晴 耕 雨 読

晴 耕 雨 読

晴れの日は元気いっぱい体を動かし、雨の日は粛々と物思いにいそしむ。そんな日々をつづってみます。

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なぜ、予習・復習が大切かご存知でしょうか。科学的に根拠があります。

 人間は、無作為に暗記させられたことがらを20分後には半分程度忘れてしまうのです。1週間後には、23%しか覚えていません。

 しかし、脳裏に事柄を思い返すことで、忘却率を下げることができます。

 勉強も、繰り返し思い出す機会を作ると、定着します。一気に長時間かけるのではなく、「定期的に」、「頻繁に」が定着のカギです。

 日新館では、予習→授業→復習テストと3~4回事柄に接する機会を準備しています。

 また学校の進度に合わせることで、さらに生徒が事柄に接する機会が増加します。生徒も忙しい昨今、なかなか達成できない方もいますが、意識して取り組んでみてください。

 

目標を達成するために、自分が労力を使うことを努力といいます。

だから、達成すべき目標がない時には、努力はできません。

しんどさに耐えていることが努力と思いがちですが、それはただの我慢です。

「努力=大変なこと」と思ううちは、それも努力ではないかもしれません。

仕事も学業もスポーツも、そのものをやっていること自体が幸せを与えてくれます。

努力をしたから幸せになるのではなく、努力をしていることが幸せなのです。

幸せな人生を送っている人に努力家が多いのはそのためなのかもしれません。

勉強でも、運動でも、目標と計画を持って楽しめるかが、「伸び」を決める重要な要素です。

植物の生育には、リービッヒの最小律という考え方があります。

 どんなにたくさんの栄養を与えても、成長は不足している栄養素に左右されるという考え方です。
図は、最小律を的確に例えたドベネックの桶です。一つの栄養素が欠けると、思うように生育しません。

 生徒の成績向上にも最小律があります。
 読解力、計算力、勉強時間、集中力、気持ち、動機・・・成績を左右するすべての要因は、知り尽くすことは不可能です。

 勉強しても成績が上がらない時は、自分自身を冷静に見つめ直し、考え、いろいろな方法を試してみないといけません。
 うまくいかないことに対して、同じ方法でチャレンジし続けるより、別の方法を試すことは、とても大切なことなのです。



3歳の娘を持ち、子づれの人によく目がいきます。

スマホをしながら、乳母車。スマホをしながら手をつないで歩く。そんな光景によく違和感を感じます。

自分の子どもをじーっと見ていると、おもちゃを見たり、自分の方(親)を見たり、チラチラちらちら。実に視線がよく動きます。
じーっと見ていない時でも、子どもはこっちを見ているだろうし、スマホに夢中になっている時は、子どもを無視していることに・・・

スマホやパソコンに夢中になるとあっという間に時間が過ぎます。張られたリンクに次々に吸い寄せられるからです。大切なものを見落としたり、大切なメッセージを聞き漏らしたりしないよう、利用は目的を持って、必要最小限にしたいものです。

中学生や高校生でもスマホばかりを見ている生徒がよくいます。
関わる周りの人間がスマホばかり見ている環境に置かれると、意識しない「無視」により、自身もそうならざるを得なくなりますが、少し視線や居場所をかえて周りを見回して欲しいものです。

また、親も子どもを意識せずに無視することが無いよう、心掛けたいものです。

1、赤ちゃんは“肌”を離すな
2、幼児は肌を離しても“手”を離すな
3、児童は手を離しても“目”を離すな
4、中学生以上は目を離しても“心”を離すな

先日、子育てセミナーなるものの報告を読んでいて、上のような標語?を見つけました。
中学生、高校生の時期はとても微妙で、親離れ子離れをする境目がとても難しいです。
職業柄、様々なご家庭の関係を拝見しますが、親と子の距離は様々です。
これがいいという指標はないと思いますが、中・高生の時期は離れていく時期なんだという意識は必要なのかなと思います。
1学期末テストも真っ盛り。

 塾生の方々と課題を共有し、たくさん勉強していただいています。ありうる課題をすべて示していますが、もちろんできる生徒もいれば、できない生徒もいます。

 全体の量を知ったうえで、自分自身にできる量をしてもらうようにしています。

 勉強は強要せず、ちょっと背中を押すことを心掛けて塾生に接しています。少しずつ継続的に「できる」ことを感じて前に進んでほしいという思いです。

 毎日のコツコツが大切。継続することで結果は変わります!
 続かない努力は、リバウンドで逆効果になることもあります。



 中間テストシーズン。伸びない生徒をなんとかして伸ばすという塾ポリシー。毎日いろいろ考えます。勉強をやってもらえば、必ず成績は上がる。のですが、やってもらうことの難しさ。毎回直面します。


