の部屋でくつろいでいた。大型船で来た一行の全員が皆町を発ったことを宿の親父に聞かされた。親父は興奮して言った。
―いやお兄さんがた。若いのが海賊をやっつけちまったって噂になってたの。あんたたちだったのかい。いやこりゃ。たいしたもんだ。その若さで。ねえ! ☆306

 モモは浅い昼寝から目覚める。サルは窓辺で海を眺めていた。ふたりは出かけた。むしろの死体が置かれている場所へ行ってみた。
 ひとりの船乗りが見張っていた。歩み寄るふたりに船乗りは言った。
―この暑さに腐りはじめてる。
日に照らされたむしろには相当な数のハエが群がり飛んでいた。
―あすあさってなんかは凄いにおいになるだろうな―

 夕方。ふたりは砂浜を歩いた。モモは歩きながら思った。
―海も山も賊だらけ。そのほかは士の連中か。
天日干しのイカが連なり揺れている前を横ぎっていくふたり。
 夜。一軒の店で飲み食いしたが店主にイカがうまいよとすすめられる。モモとサルは見あった。注文はしなかった。
「あんなくだらねえ約束するんじゃなかったなあ」
「あの状況じゃしょうがねえよ。高い高~い。吸盤痛い痛~いだもん。ああでも言って約束しなきゃ。今頃どうなっていたか」
「私たちはもう。イカを食べられない体になってしまったのだああ」

 宿に戻っても親父にイカがあるからどうかとすすめられる。断るとこのあたりはこれからの時期イカ漁が盛んなんでと言った。
 部屋でモモは桐箱の書状を見返していた。サルはなにげなく桐箱の残りの酒瓶を動かして-箱の底をのぞいた。底の中央に小さめな焼印らしきが押されているのを見つけた。
 酒瓶を取り出して確認した。焼印は円の中央でイカが左右の触腕をかかげる様を模している。何かの紋章らしい。ロウソクの炎を挟んでふたりはお互いの顔を見た。
 窓の外。むしろの死体が置かれた場所では焚き火をしている。炎のまわりに数人の人影が立っているのが見えた。
 面前には夜の海が広がる。そこに散るいくつもの白い光。漁り火が見えた。 ☆307

鐘の鳴る 第六章 終

295~307 400字詰め原稿用紙50枚



ゆらりゆらりこ ももがゆく
ゆらりゆらりこ いぬもゆく
ゆらりゆらりこ さるつづく
ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこおの
どこへゆく どこへゆく

ゆらりゆらりこ にしへゆく
ゆらりゆらりこ ひがしへも
ゆらりゆらりこ きたみなみ
ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこおの
だれかゆく だれかゆく

ゆらりゆらりこ ひとあやめ
ゆらりゆらりこ ひとたすけ
ゆらりゆらりこ いにしえの
ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこおの
はてしなく はてしなく

ゆらりゆらりこ みなのりゃんせ
あれにわらうが ときのふね
いきたあかしぞ とこしえの
ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこおの
おどりゃんせ おどりゃんせ

ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこおの
ねむりゃんせ ねむりゃんせ

どこへゆく ゆうらりこ
だれかゆく ゆうらりこ
はてしなく ゆうらりこ





















.

鐘の鳴る 269~294

.









 それでおれたち、バスに乗った。夕方ですごい、寒かった。
 そのバスに乗って10分もすれば駅に着く。10分くらいなら歩けばいいのにって、思うでしょ。でも、疲れてだめだった。
 駅前で降りて。
 そのときにはサルの野郎が消えていた。イヌと二人で降りて。
 高校生とか若い人がたくさんで、にぎやかで。
 腹がへってたから、何か食べたかった。
 でもファミレスとか、おれ入ったことないし。イヌもいやだって。
 コンビニで買うにも値段とか、わからないし。
 どうしようって。
 イヌと歩いてそのまま知らない国道の道に出て。
 クラクション鳴らされたりして、河、橋渡って。
 そのままふたりでかけてった。 ☆269

 「私」は三人を呼びだした。三人とは、サル・由宇、イヌ・ハチ、モモ・タロウの三人である。「私」からの知らせに三人は戸惑ったはずだ。初対面であるにもかかわらず、急な呼び出し方を「私」はあえてした。
 その頃は夏で暑い日が続いていた。待ち合わせの場所は街道をそれた細い道の先にある。そこは茶屋で年寄りの夫婦が営んでいる。汚い場所だ。
 まわりは田園。店の裏は水田。店の前には小道を挟んで松林の丘がある。遠くからだとその松林の丘が目印となった。
 老夫婦に訊けば、客は日にふたりあるか、ないかだと言った。街道を外れた旅人がひと休みでもするのか。畑をやりながらの店らしい。客商売を好きと言っていた。
 「私」は一度、この店を訪れたことがある。以前、道に迷い、ここで道を尋ねた。あのとき店には若い女の子がいた。今はいない。士はここにまできている―。
 暗くほこり臭い店の中にはそれ以上いる気がしなかった。外で「私」は待っていた。緑の稲、松の林が夏風にゆれて音を立てる。
 遠く騎馬の影がこちらへ向かってくるのが見えた。三人である。馬は一列になり細いこの道を近づいてきた。
 静かな田園の中を、だんだんとヒズメの音が響いてくる。松林からそれを見ていた「私」、茶屋の夫婦も道端へ出て見つめていた。
 三騎は店の前で止まった。馬がいななく。先頭を走っていた男は即座に馬を降り店に入った。老夫婦はその勢いに驚くようにして店の外に立ったままでいる。
 馬から降りたその男はサルだった。背が高くやせている。何か帽子のようなものをかぶっている。首に細い数珠を掛けている。左手首に幾重もの数珠を巻いている。左腰に刀が二本、背に一本を差していた。
 サルは店から出てくると道にいる騎乗のふたりに目線を送った。その大きな眼。
 二頭目を走っていたのがモモだった。モモは馬に前を向かせたまま後進させながら、松林で見ている「私」の横へとゆっくり下がってきた。 ☆270

 男たちは午後の波間に揺れている。これより浜から離れるのは危ない沖にいた。午後になり波は高くうねりはじめている。沖へ連れていかれる。灰色の雲が頭上を覆っている。
 波の上下の揺れとともにいる彼ら二十人。海から突き出たその頭の影。潮にあらがう自分たちの激しい息づかい。ともにいる者の名を確認し合い叫ぶ。
 男たちが揺られながら見る海岸。オロチたちが右手側を走りぬけていく。正面では朝廷の騎兵が包囲の疾走をしている。砂丘にいくつも燃やしていた自分たちの炎が消えていく。
 太陽と鉄が朝廷軍に捕縛された海岸沿いの砂丘。太陽と鉄の二十人は海へ逃れた。

 二十人は岸へたどり着いた。/そこに湧く細い水の流れで渇きを癒す。もうすぐ夜になる。火は焚かず。それぞれ周辺に散らばって眠った。海に体力を奪われて。/
 夜、二十人は起きた。自分たちの駐屯していた場所へ戻っていく。海岸沿いを隠れるようにして。波の音だけ。 ☆271

 二十人の太陽と鉄。昼間に朝廷に囲われた砂丘にいる。砂で固まった血の跡が吹かれている。砂丘の騒ぎの傷跡は潮風に消されようとしていた。
 二十人は浜をあさった。太陽と鉄の何人かが死体となって砂に吹かれていた。残されたままの武具、笛、太鼓。シュテンの棍棒も残されていた。虎一頭、熊三頭が死んでいた。虎と熊のそれぞれ一頭は連れ去られたらしい。
 沖合から見えるほど大きな自分たちの焚き火はすべて消えていた。その残り木を集めて小さな火をいくつか焚く。男たちは誰からともなくそのまわりに集まった。周辺を見張っていた者も夜の砂丘に追手は潜んでおらずと火に寄ってくる。
 浜辺に打ち上げられたワカメや藻を大量に集めた。生のままだったり、あぶったり焼いたりして食べた。火を見つめながら。足を抱え座る者、裸で横になる者、しゃがむ者、立ったままの者。昼間の喧騒と今の静寂。

