久々の更新であります。
1ヶ月以上も空けててしまいました。
どの会社も決算月を迎える1月・2月・3月は追い込み入り小生も人並みに忙しい日々を実感。
小生御用達の『喫茶リーベ』でさえ足が遠のきます。
この忙しさは、お蔭様で営業成績に【繁栄】させることが出来まして、まずは《めでたし》・《めでたし》。
さてさて、ここで【繁栄】と云う言葉が出て来ましたが、小生のお客様がある木場に【繁栄稲荷神社】なるものがあるのです。
思い起こせば昨年12月・・・営業成績も不振なら棒茄子も不振。
不振だらけの毎日を過ごす小生、ひょんなことから【繁栄稲荷神社】の存在に気付きました。
木場駅からお客様へ向かう途中の横道にこの【繁栄稲荷神社】があったのです。
なんか【繁栄】っていいなあ・・・と思いつつお賽銭を投じ、『大きな大きな受注がありますように~!』と木場に行くたび参拝。
藁にもすがりたい低迷期状態が続く中、まさに困った時の神頼みでありました。
そして迎えた本年1月より大型の受注が続く続く・・・・・続く。
そんなこともありまして今期は《めでたし》・《めでたし》で締めくくることが出来ました。
ありがたいことでございます。
もちろん、今でも参拝はかかしておりません。
そうそう、2月には紅白梅が左右対称に綺麗に咲き誇り、思わず写メってしまいました。
さて、ここで【繁栄稲荷神社】の紹介をしましょう。
木場繁栄稲荷神社の起源は江戸時代の中期、宝暦7年(1757)に木場の地に創祀されたことにはじまります。
大丸の業祖下村彦右衛門正啓は、享保2年(1717)伏見に創業し、寛保3年(1743)日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが、越えて宝暦7年(1757)深川木場4丁目すなわち現在の繁栄橋橋畔に貯木場を備える別墅を営み、その一廓に社殿を造り、伏見稲荷大社の御分霊を祀り、繁栄稲荷と称したのです。
祭神の霊験はあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰を集め、3月12、13日の例祭には門前市がたつ大賑わいで、その側に架せられた橋も、いつしか繁栄橋と称されるようになりました。
と、このように歴史ある【繁栄稲荷神社】。
機会があればお立ち寄り下さいませ。