ネオ・ビジョンかわら板 -5ページ目

時の施政者をここまでコケに・・・ブッシュさん

「日本人が知らない恐るべき真実」 というサイトで拝見した記事があまりにおもろいので、ここでも紹介。


いやぁ。このニュースはチラとテレビで取り上げていたようですが、ここまで痛快な内容とは。

感心、というよりは、もはや感動しました。


これは4月29日にワシントンで開催されたナショナルプレスクラブという日本でいう記者クラブのアメリカ版が企画した夕食会で、コメディアンのスティーブン・コルベアという人が、ブッシュ本人を目の前にして行ったスピーチ。



ほんと素晴らしいす。いわゆるアメリカンジョーク、つーやつがここまで毒を含ませてやれるとは。


その模様の動画 がこちら。


以下内容全文。


スピーチを始める前に業務連絡です。入り口に黒の防弾仕様のSUV14台をとめた人、車を動かしてください。別の防弾SUV14台が動けません。

 わーお、なんという光栄でしょう。私の英雄、尊敬するブッシュ大統領 と同じテーブルでこんなに近くに座れるなんて。まるで夢のようだ。

 誰かつねってくれないか。わかる? 僕、ちょっと眠たそうでしょ。つねったくらいじゃダメだ。誰かちょっと狙撃してくれ! なんだ、今日は暗殺者は来てないのか。ちぇっ。あいつなら助けてくれるのに。

 それはさておき、お話を始める前に、カクテル のお代わりが欲しい人はそれを隣の人に告げてください。すぐにNSA(国家安全保障 省)がいつものように盗聴して注文をお持ちします。


マーク・スミス と記者クラブ の皆さん、大統領 夫人、大統領 閣下、私はスティーブン・コルベアと申します。今宵、大統領 を褒め称えさせていただく光栄にあずかりました。


 私も大統領 と同じで、コンピュータ いじってばかりのガリ勉 野郎なんかじゃありません。事実なんてくだらんものは気にしません。私たちは頭よりも肝っ玉で考えるんですよね、大統領 ? 真実は肝っ玉にあるのです。神経の末端は頭よりも内臓のほうが多いって知ってるかい? 調べてみなさい。「いや、本を調べてみたら、そんなことはないぞ」と反論する奴もいるでしょう。だから本なんてあてにならないんだよ! 今度は本じゃなくて肝っ玉にあたってみなさい。私はそうして、肝っ玉に神経の機能を教えてもらったんだ。

(これはブッシュ が本や新聞を読まないことをからかっている)



 私は自分の番組『コルベア・リポート 』で、肝っ玉から話しています。いいですか? 視聴者に真実を伝えているんです。論理的な考察というフィルター なしに! 私はこれを「ノー・ファクト・ゾーン」と呼んでます。この名前、FOXニューズは勝手に使わないように。(FOXニューズがいつも事実をブッシュ 政権の都合のいいように捻じ曲げて報道していることをからかっている)



 私は単純なオツムの単純な男です。単純な信念に従って生きています。第一の信念。私はアメリカ を信じています。信じられないでしょうがアメリカ は本当に実在するのです! 私の肝っ玉によると、私はそこに住んでいるらしいのです。アメリカ はどうも大西洋 から太平洋 に広がってるようです。絶対に五十州あると思います。この大スクープ に明日のワシントン ・ポスト紙が飛びつくのが待ちきれません。



 私は民主主義 も信じています。民主主義 はアメリカ が誇る輸出品です。中国 が一個3セント で大量生産する方法を思いつくまではね。

 ようこそ、中国 大使閣下。マクドナルド のハッピーミール は中国 あってのものです。



 私は、国民 をできるだけコントロール しない政府 こそがいい政府 だと考えます。その意味でアメリカ はイラク に素晴らしい政府 を作りました。(イラク の無政府 状態をからかっている)



 レディス&ジェントルメン、私はこれはヨーグルト だと信じていて、バター じゃないなんて信じられません(マーガリン のCMのパロディ )。何よりも私はブッシュ大統領 を信じています。



 最近の世論調査 でブッシュ大統領 の支持率 は史上最低の32パーセント まで落ち込んでいることは知ってます。しかし私も大統領 も、世論調査 なんか気にしません。世論調査 なんてものは「現実的」に考える連中を反映したデータにすぎません。皆さんご存知のように、現実なんてものはリベラル のたわ言です。



 コップに半分水が入ってると「半分しかない」と考えるような悲観論者のことは無視しましょうや、大統領 閣下。「グラスの半分は空」と考える連中は無視すべきです。だってもう三分の二は空なんですから。それでも、私からすれば、少しは液体が残っているわけで。でも、そんなの飲まないけどね。Backwash(唾が逆流してる)に決まってるから。(Backwashには「民度の低い僻地」という意味もある)



 私が言いたいのは、ブッシュ大統領 はこれで終わりじゃないということです。こんなの大逆転の前の子守唄みたいなもんです。『ロッキー』みたいなもんですよ。今のブッシュ大統領 はロッキーで、チャンピオン のアポロ は……彼以外の全世界です。今は第十ラウンド。ブッシュ は血だらけです。セコンドのミックは副大統領 ディック・チェイニーです。ブッシュ は「切ってくれ! ディック、切ってくれ」と叫びます(セコンドがボクサー の目の腫れを切って試合を続行させる)。ブッシュ がダウンするたびにみんな「よく戦った! そのまま寝てろ!」と叫びます。ブッシュ はどうするでしょう? ロッキーのように何度でも立ち上がります! そして最後にロッキーは……あ、結局勝てないんだっけな。



 オッケー、たとえが悪かった。私は殴られっぱなしの男の心温まる話をしたかっただけでね。とにかく、国民 の68パーセント がブッシュ大統領 の仕事を評価していないという調査は無視すべきです。いいですか? これは論理的には国民 の68パーセント が大統領 を評価していない事実を意味してるわけじゃないでしょ? よく考えてみてください。私は考えてませんが。



 私はこの大統領 を支持します。なぜなら彼は何かを象徴しているからです。それだけでなく何かの上に立ちもします。たとえばペルシャ湾 の空母とか、911テロの瓦礫とか、最近はハリケーン にやられた街の廃墟に立ちました。彼の姿は、アメリカ は何かされれば必ず反撃する、という意志を表明しています。世界で最も強力なヤラセ 写真によってね。



 今、石油危機が起こっています。ブッシュ大統領 は非常に先進的なエネルギー 対策案を持っています。大統領 ともあろうものが、この危機に際して、牧場で無意味 に藪を刈ってるだけのはずがありません。大統領 は石油に代わる画期的な資源を開発しているのです。2008年 には、やぶ蚊の力で走る自動車 が実現するでしょう!



