おおの整骨院のブログ

おおの整骨院のブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

先日、東京都の患者さんがご夫婦で来院され、最後の晩にお寿司屋さん(新鮨)で過ごした。 家に帰ると妻が『奈良県の頃、車椅子の患者さんは根木君よね?』とすぐに聞いてきた。 『そうそう、根木君、吉田君やでぇ』『じゃあ、間違いない!下の名前は?今日テレビに出演してた!ガッシリしてたけど根木君だった』....根木君と最後に会ったのは19年前の恩師・上田信二先生の告別式だ。 根木君は、奈良医大の事務職をしながら頑張ってバスケットボールを続けてるみたいだった。 妻は独身時代に3度ほど根木君に会っている。 どの番組か分からずパソコンで検索すると、出るは!出るは!【シドニーパラリンピック車椅子バスケットボール日本代表キャプテン】 【笹川スポーツ財団 副会長】 【障害者スポーツ支援団 副理事長】 スポーツジャーナリスト 【二宮清純のコラム】でも対談してる。 あの王 貞治さん! 室伏広治さん!とも親しげに写真が! 間違いない! あの根木君だ! 妻が知ってる根木君はモヤシのように細くて可愛い男前のイメージだが立派になられてる。  事故で入院した時から根木君を見てる。 担当も僕と上田信二先生だった。 彼の病室はリハビリのバイブラバスの正面で、暗くなってるだろう雰囲気をふざけて掃除の時に洗剤を多目に使ってエアーを強にしてバイブラバスルームを泡だらけにして根木君親子に笑ってもらったりした。  明るい少年だったので、なるべく明るく明るく、面白く、楽しくリハビリ期間は過ごしてほしかった。 根木くんは18歳、19歳で 僕は24歳くらい ファッション雑誌を見て、車椅子での靴の相談を受けて休日にアディダスのスタンスミスを大阪のアメリカ村まで買いに行ったりしたなぁ。 退院後に車椅子バスケットボール近畿代表の頃、美智子皇后陛下と2回会ったと感激していた。 2年ぶりなのに多勢の中から美智子皇后陛下が『また、お会いしましたね、頑張ってらっしゃる』とお声をかけて下さったのを興奮して僕に話してくれた。 こんなに立派になられてご両親も喜ばれてることだろう。  ノートルダム聖心学園理事長・渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』という本があるけど、本当に!根木君は見事に咲いてくれた! 吉本整形外科病院 故吉本惠則先生、故上田信二先生も喜ばれているだろう