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通常、海外で収入を得て働くということは、
結構ハードルの高いことなのですが、
30歳以下の若者に限り
1年以内(オーストラリアは、ある条件つきで最長2年まで)なら
仕事で資金を補充しながら滞在ができるという
とても自由度の高い滞在が許される国家間で決められた制度です。
もちろん『働く』ということだけに限定されたものではありませんので、
1年間遊んで過ごしてもいいわけなのですが、
ここでは、海外で1年間遊んで暮らすということに
ついて取り上げるつもりはありません。
本来の意味は、世界中の若者達に広く見聞を広め
多様な社会での体験や交流をしてもらうという
制度です。
日本の大学生や社会人も多く利用している制度で、
1年間過ごすための資金を補うために、
現地で仕事をすることが許されるとてもいい制度です。
ところが、この制度は、30歳以下の若者に限られていますので
大学在学中に休学をするか、
または卒業後に就職をする前の時期か
あるいは、一旦就職をしたら、仕事を辞める
しか時間が取れない事になります。
ですから、遊びや観光半分でと言うよりも
おおげさでなく生き方のひとつの選択というレベルで
考えたほうがいいことかもしれません。
海外の多くの国では、高校や大学を
卒業した後GAP YEARと呼ばれ
社会にでる前に、多くの社会体験や国際ボランティアなどの
経験を積むことを企業も奨励をし、社会的な認知を得ていますが
日本の現状では、まだそこまでの認識は無いのが実情です。
キャリアとしての価値も資格もあるわけではない
制度ですが、
個人の資質を高める能力と武器を身につける手段として
この制度を捉え、現実的に現地での資金準備を
必要最小限に抑える方法を考えてみたいと思います。
円安で夢が遠のく!?・・・・・
昨今の円安は、輸出企業には大きなメリットとなりますが、
留学やワーホリでこれから海外を
目指そうとする場合には、大きなデメリットとなります。
特にオーストラリアの経済は、活況で対円安だけでなく
物価もうなぎのぼりです。
この15年の間に、約2倍から3倍になったものもあります。
特に都市部での不動産価格の高騰は、
家賃などの住居費用にも大きな影響が出ています。
一方物価が上がっているということは、比例して
所得も上がっているという点からは、健全な成長を遂げているわけです。
本来日本もそうあるべきだったのですが、
反対にデフレで物価は上がっていませんが、所得も下っている傾向が、
余計に資金準備の調達を困難にしているように感じます。
円安デメリットを$高メリットにする発送の転換。
大体ワーホリを決心したら、まず資金作りを考えるというのが
いままでの通説でした。
滞在先での資金に不安を感じてしまうのが理由です。
実際入国の際に、復路の航空券を持っていない場合
資金証明として、預金の残高証明書の提示を
求められる場合もあるのです。
しかし昨今の円安を考えたら、段々夢も遠のいてしまいます。
発想をすこし変えてみると、
もし現地で収入を得ることが可能なら、
円安の日本で資金を準備するよりも
ドル高メリットを考えればいいわけです。
そうは言っても現地での資金の不足を
考えるとなかなか思い切っての決心が出来ません。
何故不安になるのか?
その理由は、ワーキングホリデイビザのルールとして
どうしても不安を払拭できない理由が存在するのです。
その不安を解消できれば、
もっと早いタイミングでの決断が可能になるのです。
意味があります。
海外の語学学校に通うと、実践的な会話の環境を
作る方法として
午前中は教室の中で基礎的な事を学習し、
午後は教室を飛び出して野外活動を行うという
プログラムが一般的です。
午前中で学習した内容を、
午後の野外活動で実際に使わなければ
ならない状況を強制的に作るのです。
実践会話でのコミュニケーションに緊迫性を持たせます。
要は、英語しか通じない環境に浸りきって学習するのです。
私は、英語の単語や文法さえ一生懸命勉強して覚えれば、
ある日、突然人前で英会話で話ができるようになるだろうと
長い間思い込んでいたのです。
どれだけ英語の勉強に時間を費やしても使いこなす事が
できるようにならなかったのは、
この考えが原因でしょう。
英語は慣れていく時間が重要なポイントです。
相手が何を言っているのかサッパリ分からなくても、
自分の言いたい事が上手く伝わらなくて、
もどかしい思いをしても、
その環境からすぐに逃げ出そうとせずに
浸り続けることが大切です。
「慣れると、いつの間にかできるようになる」
というのが私自身、
実体験から導き出したシンプルな答えです。
自分が使いこなせてない状況の中でも
その場に居続けるということは
結構辛いことなのです。
言葉やコミュニケーションは生き物です。
実際の日常会話は、様々な条件に影響されながら
やりとりされます。
相手の年齢、癖やキャラクター、バックボーン
その時の回りの状況や
環境自分の気分や感情シチュエーション、
幼児言葉や若者のはやり言葉や地域性
基本の形やルールをある程度学べば
あとは頭で学ぶより、
体で慣れるのです。
慣れてくると、何だか楽しくなってきます。