 とにかく私はブッシュ大統領 が大好きです。彼は良き隣人です。妻を愛し、生涯の伴侶としています。世論調査 も同意しています。大統領 夫人は真の淑女で、素晴らしい女性です。ただ私には一つだけ彼女に不満があります。大統領 夫人は子ども たちに読書 を奨励しています。申し訳ないですが私は本が大嫌いです。本なんか信じません。だって事実しか書いてないんですから。ハートがないね。本を書くような連中は私たちに何が事実で何がウソかを教えてやろうという鼻持ちならないエリート 主義者だ。百科事典 にはパナマ運河 は1914年に開通したと書いてあるって? 私には「それは1941年 だ」と言う権利があります。それがアメリカ の自由です! 私は大統領 の味方ですから、何が事実かは歴史に決めさせます。

(またしてもブッシュ が本や新聞を読まず、歴史や外国の事情に無知なことをからかっている)



 ブッシュ大統領 の最も素晴らしいところは、決して信念を曲げないことです。月曜日に信じたことを水曜日に変えたりしません。火曜日にどんなことがあったとしてもです。情勢がいくら変化しようと大統領 は考えを決して改めません。



 こうして大統領 のお側に立てて感動している私ですが、会場を見渡すと、アメリカ をダメにするリベラル なマスコミ 人だらけで反吐が出ます。いや、FOXニュース は違いますよ。FOXニュース は両サイドの意見を報道しますから。大統領 の意見と副大統領 の意見を。



 リベラル なマスコミ 人は、いったいなぜ、政府 による国民 の盗聴や、東ヨーロッパ の秘密牢獄でアメリカ 政府 がやってた拷問を暴いたりするんですか? そういうことが秘密なのには重大な理由があるんですよ。すっげームカつく事実だからです。国民 を嫌な気分にしたかったのなら、マスコミ はよくやったと思いますよ。



 しかし、ブッシュ大統領 になってからの五年間、ホワイトハウス の記者の皆さんはずっとイイ子ちゃんでした。ブッシュ大統領 の無茶な減税についても、イラク に大量破壊兵器 がなかったことについても、野放しの地球温暖化 についても、記者会見 であまり突っ込み ませんでした。それらは私たちアメリカ 国民 が知りたくないことですからね。あなたがた記者の皆さんは、それを追求しないだけの節度がありますね。本当に記者クラブ は大統領 と仲良くやってきました。



 もう一度ホワイトハウス 記者の決まりをおさらいしましょう。何かを決めるのは大統領 。それを記者に伝えるのは報道官。記者は大統領 のお言葉 をタイプ して、編集部 に送って、おうちに帰って、カミさんとセックスして寝るだけです。



 記者のなかには、頭をひねって本を書く人もいるかもしれません。反骨のホワイトハウス 記者が権力に立ち向かうって内容の本をね。要するに、それって作り話ですね!



 だって、大統領 の閣僚が、記者の質問にきちんと答えなきゃならない理由なんかないでしょう? 何を言っても記者は満足しないんだし。閣僚の入れ替えをやれとうるさかったから人事を刷新したのに、マスコミ は「そんなことしても無意味 だ。沈みゆくタイタニック 号の甲板のイスを動かすようなものだ」と書いたでしょ。まったく失礼なたとえです。この内閣は斜めに傾いているかもしれませんが、沈んでいるわけじゃなくて、上昇してるんです。飛行船 ヒンデンブルグ号のように!(ヒンデンブルグは上昇して爆発した)



 (中略)

 もちろん、新しい大統領 報道官のことを忘れてはなりません。トニー・スノー氏。シークレットサーヴィスからは「スノー・ジョブ 」と呼ばれています(これはブロージョブ 、フェラチオ のシャレ。FOXニュース のキャスター だったスノーが政府 のおべっか使いだとからかっている)。報道官は困難な仕事です。なんという勇気でしょう。駐イラク 大使の次にきつい仕事です。

(中略) 



 実は私も報道官に志願していました。私はきっと素晴らしい報道官になれたはずです。だって報道陣に対する軽蔑心でいっぱいですから。この痴れ者どもの扱いは心得ております。



 実際、私は報道官になるためのオーディション ・ビデオ を持ってきました。大統領 閣下に御笑覧いただければ幸いです。



(以下、オーディション ・ビデオ )

大統領 報道官になったコルベアが、3月にブッシュ大統領 を追い詰めたヘレン・トーマス *1 さんにどこまでも問い詰められる。


なんて気持ちいいんでしょうねぇ。マイケル・ムーアも拍手喝采でこのニュースを見ていたことでしょうね。


911~イラク戦争開戦に至るまで、見事に米メディアが総FOXTV化していた頃を考えると隔世の感、ですね。


こうしたバランス感覚をもてるというのは、アメリカ民主主義は捨てたモンでないということですね、ほんと。


さて、あのクレイジーな戦争から早3年。

今、日本で、ブッシュさんとどこかよく似た風情の施政者が、いろいろとクレイジー&難ありな法案を通そうとしております。


「共謀罪」「教育基本法改正」「憲法改正」・・・

さらに言えばにすでに成立しちまった「国民保護法」「個人情報保護法」。


すべて一連の流れで、国民およびメディアを規制する法案 

として、広い意味で、自分は考えてします。



「国を愛する心」をもてば、「戦争もやむなし」


いざ有事が起こった際は「国民の生活権の制限もやむなし」


「テロリストや犯罪者から国民を守る」ため、「表現・抗議活動の規制もやむなし」


有事に備えて、「国家(為政者)たちの情報秘匿もやむなし」


国を愛する心を持ち、国家の安全を守るため、無意味な反政府な表現活動は自粛し、自らの私利私欲を捨て、いざというときの有事に備え、一丸となって、国体を維持していきましょう。


そんな感じですかね。「恐怖」を背景にした狂騒的なブッシュ支持からようやく脱却しつつあるアメリカ。先の衆院選で、これまた狂騒的に小泉支持を表明した方々も、そろそろ目が覚める頃なんじゃないでしょうか。覚まさないと非常にまずい事態にたたされている、と感じています。


「チェコアニメ映画祭」!!ゆるかわー!

