未曾有大被害があったあの日がまたきます。

 

今でも思い出す映像がある中のひとつ

 

震災の翌日ニュースで見た映像の中で

 

川の土手らしきところで小学校5~6生の少女が泣きながら

 

おかぁ~さん おかあ~さんと懸命に大きな声で探していたあの姿

 

あの少女はその後どうしているか?

 

この日を迎えると気になります

 

お母さんh見つかったのかな?

 

あの少女はもう高校生なったかな?

 

今年は10年目なのでNHK、民放の垣根を越えてお互いの放送局の映像を

 

放映するらしいです

 

 

 

この日は我が親分は大学病院で十数回目のレーザー治療していました

 

地震揺れが収まったころやっと電話が通じて姐さんと話すことができた

 

あの日から10年経ったのかぁ~~

 

 

姐さん曰く

 

丁度大揺れの時でどうなるかと思っていたが幸い無事に手術は済んだよ

 

家に居るより大病院なので停電もなく、術後の経過も順調だよ

 

その親分も1月くらい迄は毎朝6時前にはメールが来たが最近は夜の来なくなった

 

寒くなったので朝布団から出るのが億劫になったらしい

 

その親分も支援学校の高等部2年生になり、最近は弟君とも仲良くしてるらしい

 

三日ぶりにメールが来て今日はリハビリで病院に行くそうだ

 

震災の日を迎えるにあたり色々な事を思い出した

 

 

震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈り申しあげます

 

 

 

新年早々Ⅾの心臓バイパス手術で始まり

 

入院中にコロナの発生で混乱の1年の年でした

 

1日でも早いコロナの終息を願ってやみません

 

先日親分に今年最後の年貢を納めた

 

 

今年は親分もコロナの影響で遠くへも行けず

 

毎年楽しみにしている夏休みは

 

Ⅾの家に泊まりに来て

 

ステーキを食べに行ったり、お寿司食べに行ったり

 

する事が出来なかった1年だった

 

でも~親分は太ったよ

 

3連休がある時は親分の大好きな肉を送ったからだ

 


 

(写真はお借りしました)

 

後で日記を読むとÐが入院中以外の月は

 

ほとんど年貢を納めていた事になる

 

それ以外にも

 

親分兄弟の大好きな横浜の萬珍楼の

 

 

肉まん、海老まん、ほたてまん~~その他を

 

送ったせいか親分の下腹が大分大きくなって来たらしい

 

姐さんによると来年からは通院も半年に1度位なったらしい

 

来年はコロナが終息してゆっくり群馬に来れれる事を

 

願っている日々だ

 

毎日朝6時と夜7時に親分をメールくれる

 

このメールが来るとあぁ~今日も元気でいるのだなぁ~安心するⅮです

 

明日はクリスマスイブ

 

皆さん

 

楽しいイブをお迎え下さい

 

そして来年は1日でも、1時間でも早くコロナが終息する事を祈り

 

感染された方の早い回復を願います

 

また、長い間病と闘っている方が

 

今年よりも回復される事をお祈りいたします

 

本年も何の変哲の無いブログにお付き合い頂き

 

ありがとうございました

 

迎える新しい年が良い年になりますように

 

 

 

先日アルバムを整理していたら

親分が顔にレーザー治療をした時の

写真が出てきた

就学直前の治療だったと思う

今は毎朝と夕方には必ずメールがくる

内容は毎日の事なので大事な内容はない

数年振りにこの写真を見たら

その頃の事を思い出て

何故か涙が出て来た

就学前にこんなに辛い思いをしていたのか

この頃からは夜は姐さんの付き添いもない

不安な夜が何日か続いたのに

良く1人 で頑張っていた

こんな包帯グルグル巻きのレーザーを

十数回もしたかと自然と涙が出て
しまう



そして数年後の今日は

2ヶ月に一度のリハビリ、小児科の

診察の為学校を休んでJ大学病院の診察だそうだ

往復の電車の中、病院で姐さんと

バトルを起こさない事を願う

ここの脳外科の先生に姐さんが

この我が儘をどうしたら良いか聞いたら

主治医の先生曰く

病気の方は僕が何とかするけれど

我が儘は僕には治せない

と、言われた

脳外科の先生の診察はないが折角病院に

来たのなら顔出すように言われ

主治医の先生にいじられに行くらしい。

あの日から35年
記憶も薄らぐ歳月の経過
隣の村の大惨事
いまだに鮮明に覚えています
我が家の前の狭い道路も関係者の車で渋滞
暑い日だったので日航のバスは乗降口、窓も全開で
御巣鷹へ向かっている
今日と同じ様に暑い日だった
犠牲者のご冥福をお祈りいたします