 火を囲み、この先の話になった。
―オロチは噂に聞いただけのことはある。イバラキの剣はすさまじい。この目で見た。
―イバラキはおれたちとヒロシマの市で会う気でいるのか。
/
―ヒロシマの市には入れるだろう。あの市は大きいから。ただ会ってどうなる。
 二十人は死体になった同士たちをそれぞれに埋めた。各士を山盛りの砂の墓とした。浜風はこの砂山の墓も平らにしてしまうだろう。それでもそうした。
 二十人が闇の砂丘を進んでいく。虎一頭、熊三頭はそれぞれ棒に縛りふたりずつで背負った。消えきれぬ焚き火に小便をかけてまわっていた男が用を足して集団へ走っていく。  ☆272

 一行は山越えの道にさしかかっていた。捕らわれた太陽と鉄は三十五人。それを連行する朝廷兵の二十騎。小雨が降る明るい空。三十五人は後ろ手に縛られ一列につながれ歩いていく。
 山道の右手は深く急な傾斜。その下は濁流。水の音。流れの両側に山々が続いている。/
 朝廷は五百を超える兵で自分たちを囲ってきた。このおれたちを。その兵に連れられ歩いてきた。/
 朝廷の兵はじょじょに少なくなった。分岐した隊に虎と熊も連れられていった。
 このあたりの山々の地形には見覚えがあった。この先には港がある。そこで船に乗せられて島に流される。金だか銀だかの鉱山に入れられて二度と戻れない。
 先頭をシュテンが歩いていた。あぶらぎった全身から湯気があがっている。後ろから続いていくほかの者たちはそれを見ていた。自分たちがこのまま終わるとは到底思えない。
 /
 山道をさらに高く登っていく。たちこめてくる霧。
 三十五人はこの頃までには綱をすべて解いていたが捕らわれの身を装っていた。カイとジンマがそれを指揮していた。
―騎兵は二十。素手で襲ってもいいが。
シュテンがそれを許さなかった。ただひたすらに歩いていく。
―男が男に惚れちゃったソレ男が男に惚れちゃった。
シュテンはずっとつぶやいていた。 ☆273

 朝廷兵たちは山奥の雨に疲れていた。太陽と鉄たちを罵倒し鞭打つことも忘れ。はやくこの役目を終えたい。馬に揺られ。
―港に着いたら酒飲んで焼き鳥が食べたい。
―そのあとすぐさま女抱きにいく。
―一緒にいこう。
 カイとジンマは濁流を越えた対岸の山あいに気配を感じていた。音を消して数頭の馬が自分たちと並行して移動している。誰だ―。
 間抜けた朝廷兵の目を盗んでその馬影の存在は太陽と鉄のほかの者たちに伝えられた。馬上の兵士たちは女性器について熱く語り合っている。対照的に太陽と鉄は対岸の様子に緊迫しながら歩いている。
 一行は吊り橋を渡る場所へきた。橋は人ひとり通れるほどの幅。先頭を朝廷兵が十騎。馬を降りて渡っていく。そのあと順に太陽と鉄の三十五人。朝廷兵の残り十騎はその様子を後ろから見ている。
 先頭の十人が対岸へ届いたころ。雨と薄霧を超えて叫び声が上がりはじめた。十人が何者かに次々に斬り倒されていく。斬りつけているのは五人、六人か。
 対岸に並行して移動していた者たちだとわかった。そのうちひとりは頭から足先までが深紅。黒い鉢巻をしたベニイである。彼らはオロチ。橋の先頭のシュテンは立ち止まって湯気を出していた。
 斬り終えたベニイが橋のたもとに寄ってくる。三十五人全員は吊り橋の上。朝廷の後列の十騎は対岸で呆然と見ていた。弓も撃たず。
 「おまえたちを助けろとイバラキに言われてここまできた」
降りの強くなってきた雨。ベニイとシュテンはにらみ合っていた。橋の上の者たちも前方のやりとりを見ようと背伸びやもぐり合いをしている。カイとジンマがそれらをどかしてベニイの元へくる。
 「よお。また会ったな」
ベニイの言葉にカイは激しくうなずいた。
「向こうの残りの連中も斬ってもいいんだぜ。どうする。よお」
カイはシュテンの顔色をうかがった。ジンマは肩をすくめて両手で口を押さえ笑っている。 ☆274

 太陽と鉄が橋の上で押すな押すなとやっている。シュテンと対峙するベニイの様子を見たがった。
 朝廷兵は連行する者たちの綱がすでに外されているのをここで知った。しかし黙って様子を見ていた。こいつらとは関わりたくない。次に斬られるのは自分かもと思ったために。
 シュテンがベニイに告げる。
―おまえらに助けてもらう筋合いはねぇ。
―イバラキには謝っといてくれ。キサラギに奴の居場所を垂れ込んだのはおれだ。悪かった。
―おれたちは話し合いできるような玉じゃねぇよ。もう一度出直さねぇといけねぇ。
「今度また会えたら。合併の話も考えておくぜ」
ベニイはシュテンの言葉をイバラキに伝えると言った。
 そのあとシュテンは橋から河へ飛び込んだ。雨の濁流が盛り上がるその中にシュテンは飲まれた。
 太陽と鉄が奇声を上げ-吊り橋を揺らす。橋は落ちんばかりに大きく反り返った。太陽と鉄が次々と飛び込んでいく。最後にカイとジンマたち、小人五人が飛び込んでいった。
 朝廷兵は何もしないで見ていた。雨の降りは強まる。向かい側にいたオロチは消えていた。
 残り十騎は橋を渡り死体の収容を続ける中で口論となった。
―キサラギへ戻っても罰せられるだけだ。
―戻らないでこのままどこかへ逃げるか。
/
―おまえはひとり者だからそんなことが言える。おれには家族がいる。
 十騎はふた手に分裂した。一方はキサラギへ戻ることとした者たち。もう一方は戻らないこととした者たちである。キサラギへ戻らない者たちはこの先の港へと向かった。/戻る者たちは死体処理を終えて戻っていった。 ☆275

 モモは港にいる。正午前。晴れた日。出航を待つ。モモの荷物は小さな出店をだすための仕切り板。団子を焼くためのいくつかの道具。ほか。それらを縦長の木箱に収めて背負う。/モモは旅暮らしの商売人をしていた。団子を売る。
 地元の若い女の子たちが息も激しく寄ってきた。船で出ていってしまうモモに声を掛けずにはいられなかったらしい。モモは昨日までこの港の近くで店をだしていた。この四、五日で結構、稼ぎはあった。
 女の子は言う。
―きみ昨日、桜宿の横に店だしておったろ、団子売っておったろ、私ら食べたよ。
―あの、おいしい団子もっと食べたいし、きみ名前くらい教えてくれてもよかろうよ。
―行ってしまうんなら次はいつくるんだろうの、それまできみへはどうすればいい。
ちょっとした騒ぎである。サルがそれを見ていた。/
 サルも朝からこの港で船を待っていた。船がなかなか出ないので-港周辺を見てまわった。時間が早いので飲み屋も含め店は全部閉まったまま。結局、岸壁にひっくり返って日にあたり居眠りしてつまらなくしていた。そこにモモがきたのである。/
 それにしても晴れていい天気だ。カモメは空に。波は高くない。酔いざめの風に吹かれていた。 ☆276

