阿古・二本の虹 第2章

 阿古・二本の虹 第2章

滝の中に洞窟がある。

滝の外側から落ちてくる水に限りなく近づいたとき、砕け散る小さな水玉に二本の虹は見えた。

複数執筆者による小説 執筆者

キャシー同志社大、山ー畜大、こっちー畜大、 

阿古ー塾講師  実ー阿古の夫そして離婚  塔子ー早稲田  花ー教育大卒  鞠子ー山形大学院卒

Tac-小樽商大  hibikiー弘前大  京介ーコロンビア大中退  健太ー北大  α-健太の彼女

真ー東大  Yume-弘前大  β(?αの友達) 冴子ー畜大 しんちゃんー渋谷の居酒屋の店長



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[ 真 ]


 それで、

おれは帯広にたどり着いた。

緑ヶ丘にホテルをとった。

桜子の夢にうなされていた、始終。

カウンターでビールを飲んだ。

食堂では子供づれの家族が笑いながら食事を取っている。

うらやましい。

あんなことがおれにあっただろうか。

ホテルの近くの公園に行った。

帯広監獄があったとの事。

そんな昔のよくわからないけれども、凄みがあった感じはまったくない。

どこかすごくのどかでウオーキングをしている人が目につきパークゴルフをやっている人たちの多さに驚く。

のどか、幸せ。

だろうか。それぞれの苦しみを考えればそうもいえないと思うけど、表面上には波は立っていない。

おれは陽光がまぶしいからグリーンパークの上で眠ってしまった。


気がつくと目の前に鞠子がいた。

「久しぶり」

「うんj」

眠りから冷め切れないおれは、鞠子は桜子ではないかと思っていた。


「おなかすいた?」

「うん」

「何食べたいの?」

「ジンギスカン」

「作ってあげるわ。

で、ね、あなた桜子を殺したんじゃないの?」

「そんなことない」

「そう、これから私のうちに行くわ」


グリーンjパークの上を一緒に歩いていた。

「あのベンチ世界一長いのよ、400メートルあるの」

「すごいね」

「あなたは何しにここまで来てるの?」

「わからない、流れてる」

「どういう流れ?」

「人間探し、家族探しかもしれない、母親探しかおれ探しかもしれない、もしかして鞠子探し!?」

「ばか、何言ってんの」


[ 真 ]


 歩いていた。別にどこに行こうとか考えていなかった。桜子と弘前の町を歩いていた。

道が狭い

「迷路みたいだな」

「そうよ、ここは迷路なの」

「どうどうめぐりでまたもとの場所にいる」

「そうよ、ここは人生なの」

「出口が見つからないよ」

「そんなことはないわ。私は見つけたわ。あなたは見つけないほうがいいの。

それはね、出口を見つけるということは終わりということを示すの。

だって、迷路で出口が見つかったらそこで終わりじゃない?」

「そうだけど。でも、出口が見つかっても、次の迷路にはまり込めばいいんじゃないか?」

「それは次がある人の発想よ。私にはこの迷路が最後なの。

私はそれほど強くはないわ。疲れたわ」

「疲れるのは人間ではないか?」

「明日が見えないとしたら、どうするの?」

「それがいいんじゃないか。どんどん自分を追いこんjで行くことが快楽だと思うけど」

「私はソフトMなの。あなたのハードにはかなわないわ。

そしてね、私は数学をひとつ発見したの。

私には子供ができたわ。

1+1はきっと2とか無限大だわ。

でもね、1+1=0があるということを発見したの」

「1×1=1でもいいんじゃないか」

「そうわいかないわ。私の数直線はマイナスに向かっているの。

今は、もう、プラスを見ることはできないわ」


おれたちは弘前城のお堀の横を歩いていた。

三日月がお堀にうつっている。

すでに花のないしだれざくらが月に触る。

「もう桜はないの。散ったの。わたしも」


おれはいつも現実と夢との境界にいると思っていた。

そして、それ自体が幻であるとわかっていたし、だから、桜子の話が自然におれに入ってきていた。

しかし、どこかで、おれ以外の人がその境界にいるとは思っていなかった。

だから、桜子の話や桜子そのものが幻の幻と思えたし、だから現実ではないと錯覚していたのかもしれない。


桜子はこんなことを言った。

「あなたに会えてよかった」


おれにはまだわからない。

桜子がなぜ現実からいなくなったのか。

[ 真 ]