 「成績が伸びない生徒は、机に向かっても集中できていない」事実について、思うことを今月号では書きたいと思います。

 集中できない生徒は、心が「折れやすい」。自分はいい点数をとれないとあきらめている部分があります。ある子育ての本では、「折れない心」は、6歳までに「自己肯定感」をどれほど味わえるかに関係していると書かれています。自己肯定感とは簡単に言うと「私はできる、やろう」と思える心。


 怒られすぎたりしていると、自己肯定感が育たない事が多いそうです。


 6歳までとは言いつつも、中・高校生の時期だって、自己肯定感を育む必要があります。ですが、難しいのは叱ってしつけもしなければいけない時期だということ。そこで、私が生徒との接し方に気をつけていることは、短絡的な言葉は禁物。怒るときは穏やかな気持ちでということです。

つまり、

☆なぜできないの?△→できるはずなのにどうして?○
☆しっかりやらないとだめ。△→しっかりできるはず。○
☆終わるまで帰れない。△→終わったら帰ろう。○

 という言い換えを心がけています。自分がこれを言えない時は、感情的になっている証拠と心得ます。生徒がやってくれないことに対して怒りを感じることもありますが、「怒り」のエネルギーは、予定を決めて、やる時間を割いてもらうこと、そして、それを繰り返すことに向けます。

 自分がこの行為を持続できたとき、感情ではなく理性で生徒に接することができたと考えています。非常に時間がかかる行為ですが、いつか実を結ぶと信じ、貫いています。

 そもそも、勉強をするのは、いい高校や大学に入ることが目的ではなく、「生きるために学ぶ」ことを学ぶためです。よりよい学びをするために、いい高校、いい大学に入るわけです。

 目先の成績が大切だからこそ、「急がばまわれ」(急いでいるなら、遠回りをしなさい)の精神で生徒の継続的勉強ができる精神と環境を支えよう!とフンドシを締め直し、テスト対策をしています。

 中学生や高校生となると親の意見に激しく反対する生徒がよくみられます。
 一般的には反抗期とひとくくりにまとめられてしまいますが、同じ人間同士意見がかみ合わないことは、あって当然のことです。

 

これを、子どもの自己主張とみるのか、反抗期とみるのか、どちらでしょうか。

 

 一つの判断基準として、理由なく(理由を説明できない状態も含む)言われたことに反対するのが反抗。 自分の意志にそぐわないから理由を説明し、きちんと反対するのが自立。
という見方があります。
 

 言われたことをしない、できない理由、自分の意志をしっかり説明し、相手に伝えることができないうちは、大きな幼児が手を振り回してダダをこねているようなものです。

 

 中学生、高校生の間は、衣食住を与えられている身であり、人権は一人の人間として認められていますが、保護者の指導、監督下にある身分です。

 

 保護者は「ならぬことはならぬ」を教えなければなりませんし、それに子どもが反抗(理由を説明しない状態で)するならば、怒るのではなく、説明できるよう導かなければなりません。

 

 じっくり話し合い、言葉をしっかり親が聴くことで、子どもは未熟さを素直に受け入れ、静かに自分の心と向き合って、気持ちを表現し、伝えるちからを身につけます。

 

 職業柄、たくさんの中学生と知り合いますが、気持ちを表現する力に乏しい生徒が多いです。なにもかもが目まぐるしい昨今、学校の先生も、親も忙しいのが当たり前。

 

 でも、子どもが話しかけてきたら30秒黙って聴いてあげてください。私はこの30秒ルールを胸に刻んで、生徒と接しています。
 

 忙しくてもたった30秒。この積み重ねが子どもを育てます。話すことを教えるよりも、子どもの表現力を向上させる効果的な方法です。

 

 是非お試しください。

ドサトロンというのは液肥を自動的に稀釈して、パイプの水に混入する機械です。
6年目に差し掛かり、2回も異常事態に。

H27.10月異音がして吸い上げなくなる→中のバネが切れていた


どさ2


どさ1


H28.3月異音はしないが、肥料をうまく吸い上げない。→逆止弁(サクションバルブ)の間にゴミが詰まって、液肥が逆流

後者は今まで何もメンテナンスしていなかったのに、これまで以上がなかったのがキセキ。高価だけどシンプルな機械の液肥供給機ドサトロン。
トラブルがあるたびに構造を深く理解し、その素晴らしさに感動しています。
自作液肥供給装置の心臓部ゆえ、さらなる勉強が必要です。

サクションバルブ
世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつことです。

世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。

世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです。

世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことです。

世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して決して恩にきせないことです。

世の中で一番美しいことは、すべての物に愛情をもつことです。

世の中で一番悲しいことは、うそをつくことです。

(福沢諭吉)

 学生のうちに、人生の展望を周囲の大人から学べると、どんなにその子の人生は豊かで実り多いものになるでしょうか。

 従って、教育する大人は子どもの手本になれるよう、世の中で一番みじめで、みにくく、悲しくない存在でなければいけません。 子どもとともに切磋琢磨です。