オーストラリアで怒る時ってどんな時? | 大江戸カンガルー SAMBA CARAMBA!

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日本を離れて11年。現在オーストラリア・メルボルンでなぜかラテンに暮らす日本語大好き日本語教師猿日記や地球を回る(中南米気味)旅日記など。

同じアホウなら、サンバでルンバ!

私が大好きなブラジルにお住まいのカエルさんのブログで、先日郵便局員の記事に一笑いしながら私も思い出しました。

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それはもう9年も前の話。私がQLD州からVIC州のメルボルンに仕事を変えて、その移動中にビザの書き換えでNSW州のシドニーの移民局に行った時のこと。

やはりシドニー、外国人がたくさんいる上に年末年始休み明け初日ということもあり移民局も混み込み。おそらく待ちつかれて苦情が色々入るのでしょう、待合室の壁のあちこちに「辛抱強くお待ち下さい。」「局員は順に対応しています。」「局員に強く当たらないで下さい。」などの張り紙が。

私も辛抱強く待つこと数時間。ついに自分の番が。

必要な書類を出して、申請料も払うと、これで大丈夫だけどビザの発行は後日になるからまた別日に来てと言われました。その日にもらえるものと思っていた私はちょっとびっくりがっかり。

でも家に帰って、よくよく考えたら、、「後日っていつだ?」(だいたい、それを聞かずに帰ってきた私も悪いのだけど、当日もらえない事にびっくりして聞き忘れた。)

シドニーには数週間の滞在のみでその後メルボルンに行くことになっていたし、大体シドニーでの私の連絡先も伝えてなかったので、あわてて移民局に電話してみると、



移「書類も出してお金も払ったのよねえ。そしたらその場でもらえるはずよ。」

私「何ぃ~!!」




そこで翌日また移民局へ。待つことやはり数時間。やっと自分の番が回ってきたら、呼ばれた先は数ある窓口の中からなんと昨日と同じ窓口で同じ職員。

とりあえずそ知らぬ顔で昨日書類も出してお金も払ったというと、

「ああ、それならその場でビザ発行されるよ。」


「!!!!!」




そして、何の問題もないよと私のパスポートにちゃっちゃとビザを貼ってくれました。

いやいや、まだ発行できないと言ったのはお前じゃー!昨日のお前のその口じゃー!

あいた口がふさがらないとはこのこと。

前日のお金を払った日、私の前に待っていた人の連れていた赤ちゃんが癇癪を起こしてずーっと泣き喚いていた。あれか?激混みの上にあれが原因で局員の機嫌が悪かったのか?と思ったり。

よく移民局にビザの事を問い合わせると人によって言うことが違うとか聞くけど、人によってどころか同じ人でも1日たてばこんなもの。ビザというかなりの重要案件でこうなのだから、他の事など推して知るべし。


日本を出て暮らしていると、日本でよく言われる「社員教育」が行き届いてるかどうかなんてまず期待しない方がいい。はなからそんな観念はないのだから。そんなこと言ったらこっちが宇宙人と思われかねない。

オーストラリア、ブラジルに限らず日本以外のほとんどの国で日本並みにそこを追求する所はあまりないように思う。それに関してはは日本の常識は世界の非常識??カエルさん語で言えば日本が別惑星。

そしてそんな惑星から他の土地にやって来ると、そこでの物事の大雑把さ加減に不満だったり怒れる日本人があちこちで発生。でも、和を大切にして表立った争い事が嫌いなのも日本人、こうして怒りの持って行き場を失って、怒りや不満がが内にくすぶった、怒りの燻製内臓日本人が今日も世界のどこかで発生していることでしょう。


こんな例も。ニュージーランドでワーホリしていた14年前、銀行に預けていた定額預金の利子が半年後の満期時に間違っていることに気がついた。銀行に出向いて今まで少なく利子が入っていたという由を告げた。日本ならここはとりあえず「申し訳ございませんでした」とかなんとか謝罪から入るのが普通の所。ところがこの行員は満面の笑みで

「あらあら、間違えちゃってるわねえ。災難だったわね、コレ扱ったの誰かしら?」

銀行を代表して他の行員のミスを自分が謝る気などサラサラない。全くの他人事。会社は会社。私は私。他の行員は他の行員だ。逆に間違えを修正してあげる私はあなたを助けてあげているのよ、という位のスタンス。もしかしたら、自分が半年前の張本人だった可能性だってあるのに。だいたい半年も前に預けた時の担当行員の名前なんて覚えてないっつーの!って、私、怒ってたなあ、あの頃。日本を出て1年目のあの頃はまだまだ私も青かった。日本から来たエイリアンでした。

でも、こんな国ではちゃんとしてないことに対していちいち腹を立ててちゃ身がもたない。気楽なスタンスで、ささいな不行届きや理不尽なことにも動じない心の育成と、誰かの責任を追及するのでなく今ある問題をとりあえず解決する方向ににベクトルを向けた方が得策。それに逆に言えば自分が失敗した時にもそれほど責任を感じる必要もないのです。

あの頃そんな事で怒っていた私も今ではすっかり慣れてしまって、その証拠にこういう事で怒ったエピソードを思い出そうとしても、こうして9年前とか10数年前の出来事しか思い出せない。ちょっとやそっとじゃ何とも思わなくなってきているのだ。もしかしたら、この国の人達が色々ちゃんとするようになってきたからという見方もできるかもしれないけど、、、それはどーかな(^_^;)

そして、まだまだ呆気にとられることもあるけど、逆にこれが何かと気楽で便利だったりもするのだ。カエルさんも言ってたけどネバーギブアップ。場合によっては、手を代え品を代え、もしくは日を代え人を代え、食い下がってるうちに駄目なものもOKになったりするのだから。「ルール」や「規範」が全ての秩序整然とした融通の利かないきっちりかっきり社会よりも、寧ろこのいい加減でflexibleな社会の方が私にとっては暮らしやすくなってきている。

人間なんだから誰でも間違えるのだくらいのスタンスで生きていくのが吉かと思ふ。合言葉は「しょうがないな。」「まあ、いっか」辺りで。


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