「桜子、大学に行こうか」

「何しに」

「腹減ったし大学見たいし食堂あるだろう?」

「うん」


おれは桜子の恋人に会いたかった。いや桜子を会わせたかったということか。

もしかして、そう、だめかもしれないあるはずのない最後の手段と考えたのだろうか。

桜子の自殺をやめさせるため。


大学構内を歩いていく。学生が話をしながら通り過ぎていく。おれも来年あのように屈託の無い顔をして現実か夢かわからない話を楽しそうに笑いながらしているのだろか。桜子だって生きていれば面白おかしくさめた話を考えながら芝生の上を歩けるだろう。

なんかおかしい。自分が夢と現実の境界線を歩いていると思っていたら、夢の中を歩いている人がいた。桜子。

その夢は危険でめまいがするくらい官能的だ。

おれは、きっと、震えている。


「A,B,C、どれにする?」

「A定食」

「お前の恋人現れないかな」

「現れないよ、きっと。あの人あまり学校に来ないよ」

「何してるんだ?」

「引きこもりというか、作詞や作曲をやっているんじゃないかと思う」

「バンドやってるのか?」

「うん。ブルースマン」

「ギター?」

「うん、なんでもやるわ、ギターもピアノもドラムも。いつか一緒にバンドやろうといってくれたけど、もう無理だわ」

「おれも楽器やるよ」

「なに?」

「ソプラノサックス」

「どういうのをやるの?」

「ジャズとかロックとか、桜子のサマータイムかっこよかったよ。できたらセッションしたいな」

「いいね」

「恋人と一緒というのもいいな」

「だめよ。もう3ヶ月会ってないわ。もう会わないよ。思い出としていいじゃない」

「そうか」


おれはおれのできる限りをした気持ちがどこかである。桜子の自殺をやめさせようとした。

姉の鞠子に話すべきだったのだろうか。いやそれはできない。

桜子はおれだけに話した遺言。秘密は守らなければいけない。

1週間というものが7日間というものがこれほど永いものだとは思わなかった。

おれは桜子に何をしてあげたのだろう。

ただの通りすがりか。

お兄ちゃんと言ってくれた。

思い過ごしかもしれないが、桜子の最後に信じた人になれたのに。


俺自身の闇を桜子は持っていたと思う。

子供ができたことが引き金だったのだろうか。

いつかは踏み出すと決めていたとしたら、桜子は、そのきっかけを待っていた。

おれもきっかけを待っているのだろうか。


桜子とすごした短い一瞬一瞬がフラッシュのように目の前にはじけていく。

「なぜ生きているの?」と桜子は言った。


わからない。わからない。

人はそのようなことを考えるのだろうか。


常識的にとらえることはできるだろう。

哲学的にも話せるだろう。

しかし、死を前にした人に対してどれだけの説得力があるのだろうか。

ない。

ならば、生きているというのは、どういうことなんだ?


熱が、情熱がもしかして最後の救いになるのかもしれない。

たった一言で思いなおすことがある。


飢えているんだ、人間は、愛に。


どんな一言が桜子の明日へつなげることができただろうか。

桜子はあまりにも凍えていた。

溶かすための時間が少なすぎた。

それは、いいわけか。


もっとぶつかればよかった。

なんか遠慮があったのではないか。

ということは、愛してなかったのか?

いや、そんなことはない。


あまりにも早かった。

あらかじめ決まっていた脚本の中におれがたまたま顔を出したに過ぎない。

そういうことか。ならば寂しい。かなしい。


結局桜子の苦しみを背負うことができなかったのか。

関係のないたまたま通りすがりの人と、脚本を演じる女優のすれ違い。

どこかでは接点はあったはずだ。


桜子がサマータイムをピアノで弾き始めたとき、おれがサックスで割り込めばよかったのだろうか。

A定食をBにすればよかったのだろうか。

抱けばよかったのだろうか。


[ 真 ]


