[ 真 ]
「桜子、大学に行こうか」
「何しに」
「腹減ったし大学見たいし食堂あるだろう?」
「うん」
おれは桜子の恋人に会いたかった。いや桜子を会わせたかったということか。
もしかして、そう、だめかもしれないあるはずのない最後の手段と考えたのだろうか。
桜子の自殺をやめさせるため。
大学構内を歩いていく。学生が話をしながら通り過ぎていく。おれも来年あのように屈託の無い顔をして現実か夢かわからない話を楽しそうに笑いながらしているのだろか。桜子だって生きていれば面白おかしくさめた話を考えながら芝生の上を歩けるだろう。
なんかおかしい。自分が夢と現実の境界線を歩いていると思っていたら、夢の中を歩いている人がいた。桜子。
その夢は危険でめまいがするくらい官能的だ。
おれは、きっと、震えている。
「A,B,C、どれにする?」
「A定食」
「お前の恋人現れないかな」
「現れないよ、きっと。あの人あまり学校に来ないよ」
「何してるんだ?」
「引きこもりというか、作詞や作曲をやっているんじゃないかと思う」
「バンドやってるのか?」
「うん。ブルースマン」
「ギター?」
「うん、なんでもやるわ、ギターもピアノもドラムも。いつか一緒にバンドやろうといってくれたけど、もう無理だわ」
「おれも楽器やるよ」
「なに?」
「ソプラノサックス」
「どういうのをやるの?」
「ジャズとかロックとか、桜子のサマータイムかっこよかったよ。できたらセッションしたいな」
「いいね」
「恋人と一緒というのもいいな」
「だめよ。もう3ヶ月会ってないわ。もう会わないよ。思い出としていいじゃない」
「そうか」
おれはおれのできる限りをした気持ちがどこかである。桜子の自殺をやめさせようとした。
姉の鞠子に話すべきだったのだろうか。いやそれはできない。
桜子はおれだけに話した遺言。秘密は守らなければいけない。
1週間というものが7日間というものがこれほど永いものだとは思わなかった。
おれは桜子に何をしてあげたのだろう。
ただの通りすがりか。
お兄ちゃんと言ってくれた。
思い過ごしかもしれないが、桜子の最後に信じた人になれたのに。
俺自身の闇を桜子は持っていたと思う。
子供ができたことが引き金だったのだろうか。
いつかは踏み出すと決めていたとしたら、桜子は、そのきっかけを待っていた。
おれもきっかけを待っているのだろうか。
桜子とすごした短い一瞬一瞬がフラッシュのように目の前にはじけていく。
「なぜ生きているの?」と桜子は言った。
わからない。わからない。
人はそのようなことを考えるのだろうか。
常識的にとらえることはできるだろう。
哲学的にも話せるだろう。
しかし、死を前にした人に対してどれだけの説得力があるのだろうか。
ない。
ならば、生きているというのは、どういうことなんだ?
熱が、情熱がもしかして最後の救いになるのかもしれない。
たった一言で思いなおすことがある。
飢えているんだ、人間は、愛に。
どんな一言が桜子の明日へつなげることができただろうか。
桜子はあまりにも凍えていた。
溶かすための時間が少なすぎた。
それは、いいわけか。
もっとぶつかればよかった。
なんか遠慮があったのではないか。
ということは、愛してなかったのか?
いや、そんなことはない。
あまりにも早かった。
あらかじめ決まっていた脚本の中におれがたまたま顔を出したに過ぎない。
そういうことか。ならば寂しい。かなしい。
結局桜子の苦しみを背負うことができなかったのか。
関係のないたまたま通りすがりの人と、脚本を演じる女優のすれ違い。
どこかでは接点はあったはずだ。
桜子がサマータイムをピアノで弾き始めたとき、おれがサックスで割り込めばよかったのだろうか。
A定食をBにすればよかったのだろうか。
抱けばよかったのだろうか。