ドンッ開運陰陽師【賀茂じい】でごじゃる。ドンッ


今日も、あなたにお会い出来て

わしゃ、とっても嬉しいの~



【賀茂じい】の秘密!【第2章】


導管 斎藤雅英のところに

やって来た理由の話をしようかの!



【陰陽師が我が家にやってきた日(第2章)】

我が家に来てくださっている「陰陽師・賀茂忠行様」。
通称 “賀茂じい”・・・私と夫はこう呼ばせて頂いています。
私と夫に見える姿は、白の直垂(ひたたれ)で烏帽子を被ったおじいちゃまのお姿です。
何故、夫のところに来てくださったのか・・・。
弊社の本体は零細の製造業です。24年前に夫が独立をしました。
当時私は広告代理店に勤め、営業や編集などの仕事をしていたのですが、
ある日突然「一緒に仕事をしよう!」と思い、共に製造業の道へ。
それと同時期に、霊能者だった私の叔母に
「お前達、商売をやっているのだったら○○神社へ行ってごらん」
と言われたのがきっかけで、夫と共にスピリチュアルの道に入りました。
20代後半から 30代は、神社仏閣参りから滝行まで、目一杯やっていました。
ただ、“行を積む” という意識ではなく、滝行にしても、非日常の空間で、
精神的に何を積み重ねてきたのか、一年を省みる場所にしていたり、
多くの神社仏閣は自然の中にある事が多いので、葉一枚落ちるのを観て「あっ、そうか!」、
川の流れを見て「そういう事だったんだ!」と、その時抱えていた問題や気づきの場所としていたのです。
本題の製造業ですが、法人にしたのが平成元年(1989年)。
それこそバブルの時代です。
工場を新しくし、面積を広げれば売り上げも上がっていく、そんな時代背景でした。
機械などにも多額の設備投資をしました。
が、忙しければ忙しいほど夫も私も感覚的に
「このまま行ったら弊社はダメになるな・・・」
と感じてはいたのですが、とにかく目先が忙しく対処をするまでにはいかなかったのです。
そして、(第一章)
で書いたような賀茂様の出来事があり、その後バブルがはじけ、三年後には業績が下降。
何か対処しなければ・・・と思いながらも製造業以外のことは考えませんでした。
良き人様のご縁を頂いていましたので、神様に守られていると信じ、何とか運営は出来ていたのですが、業績はなかなか回復しませんでした。
2003年のことです。
その前年まで、2年任期で群馬県の “キャリアアドバイザー” というものをやっていた私に
講演依頼のお話がきたのです。
すでにその時は「ヒーラー・チャネラー」で相談事にものっていたのですが、仕事にはしていませんでした。
言葉で人の人生を大きく左右してしまうこともありますし、会社の看板を背負っている・・か、
子供もいるし・・・とか出来ない理由を挙げながら過ごしているうちに、違うところからも講演依頼を頂き・・・。
考えた末、「必要としてくださる方がいるなら表に出よう」と腹をくくったのが
お話をいただいてから半年後のことでした。それが今の仕事のスタートです。
その根底には、製造だけに依存するのは危険・・・という意識もあったのだと思います。
本当に自分達は何をやりたいのだろう・・・と、今私が皆様に伝えさえて頂いている SQ(魂の役割)を、徹底的に自分達自身に問いかけた時期でした。
その結果、自分達は「元気」と「勇気」と「喜び」を伝えたい・・・。
私と夫の思いは一致。そこがスピリチュアルの仕事のベース作りになりました。
「身体と心と魂は三位一体」というコンセプトの元、エステサロンやセラピスト養成スクールなどに繋がってきました。
夫のオブジェもそうです。
そこから数年後、賀茂じいはやってきてくれたのです。
そしてある時、夫が(前々から宇宙と繋がってはいたのですが)
「白いものを着たおじいさんが教えてくれるんだよね」
と言い始めたのが2年前の冬。
白いものを着たおじいさん?・・・誰それ?
もしかしたら、十数年前に最後の言葉を残さず去ってしまった方?!
そう思い「その時のお方ですか?」
「そうじゃ・・・」とニヤッ!とした。(もちろん夫を通してです)
「お名前を教えて下さい」
「誰だってよいではないか」
呼ぶのに困るじゃない・・・と心の中で思った私。
そしてその話を聞いたサロンスタッフのAさん。
弊社のスタッフは皆ヒーラーでありチャネラーでもあるのですが特にAさんは結構マニアック。
そんなことまで知っているの?!という位、雑学知識豊富です。(怪しいことなど良く知っているのです)
彼女が「賀茂忠行さんではないですか?!」というのです。
すぐ皆でインターネットで調べたら出てきました、賀茂忠行様。
「陰陽師」で「安倍晴明の師匠」と書いてある。
そこには肖像絵もでていたのですが、私達に見えるのと同じ感覚。
さっそく
「賀茂忠行様なのですか?」
と聞いてみました。すると
「やっと解ったかのぉ」
ですって!早く教えてよ!
それから賀茂様と夫と私の生活が始まるのです。
ある時「何で来てくれたのだろう」と私が呟いたら、夫が
「お前が呼んだって言ってるよ」
私、呼んだ?? 呼んでないよ・・・。
賀茂じい(その頃はすでに賀茂じいと呼んでいました)が言うには、
「役小角(えんのおづね)の関係じゃ」。
役小角?!
私はすごく昔から、「今会いたい人は誰?」と聞かれると
必ず「役小角」と答えていたくらい大好きでした。

(何で好きなのか良く解らなかったけれども・・・)
確かに賀茂様は役小角の子孫とは云われている。その関係か・・・?!
でも、なんで??
賀茂じいが現れてから、製造業はリーマンショックに始まり、

ますます悪化の一途を辿りました。
それを乗り越えていく為に、賀茂じいは来てくれたということが

後になってよく解るのでした。
もちろんそれだけでは無いのですが・・・・・・・。

これにて【陰陽師が我が家へやってきた日(第2章)】は終了するがの~

いよいよ、クライマックスの【第3章】も

楽しみにして頂ければ嬉しいの!!!

【賀茂じい】の秘密!【第3章】こちら じゃよ~


 また、お会いするのを

 楽しみにしておるからの~


 感謝じゃよ!ニコニコ