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よどみにうかぶうたかた

淀んだ頭に時たま浮かんでくる泡沫を書き残しています。

少し前にTwitterで、
サザンオールスターズが結構好きだということをつぶやいた。
 
 
中でも好きな曲の一つが「愛の言霊」だ。
言葉の響きや、うねりを感じるリズム、旋律が醸し出す幻想的な世界が
お気に入りである。
CDもデータファイルも持っていなかったのだが、
他の曲はともかくこの曲だけは欲しいと思っていた。
 
さて過日(11月30日)、
下北沢の劇場に芝居を観に行き、
終わって下北沢駅に戻ろうとしたのだが、
たまたま往きと違う道を行こうと思ったのが間違いだった。
道に迷った。
初めて来た街で全く地理感が無い。
 
仕方がないので暫くブラブラと歩いていると、
たまたま通った道に中古CDショップがあった。
なんとなく入り、なんとなくサザンの棚を見ると、
4、5枚のアルバムに混じって、たった1枚だけ8cmシングルがあり、
それがなんと「愛の言霊」だった。
このたまたまな状況でこれがここにあるか?
この曲の2番の歌詞にもある「縁」という単語しか、
もはや思い浮かばない。
買ってしまった。
 
それはさておき……
 
この日に観劇したのは、
中村勇矢氏脚本・演出の「音楽劇 コンタクト」。
この劇は過去に二度すでに公演されており、
その二度とも私は観劇し、このブログに感想を書いた。
 

普段およそ演劇を観ることのない私が3回も同じ劇を観る理由は、
ななえさんが出演しているからに他ならず、
これはもう「縁」以外の何物でもない。
 
そして、この三度め、観て良かった。
前回までよりも脚本に深みが加わっており、
また演出もがらりと変わっていたのだ。
 
今回の会場は住宅街の一角にある小ホール。
「音楽劇」にふさわしく音響の良い場だった。
合唱がメインなのは当然だが、
前回までと違い、伴奏楽器はピアノとギターのみ。
バイオリンやドラムなどは無かったが、
代わりに、シンバル、レインスティック、おりんなどのパーカッションが活躍した。
それらの様々な音がホール空間のあちらこちらから、
まるで音霊とでも言えるような感覚で響いてくる。
床に敷かれた枯葉も、視覚的効果だけではなく、
カサカサ、という音の効果をうまく響かせていた。
 
ななえさんは今回も「母」の役で出演していたが、
ななえさんの声がホールの音響と合っており、
戦場に行った子を想う母の心情が良く伝わる歌となっていた。
劇中の合唱の際でのピアノ伴奏も担っていたが、
その「俗」的な場面と、
歌の場面での「聖」的な雰囲気との対比が見事であった。
 
もう一人の伴奏であるギターは、
特にその「俗」的な場面で効果的に響いていたように思う。
 
合唱団の役者たちの顔触れは前回までと全く違っていたが、
前回まで同様の熱演で、
私は芝居の世界に入り込んで観てしまっていた。
 
さて、三度目の観劇にあたって注目していた役が実はあった。
「鴉」(カラス)である。
この役は一体何だったのか? 実は前回まで、観て良く分からなかったのだ。
メインストーリーの同級生達を導いていく……というのは分かる。
しかし、その導師とは本当は何者なのか?
おそらくは悪魔の使者か? カラスのイメージからはそんな風にも思えるが、
そうは描かれていないようにも見える。では一体……?
この役はこの劇に必要なのか? とまで思っていた。
 
それが今回、その答えがはっきりと分かる脚本に肉付けされており、
その結果、ストーリーに奥行が生まれていた。
 
この奥行を感じるために最も重要な役割を担っていたのが、
新たに加わった「女」という役だ。
劇場を包む音霊の中でこの「女」が最初に登場して舞う姿を見た時から、
この芝居に前回までとは違う幽玄さを感じた。
そしてこの「女」の正体が明らかになるにつれ、
「鴉」の重要性も明らかとなり、
この芝居を観る者は感動せざるを得なくなる。
 
ななえさん演じる「母」も加え、
この三者の世界が「聖」的世界を造る。
そして合唱団の世界が「俗」的世界を造る……
 
下北沢の小劇場にいて、
能舞台で夢幻能を観ている気分を味わえた。
 
本当に久しぶりにこのブログに書く気になった。
ヘッダーの紹介文もシンプルに「各駅停車で生きてます。」に変えた。
 
今のところ実際にそんな人生だ。
のんびりゆったりと気楽か? と問われれば、必ずしもそうではない。
例えば、急行で行こうとする人に付き合えず、失礼だと思いつつ疎遠になったりもする。
社会に対してもそうで、けっこう反省と後悔が多い人生だ。
しかしまあ、のんびりゆったりと気楽な面を良しとして、これからも停車しつつ生きて行くのだろう。
 