そうすると、今まで「しなければならない英語」だったのが
趣味やスポーツのように
「やりたい英語」になってくるでしょう。
写真は、ADVENTURE EDU.と言って
様々な冒険アクティビティを
提供しているオーストラリアの野外教育施設での様子です。
指導しているのは、れっきとした先生たち、
冒険教育専門スキルのライセンスを持ったプロ達です。
オーストラリアやニュージーランドに、限らず海外では、
このような施設があちこちにあり、
また実際に恵まれた大自然の中でもこの要素を
うまく取り入れた面白い
プログラムがたくさんあります。
興味深いのは、海や山、川などの実際の大自然の中で
行われるプログラムは
ファーム(農家)や牧場なども大きく関わり
小さな町や村でも農家の人達にそのスキルと教育力を
持っている人たちがたくさんいるということです。
公教育にも盛んに取り入れられ、各学校にも
専任の先生を置いています。
野外での様々なドキドキするようなプログラムを
作り子供達に提供をします。
一瞬危険と思われるようなアクティビティの中で子供達は、
目を輝かせながら
環境教育やリスクマネージメントや
チャレンジの面白さ、
1人で出来ないことなどを身を持っての体験、
人間関係を作るプロセスを共有しながら
学んでいくプログラムです。
日本の子供達は、現実の緊迫した状況の中で
コミュニケーションスキルの
トライアンドエラーの繰り返し肌で学んでいくことが出来ます。
そして田舎に行けば、ローカル色のつよい地元の人達から、
言葉だけでなく飾らない生きた生活や習慣などを
同時に体験することができるのです。
先日地元のある国際大学の
世界19カ国から集まった
学生たちでチームビルドの
野外プログラムを行いました。
初めて会った者同士が、お互いに打ち解けて
一つの目的を達成するという内容です。
(「チーム・ビルディング」と言います)
私は、
指揮をとった指導員の方と一緒に
彼らの目標がどう達成するかどうか、ワクワクしながら見ていました。
結果は写真の通りです。とても興味深いものでした。
ただ残念な事に、このプログラムを実施するに当たり、
使用された言語は英語でした。
「残念ながら・・・」に深い意味はありませんが、
英語がもっとできていれば!と
自分の英語力に対して悔しく思ったのでした。
実は「異文化」や「多文化」にも深い意味は無いと思うのです。
青森に住む人が、鹿児島での生活体験をしてみるのも
異・多文化の受容です。
都会で生活している子供が、山里の生活体験をするのも同様です。
また宗教にも同じことが言えます。
日本国内で体験する他県での生活体験はそんなに難しく
構えないのですが、
国境を越えた異・多文化に対しては過敏に媚びたり、
優越感や反対に劣等感を感じたりしてしまいがちです。
過去、何人もの学生さんを連れて海外へ研修の為に
ホームステイや
ファームステイへ出かけましたが、
私たち日本人が異・多文化に対応するのが
いかに不得手な国民であるかを
何度も思い知らされました。
頭では何となく分かっていても、
こればっかりは知識だけで解決できないようです。
「慣れ」や「経験」は教室の中で机に向かって勉強しても
会得は難しいようです。
実際にその場で、その時間を過ごす事でしか理解する方法はないのです。
そして、この体験に一番適している時期が、中学・高校時代なのです。
この時期を逃すと、異・多文化にアレルギー反応が出て、
苦手意識から一生逃げて回る傾向があるようです。
かといって高校の修学旅行で海外へ行き、
ホームステイをする体験は、
全くナンセンスだ!と、ある日本人の方が嘆いていました。
彼女は、日本の高校生が修学旅行で訪れるオーストラリアの
とある町に住んでいます。
「日本人の高校生には、是非ここに来て色々な体験をして
欲しいと思うけれど、
できればあんな形(修学旅行)では来て欲しくないんです。」
との感想です。
同感です!
でも、日本人の修学旅行生って、そこに暮らす人たちの目には
どう映っているのか?
以前聞いてみたことがありました。
ある人は、「制服姿の人が隊列を作ってゾロゾロと歩いていたから、
軍隊かと思った!」
(あゝそういえばセーラー服って軍服だ!笑)
ある人は、「まるで数百頭の羊の群れをシープドッグ(牧羊犬)が
追っているみたいだった。」
(生徒の群れを先生が追っている姿がそのように見えたらしい)
と、ちょっとブラックジョークみたいに受け止めているのです。
4泊6日などの短い期間でオーストラリアやニュージーランドを
訪れる学校は昔に比べて多くなりました。
短期間で、しかも1家庭に4~5人の学生が一緒にお世話になっている。
こんな内容で「異文化体験」になるものでしょうか?
ニュージーランドの片田舎の町に、大型バスで押し寄せて、
2~3日過ごしたら帰っていく。。。
まさに「テーマパーク」状態なのです。
本当に異・多文化体験をしてみたい、
させてみたいという思いがあるのなら、
学生の皆さんは、もう少し長い時間をかけて、
その国の「素顔」を見る必要があります。
「他人と同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、
そもそもの考え方の基本は
「そこに生活する人と同じ生活、同じ食事をする」ことからの
共感からだと思います。