チェコ


さて、現在、吉祥寺バウスシアターと新宿K’S CINEMAで、チェコのアニメ作品を集めた映画祭をやっております。


仕事からみで、チケットいただき、早速、見てまいりました!


詳細HPはこちら


いやはや・・・のんきで、ゆるくて、かわいいキャラがもりだくさん。

自分の中に永遠不滅の「萌えキャラ」、チェブラーシカ 並に、胸キュンなキャラが多数登場してしまい、困っちゃいました。



中には社会派な作品、チェコ人形アニメの巨匠・ヤン・シュワンクマイエルのようなシュールリアリズムな作品もありますが、今回上映されるのは、比較的素朴で、牧歌的な作品が中心です。


チェコという国は、旧チェコスロバキアの共産主義体制化の元、国策としてアニメーションに力を入れていた国。たとえば、チェコの映画館では、長編映画が上映される前に、必ず短編アニメーションが予告編のような感覚で上映されていたそうで、人形アニメを含めたアニメへの力の入れ方は半端じゃなかったようです。


ちなみに、そうした背景には、西側アニメの総本山「ディズニーアニメ」への対抗心がソビエト主導の東側にはあったそうです。もちろん抑圧的な体制下、作品に対する検閲も厳しいもんはあったそうですが、そうした社会情勢の中でも、表現者たちは、体制批判や人間性の復権、みたいなことを、さりげなくアニメの中に封じ込める努力をしてきて、結果、チェコアニメは、実に多様な表現方法を獲得した、といえます。


そうした流れの中で、その批評性や芸術性に注目の集まっていたチェコアニメですが、今回は、基本、そーいうの考えずに見れる作品がたくさん!


郵便や


「郵便屋さんの話」


ひゃぁ、フランスの有名なTINTINにちと似たこのキャラクター。

お話しは、郵便屋さんの妖精たちにアドバイスされ、あて先のない手紙(大切な恋人へ向けた)を届けるために、1年かけてチェコの町を旅する郵便屋さんを描いた、ほんわかなお話がこれ。


画像が見当たらなかったんで、残念なんですが、この郵便屋さんが、チェコの写真絵葉書の中を、動き回るシーンがサイコー!ほんわかな中にも、おー、と思わせる新鮮なアニメーションであります。


ビル


「英雄ビリーとジャイアントモスキート」


そして鉛筆画のような、今日本でいうヘタウマな、へたれアニメで描かれた作品がこちら。

お話しは、英雄ビリーが、牛たちを守るため、大きな蚊の化け物と戦うお話し。


なーんの教訓もありませんが、もはやポップアート、というべきそのへたれアニメぶりに大笑いできる作品です。ちなみに、ここで登場する絵柄は、日本マンガ界の至宝・谷岡ヤスジ氏にそっくり!遠く離れたチェコ・日本の才能が、不思議なリンクをしている作品です。



果樹園


「果樹園」


その他にも、昔話をモチーフにした、切り絵風の素朴な動きながらも、独特の色彩感覚が美しいアニメーション作品や、


めがね


「めがね」


ゆるゆるなわんちゃんと、エプロン姿のかわいい「めがね男」の織り成す、のーんびりした犬の恩返し話などなど・・・ちょっと一言では、語れないような多彩な作品が見れるチェコアニメ映画祭。


わざとらしいディズニーアニメや、せわしない日本アニメに、少々辟易気味の方は是非!

癒されますよー。



どーする?大手テレビメディア?

あいふる


ネットユーザーであれば、ヤフーニュースでご存知かもですが、

極悪街金業者、アイフルがよーやく営業停止、という処分を受けましたね・・・しかも全店営業停止という、ものすごい重い処分。


しかしながら・・・案の定、このニュースを今日のニュースステーション・23、ジャパンともにまったくの報道なし。これだけじゃんじゃんCMやっていた好感度高い企業の、これだけ大きい不祥事を報道しないマスコミ。どーいうことでしょね・・・


返済能力を超えた貸付、その後の家族・職場をめちゃくちゃにしてまでの違法な取立て。

認知症患者さえも対象にした、不動産を担保にしためちゃくちゃな営業。

消費者信用団体生命保険」 という保険を死亡後も、取りっぱぐれがないようにしてまでの貸付。


そして、これはアイフルに限らない話ですが、悪名高い武富士、さらにプロミス・アコムなどなど含めた消費者金融が、法廷金利を逸した「違法金利」で行っている、貸付。


「ご利用は計画的に」

「ご契約内容の確認を」


と、テレビでものすごい出向量で繰り返しCMされてる消費者金融の、「違法金利」のことをどれだけの人が知っているんでしょうか・・・?


