北海道ワイド周遊券での旅を振り返る(道北・道東編)「夜行列車が宿でした」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

函館に到着した快速「海峡」。青函連絡船時代と同じく、本州と北海道の列車を連絡する役割を持っている「海峡」の向かいのホームには、キハ183系550番代「北斗」が待機していました。
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(「北斗」キハ183-1550・函館・1989年8月)
キハ183系550番代は、国鉄キハ183系500番代をベースにJR北海道が1988年に開発。120km/h運転を前提として中間車は660ps出力のDML3030HZ、先頭車は330ps出力のDMF13HZを搭載し、NN183系とも呼ばれていた、当時の最新最強バージョンです。

ワイド周遊券エリア内は特急列車の自由席も乗り放題! ということでキハ183形1550番代の助手席側最前列を陣取って前面展望を楽しみました。130km/h時代と違って所要時間はかなり長かった様な気がしましたが、札幌に無事到着。

そして札幌から夜行急行「利尻」の自由席に乗車しました。貧乏学生ですからホテルなどには泊まりません。ということで道内を走る夜行列車で移動しながら夜を明かすという作戦です。当時は稚内方面への「利尻」、網走方面への「大雪」、そして釧路方面への「まりも」が走っていました。利用方法はふたとおりあって、そのまま朝まで乗って行くパターンと、途中駅で対向列車に乗り換えて戻って来るパターン。この時は終点まで利用するパターンでした。
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(「利尻」ED76 516・札幌・1989年8月)
牽引していた電気機関車はED76形500番代。九州向けの0番代とは周波数が異なるばかりでなく、酷寒地対策を施し重連総括制御を備えた貫通扉付きの長い車体、無電弧低圧タップ切替制御ながら位相制御をサイリスタとしているなど、相違点が数多くありますが、蒸気発生装置(SG)を搭載しているためED76形とされました。DD51が主力の北海道では地味な存在でしたが、急行運用も少ないながらも存在していました。そして、この頃は「利尻」「大雪」の札幌~旭川間を担当。しかもヘッドマークも掲出。

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(「利尻」スハネフ14-500・札幌・1989年8月)
最後尾は14系500番代寝台車。0番代より25両が改造されましたが「北斗星」用に14両が改造。残った11両は気動車併結改造されましたが、夜行列車廃止で消滅しました。

ワイド周遊券で乗り放題なのは普通車自由席だけですが、それでも夜汽車の旅は楽しかったですね。
翌朝稚内に到着後、バスで宗谷岬観光を楽しんで稚内に戻って来ると、すでに上り急行「宗谷4号」の自由席を待つ列がかなりできている状態。自分のその列に並んでホームに入り、キハ400系急行「宗谷」に乗車しました。
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(「宗谷」キハ400 143・稚内・1989年8月)
急行「宗谷」のスピードアップのため、1988年にキハ40形100番代9両のエンジンをDMF13HZ(330ps)に換装。冷房装置を搭載し、キハ183系500番代のリクライニングシートを搭載しました。一般形気動車がスーパー急行に大変身という感じで、カラーリングも好きでしたが、実は乗ったのはこれ一回だけ。キハ400形のうち3両はお座敷車化改造されて500番代となり、残った6両は「宗谷」の特急化後に一般形に戻されてキハ40形330番代となり、札沼線で使用され地増したが札沼線電化で余剰となりました。

当時の「宗谷」も好評で増結することも珍しくなかったのですが、予備車が少ないため旭川のキハ53形500番代などを連結して対応していました。
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(「宗谷」キハ53 508・稚内・1989年8月)
キハ53形500番代はキハ56形を両運転台化した車両で深名線など道北で使用されていました。

「宗谷」発車前に、旭川始発の急行「礼文」が入線。
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(「礼文」キハ54 528・旭川・1989年8月)
キハ54形は北海道向けの2エンジン搭載一般形気動車として1986年に29両が製造されました。このうち、527~529の3両が転換クロスシートを装備した急行仕様とされ、「礼文」に使用されていました。急行仕様車は幕板部にも赤帯が入っていました。通常は2両編成でしたがこの時は一般車を増結した4両編成で運転。
なおキハ54形500番代急行仕様車は台車を振り替えた以外そのままの姿で旭川エリアで活躍しています。

入れ違いで発車した「宗谷4号」。同席した人達も夜行列車を乗り継ぐ旅をしていて、次の目的地も同じだということでしばらく同行させてもらうことに。
そして札幌まで戻ってきてから、今度は夜行急行「大雪」で網走を目指しました。
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(「大雪」ED76 518・札幌・1989年8月)
再び14系座席車で夜を明かして網走に到着。旭川で交換されたDD51が機回しのため引き上げていきました。
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(DD51 1072・網走・1989年8月)
北海道の代表的存在であるDD51形500番代。JR北海道承継車は「北斗星」カラーとなりましたが、各地の急行牽引にも使用されていました。

「大雪」で網走に到着した14系は夜まで昼寝です。
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(「大雪」スハネフ14-500・網走・1989年8月)
14系が引き上げていくと、留置していたキハ183系900番代「オホーツク」が姿を見せました。
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(「オホーツク」キハ183 901・網走・1989年8月)
781系に続いて1979年に登場したキハ183系。量産先行試作車900番代は12両製造されました。キハ183系500番代登場後カラーリングが一新されましたが、意外と似合っていたような気がします。

網走からは釧網本線の普通列車に乗車してのんびりと釧路へ向かいました。釧路では同行者の案内で駅前の市場へ、ここでパックごはんを買って、刺身をいろいろ乗せて食べる「勝手丼」を教わりました。以来釧路に行くたびに市場に足を運んで「勝手丼」を食べています。
ここで同行者と別れて自分は根室へ向かい納沙布岬へ一往復。日が暮れてきたので、根室駅近くの銭湯でひとっ風呂浴びてから釧路へ戻りました。

釧路からは夜行急行「まりも」に乗車。本来は14系の編成ですが、乗客が多かったためなんとキハ56系を増結していました。
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(「まりも」キハ56 106・釧路・1989年8月)
キハ56系と言えばDD51と共に北海道を代表する急行形気動車。
せっかくなのでキハ56系に乗車。というかボックスシートで横になれるので意外と快適だったりするのです。
こうして夜行急行3連続乗車で札幌へ。
当時札幌には単身赴任中の父、転勤していた従兄弟が住んでいたので、しばらく札幌に滞在しました。
(続く)