 ―ふ~ね~が~で~る~ぞ~~~。
さっきからはじまっていた船乗りたちの呼び声。港に乗船の客がいっせいに集まりだす。
/
 女や子供をふくめて船客には家族連れが多い。乳飲み子もいる。訊けば士に追われ村や集落から逃げてきた人々だった。住み慣れた土地を捨てて逃げていく。船上で泣いている者もいた。
 モモも乗船した。岸壁にいる追っかけの女の子たちに軽く手をふっている。サルもその船に乗りモモの横顔を見ていた。
―ずいぶんときれいな顔をした男だな。君か。/女が放っておくめぇな。
 乗船名簿を記す際にモモはタロウと名乗った。サルは何人かの後ろからそれを聞き逃さなかった。
―タロウ、団子売り。
カミノセキの市へいく途中宿場で女将から聞いた名だ。船が出ていく。 ☆277

 モモとサルが乗った船は大型船。かなり多めの客が乗せられていた。出港も遅らせ自分たちの商売を進めるこざかしい船乗りたちの掛け声が響く。
 船がかなり進んだころ-船酔いで体調を悪くする客が多くなる。船上にいた者たちは横になるために船内へ下りていった。日に照らされ沖の潮にも吹かれる船上に客はまばら。
/
 モモもサルも船上にいた。サルは左舷側の前方に座っているモモの様子を右舷側から見ていた。サルが気になっていたのが君の持っていた細長い布の包み。包みは横に倒された縦長の木箱の上に置かれている。包みと君の手首はひもで結ばれていた。
―ありゃ刀じゃねぇのか。
 モモは船べりに座りサルのいる方を見なかったが-自分の様子を見る男の存在には気づいている。モモはそれよりもさっき右舷水平線上に現れた小さな黒点を見ていた。
 しばらくして船頭たちの動きがあわただしくなった。右舷から二隻の船が近づいてきているらしい。サルは座ったまま伸びをしてその船影を確認した。モモは船べりにもたれたままでその船影を見つめている。
 サルは自分の前を歩き過ぎようとする船乗りのひとりに訊いた。
― 何だいあの船
― 賊にめっかった ☆278

/
 「何あれ海賊船?」
「そうぞあんさん奴ら二隻で囲う気だ」
多めの客を乗せたこの船の船足は遅い。海賊船は迫っていた。船内にいた乗客たちも船上へ出てきて様子を見ている。
/
 モモは立ち上がった。細長い布の包みを持ったままで。年若い船乗りに歩み寄り訊いた。
「どうするんだい」
船乗りはモモを見て海を見ながら言った。
「このままじゃ捕まるな」
「殺されるのか」
「取引してまとまらなけりゃ誰かが死ぬかもな」
「取引って何」
「荷を渡すかどうかよ」
「荷って人もふくめてか」
「おうよ」
「おれ刀を使うから。船長に会わせてくれ」
 年若い船乗りはほかの船乗りにそれを伝えた。モモが自分の荷を背負って船乗りたちと船内へと入っていく。盗み聞きしていたサルがあとをついていった。 ☆279

 船内を進みながら船乗りのひとりが荷を置いてきたモモに訊いた。
―おにいさん、ずいぶんと若いのに斬り師稼業かい。
―違う。おれは刀を使えるからなんとかしたいだけ。
 船尾に船長の部屋があった。船乗りが扉を開けたがその煙にのけぞった。狭い室内をモモも見たが裸の女がふたり倒れている。船長らしき豚男が裸で座っていたが薬にもうろうとしていた。
 船乗りがモモの肩を叩いて言った。
―吸わないほうがいい。
後ろから声がする。
―キノコかな、すげえな。
振り向く船乗り。
―誰だ、おめえ。
声の主は後ろからのぞきのぞき込んでいたサルである。モモとサルはそのときはじめて目が合った。
 船上でモモは副船長と話をつけた。賊の二隻は一隻が中型船、もう一隻は準大型船。モモが中型船に乗り移るというのである。中型船に船腹をつけてまわれ。中型船に火を放ち戻る。
/
船乗りたちはお互いの顔を見合った。
 「その話乗った」
振り向いた先にいたのはまたもサルである。サルは続ける。
「やるだけやったろうぜ」
船内から出てきていた乗客たちも聞いている。
「おれも刀使うから」
サルが言い放った。 ☆280

/
 サルは自分の刀の包みを軽く上げてモモに見せた。副船長と船乗りたちは集まり何やら話している。海賊船は近づく。副船長はモモに歩み寄ってきて言った
―賊の船に襲われるのはおれたちもはじめてじゃない。ただあの二隻ははじめて見る。おれたちとしては連中と取引して奴らの顔を見ておきたい。今回荷を渡しても知り合っておけば次からはなんとかできるようになるから。
 モモは黙っていた。
―おにいさんは見たところだいぶ若い。無理をして刀を振りまわさなくていい。
海賊の中型船は右舷に並行して走るまでに近づいた。その後ろに準大型船が走る。
 「小さいので襲って大きいので収容するんだな」
声にモモが向けばまたサルがいた。
「おれ海の賊に襲われるのはじめてなんだ。いつかこんな日がくるとは思ってたけど。ちょうどいいや。連中のやり方覚えるにはいい機会だ」
/
「話しかけないでくれ。今頭に血がのぼってんだ」
賊の中型船はさらに迫る。その様子を見ていた乗客たちはうろたえている。
「船乗りたちは女子供を引き渡す気だ。おれはそれが許せん」
ブチ切れる寸前にいたモモのきれいな横顔をサルは大きな目をして見ていた。
「フンドシ船乗りどもが舐め腐りやがって畜生。二隻とも沈めてやる」
/ ☆281

 モモは船上の乗客たちに言った。
―家族連れは捕まれば生き別れにされるかもしれない。おれが斬りに出る。船底の部屋から絶対に出ないように。まず小型船の連中がこっちに上がってくる。それを斬る。
 /
それを聞いた副船長が、勝手な真似は許さんぞと詰め寄ってきたがモモは意に介さない。モモの言葉に男女子供皆船底の部屋に下った。
 船上には舵取りひとり、副船長、船乗りたち五人。あとはモモとサルだけが残った。サルはモモの言葉を聞いて思った。
―よく言うぜ。どれだけの腕なんだよ。見たいもんだ。
サルも自分の剣には相当の自信を持っていた。
―君が斬られたらどうするよおれフッハッ。
思わず笑ってしまった。
―やってやる。おれも最後までいくぜ。
 サルの視線をモモは気づき見ると-包みから出した刀を掲げて見せている。モモも手に結んで持っていた細長い布の包みから取り出したが刀であった。鞘には桃を模した紋章がかたどられている。
/
 賊の中型船は右舷の船腹に並走している。寄ってきたサルにモモは言った。
「邪魔すんじゃねえぞ」
サルは自分に対し暴言を吐く者が久しぶりで新鮮だった。しかも相手は自分よりもかなり年若い。
―君、反抗期?
 掛けた綱で賊がこちらへと登りはじめている。サルもモモのあとを追い船内への入り口へ走った。 ☆282

 モモは船内への入り口の柱の影から船上をうかがった。賊が船上へと上がりはじめた。船乗りたちは無抵抗でその様子を船首側から見ている。
「よ~ん、ご~お、んん~こりゃまだくるな」
モモの背後から敵を数えるサルである。モモはサルをうるさがるようにして船内奥へ移動した。
 モモは自分の荷である木箱から取り出した道具で、何やら素早くはじめた。炭のようなものを枡のようなものに詰めている。いくつかの枡に次々と炭を詰めていった。
 サルは船外への入り口で船上を確認した。
―おし、賊どもは上がりきったみてえだ。十五人いる。おい、君よ。君は何してんだよ。おい、いくぞ、おいおい。
 モモは各枡に油のようなものを流し込み蓋をした。枡はいくつかの袋に分けて入れられモモの腰に結わい付けられた。モモは額をぬぐいながらサルの背後へと戻った。
 モモがきた気配にサルは船上を見据えたまま、十五人だぜと言った。しばらくしても返事がない。サルが振り返ればモモは何か手づかみで食べている。
「何食べてんだ」
「団子。戦う前の腹ごしらえ」
/
―あれがあの宿で不細工な女将が教えてくれた団子なのか。
「ひとつ私にくださいな」
モモはその残りをサルに手渡した。 ☆283