本来金利は、法的には18%が上限なんですが、上記消費者金融は皆、25~29%に設定されています。

この金利というのは、本来違法なもので、法的に争えば、100%金融側に違法な金利分の返済義務ある、と判断されるもの。

そのことを「事前に確認」させぬまま、違法な金利を貸し付けていた問題。


実は、この消費者金融の、強引かついんちきな貸付体制に対して、日弁連から法的制限の必要性や、さらにはCMの異常な出稿量に関しても、極めて消費者に有害、との判断から制限・排除すべきと、ずいぶん前から指摘されていたのですが。


細かいとこはの、「アイフル被害者対策連絡会議」 を参考にしていただきたいのですが、よーするに、これだけ違法な貸付を行っていた会社の問題に、この後に及んでもマスコミがノータッチ・・・社会正義をえらそーに訴える大手マスコミ、のやることですかね、ほんと。


愛らしい「くーちゃん」にだまされ続け、苦しめられてる人々がいても、大手マスコミは、スポンサー様サマに、物申すことはないわけでした。



ちなみにくーちゃんCMは2ヶ月は自粛だそう。その後のCMで、なんとコメントすんのか、要注目です。つーか、この問題が起きてること自体、知らない人も多そう。なんで、ここに記しておきます。




スピッツについて・・・BEST版発売記念?


スピッツ


スピッツ2

①CYCLE HIT 1997-2005
1.夢じゃない
2.運命の人
3.冷たい頬
4.楓
5.流れ星
6.ホタル
7.メモリーズ
8.遥か
9.夢追い虫
10.さわって・変わって
11.ハネモノ
12.水色の街
13.スターゲイザー
14.正夢
15.春の歌

②CYCLE HIT 1991-1997

1.ヒバリのこころ
2.夏の魔物
3.魔女旅に出る
4.惑星のかけら
5.日なたの窓に憧れて
6.裸のままで
7.君が思い出になる前に
8.空も飛べるはず
9.青い車
10.スパイダー
11.ロビンソン
12.涙がキラリ☆
13.チェリー
14.渚
15.スカーレット


という2枚のベストアルバムが発売されましたね。

自分は、ほとんどアルバム持っているんで、買う予定はないですが、かなりの大ヒットのようで、

やはり潜在的なスピッツファンは多いようですね。


自分の友人には、かなり癖ありの音楽ファンが多いんですが、その中でスピッツが嫌い、または音楽性に関して文句をいう人は、いません。生理的にダメ、とか言う人も聞きません。

また、特にマニアでもない一般的な音楽ファン(偉そうな言い方でスミマセン)でも、積極的に嫌い、という人はあまりいないんではないか、と勝手に推測しています。


みな、なぜかスピッツが好き・・・


不思議です。

こういうミュージシャンって、実は稀有なんじゃないか、と今改めて感じています。

マニアも、そうでない人も、その「音」に、抗うことをさせず、さらり、と受け入れさせる音楽・・・

ある意味、これは国民的ミュージシャン、といえるのかも、とさえ感じています。


アマゾンのユーザーレビューなんかをちらちら見ても、このアルバムを聞いて、15年の歳月のいろんな思い出がよぎってたまらない・・・そんな感想を多々みかけました。


スピッツを聞くと、無条件に、「せつなくなる」、「うれしくなる」、「泣けてくる」、「気持ちいい」・・・そんな感覚的なコメントも多い気がします。



かくいう、自分も、そう。



たとえば、ゆずやらザードやら、そういう耳ざわりがいい?けど、何も心に残らない音楽を、自分は

「毒にも薬にもならない」と評して、ハナから無視してしまうわけですが、もしかしたらスピッツも、下手すればそう評する人もいるのかもしれません。でも、あきらかに、それらの音楽と、スピッツは違うのです。


確かに、スピッツの音楽は、自分にとっては、極端に強い「中毒性」のあるものではないです。

もう、めちゃくちゃ大好き!と声を大にして叫びたくなるミュージシャンでもありません。


音色がやわらかく、耳馴染みのよい優れたメロディー。

難解な言葉や下手な英語は、ほとんど使わなす、あくまで普通の言葉を使って構築される歌詞世界。


それは、部分的に聞くと、断片的で、少々シュールな歌詞なんだけど、最終的に、違和感や齟齬感を生じさせることのないままに、あるひとつのイメージや情景に帰結させているといころが、スピッツの歌詞世界のすごいとこ。簡単なように、さらりと聞かせているけど、実はすごく難しい作業をしている気がします。


たとえば、自分はドライブなんかのときによく聴くのがスピッツ。歌詞が入り込みすぎて重たくなったりせずに、かといって軽すぎず、さりげなくその世界観と、戯れることができる音楽。

いい意味でも悪い意味でも、一見、イージーリスニングできる音楽・・・


そんな聞き方が多い自分がいるのも事実なんですが。


ただ!

いつの間にか、スピッツの音楽は、自分の心のどこかに、入り込んでいる!んですよ。


落ち込んだり、うれしいことがあったり、悲しいことが起きたり、そんな心が動いた瞬間、その折々に・・・スピッツの音楽は、どこからともなくココロの中に、響いてくるんですよ。不思議なことに。


そう。いつの間にか、知らないうちに、スピッツの音楽は、心の奥底に、


「沈み込んでいる」。

または

「降り積もっている」



自分の中で、それはこんな感じ。


なぜだか眠れない、そんな夜。いつの間にかうたた寝し、寝不足で目覚めた朝。眠い目をこすりながら、窓をあける。外は、いつのまにか、真っ白の雪景色。不安な夜の間も、軽やかに、音もなく舞い、いつのまにか降り積もっていた、白い雪。それだけの出来事で、憂鬱だったココロが、少しだけ軽くなる・・・こともあるわけで・・・


つまり、スピッツの音楽は、自分にとって、そんな音楽なんですね。



以上。



しかし・・・実は、これ、すごく、苦労して書いていたんだけど、やっぱtり馬鹿みたいな「感想」になってしまいました。


ふぅ。やっぱり、うまくいえんわ、スピッツは。




というわけで、最後に、いまだになにかあるたび、思わずくちずさむ歌の歌詞を。

スピッツ初体験の曲です。

どうしようもなく、好きな曲です。





新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を 自転車で
走る君を 追いかけた


想い出のレコードと
大げさなエピソードを
疲れた肩に ぶらさげて
しかめつら まぶしそうに


同じセリフ 同じ時
思わず口にするような
ありふれた魔法で つくりあげたよ


誰も触れない 二人だけの国
君の手を離さぬように


大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る



 片隅に捨てられた 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて
無理やり 頬よせる


いつもの 交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる
ぎりぎりの 三日月も僕を見てた


待ち伏せた 夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ


誰も触れない 二人だけの国
終わらない歌 ばらまいて


大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る


大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る

ルララ 宇宙の風に乗る


※「ロビンソン」より






「ヴイタール」・・・塚本晋也監督!!