 暗闇に人形が立っている。裸の桜子だ。

涙を流す。開いた目。ぬれたまつげ。

「ありがとう。これで次にいけるわ」

「その旅やめるわけにはいかないのか?」

「決めたというか決めてたことだから」

「ちょっとずれるかもしれないけど、おなかの子は6ヶ月なんだろう?!母性とか感じないのか?」

「感じるわ、だから、やめようと思うの。狂人の子はかわいそうだわ。育てる自信は無いわ」

「でも、子供にはつみは無いのではないか?」

「そうだわ」

「もし旅に出たら殺人というか心中か?」

「そうよ、私がいないところでこの子を苦しめたくないわ」

「一緒に残ればいいじゃないか」

「言いたいことはわかるわ」

「ならば落ち着いて」

「落ち着いているわ。最後に誰かに私を見てほしかったの。

あなたが私の最後のお客様、いや最後の晩餐ね」

「本当の理由は何なんだ?」

「わからないわ、わかっていることはなぜ生きるのかわからないということだけ」

「人間はさ、その問題を考えるために生きているんだよ」

「何よ、お説教はいいわ」

桜子は右手でおれを突く。


桜子のその右手には吐きだこができている。歯形が手に赤黒くついている。1回や2回でできるたこではない。

相当永い苦しみか。過食症だ。

たくさん食べて手を口に突っ込み食べたものをすべて吐き出す。

精神病だ。


会って数日しか経っていないしそんなに話をしたわけでもない。わからないその病原が。


「わかったから、とりあえず服を着てくれないか」


「なんか飲む?」

「うん、ウイスキーあるか?」


桜子は居間へ連れて行く。大きなうちだ。

「今日はうまいことに誰もいないの。おじさんのウイスキーもらっちゃおっと」


「これうまいな、高いな」

「そうよ、おじさんお医者さんだしセンスがいいの」


桜子はピアノを弾きだした。

サマータイム。

うまい、きれいだ、悲しい。


「別れなければいけないのか?」

「だめよ、そんなこといっちゃ」

「どうしても待ってほしいんだけど」

「いつまで?」

「明日」

「きっとできない。今日がお別れ」

「桜子、おまえ頑固だな」

「そんなこと無いわ、自分の意志というか自然の声に従いたいだけなのよ。

あなたに何も言わなかったら、今までのような話は無かったと思うの。でもそれは私の脚本にあったとおりよ。

何もかもさらけ出したいと思うの、最後になったら、誰かに。お兄ちゃんがずいぶん安らげてくれたわ。

感謝というか腹が決まったというか」

「その子の父には何か言ったのか?」

「ずいぶん前から会ってないわ。会うと迷惑かけるし、間違えてその人と心中ということになったら彼の将来奪ってしまうし」

「どこでスイッチが入ったんだ?」

「お兄ちゃんしつこいよ。そんなことわからない。本当のお兄ちゃんだったらよかったと思う」

「おれ一人っ子だから兄の感じはわからない。本音を話すと桜子の病気とおれのは部分集合でつながっていると思う。5歳のとき父母は離婚し祖父母のところにいることになった。何のふじゅうも無い恵まれた生活だった。でも

どこかに穴が開いていた、さびしかった。おれは今も母を捜している。お前が父親を追っているようにな。今浪人中だけど、どうしようもなく、母親を探しに沖縄から出てきたんだ。たった一つの手がかりは帯広からの母の最後の手紙。桜子が帯広から来てるということで惹かれたのも事実だ。ま、それ以上にお前は魅力的だ、かわいい」

「ありがとう、なんかすごい最後をくれたみたい、これから泣くから一人にして」





[ 真 ]


 桜子の部屋に夕陽が差していた。

部屋は桜の香りがした。それは男の部屋には無いもので女子特有だったのか桜子の香りだったのかはわからない。桜色のベッドカバーの上に腰をかけている桜子。おれは勉強椅子に座っている。

「これだけ参考書があれば大丈夫だよ」

少し古い赤本は姉の鞠子から貰ったものだろうか。

「積分がなんかわからないの、公式を使うことはできるんだけど」

「∫(インテグラル)の意味がわかんないんだね。インテグラルは集めるという意味なんだ。

例えばy=f(x)、y=a,y=bとx軸で囲まれる面積の求め方はね、その図形をx軸に垂直な直線で切っていくんだ、そうすると縦の長さy横の長さdxの薄い長方形の集まりが全体の面積になるわけよ。これが極限の発想を入れた考え方で、これは昔誰かが面積を求めるのに有限の長方形の集まりとした考えを無限にしたものなんだ。

だからaからbまで長方形の面積f(x)dxを集めればいいのさ、それが公式の意味だ。同じ発想で回転体の体積もaからbまでπf(x)の2乗×dxすなわち薄い薄い円柱の集まりが体積という意味さ」

「なんかわかった」


そんなこたえをする桜子の眼はうつろだった。勉強教えてほしいということで弘前城から桜子の部屋に来た。

もしかして、桜子のうつろの世界におれは惹きいれられたのかもしれない。少しの沈黙は永かったのかどうかわからない。自然に二人は黙っていた。

桜子はベッドを降り窓辺に歩く。陽が翳ってくる。

桜子は背中を向けて、服を脱ぎだした。

目の前に桜子の裸が影絵になる。

振り向く。目が合う。


二人の距離は近いのか遠いのかわからない。

相反する考えが声が交錯している。恋人なのか、兄なのか。


二人とも踏み出さない。

時が止まっていた。

[ 真 ]