 /
 サルは残りの団子を次々と食べ尽くしてひとり口に出して言った。
「うまい…」
 見ればモモが賊ひとりを斬っていた、ふたり、三人、次々と斬り襲っている。サルも出ながら背後から見たモモの剣はとにかく速かった。
 /
 賊たちは剣を抜いたが次々と斬られ何人か海に飛び込んだ。落ちた水音が後方へと過ぎゆき船は進む。残りの賊たちは刀を抜いたままモモをよけて船尾へとまわっていく。
 船首にたどり着いたモモは返り血を浴びていた。驚き見る船乗りたちに、よろしくと告げ賊の掛けた綱をたぐり寄せ船から飛び降りたモモ。サルが見下ろせばこの船の船腹に並走していた賊の中型船へ飛び移ったモモが再び刀を抜いていく。
 サルは斬られうごめく賊を見つつ船尾の舵取りに、賊の船に船腹をつけといてくれと言ってモモに続いた。
「斬り師だああ」
 中型船の賊が叫ぶ。船内から何人かの賊が刀を抜いて出てくるが斬りにこない。モモは相手側へ走り斬り入った。賊たちは船上を逃げる。サルの前へ走り出た賊が斬られた、ひとり、ふたり。ひとり海へ飛び込む。落ちた水音、後方へと過ぎゆき船は進む。
 中型船はきしむ音をたてながら激しく上下に揺れた。進みいく中型船、それを船腹につけた船上から船乗りたちが見ている。 ☆284

 モモは船内へと下り入って見えなくなる。サルは船首寄りの場所にいた。船首付近にいる賊ふたりをにらみつけている。サルが刀を上げ一歩踏み出してみせると賊ふたりはたじろいだ。刀は抜いたままたじろいだまま-サルをうかがっていた。斬りにこない。
ドン―ドオン―ドドン―。
 重く低い音が船内から連続して響いた。サルがはじめて聞く音。サルが船内へ入るといくつかの場所で小さな火が燃えていた。ゆらめく炎が照らし出す暗く雑多な船内。煙、火薬のにおいがうずまく。サルがはじめてかいだにおい。
 どうやら船内に賊はひとりもいないらしい。眉をひそめ見れば船先の暗闇にモモらしきがいた。船壁に何か仕込んでいる。火をともすモモ。壁に点けてモモが隠れた。
再びの爆音―。
 船首近くの右舷の船壁が吹き飛んだ。そこから外光が射す。白煙と塵。壁と床に燃えついた炎。
 /賊中型船の右舷部分から出た白煙が後方へと流れゆく。大型船から見ている船乗りたちは事態を指さして右に左にと大声を上げていた。船底の部屋に集まり身を潜めている者たちも皆その爆音を聞いた。はじめて聞く音。こわばる不安げな顔顔をロウソクの灯りは照らしている。
 モモが炎の激しくなりはじめた船内を走り抜けてサルの見るこちらへ戻ってきた。先に仕込んでいた枡らしき物もまだ手に持っている。炎を背にモモは言う。
「火がまわればこの船は沈む」
モモは振り返り枡を遠めの炎へと投げ入れた。
―左利きか。
枡は炎の中へと転がっていきしばらくして爆発した。 ☆285

 そのような武器と暴れ方をサルははじめて知った。圧倒されそうになりしばし燃える船内を見つめている。暗闇に燃え立つ炎と白煙、船先から射す陽の光。その視線が横を通り過ぎたモモをとらえる。端正な顔立ち。団子売りには見えない。モモは船上へ上がっていく。サルも続く。
 モモが右腰に下げる刀。その鞘に刻印された紋章と柄のつくり。サルは思い出そうとしていた。
―あの刀どこかで見たな。

 船上に上がればこの船は白煙を吐き進む状態。左舷につけていた船乗りたちの船は離れつつある。後方から賊の準大型船が近づいていた。その船上からこちらを見る賊の影影。
「なんだよ、あいつら離れる気なのか。おれたち捨てて。なんだおいどうするよ」
 サルの言葉を聞かずモモは船尾へ向かう。船尾には立ち舵を取り続けている男がいた。舵取りの男はモモが乗船してからの一部始終を見ていた。男は消えてしまいたかった。逃げたい。それでも仕事癖か舵は離さずに持ちこたえていた。
その男がこちらに歩いてくる―。
 モモは船尾へ寄り舵取る男と見合った。舵取る男は片手離さず舵をきりまわしながら体はモモとは遠くに置いている。男は怖れと困惑で額にしわを寄せ眉は八の字に。さらにおちょぼ口をしていた。
「なんつう顔してんの。どけ交代だ」
舵取りは無言で左右に首を振る。
/ ☆286

 舵はモモが取った。舵取り男はもういない。どてっ腹に一発くらわせて海に突き落としてやった。落ちた水音、後方へと過ぎゆく。
 船首の辺りで刀を抜いたままたじろいていた賊ふたりももういない。サルが迫ってふたりとも海へ飛び下りさせた。落ちた水音、後方へと過ぎゆく。
 小型船は乗っ取られた。火が燃え広がりつつもある。すごい煙になってきた。さらに沖の風が焚きつけてくる。燃える炎の白煙も後方へと過ぎゆく。
 限界までに膨らんだ小型船と準大型船の帆と帆。満帆。炎天下沖の併走。
 準大型船が左舷後方に近づく。船上の賊たちは中型船のふたりに何やら盛んに身振り手振りで罵声を浴びせている。
 サルが舵を取るモモのところへやってきて訊いた。
「どうする」
「この船をあっちにぶつける」
「沈んじゃうわよわよわよ」
 モモは、ここぞと舵を左舷へおもいきりきりまわした。連続回転。音を立てまわり続ける舵。中型船は左舷へと傾き倒れていく。立つ白波。船底が見えんばかりにさらに横倒れしていく。
 ふたりとも声を上げた~あ~あ~あ~~わあ~~~わああああ~~~。
 急傾斜の甲板に-転げるサル。
「うわわわ落ちるう」
/
 左舷へ大旋回した中型船。準大型船が近づいてくる。準大型船は衝突を回避すべくさらに左舷へきりまわした。旋回の二隻。小型船が準大型船へと吸い込まれていくように見える。
 避ける準大型船。右舷から煙を吐く中型船が迫る。
 賊たちは突っ込んできた小型船に-目と口は開けたまま。
―ぶつかる。 ☆287

 ドンピシャリ―中型船は準大型船の右舷にブチ当たった。衝突の鈍い音と激震。モモとサルは甲板のでっぱりにそれぞれしがみついていた。
 中型船の船首は完全に破壊された。大きく穴が開き-船内に燃え立っていた炎が噴き出してくる。火の粉が舞い散る。
 衝突は準大型船の右舷も破損させた。賊たちが船べりから破損個所を見下ろしている。
 /
 準大型船の右舷船腹に絡みついたようになったままで中型船が走っていく。モモが舵をまわし続けていた。中型船を準大型船にくらいつかせるように並走させる。上から賊たちが罵声を浴びせてきた。見上げるモモ。
 中型船は船首の後方、甲板前部にも炎が上がり吹く。新たな煙と火の粉が船尾の舵取り場へ流れてくる。サルがそのモモのところへやってきて訊いた。
「沈むけどどうする」
「舵代わってくれ」
「どうするのさ」
「向こうに乗り移る」
「こっちは沈みますからねえ」
「向こうも沈めてやる」
「えええ沈めちゃうのおおお」
 モモは煙と火の粉をくぐって前方へと進んでいった。舵取り場へ絶え間なく流れてくる煙と火の粉に涙目のサルは目を細める。しゃがんで舵を左舷にきり続けた。
 白煙と火の粉の向うにモモが帆柱を登っていくのが見える。 ☆288