ヴィタール

監督・脚本・撮影監督・美術監督・編集: 塚本晋也

出演: 浅野忠信/柄本奈美/KIKI/岸部一徳/國村隼/串田和美/りりィ/木野花/利重剛

音楽:Cocco


あくまで、「個」の強い、強烈な作品を放ち続ける映画作家、塚本晋也の新作。


この作家の作品は、実はかなりの数を見ているのですが、観るたびにそのアクの強さ、いいかえれば自主制作くさいナルシスティツクな作品に、少々辟易してしまうわけなんですが、それでもまたむくむくと作品を見たくなる、という奇妙にアンビバレンツな感情を自分に抱かせる不思議な作家です。


今回の映画の物語は・・・


事故ですべての記憶をなくした博史(浅野忠信)は、なぜか医学書に興味を示すようになり、医学部に入学。その解剖実習で彼の班に若い女性の遺体が割り当てられた。博史は実習にのめりこみながら失われた記憶を取り戻しつつ、いつしか現実とは異なる世界を生き始めるようになる。そこには、涼子という女性がいた…(アマゾンより)



ネタバレですが、ここでいう涼子とは、記憶を亡くした主人公の恋人、という設定です。


元恋人を解剖する、というプロセスを通して、此岸と彼岸の境をさまよいながら、いつしか「記憶」=自己を再生していく、というこの物語。


なんでしょうね。始めて、この作家の作品で泣けました。

恥ずかしげもなくいうが、「愛」と「生」の物語、なんでしょうね、これは。


知人の死という体験の影響?

また、解剖という行為、はたから見ればある種グロテスクな行為が、人間の肉体を細胞単位で見つめなおす、という意味で、先に感じた「般若新経」とリンクしたからなのか。


さらに・・・自分の友人のアーティストに、自分の作品のために、解剖医学のゼミにお願いして、実際の解剖の現場に立ち会いながら作品を作っている人がいる。そのかたわら、医学の教材用の解剖図も描いている奇妙な人物ですが、その彼女の作品は、解剖図を抽象化し、再構築した独特の世界観を提示してます(実は、あるダンスパフォーマンス作品で数回コラボレーションさせていただいた作家)。


彼女が、解剖の現場に立ち会ってまで、何を獲得しようとし、何を表現したかったのかは、ホントのとこはわからないけど、その作品を前にした自分が感じた、奇妙に居心地悪い違和感。この映画の前編を通して感じてしまう違和感とも共通するものがあったように思う。


そういう友人が身近にいたことも、この映画の印象に大きく影響しているのかもしれません。


知人のアーティストが、執拗なまでに人間の「皮=表層」でない「肉体」を観ようとする行為と、

同じく、記憶喪失の主人公が、執拗なまでに解剖へ執着していく行為。


その二人も符号したから、この映画がすんなりはいってきたのかもしれません。


結局、人の肉体と精神のアンビヴァレンツな関係、そこになんらかの接点をもたせようとしたのが、この映画だと思う。


主人公と恋人のセックスは、お互いの首を絞めあいながら、死との接点を持ちながらでないと、成立しえない、非常に不安定なもの。ある意味、セックスは、男の肉体が、女性の肉体を切り刻んでいく解剖行為ともいえるし、口唇性愛は、女性が男性の肉体を切り刻む解剖行為の代償行為なのかもしれない。精神より先に、肉体、その内側に入り込みたい、という欲求がセックスなんでしょうね。その行為だけでは、お互いの性愛=肉体を確かなものに出来ない二人の行為が、より死と隣接させる首を絞めながらのセックス、ということなのでしょう。


また主人公の恋人・涼子に、類稀なる美しき肉体と身体能力を持つダンサー・柄本奈美を据え、主人公の彼岸の記憶中で、狂気じみた舞を見せたことも、このテーマにかなうように思う。


土方巽はじめとする、ある種の舞踏家たちが語っていることですが、「モダンダンスが上へ上へと向かうものならば、舞踏は下へ下へと向かうもの」・・・ベクトルを大地へと向かわせる「舞踏」とは、いわば肉体を原始・原子(=細胞)のレベルまで引き下げる行為、なんでしょうか・・・


映画の中で柄本奈美が見せた舞は、大地へと向かうベクトルと、空へと向かうベクトルが、共存した不思議な表現をしていました。その表現は、肉体(下へ)と精神(上へ)の関係、と自分は感じました。



死を肉体で感じること。

そのためにお葬式では、死者の姿とじっくり対面し、見つめ、文字通り、瞳に死者を刻みこまねばいけない。

それは刻みこむ、というのは、傷を付けることと同義。


主人公は、恋人の死と自分の記憶=存在を感じるために、さらにひとつ深いレベルの行為、肉体の内部を見つめ続ける必要があった。


それは、倒錯的ではあるけど、「愛の深さ」ゆえ、といえるはず。


生と死のはざまで、深遠な愛の深さをかんじさせたこの作品。


ちなみに・・・

「ヴィタール=VITAL」とは、哲学者ベルクソンの「エラン・ビタール=生の躍動」からとられているそう。

「生の躍動」・・・


お葬式を終え、火葬場で恋人の遺体を見送った後

主人公の恋人との回想。雨の中、幸せそうに紫陽花を見つめる二人。恋人がぽつり。

「いい匂い・・・」


それがラストシーン。そして闇の中流れるCOCCOの歌。



ある種の人には、たぶん、身にしみる映画だと思います。


オススメはしないけど。






「男たちの大和」・・・・ダメです

大和


ずいぶん前に、タダ券もらって見た映画です。

たぶんタダ券もらわなきゃ、東映の大作映画なんて見にいかない自分ですが。

その前に同じくタダ券で見た「半落ち」も、相当ひどい映画でしたし。


で、予想通りの内容に、またもやガックリ・・・でした。


「大和の乗組員にスポットを当てたそれぞれの人間像が描かれたヒューマンドラマ」


だそう。なるほど、確かにそうかもです。

 