 弘前を離れずらかったのは、言い換えればそこにいたかったのは毎日桜子に会いたいと思い、

会っていたからだ。

桜子が死ぬ前の日だった。

おれは弘前城のほとりに座っていた。

遠くから桜子がワンピースを揺らしながら走ってきた。

言われたからかもしれないが、おなかの部分が少し出ているような気がした。

「お待たせ」

「なんか酒臭いぞ」

「ブランデー」

「何で?」

「男引っ掛けたの」

「何で?」

「歩いていたら声をかけてきたの、30くらいのサラリーマン風」

「それでちょっと付き合ってあげたのよ」

白い30センチ四方の箱を突き出す。

「今日記念日だから、お兄さんにケーキをプレゼントしようと思ったの」

箱を開けるとぐちゃぐちゃに捻じ曲がったショートケーキが現れる。

「逃げるとき走ったから、ごめんなさい。ちょっとしつこかったのよ」

「だめだよそんなことをしたら」

「わかるけど、今日はなんか血が騒いだの、今も騒いでいるわ」

「これからそんなことをしたらだめだよ」

「しないわ、もうできないの」

「何の記念日?」

「知り合って6日目の記念日。そんな日は一生で一度よ。会った瞬間に兄と思えたし恋人とも感じられたわ」

「おれ恋人のほうがいいな」

「そうはいかないわ。私兄がほしかったの。そこにあなたが現れ、私のすべてをさらけ出し、きっと甘えてみたいの。きっと私フアザコン、人間嫌い、父はどこかの女の人のところへいったのよ。

きっと、両親は私を桜子と名前をつけたのは春の光や心地よい風の中に明るく咲く桜を連想したと思うの。

二人の間違いは、散る桜を考えないことだったと思うわ」


鮮烈な絵が眼に焼きついている。

少女は白いケーキの箱を揺らしながらワンピースをひるがえしおれに向かってくる。

次から次へと涙あふれるほほ染め桜。

何とかできなかったのだろうか、兄として。


[ 真 ]


 熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

ニキタツニフナノリセムトツキマテバ シオモカナイヌイマハコギイデナ


これ私一番好きなの、きっと記憶の底にふっと入り込む魔力のようなものね。

覚えているよ。

きっと、この言葉は人の記憶にすっと入り込む魔術があると思うの。

そうかも、おれも教科書で一回読んだら記憶されていた。

ということは、人は漕ぎ出さなければいけないのよ。

どこへ。

好きなところへ。

なんかすごいな。

そんなことはないわ。あなただってどこかへ漕ぎ出しているのでしょう。

まあそうだけど。

もしかして、これ私の遺言。だれにも言わないでね。

なんだようそれ。

おさないのね。


そんな会話を思い出している。弘前城の上の空は青い。

おれは芝生の上で何かを思い出していた。


私の両親離婚したの。周りが私を医者にしたかったみたい。

というのは弘前の母の兄が病院をやっていたけど、どの子供も医者はやりたくないということだったみたい。

喫茶のあの男の人を見ればわかるでしょう。それで中1から弘前に呼び寄せ教育に入ったわけ。

私はいやではなかったわ。うれしい気持ちもあったし。

なんだろう、うまく説明できないけど、きっとだれのせいでもないのだろうけど、生きるという意味の次を見たいと思い始めたと思うの、それだって小6の頃よ。

去年弘前城の桜を見ているときに誰かが声をかけたの。

弘大の数学科に通う学生よ変な人だった。髪が長いの。いつも遠くを見ていたわ。

その人はあまりうまいことは言わなかったけれど、きっと上手な誤解をしたと思うわ。

恋ね。

その人は数学の難しいことは何も言わずに夢だけ語っていたわ。

そのうち酔ってくると夢って何だと泣き始めるの。

夢と現実の境目にいることは感じたわ。それは私にとってのきっとエクスタシー。


でね、今私妊娠6ヶ月なの。


どうするの。その人に言ったの。

言ってないわ。どうのもできないわ。誰にもいえないの。

[ 真 ]