 帆柱を抱きしめるように足を絡めてモモが登る。準大型船の賊たちもそれを見てわめいていた。帆柱のてっぺんで帆げたをまたいで座る。準大型船の甲板を見下ろす高さ。賊たちはあいかわらず帆先のモモを罵倒している。弓矢を用意しているらしい。
 モモは腰の袋から残りの枡を取り出し火をつける。またいだままの姿勢で向いの甲板へ投げた。枡は向かいにうまく落ちた。転がる。誰も逃げない。賊の何人かは何かと寄って見て―枡爆発―!
 寄って見た何人かが甲板にうずくまり倒れて動かない。動かないそこから血がにじみはじめる。ほかの賊たちがモモを見やった。
 モモはまた投げた。弓を引こうとする賊のそばに落ち転がる。弓引きは逃げ―枡爆発―!
弓引きは前のめりに倒れ動かない。
 賊のひとりが弓引きの弓を奪ってこちらへ構えた。撃ってきた。当たらず。再度撃ってきた。かすらず。連射しはじめる。危っないや。
 モモは立ち上がり左右の重心をとりながら帆げたを渡る渡る、渡り、飛んだ-あっととと届かない。伸ばした片足が準大型船の船べりの柵にぶつかる。逆さまになりそのまま船と船の間に吸い込まれた。落ちた水音、後方へと過ぎゆく。
「あらら落ちたかおい」
振り向くサル、モモの頭が後方へとゆらめき流れ遠ざかる。
 ここで中型船にはサルひとりとなった。
 左舷上方から賊たちの冷やかしの笑い声が聞こえる。舵を取るサルと言い争った。
「こらてめえ!人の船に何てことすんだ畜生が!馬鹿野郎!アホ畜生!」
「おい賊!賊野郎!賊!こっちこいよ賊!きてみろ賊!おらあ!こいよこら!」
「船返せ馬鹿!返せよ馬鹿たれ!馬鹿畜生!船返せアホ!」
「こっちこい!斬ってやっからこいよ!賊!こいよおら賊!斬ってやっからこい!」 ☆289

 賊のひとりがこちらへ乗り移ろうとしている。準大型船の船べりから-下の中型船へ飛び降りた。即サルは右舷にまわした。右舷へ傾く中型船。賊は目測を誤り中型船の腹にぶつかって船と船の間に飲み込まれた。落ちた水音、後方へと過ぎゆく。振り返れば賊の頭がゆらめき流れ遠ざかる。
 炎がさらに激しくなり-火の粉と熱煙が帆を焼きはじめた。船内からは右に左にきしみはずれる音が聞こえはじめる。
 サルはきりまわして再び準大型船に左舷をぶつけた。衝突と共に船上に噴き出す火炎と白煙と火の粉。火を吹く中型船は何度か準大型船にぶつかった。船内から骨の折れるような鈍い音が連続して聞こえる。
―ああこの船終わったな。
 /中型船は止まっていった。準大型船は離れていった。消えてゆく。
 船は燃える。ぱらけるようにして。ぱらぱらと。ぱらぱらと。青空に。

 進む息使い。息使い進む。/
 モモが泳いでいる。顔だし平泳ぎ。背に刀。
 もうひとりの男が続く。さっき中型船へ乗り移ろうとして落ちた賊。男も背に刀。
 顔だし平泳ぎのふたりが進んでいく。小さく前方に燃えている炎を目指し泳いでいく。
 進む息使い。息使い進む。/

 炎はやはり中型船のものだった。沈みそうになりながらもちこたえている。さらに泳いでそばまで近づく。周辺に浮く木切れ。燃える木の音。船にあたる波の音。
「タロウさあん。あんまり近づき過ぎないほうがいいですぜえ」
「おお~いだれかああ。いねえかああ~」
「みんなおっ死んじまいやがったかあ」 ☆290

 船は崩れていった。音を立てて。水しぶき。火の粉が青空に舞い散った。
 モモと賊のふたりは顔を水に浸した。水中を船がゆっくりと沈んでいく。
 船の沈んでいく向こう側にサルがいた。潜って立ったまま沈む船を見ていた。
「平気だったか」
「ああ何とか」
/

 三人は浮かんでいた。浮遊する木片をつないだ上にいる。
「見殺しか」
「海賊ってそんなに薄情なのか」
「いや。そんなはずはねえ」
「あんたを助けにこないだろ」
「いや。先にまわってんだ。んだ。落ちたの先だった奴らから探してんだ」
「ずいぶんと罵ってくれたよなああ」
「やめ。休戦ぞ」

「畜生。あのフンドシ船乗りたちめ。おれたちを見捨てやがってからにい」
「あちい。水う」
「天気良すぎのため雨はとうてい無理でしょう」
「あちい。死ぬう」
「あんたら漂流はじめてかい」
「あたりまえだ。あんたは」
「おれなんかもうしょっちゅうだ」
/ ☆291

 漂流の空は続いている。どこまでも。どこまでも。どこまでも。
 ツジ・カワナニの南門へも続いている。

 桃をかたどった丸い紋章の刺青。イヌの左胸。イヌは寝ている。目を開けたまま。天井を見つめている。
 裸のイヌは起き上がり掛けておいた着物に手を伸ばす。その細い背と足。こけた尻。女も起き上がった。
 着衣を整えるイヌの背に上掛け一枚の女は訊いた―こんどいつあえる。
振り向いて袖をまさぐるイヌに女は言った―いいよそんなん。
イヌは銭を布団にばら投げて出ていった。
 昼下がりのカワナニの街。屋根が覆い昼も暗い路地の道。ところどころに灯りがともる。まだ人は少ない。イヌが歩いていく。ゆるやかな坂。ゆらりゆうらりと。
 店支度するおやじがイヌに気づいて喜び言った―よ二枚目。
「たまにゃうちにもきてくださいな。お代はいりやせん。頼みやしたよ」
イヌは通り過ぎる。かすかに口もと笑んだようにも見せた。
 午後。イヌは階上のいつもの場所にいた。見ていた。遠く馬車がいく。四頭立ての馬車。遠く―。

 幼い日モモはイヌに見せた。家の部屋の奥にしまってあるいくつもの鎧兜と刀。驚くイヌをモモがほくそ笑む。
―じいちゃんがとっておいてくれたんだ。おれのために。むかしおれが生まれたころに集めたんだって。ほらイヌ。これ持って。これイヌにあげるからな。
 モモは刀の発する威厳にもまったく動じず。少し怯えるイヌに手渡した。
―おれにはこれがある。ほら同じだ。ここに紋があって長さも太さも。一緒の刀だよ。
―モモ。ありがとう。おれうれしい。 ☆292

 ツジ・カワナニの街は夜。続く屋根屋根の先に座り動かぬ男が影。近寄り見れば足元の置かれた刀の黒光り。その鞘の紋と柄のつくり―。その鞘の紋と柄のつくり―。
―ああ。おもいだした。あいつだ。ツジ南門の屋根にいた男。
振り向く影。細くつりあがった目。こけた頬。あごの細く長いひげ。イヌの顔。
―あの男だ。あの男の足元にあった刀。あの男が君と同じ刀を持っていた。
 おもいだされた刀が青空を舞っていく幻よ。刀は回転しながら空に浮く鞘に納まっていく。宙に立つ刀。鞘には桃を模した丸い紋章―。
 サルはおもいだした。起き上がって漂流の海。