ただし・・・

半落ちでもそうだったけど、うざったいくらいにいろんな人間が出てきて、話の焦点が分散しまくり。


東映の大作映画って、社運かけてんだか、東映子飼いの役者への配慮なんだか知らないけど、登場人物が多すぎ。枝葉つきすぎなんですね。


まぁ、それは映画作り、物語作りの上での欠陥だから(ついでに言えば様々な戦争映画のコラージュ・つぎはぎだけの映画、でもあり)、どうでもいいですが・・・・


テーマ的に、これは結局何を伝えたいのか、ってとこで、自分はどうしようもない違和感を持ちましたね。


大和の乗組員たちが負けを覚悟で、家族のため恋人のためにと、戦地へと赴く、その悲壮かつ勇壮な決意を、美しいもの、として描きたかったのかな。



と、アタリマエの感想をもちつつ、これは美談ではないんじゃないか、と。



日本の敗戦の原因ともなった、特攻精神、的なもんを結局は美化しただけの映画じゃねーか、と。


か弱き国民は、戦略を無くした馬鹿な国家の犠牲になりつつも、大切な誰かのために清く正しく死んでいきました・・・


大和の乗組員たちは、ほんと皆いちようにマジメで、負けを承知の闘いから、見事に逃げ出さない。


それって、美しいことか?


負けを認めないとどうしようもない時局に、負ける勇気なり逃げる勇気って必要でしょ。犬死するくらいなら、卑怯といわれようが、逃げ出したり、媚うってでも生きながらえようとすることは悪ではないでしょ。


負けを認め、そこから姑息な手を使っても、次に勝つ(これは単純に戦争に、ではないよん)ために、と言うことは、必要でしょ。


自分の大好きな水木しげる先生 は、もちろんあの悲惨な戦争の体験者。

彼の哲学は、「怠けなさい」だったり、「好きなことだけしてなさい」だったり、「いいかげんにやりなさい」だったり「恋してなさい」だったり、「戦うな」だったりする。


それは「生きる」ためには、必要な知恵なんですよね。


その「生きる知恵」を放棄してまで、戦地へ向かった人たちを、美化するのは、今さらおかしいんじゃないか?


自分は、大和の乗組員の中に一人でも、「無駄死なんかしてられっかよ、はん」と、とっとと逃げ出す連中を登場させてたら、この映画を、許せたと思う。たぶん、実際の大和乗組員の中にも、少なからずそう思っていた人間はいたはずだろうし、少なくとも自分は、そっちの人間でありたいと思ってるから。


そーいう意味で、今の日本が、アメリカのポチ化してるのが、日本が生き残り、さらにはアメリカの支配から脱するための賢い「戦略」であれば、いいんですけどね。ただ「負け」続けること、「隷属」することでしか生き残れないゆえのことであれば、悲しいお話ですが・・・そいうのは「知恵」とは呼びたくないけどね。


ところで、黒船ペリーによる欧米の暴力的支配から曲がりなりにも、戦略的に戦って生き残ろうとしていた頃の日本のあり方は、今学ぶ必要ありそうですね。ただいま勉強中です。








色即是空、空即是色・・・なんですね・・・

般若心教


いわずと知れた、膨大な仏陀の思想を、262文字に要約・凝縮した(実は『大般若信教」と呼ばれる全600巻もの膨大な教典が元)、最も有名な仏教経典ですね。


ぜんぜん熱心な仏教徒でない無宗教な自分ですが、実は、この般若心教をそらで読むことができます。

ちょっと自慢できる特技?かな。


ところで、この2月末・3月頭の2週間に、自分は、祖母と大学時代の先輩の、2人の死を体験してしまいました。その連続した訃報に、能天気な自分も、生や死について考えることが多くなり、ちょっとしんどいなぁ、と思っていたそのとき、なんだか、あ、そういうことかな、とこの般若心教の意味、みたいなもんがぼんやり浮かんでしまいました。それで、ここに記しておきます。


自分が子供の頃の話。実家の裏にある禅寺に、自分の祖母が住込みで奉公していて、おばぁちゃん子だった自分は、よく遊びに行っていました。そこで、遊びに行くたび、信心深い祖母からお経を読まされたり、写経をやらされたりしていた関係で、今でもそらで読めるくらいに般若心教を覚えています。


当時の子供の自分は、なんだか面倒くさいなぁ、と、きっと感じていたでしょうけど、それでもお経を読む自分を喜んでくれる祖母のために、毎日のようにそれを唱えていました。


大正15年生まれの祖母は、とにかく苦労した人で、20歳で結婚し、5人の子供の出産。そして25歳の時に、夫を無くし、それから「百姓」をやりながら、5人の子供を立派に育て上げた人。


そして、その苦労話を、自分は祖母から何度も何度も聞かされていて、普通はそういう話は子供であっても、あーまたか、と思うような繰り返しの話だったし、いまいちそういう時代へのリアリティーもないし、なはずなんですが、自分はその話を聞くのが、なんだか好きだったんですね。


「ほんと大変だったけんね、おとうさんな先死になさって、わたしゃ、背中に浩二(末っ子の名前、ね)ば、しょって、4人の子供の手ばかかえて、一人で畑耕して、必死にたい、5人の子供ば育て上げたったい、いや死ぬ思いばして、5人立派に育て上げたったい」


そういう苦労話を、遊びに行くたび、聞かされていました。


もう耳にタコが出来るくらい聞かされた、その話。でもその話をするときの祖母の顔が・・・

それは、もう満面の笑顔で、なんだか突き抜けたような明るさで苦労話を語るとですよ。


なんだか、ほんとに、楽しそうに、自分がしてきた苦労は、もはやいい思い出以外のなにものでもない、というくらい、明るく語るとです。

もう、まいっやうなぁ・・・そんなことを、感じるような祖母の笑顔だったとです。



その祖母の死を前にして・・・


今思うことは、自分は、その笑顔が、ほんと大好きだったんだな、と。

そして、自分は、たぶん、あんな笑顔を見せれるじいさんにゃなれそうにもないな、と、今さらながら思祖母の死を前に、いろいろ感じてしまって、久しぶりに号泣してしまいました。