 「ねえ、コーヒー頼んで、なんでもいいやブラックで」

「かしこまりました」

カウンターの中には大男がいた。坊主頭でなんとなく品がある顔をしている。

無愛想である。ここにいないような、どこか遠くを見ているような目をしている。

だれかに似ていると思ったら実さんの雰囲気を漂わせていた。

「どうぞ」

「なぜここにいるの?」

「ここ私の親戚なの」

「マスターかっこいいね」

「そうよ、詩人なの、ベースもやるしね」

「そっか。おれもさっき弘前城の横でさくらという詩を考えていたよ」

「あら、私の名前ね。桜子っていうの」

「いい名前だね。なんかまいった」

「殺された?」

「うん、おれまこと、真実の真さ」

「津軽弁っていいな、官能的だ、特に若い子のは。何年生?」

「高3、来年受験」

「どこ受けるの?」

「弘大の医学部」

「そっか、おれも来年受験だ。今浪人、おれも医学部を受けるよ」

「どこの?」

「東大」

「すごいな」

「どこも同じだよ、簡単かもしれないしむずかしいかもしれない。棚に酒あるけど頼める?」

「大丈夫よ。何にする?」

「ウイスキーの水割り、なんでもいいや」

「まってて」


桜子は本当に桜のようだ。透き通った肌にときたま桃色がさす。

でも背中がさびそうだ。それも桜か。

「お待ちどうさま」

「勉強してる?」

「してないわ。私受験しないわ」

「どうして?」

「うまく説明できない。私帯広出身なの、中学1年のときにここに来たの、弘大の医学部に入るために」

「それで弘前弁がうまいんだね」

「そう、ここにはまってしまったわ。弘前というか津軽はすごいのよ。魔物みたいななものがいるの。

やさしいというかそんな広さと深さがあって、そしてグローバルなの」

「どういうこと?」

「中央というか東京に対する意識が非常に強いの。太宰がいたり棟方しこうがいたり。ま芸術的なの」

「そっか、いいね」

「私の芸術は何なの?って考えたりするわけ」

「それは何?」

「死。太宰がなぜ何度も自殺をしようと思ったのかを考えてるの。そんなことを考えてると勉強どころではないわ」

「そうだよな」


そこに桜子と瓜二つの子が入ってきた。

「あ、お姉ちゃん、どうしたの?」

「あなたの応援よ。どうお、がんばってる?」

「ばっちりよ。こちら私のおねえちゃん」

「こんにちわ。姉の鞠子です、山形大の大学院に行ってます」

「真です、あのおれ単なる客です」

「そうですか、どちらでもいいのですけど」


何倍飲んだろうか。わからなくなって駅前のビジネスに泊まった。

目を閉じながら桜子は本当に受験しないのだろうかと考えていた。


おれはどういうわけか弘前を去りがたく毎日ただ弘前城を見に行っていた。

1週間ほどたってからまたそのジャズ喫茶に行った。

数人の人が忙しそうに怖そうな顔をして出入りしている。

鞠子が寄ってきた。


「桜子死んだの、自殺」

[ 真 ]


 蝶々は本州から奄美諸島へ向かうらしい。

なぜそんな遠くを移動するのだろう。何に会いたいのか。何にぶつかりたいのか。何にほめられたいのか。

本能的なものか。きっと、でも、何かを求めている。


 そんなことを考えながら弘前城のお堀の横にいた。しだれざくらは終わっていた。

おれは桜を思い出しながら「さくら」という詩を考えていた。

桜のトンネル そんな出足を考えた。ダサいだろうか。そこには少女がいる。

なぜか泣いている。どうしたんだろう。ふられたのだろうか。それとも家庭内のどうしようもない問題。

おれは少女に話しかける。

「コーヒー飲まない?」

超古いトーク。

「飲む」

何だろう、なんかわからない。その子についていく。

ジャズ喫茶に入る。ソングフオーマイフアーザーが流れている。

「私これすきなの」


[ 真 ]


 盛岡も通ったなあ。


火にあぶられた八戸の波止場を歩いているとき

Let It Be が流れてきた。

なぜ母親を求めるのか。

求めるふりをしているのか、時を埋めるために。

なぜ医学部を受けるのか。

物事は理由付けが必要なのだろうか。

面接では、なぜ医学部を受けましたか?かその他の現代医療の問題点をきかれるだろう。

相手が納得する応えは出せるしきっとそうするだろう。

だからってどうなるのだろう。


陽に灼けたコンクリートの横を陽炎が通り過ぎる。

そしておれを包んでしまう。

その、この安堵とはなんだろう。

空をかもめが飛び、おれを見ていたというより目が合った。

瞬間一体になれた気がした。