 三人は海に立ち泳いでいた。サル、モモ、賊。漂流の経験がしょっちゅうあるという賊の意見に従うことになる。
 沈んだ中型船から出た大きな木片は周辺にまとわり浮かんでいた。それらをさらに集めつないでいった。中央には高さを作っていく。三人が雑魚寝しても波がかかりにくくできた破片の筏。
 賊が言うには夜に鮫がくるという。水につけたままの手や足を持っていかれるのだそうだ。誰も出血していないからまだ良いほうだと言った。
―夜まで漂流すんのかよ。
―朝はかなり冷えるぜえ。
―朝までいくの。
―おはようございますううう。
 木っ端な木片も集めるだけ集めた。筏の上で日干しする。夜にそれで焚き火するのだそうだ。明るい昼間より暗い夜の方が見つかりやすいらしい。どこぞの船が自分たちを探してくれていればの話だが。
―夜の沖に出る船なんてないでしょ。
―いや、おれたち海賊は夜の沖にも船を出す。
 筏の下の海を何か巨大な影が泳いでいる。モモが見つけた。
―何あれ。
―ダイオウイカだ。 ☆293

ゆらりゆらりこ サルがゆく

ゆらりゆらりこ モモもゆく

ゆらりゆらりこ イヌつづく

ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこ

どこへゆくどこへゆく


ゆらりゆらりこ 西へゆく

ゆらりゆらりこ 東へも

ゆらりゆらりこ 北南

ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこ

どこへゆくどこへゆく


ゆらりゆらりこ 人あやめ

ゆらりゆらりこ 人たすけ

ゆらりゆらりこ いにしえの

ゆらりゆらりこ ゆらりゆうらりこ

どこへゆくどこへゆく ☆294

つづく

269~294 400字詰め原稿用紙80枚



















.

鐘の鳴る 254~268

.









 ハチは裏間から握りに入った司の気を読んでいる。司は通した、本台に上げた、ヤチを。単騎できた。
 /これまでは相手は連賭け、番いで上がってきた。今回は一対一。七枚目の気が司に伝わってくる。熱い。三人組のひとりが七枚目と戦うことを聞きつけて他の壇にいた見世が次々と九ノ壇に入って来る。
 裏間のハチはのぞき窓から戦況を見ていた。聞いていたのは過去三回、-張り振りしたのは若いふたりのみ。年長で長髪の男は采を振らなかった。/戦ったのはふたりの若い男。十、九、八枚目の三人、このふたりに倒された。
 たいした筋だ。ハチは眼下の身元不明の年若い男に感じていた。自分と同じくらいの年か。/燃えてくる。
 /☆254
 親である側は両手の平に采を渡される。采を盛る(もる)という。ひとつずつ、両手に、司から。盛られた采をその両手に自由に遊ばせる七枚目。★255
 司の掛け声にあわせて見世は手を打った。/司の煽り。さらに手拍子を加えさせる。除々に激しくなっていく。七枚目の本台と脇台の周辺は騒ぎ。
 七枚目は見せの状態のまま動かない。集中していた。受ける子のヤチもそれは同じ。掛け声と手拍子の波を越えて今、ここにいる。真剣。
 掛け声が止まる。/七枚目。練り蓋落とし。 ☆254

 /
 ▲234 ▲254
 男たちの歓声。賭場からの離れにいるカワナニ。-にも聞こえてくる。伝子が走って告げに来た。/座敷に広げられた各壇の見取り図。金額を表す駒と石玉がその都度動かされる。
 カワナニと三次、ほか側近の何人かが見つめた。/賭け金は上がっていく。賭場に薬をまわすように指示された。立ちこめはじめる煙。さらに興奮していく。/

 ハチは裏間から身元不明の若い男の練り張り振りを見ていた。確かに上手い。/ハチは局が進むうちに相手の張り振りが本土のものではないと確信していった。
 対する七枚目と同等、もしくはそれ以上の力量の持ち主。腹も据わっている。/死ぬ気で張り振りしている。/
 司も若い男を伺っている。場を煽りながらも、その若い男を生かして帰してやりたい、そう思うほどだった。汗が噴く。 ☆255

 /九ノ壇は燃え上がった。/見世が入りきれない。/
 /
 薬の煙が各壇内を流れていく。それは渦を巻いた。酒も入る。カワナニの賭場では一級の酒が飲める。それは嘘じゃない。カワナニは上級酒のみ賭場へと入れた。先にまわされた薬と同じように盆に乗った酒瓶と杯が次々とまわされていく。金は次々に張られて飛んでいく。
 三人のうち年長の長髪の男は五ノ壇、四ノ壇とまわり見るだけで握りにはこない。あとひとりの若い男も七ノ壇の新八枚目の台を見るだけで握りにはこなかった。伝子たちは裏間で九ノ壇を見るハチにその状況を伝え続けていた。三人のうちのひとりが今、七枚目と叩き合いの真っ只中にいる。
 ハチはだいたいを見てとった。/奴の腕は悪くない。ただ自分の方が上。負ける気はまったくしない。
 例の三人組のひとりだと見世がどいた。長髪の男が九ノ壇へ入った。裏間からその男を見続けていた役者連中がハチの側へと戻ってくる。/
 ハチは残りの役者全員を指さし、壇の方を手でつついて見せ九ノ壇へ降りろと命じた。残りの役者は九ノ壇へ次々に姿を現した。見世がどきながら歓声を上げる。歓声はカワナニたちにも届いた。/皆その音を聞いている。
 役者はそれぞれが独自に特徴ある着衣をまとっていた。色、形。/役者の集合、普段はない話だ。
 見世からは掛け声がかかった。六枚目、いよっ五枚目と次々に。各台の張り振りは一時中断した。/さらに大きな盛り上がりの大歓声をカワナニは聞いた。
 ハチである。ハチは素っ裸で、フンドシ一丁で九ノ壇へと降り入った。 ☆256

 二枚目と叫ぶ掛け声。普段持ち金の都合で一ノ壇へ入れない見世も二枚目を張る男だというハチの姿をはじめて見た。
 フンドシ姿のそれは背が高く痩せてあごひげを細く伸ばしている。左胸に刺青をしていた。それは桃をかたどった紋章。
 ハチが見世で溢れる涯を進んで行く。進んで行くハチをよけて見世は次々と引いた。肩を叩いて声をかけるような人相でない。ハチには人を引かせる威厳があった。
 二枚目、二枚目と興奮する壇に掛け声は上がる。三人組のもうひとりの若い男、春亜が九ノ壇に分け入った。
 ハチは七枚目の背後、台、その真後ろに立った。七枚目の頭越しに、対面で張り振る身元不明の若い男を見てくれる。瞬間、目と目が合う。
 フンドシ男が七枚目の後ろに立ったのを見て、春亜がその台へと急ぎ寄る。張り振る若い男、ヤチの背後に立った。そこからハチをにらみ返す。
―いい玉だ。
 双方、対面に立つ相手に同じく感じた。
 カワナニの役者たちもフンドシ男の両側へと寄ってきた。相手、年長の長髪の男も台対面にゆっくりと寄って立つ。台を通し、にらみ合う。
―いい筋だ。
 玉と筋。男同士の戦い。
 この間も七枚目とヤチは戦い続けている。双方、壇内の熱気と自分の勝負運への興奮で、ゆであがりそうになってさらに打ち続けていた。
 台の両側に揃った勝負師たちの面面を感じ、仕切る司も興奮する。熱気は毎度のことだが、今回は趣が違う戦い。/
 よぉ~ぱんぱん よぉ~ぱんぱん ぱぱぱん ぱぱぱん
 渦巻く煙、酒のまわった見世。ふたりはいい勝負をしている。脇台の見世も皆大喜びをしていた。掛け金を投げ使いはじめてくる。
▲258  ☆257