訳あって7年も帰省してなかった自分が、死に目どころか、祖母の体が、いつのまにかこんなに小さくなっていたんだな、ということさえ知らなかった事も含め、後悔やら、悲しみやらの思いが溢れて。少々参ってしまいました。


ただ祖母の死は、孫・ひ孫にも囲まれての大往生。家族思いの、というより家族のためにだけ生きてきたような祖母にとって、それは、本当に幸せなお葬式でした。だって、まだ幼児のようなひ孫たちも、お坊さんの読教にあわせ、般若心教を読んでいたんだから。たぶん、また祖母に、ちょっと嫌がられながらも、お経を教えれれていたんでしょうね。で、その姿は、自分の子供の頃の姿と重なってしまい、今度はちょっと嬉し泣きまでしてしまいました。


親不孝で、婆不幸な自分も、心からの冥福を祈っています。おばぁ!



そういう祖母の死から1週間後、今度は大学時代の1つ上の先輩が、癌で亡くなってしまいました。

まだ40才。死、へのリアリティなんて皆無な自分とひとつしか違わない、早すぎる死、です。


彼女は、大学時代の先輩で、独特の存在感を放つ、はっきり言って、かなりの美しい女性でした。演劇部に所属し、フランス文学を専攻。昔で言う暗黒舞踏風の踊りもこなしていた人で、田舎から上京したての自分には、かなりの衝撃を与えてくれた先輩でした。自分はその美しさに魅かれ、思わず、彼女主演の映像作品も作ってしまうほど、惹かれていたのでした。


卒業後も、大手出版社で勤務しながら、文藝賞で作家としてもデビュー。その後自ら出版系の会社を立ち上げ、ばりばり仕事も出来る才女でした。


卒業後は、まめに交流していたわけではないけど、仕事をいただいたり、自分の作品もいくつか見てもらえて、それについてうれしい感想をもらったりするたび、「わーい」、と思わず舞い上がったりするくらいの関係?は続いていました。


自分にとっては、卒業後15年以上過ぎた今も、憧れの女性。


そのポジションは今でも、変わりなく。


その女性が、1年間の闘病生活の末、死んだ。


実は、今年は、学生時代に自分が立ち上げた映像サークルが20周年を迎え、その記念イベントを期に、久しぶりに再会できるなぁ、と密かに喜んでいた矢先だっただけに・・・つらい。


でも、なんだかその実感がわかない。葬式に参列できず、彼女の死に顔を見ていないから、なんでしょうか。よく言われることですが、お葬式は、生者のために行われるもので、死者を見つめる時間を持つことで、別れを実感できるよう行われるもの、なんでしょうね。祖母のお葬式では、冷たくなった祖母に、死に化粧の手伝いが出来たし、お棺を自ら運ぶことも出来た。悲しいけど、別れの儀式としては、ほんとにいい別れ方ができたものでした。


ただ彼女の死に関しては、そういう時間は持てなかった。せいぜい若い頃の彼女をビデオに収めた、自分のしょぼい作品を見直すくらいしかできません。


この世界に、一人の女性がいなくなった。それは自分が実感できようができまいが、動かせない、既定事実のひとつ。そして、その事実を感じ、消化することのできるようになったきっかけが、実は今回、昔覚えた、「般若心教」でした。


形あるものは、すべて消えてなくなるもの。彼女は少々早すぎたけれど、自分も、大切なあの人も、いつかは消えてなくなるもの。それは、動かしようのない既定事実。


たぶんそれが、「色即是空」。


そして消えてなくなるものは、どこかでめぐりめぐって、新しい形を生む。

彼女の両親や、より親しい友人たちが、涙を流すこと。悲しみを抱えて生きていくことになること。乗り越えようという新たな意志が生まれること。そして、自分がこうした駄文の追悼文を書くこと。それらは、すべて死によって生み出される、新しい、カタチ。


それが、つまり、「空即是色」。


有(色)は無(空)となり、無は有を生み出す、その永遠続いていく輪廻。

死はなにも恐れるものでなく、無駄に終わるものでもない。ただそれだけの真実。


般若心教の解釈について、おそらくいろんな読み方があるだろうけど、これまでの自分は、マクロ的なものやミクロ的なものを体言しているような科学性やスケール感があるよなぁ、と漠然とかっこいいもん、と感じていたわけですが・・・たぶん、今は、ある力強い救済のための真理、と感じることができたような気がしています。


一昔前にオザケンが歌っていました。


「神様を信じる強さを僕に」


こういうことを感じるために、宗教は存在するのですね。


40年近く生きてきて、初めて宗教の価値を感じた気がします。



別に、そこから宗教に目覚めることもないだろうけど、少しだけ強くなるきっかけには、十分すぎる力がありました。


すげーなぁ。般若心教、です。


今さらシリーズ・・・「スターウオーズ」全作一気制覇!!


スターウオーズ

今さらシリーズ。


実は、年始のお休み中に、スターウオーズシリーズ・フィルムマラソン敢行!