それにしてもこのブログに関してはかなり停車を続けた。
石炭と水とを補給するために長時間停まったSLのようだ。
 
次の駅でまたどれくらい停車するか分からないが、とりあえず出発してみよう。
 
 

四日目

パリ旅行最終日。
歴史が綾なす芸術の都……
であると同時にここはまた、
血なまぐさい政治と闘争に深く関わってきた街でもある。



この日の朝に行ったサクレ・クール聖堂

朝のモンマルトルは静かで清々しく、
その空気のなかに聖堂は美しくたたずんでいた。
ビザンチン様式の白い建築物はいかにも古い歴史を持っていそうに見えるが、
実際には新しい建築で、
1870年にフランスがプロイセン、今のドイツに負けた慰めに建てられたと言われている。

前日までに巡った観光地の数々の中にも実は、
十字軍や民衆の反乱や王領地の拡大やフランス革命やナポレオン戦争や第二次大戦などの残り香がそこかしこに漂っていた。

その直近の例が、
イスラームとの確執による、
シャルリー・エブド事件と同時テロ事件である。
これらのおかげで出発前には皆からずいぶん心配された。

しかしパリの人達には、
このような政治的闘争によって明日を築いてきたという自負があるようだ。
そういえば、
三日目に行ったベルサイユ宮殿では、
開門時刻に行ったところ
職員によるストライキの真っ最中で、
数時間中に入れなかった。
このようなストも闘争の一端だし、
そのスト権の獲得も闘争の賜物なのだろう。

今日は何が起ころうとも、明日へ向かって前進する。
人生を変えるために。
そういった人々の思いの積み重ねによって出来ている街、
今回の旅行で、パリに対してそんな感じを抱くことができた。



成田空港にて

日本に戻ってきた。
今回の旅を糧にして、
さて、私もまた明日に向かって進みますか……。



「民衆の歌」(ミュージカル『レ・ミゼラブル』1980年オリジナル・コンセプト版より)
メトロのシテ駅から地上に上がったところは、警視庁や市立病院がある一角で静かな雰囲気だったが、通りに出ると人も車もやっぱり多い。



ノートルダム橋から西を望む
左側がシテ島。
手前に見えるのがポン・オー・シャンジュ(両替橋)、
見えにくいが、奥にポン・ヌフ。
シテ島側の、両替橋の向こうに見えるトンガリ屋根の建物が、マリー・アントワネットの独房もあったという、当時の牢獄、コンシェルジュリー。


さて、実際に現地に行かずガイドブックなどを眺めているだけではなかなか想像できないのが、
その地を流れる音や匂いなどを含めた全体的な雰囲気だ。
特に音に注目して周ると、
また違った楽しみがある。

メトロの駅構内では、
あちらこちらで選ばれたミュージシャンが楽器を演奏している。
サン・ラザール駅などの国鉄の駅には、
客が自由に弾けるピアノが置いてあり、
その音色が聞こえてくる。
パリの街中は、
車の走行音やクラクション、行き交う人々の声などで、
想像以上に騒がしい。



ノートルダム大聖堂


ノートルダム大聖堂の前(に限らずどの観光地でもだが)も、観光客の話し声に物売のかけ声が入り雑じって、なかなか賑やかであった。
それでもあの有名なノートルダムの鐘が鳴り出すと、特別な場所に来たという感慨にひたれるのである。
その思いは、聖堂の中に入ると一層大きくなった。




中ではちょうどミサが行われていて、荘厳な空間に神父の声や聖歌の歌声が響いていた。
神の世界の演出と言って良いのだろうか?

信者ではないが、椅子に座ってしばらくその世界を味わうことができた。



アルコル橋とパリ市庁舎
その右に見えるのが、サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。


シテ島を後にし、次に向かったのは、マレ地区にあるサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。
ここでもミサが行われ聖歌を聴くことができるというので行ってみた。
ノートルダムよりは大分小さいが、やはり神聖な空間に浸ることができた。

ノートルダム大聖堂などのミサの様子は、KTOというカトリック教会のテレビ局のサイトで見ることができる。

KTO ノートルダム大聖堂ミサ


この日の夜は、モンマルトルにある老舗のシャンソニエ「オ・ラパン・アジル」に行った。
本場のプロのシャンソン歌手達の歌を堪能した。
……にとどまらず。
日本人の変な発音がよほど面白かったのだろう、
何度もダシにされ歌わされてしまった。
とても楽しい時間であった。




「ノートルダムの鐘」
(ディズニー映画『ノートルダムの鐘』フランス語ver.より)