TVの映像やネットを見るのがつらい。
16年前の阪神淡路大震災の朝のことを思い出す。
当時大阪に住んでいたのに、たまったま泊まりで遊びに行った三宮で被災した。
上も下も何も分らなくなった。
とにかく近くにある何かにつかまってじっと耐えた。
何分も続いたような気がしたのに、実際は20秒あるかどうかだったらしい。
余震の中、何時間化は「外の方が危険」と判断してずっと建物の中でじっとしていた。
そのうち、なんかガス臭くなってきたこと、余震がだんだん小さくなってきたこともあり、大阪に帰るために外に出て駅へ。。。。
向かおうと思ったら、自分がいた建物のまわりでたくさんの建物が倒壊していた。
駅まで徒歩で10分もかからない立地だったはずなのに、瓦礫や倒壊寸前の建物に阻まれて30分以上も迂回してやっとJR三宮駅についた。
構内まっくら。
線路がぶらさがっていた。
今思えば、なんであれだけの地震があったのに、電車で大阪に帰れると思ったんだろう。
悲惨な状況下にあるのに、数時間悲壮感がなかったのは、目の前にあるものに全く現実味がなさすぎたんだと思う。
しかも街を歩いているだけでは、情報が何も入ってこない。
大阪に帰るのをあきらめて、知人宅(北区)に身を寄せるために歩き出した。
直線距離で15キロだけど、山越え&うねうね道だから何キロあったんだか。。。
途中、親切な方が「どこまでですか?」と車に乗せてくれた。
本当にありがたく、何度もお礼を言っても「こんな時はお互い様です」と言ってくれる。
とんでもない未曾有の大惨事の中にあるということを初めて自覚したのはこの車の中だった。
カーラジオ「少なくとも500名の死亡者」
目的地についてテレビで映像をみて号泣した。
それから2年ぐらいは、震災がらみの番組を見ると涙が出るので避けてたと思う。
今回の東北の大震災の映像は、16年前に感じたショックの比じゃない。
比べちゃいけないかも知れない。亡くなった人の命の重さはどっちも一緒なんだし。。。
だけど、阪神淡路では津波がほとんどなかった。
東北で亡くなった人は、激震の後に「大きかったねぇ怖かったぁ」なんて言う暇もなく、津波に流されてしまって。。。
ついさっきまで普通に生活してた人間が、こんなあっという間に亡くなってしまうの?
神様なんて絶対いない。
と、思う。
できることを、少しでもしてあげたい。
週明けは郵便局に義援金を振り込みに行く。
これ以上被害が広がらないこと、悲しむ人が増えないこと、
そして1日も早い復旧をお祈りいたします。