 ハチは対面の年長、長髪の男とにらみ合っていた。面長。こぎれいな服装。眼光は鋭い。ハチは三人の親玉がこの男だと踏んでいた。
 それぞれの壇で打っていた八、九枚目が騒ぎに入って来る。フンドシ男の目線の先にいるふたりを見てにらんでいた。
 七枚目とヤチの戦いは五分。七枚目は破られなかった。司はそれ以上、台上のふたりには采を振らせなかった。ゆであがった七枚目とヤチの下りたその台にハチは上がる。
 見世はどよめいて喜んだ。九ノ壇で二枚目の采の振りを見ることができる。☆258
―ハチがフンドシ一丁で九ノ壇で戦う。
伝子の知らせにカワナニ以下、離れの間は緊迫した。★257
 ここで三ノ壇、四ノ壇からの司たちが入り九ノ壇を引き締めようとした。ハチの上がった台も司が替わる。新たなその司は二ノ壇の精鋭。脇台も上位の壇からの司たちが新たに立ち上がった。
 司の新たな握り。長髪の男が握ってくる。ハチは座ったまま相手方をにらんでいる。司はほかの見世には握らせずその男を台へ乗せた。さらに両脇の若い男ふたりも。相手は三人、連賭け。
 ハチの背後には涯にへたり込んでいる七枚目以外、三枚目からの役者全員が立ち並んでいた。ハチは誰にも声をかけない。一人、単騎で受けた。
 よぉーぱん よぉーぱん よぉーぱんぱん よぉーぱんぱん ぱぱぱん ぱぱぱん
 親ではじめたハチは子成りする。相手に振らせた。
 先に七枚目と戦っていたヤチは、戦いの熱風に吹かれ続けた後にある。新たにはじまった戦いの台座にあったが放心していた。/
 もう一人の若い男、春亜が振った。盛り見せ練り蓋落とし。戦いのはじまり。
 張り振りは進む。ハチは裏間から先のもう一人の若い男、ヤチの戦いっぷりを見ていた。今、相手の振る采。最初の若い男と似た形を持っていると見た。
 三対一。向かって左、長髪の男はハチの様子を見つめている。局が変わる。ハチが親に。
 ここ一番、ハチは見せた。盛る。見せ。練る。采に蓋を落とす。―それは美しい。
 囲み見る見世はため息をついた。賭場名門カワナニの二枚目の振り。その采の振りは対する連賭けの三人も、これまでに見たことがない手業。
 司もほかの役者たちも自慢したくなるほど美しい。それがハチの振り―。 ☆258

 ―燃えるぜ魂。
 連賭けの相手は勝負途中、若い男の単騎に変わって張って出た。それでもハチは相手を撃破する。その若いひとりを今度は逆に破産させてやった。
 フンドシ一丁。穴尻と玉筋から出た本気汁が台を濡らす。相手を追い詰めてブッ倒してやった。
 大歓声が離れにも届く。広げられた見取り図の上で大量に移動された玉石と木札。カワナニは見つめていた。
 各壇にまわされた薬と酒は質も量も相当で吐く者が続出。それでもさらに行け行けと司たちは煽り続けた。/
 ハチの対面に座る三人のうち、年長の長髪の男がついに真ん中へ座った。ハチと激しくにらみ合う。/
 /その男とハチとの単騎どうしでの戦いとなった。
 男は座ったまま上着を脱いだ。痩せてサラシを巻いている。両腕の肩から肘にかけて敷き詰めたように細かな呪文のような刺青がある。
 にらみ合う。歓声と共に。大汗かいて上等。にらみ合う。
 ハチは子成りする。相手の長髪の男に振らせるため。一瞬静まった。
 その男の見せ練り蓋落とし。
 見世のどよめき。あまりのその上手さに。
 戦いは延々と続いていった。どよめきは続く。
 あとはハチも腕の見せ所だった。いいように振らせ賭けて戦いを続ける。
 一方でハチが考えていたのは別のことだった。
こいつらは間違いなく南土から流れてきた連中だ―。
 南から来た、普通じゃあない―。
 ―南土から来てる士、この三人はオロチなのか。
 年長の長髪の男は最後までひとり戦い続けていた。本土の人間たちに取り囲まれるのを当然として。そこにハチは南土から乗り込んできた男の執念を感じる。
 ハチは、その男も破産に追い込んでやった。勝負が終わる頃には見世の誰も声を上げなかった。長髪のその男は両腕を台に突っ伏して本気汁を流していた。 ☆259

 離れの間に伝子が伝えた。ハチが二人目を倒したことを。カワナニは笑っていた。
 九ノ壇は燃えている。先に七枚目と戦い五分で終えた若いのがまだ台上にいる。ハチは次にその男、ヤチと戦う腹だった。三人ともブチ倒す。絶対的な自信があった。殺す。
 しかし司はここで勝負を止める。それ以上の采を振らせないように脇司からも圧がかかった。
 三人は帰っていった。生きてツジ・カワナニの市を出た。身元不明のまま。
 結果、七枚目と五分の戦いをした若い男の持ち金が三人の取り分となった。微々たる。この一夜でカワナニの財は増えた。見世がいつもよりも金を使ってくれたおかげで。
 役者が倒されるかもと言われていたのは昨日。すべて回復、それ以上になって返ってきた。だから打つのはやめられない。☆260
 今夜の勝負はしまい。賭場にいた客が次々と出て行く。周辺の店店へ、さらに南門大長屋から出てツジ内部へ。散っていく。★262
 /例の三人組がまた押し入ったが二枚目が引き受けて撃破した☆260-という話で声高くしていた。それにしても眠い。★262
 市全体へ事の結末は伝えられていった。そのまま朝へと向かう。

 ハチがいつも座っていた階上の場所。南門に続く屋根屋根の見える。辺りはまだ薄暗い。
 南門を出て歩いて行く三人の姿が見えた。/ツジの外壁沿いの道を外れて南門からまっすぐ、ゆるやかな草原の坂を横切って行く。カワナニの何人かがその遠ざかるのを確認していた。
 /その草原をフンドシ男が駆け上がって行った。去ろうとする三人を追う。手には刀を持っていた。
 三人は追手に気が付き逃げた。三方へ散る。フンドシの男はそのうちのひとりを追った。七枚目と戦い五分で終えた男、ヤチを追った。追うのはハチである。自分と勝負せずに賭場を出た男を斬り殺そうとした。
 一度斬りつける。男はそれでも走って逃げた。
 南門を見張る連中もその様子を見ている。
 明るくなっていく。地平の影が確認されるように。
 灯りが点る。それは地平に次々と広がり見えた。ハチはその様に追うのをやめる。いつもの地平に五十の松明の光。逃げる男、ヤチはその方へ走って行った。 ☆260

