タイ古式療法、ヌアボーランの創始者、Dr.シバゴ。
彼について、直接知っているわけではないのですが、(2500年も前の話なのだから当たり前だ)
わたしは彼が とても好きです。好きとかいっていいのかしら。敬愛? 師匠と弟子?
あ、わたしは特定の宗教とはなにも関わりはありません。
わたしのおもう神様の感覚は、万物の自然のなかに、ひとそれぞれのなかに、わたしのなかに、宿っていると思っています。
八百万(やおよろず)の神様、ですね。
なので、あなたも神だし、シバゴも神、お米のなかにも神はいる、と。
天草のひとは神様との距離がとても近いんだなぁと感じています。
いつも神棚をきれいにされてたり、地元神社の神事、収穫祭などとても大切にされてますね。
ブッダ(お釈迦様)の花祭りには 甘いお茶を配られてますね。
ところで、みなさんは、日常を過ごすなかで、ふと、なにか言葉が降りてくることはありませんか?
つぎつぎに移り変わる、夕暮れや朝焼けの色彩にみとれるとき、
うつくしく光る月や、
ばらまいたような星空をみあげ、その光を浴びているとき、
木々のあざやかな緑に 目をうばわれるとき、
あまりにもまぶしい太陽の威力に 感動をおぼえるとき、
くりかえす波のむこうに、思いをはせるとき、などなど
ちょっと、ぼぉ〜っと しているときに
わたしの場合は 降りてきます。
要は、リラックスを感じて、
副交感神経が 優位になっているときですね。
潜在意識も ひらいているといわれます。
ひとりで車の運転中や、お風呂に浸かっているとき、、
最近いちばん多いのは 施術中です。
そんな時は、ただ言葉が わたしを通り抜けるようです。
わたしは勝手に 「シバゴからお告げがきた〜♩」と思っています・・
こころなしか、シバゴの像が ピカーンと光ってまぶしくみえる時も、あるような、ないような、、
このへんは感覚なんで、すいません。
でも、なんだかワタシって いつもあまり動じないんです。
ちょっと「あわてちゃイカン」と、どこかで思ってるのかもしれません。
なのでとくに深く受け止めすぎず、さらりと流していくのですが、いつも心にとまり、点を落としていく感覚があります。
そういうときは、ここに残してシェアしようと思います。
なにか感じることがあれば お役立てくださいね。
きょうは、
「みえるものを超え、ふれるものを超えよ。」
読んでいただき、ありがとうございました。