ほぼ24時間でエピソード1から6まで、一気見しちゃいました。


自分は小学校5年くらいかに、今でいう「エピソード4」、スターウオーズの処女作を見た口で、次の「帝国の逆襲」をテレビで見たくらいで、それ以降の作品は、まぁ深追いせんでもいいかな、つーんで見てませんでした。


んで、そんな積極的に見ないまでも、いちおー完結したら、テキトーな時間にまとめて見とくかな、ぐらいの気持ちはありましたが・・・・全作品見終わって、いや、なるほど。さすが、でしたね。


よくもまぁ、こんだけ長い話の、整合性をもたせたもんだ、つーのがまずひとつ。自分は、文字通り「スターウオーズ」=「宇宙戦争」、その設定自体が魅力の映画なんだろーな、と思っていましたが、実は、

「ダースベイダー物語」、つー、人間ドラマとして、結構、骨太、な骨格の映画でした。今さらならが、素晴らしいす、ジョージルーカス。


でも、話の整合性はもちろんあるんだが、自分は1~6、という順番、物語の中の時間軸どおり見たわけなんですが、1~3、と4~6、はなんとなくトーンが違う気がしましたね。


4~6は、基本スペースオペラ。これだけ見たら、単純な勧善懲悪、と捉えられても仕方ないんではないか、という内容で、はっきり言って、物足りない。乱暴ですが、底が浅い、といえるんではないか(スターウオーズファンに怒られるのは承知です・・・)。


しかし、1~3は、よりシリアスな、なんというか、複雑な余韻を感じさせてくれるものでした。


「共和国」VS「帝国軍」、という対立が、単純な「善」VS「悪」にはなってない、感じ。


物語の進行とともに、主人公であるアナキンの中に、そして人々の間に、徐々に猜疑心や不安が増殖し、「暗黒面」に支配されていく感じ。


それは、なんとなくデジャブを感じるものでした。


その具体的な正体というのが・・・(これは先にUPした一色氏のブログにも同様の記事があったのですが)・・・あの911からイラク戦争への、あのアメリカの一連の動き、だったりします。


得体の知れないもん(テロやイスラム原理主義?自分とこの、銃社会?)への恐怖心や猜疑心が、ある固定的かつ絶対的に(見える)価値観(自由?神?民主主義?)に支配され、無用な争いを生む・・・みたいな・・・


なんか、解決への糸口のなさ加減を感じる「3」のエンディング。

後に続く4~6が、能天気なハッピーエンドで、何の解決の糸口もないのと比べると、あまりに暗いエンディング・・・


それが現状、ルーカスの出した結論なんでしょうか・・・


まぁ、ルーカスが意識してたかどうか、は、あまり深く調べてない現状では、なんともいえないけど、

1~3、を通してみれば、、今日のアメリカの置かれている状況は、感じることができました。



そういう意味で、スターウオーズ、侮りがたしです。今まで見なくてすみません、な気分です。


以上。

















オーティス・レディング(&清志郎)!!

オーティスレディング


NOBUさんのブログで紹介してあった、NHKBSの番組(再放送)を見た。


「君はオーティスを聴いたか 忌野清志郎が問う魂の歌」



清志郎の憧れのソウルシンガー、オーティス・レディングのゆかりの地をめぐる特番です。



情報の密度としては、正直薄いと思う。

ナレーションも、少ない。

オーティスの人物像も、たぶん深くは描いてないと思う。





なにより清志郎。なんだろうね。不思議なくらいに言葉が少なかった。

あれだけ影響を受け、ものすごい思い入れがあるはずのオーティスについて、なぜ言葉が出ない?あまりに不器用だった。


時折、ディレクターに補足されたりもしながらも「たぶん、そうなんでしょうね・・・」とか、ぼそぼそしゃべる清志郎。



そこには、自分が期待していたような、清志郎のオーティスに対する思いが、いまひとつ伝わってこなかった。



なぜ、そんなにうまくしゃべれない?敬愛するミュージシャン、オーティスについて。





番組中に挟み込まれるオーティスの映像。歌声。それがあまりに雄弁に、彼の素晴らしすさを伝えていただけに、清志郎の不器用さが、とても際立つ・・・





でも、最後。

スティーブクロッパーと共作で、オーティスへの思いを託した歌が、流れた瞬間。





「オーティスが教えてくれた 日本のやせっぽちの少年に」



「歌うことを、愛することを





またもや、そんな不器用で、言葉足らずな歌。思わず、聞いてる自分が恥ずかしくなるくらい、シンプルな、「LOVE SONG」。



でもその歌が流れた瞬間、自分は、やっぱり、どうしようもなく、感動しちまいました。



清志郎は、ほんとに、ココロの底から、オーティスのことを、愛していたんだな、というコトがダイレクトに伝わってきて。



そうなんだよなぁ。ほんとに愛してる人に対して、そんな簡単に、雄弁に想いを伝えることなんて

できないんだよなぁ。



裏返せば、「言葉で何が言える?」なんだよなぁ。



つまり、この番組での清志郎は、愛する人を前にした、「片思い」の「やせっぽちの少年」のまんまだったわけなんですね、きっと。





なんてウソのない人なんでしょう。と思った。

そしてまた、自分は、そういう清志郎の、裏返しを裏返した、正直さや素直さが好きなんでした、と思い出した。





オーティスの魅力を語るだけなら、どっかの音楽評論家にやらせりゃいいんです。



清志郎は、すでに何百曲ものオーティスへの、不器用ながらもストレートな「LOVE SONG」を作った。





それで十分す。

その歌を通して、自分はオーティスの素晴らしさを伝えてもらったのだから。



オーティスも、清志郎も、ほんと最高。

音楽って素晴らしいす。


GOTTA!!す。


今さら、「マイアヒー♪」

まいあひ

またもや、なぜに今頃?な、マイアヒ、ですが、ITUNEで、思わずダウンロードしちまったもんで・・・

聞けば聞くほど、脱力・・・でも、なぜか癖になるす。
自分が耳にしてきた、脱力系の中でも、別格の風格があるなぁ。

まいあほー、まいあひー、まいあへー、あたりの裏声の出し方。この音波には、α波だかβ波だか、γ波だか、よくわからんすごい音波が発生してんではないか、と感じる。このへん、どっかの研究室で、音波研究してほしいものがある。

なんだか、むかつくなぁ、とか、怒りに似た、スターウオーズ風にいえば「ダークフォース」な感情に支配されたとき、聞くといいかもなぁ、これは。もしくは、戦争してる連中のBGMなんかにいいかも。やる気なくすから。

むかつくニュースが多い中、ちょっとクールダウンするのにいいすね。

しかし、今頃、まいあひー、聞いてる自分が、また、それはそれで、いい!

しかし昨晩から何回聞いたことやら・・・あー、癖になる・・・・誰か止めて。