 明けていく地平。松明の灯り。それが騎馬の集団だと影でわかる。
 ハチは思い返していた。昨日の夕方。暮れる地平に松明がひとつ消えた。奴らこの周辺にすでにいた、潜伏して夜明かししていた、賭場の大騒ぎに乗じて。/
 地平に並びうごめく五十の影。/それぞれが持つ松明のゆらめき。逃げた三人がその中へ吸収されていくのが見えた。
 松明のゆらぎの中から一本の火矢があがる。ハチもそれを見上げていたが、それが自分を目指して落ちてくるので草坂にもんどりうって逃げ飛んだ。
 火炎と鈍い音とともに火矢はハチのすぐ近くに飛来した。振り返れば地面に突き刺ささった矢。ハチはすぐに寄って矢を見、抜いた。
 矢は長く、さらに重い。ハチはそのような作りの矢をはじめて見た。この遠距離を飛ばすとすればこのような長く重い矢しか届かないのだろうが、これほどの矢を飛ばす弓を引く力を持つ者があの松明の光の中にいる。
 松明の灯りから火矢がさらに連射されるのが見えた。どうやら松明の光の中にいる屈強な弓を引く者はひとりじゃないらしい。明けていく空を渡っていく火矢の数々。その美しきこと。そう見ていたうちにハチのまわりに次々と火矢が届きはじめようとした。
 ハチは南門へと逃げ走った。その草の坂を転げるようにして。
 地平の騎馬団はゆるやかな坂を下りゆっくりと南門へと来はじめていた。その松明の列。
 それらの不穏に敵襲を知らせる高笛が南門に鳴り響いた。鞘に収めた刀を握るフンドシのハチが閉じられようとする南門に走り帰ってくる。南門前でハチは振り向いた。その胸の刺青と同じ紋章が鞘にもあった。/
 ハチが南門へ入ると同時に南門は閉じられた。東西北へ閉門を命じるホラ貝の音がツジ内に響く。騎馬団はツジ南門の前面でふた手に別れた。一方は西門へ、一方は東門へ向かっている。騎馬群が通過していく。その轟き。 ☆261

 ▲260
 /

 /
 騎馬たちがツジの外塀を外周して行く。松明の灯りがツジ外縁を囲んでいく。高台の道からそれが見えた。
 高台からはツジを取り囲んでいた松明が南門へと移動して集まり行くのが見えた。松明は再び南門の前面に集結した。/空が明るくなっていく。
 南門が開いた。数人が出て来る。先頭を歩く小柄な老体はカワナニ。ほかに若頭、三次、ふたりの側近を連れて出た。/
 騎馬団から二騎、カワナニたちの前に進み出て来る。ひとりはやせておりひとりは赤かった。門から進み出た五人を馬上で迎えた。
 「俺がこの市の元締めのカワナニじゃ。おまえさんたちは士だな?どこのどいつだ。/聞かしてくれや」
 馬上のふたりは答えない。
「三人とも無事に帰したろうが」
馬上の赤い男が後方の騎馬団に手を上げた。そこから出て来た三騎は例の三人だった。カワナニの前に並んだ。南門周辺の屋根にもカワナニの数十人が立ち見する影。朝日が射しはじめる。☆262
 まちがいない、この三人ですと三次がカワナニに言ったとき、向かって右端に立つ男、それはハチが走って追った男、ヤチであったが、その胸に矢が突き刺さった。鈍い音。
 カワナニたちが振り返り探せば南門屋根の上に弓を持ち立つハチがいた。射られた男は倒れたが死ななかった。騎馬団の男たちはざわめいている。★263
 馬で進み出て来たふたりのうち、やせた男が馬から降りてカワナニの前に片膝を折った。
「私はイバラキと申します。お許しください」

 朝―。
/カワナニはイバラキに斬り殺された。 ☆262

 /

▲262

 /

 騎馬団が南門を離れていく。/空に白い月。巨大な鳥が旋回する。カワナニは自身のすべてを終わらせた。/
 /
 カワナニはいつもの場所に戻った。離れの間に眠っている。 ☆263

 ハチはよく夢を見た。いつもの。幼い時の頃。
 ハチは遠い山の奥で生まれ育った。炭焼きの集落が集まる川沿いの村。
 ある時から新しい家族が近くに移り住んで来た。おじいさんとおばあさんと。男の子がひとり。
 男の子は自分より年が下で。モモっていう。
 毎日歳上の連中と遊んでいるのが嫌だった。使われるだけで。
 それでモモの家に行ってみた。おじいさんとおばあさんは優しく迎え入れてくれた。ご飯をごちそうになって。うまいものがあることを知った。
 それから毎日モモの家に遊びに行くようになった。楽しかった。
 モモにこのあたりの山や川の地形を教えてやった。
 モモのおばあさんが団子を焼いて食わせてくれる。
 こんなにうまいものがあるのかって思った。

 今日は朝から出て帰りは夕方になる上流の場所に行くからって。食うものを持って出かけた。
 自分は半生の芋を三本持ってった。裸のまんま。モモはしっかりとした弁当を持ってきた。モモのおばあさんがこしらえてくれた。
 昼飯に食べようって。芋かじっていたら涙が出てきた。モモの弁当が立派だったから。モモが「これ食え」って弁当をくれた。
 「毎日、こんなうまいもん食ってるのか」って、訊いた。モモはそうだと言う。かわりに自分の芋を食って「まずい」と言った。
 モモはたき火して焼き芋を作ろうとした。火をおこしてふたりとも眠っていた。その間に火が広がった。山火事になった。
 その場所は伐り出しの場所だった。大人たちがやって来て俺たちを連れて殴る蹴るした。とくにモモがひどくやられて気を失った。
 俺は思ったね。この大人たちをいつか全員皆殺しにしてやると。 ☆264

 / ☆265

 /

 サルがヒロシマの市で聞いた。
 捕獲された太陽と鉄。連行される途中、全員皆、河へ飛び込んだ。渓谷で。馬もろとも。
 いかれている。皆そう、噂していた。

 夢なのか―。夢のようだ、すべて。何もなかったように流れていく。

 /

 太陽と鉄は生き残って大蛇と合併した。
 そこで新たに鬼と名乗った。/

 / ☆266

 「ハチのことをはじめて見たのは二年くらい前じゃの。海沿いに何とかいう町があっての。まぁ繁盛しとるらしかったが、そこに小さな賭場が開いとった。ハチはそこで采の張り振りしとったそうだ」
 「三次の一番上の兄貴がまだ生きとった頃だ。ツジへ連れて来たんだよ三次のすぐ上の兄貴と一緒になって、ハチを。大金で買い取ってきたって、連れてきたよ」
 「確かにハチの野郎は、おれが今まで見た勝負師の中でも十の指に入る腕はしてる。左に曲げる、右にも曲げてくる。相手が途中で泡吹きたくなるような巧さだ。速さもあるがとにかく美しいと思ったな。ハチが戦う台をはじめて見たときに、そう思ったよ」
 「それは間違いじゃなかった」
 「あんな手技と勝負勘どこで覚えたんだかは知らねぇが、おれは迎え入れたわけだ」
 「最初っからハチは誰ともしゃべらね。口きかん男での」
 「ありゃあ口がきけねぇんじゃあねぇ。口きかねぇでいるだけだ。てめえ勝手な野郎だ。しかも奴ぁ耳がいい、おそろしく耳がいい。それと足な。とにかく足が速い」
 「おれがいちばん驚いたのは、野郎が刀を持ち歩いていたってことだな。ハチが、あの若さで、このツジで無敵の勝負師でいられるのは刀のせいもあるはずだよ」
 「刀使う役者なんざ、聞いたことねぇがな。ハチがそれですよ」
 「野郎が左胸に入れてる刺青の紋章はの、野郎の持つ刀の鞘にも刻印されてるらしい」
 「ハチってゆう男の子はな。何かを待ってる、だからしゃべらずにいるんだ、息を殺して。誰か人を待ってるのかもしれねぇな。おれの読みだがよ。好きな人をよ」
 カワナニが酔い語っていた。 ☆267

あなたの瞳に起こされた

今はまだ

まるで夢のよう

とても

あなたのまつ毛の感触が

今もまだ

指先に残されて癒えぬままに

時だけ過ぎて

まるで夢のよう

とても

あなたの瞳に犯された

今はまだ

まるで夢のよう

とても ☆268

鐘の鳴る 第五章 終

254~268 400字詰め原稿用紙45枚



















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