ヌース出版のブログ -2ページ目

ヌース出版のブログ

新刊・既刊・『ロゴスドン』Webの新連載情報等

 ヌース出版の系列で私が代表を務めるフォルトゥーナ書房で、「経験3年以上の文字校正者」を募集(業務委託・完全歩合制)していますが、この度、経験がなくても才能のある方を発掘するための期間限定の特別な募集をいたします。

 2023年12月9日に『超自分史のススメ』をヌース出版から発行しましたが、著者である私が遅筆のために脱稿がギリギリになってしまいました。それで、あまり文字校正が出来ず、本が完成してから複数の訂正すべき箇所に気付くことになってしまいました。

 これをポジティブに捉え、才能のある新人発掘に役立てようと考えました。空き時間に自宅で出来る文字校正者にチャレンジしませんか。当書籍を読んで、訂正すべき箇所に赤入れ(赤ボールペンで間違いを指摘)して、その頁に付箋を付けてフォルトゥーナ書房にご郵送ください。それによって文字校正の能力を判断させて頂きます。的確な訂正箇所の指摘等で評価し、高評価の方に業務委託契約のオファーをさせていただきます。

 最寄りの書店またはネット書店で1冊ご購入頂くことになりますし、お送り頂いた赤入れした本はご返却できませんし、評価結果をお伝えできませんが、それでよろしければ今年(2024年)の2月9日(必着)までにフォルトゥーナ書房にご郵送ください。2月中、初版(第1刷)本を修正した後に第2刷目を発行いたしますので、どこがどのように訂正されたのか、ご確認いただければと存じます。

 それでは、本好きな方からの多くのご応募を心よりお待ちいたしております。

 

<対象書籍>

『超自分史のススメ』

(2023年12月9日 初版発行本のみ有効)

定価 本体1,350円+税

 

<締切>

2024年2月9日(必着)

 

<送付先>

フォルトゥーナ書房

『超自分史のススメ』に掲載した私の自分史(第三部)の最後の小見出し部分をご紹介します。


学者へのインタビュー経験は私の宝物

 『学問の英知に学ぶ』(第一巻〜第六巻)には、諸学問の総称としての哲学を前提とした日本最高峰の学者の英知が凝縮されています。何日も前からインタビューする学者の本を数冊読んで質問にまとめ、当日は九〇分程度のインタビューに集中し、後日インタビュー原稿にまとめるという作業を毎号繰り返しました。マンツーマンでのインタビューですから、役得とはいえ本当に贅沢な体験をさせて頂きました。特定の分野を専門的に取り上げたわけではありませんが、日本最高レベルの学問の英知と密接に関わることが出来た経験は、私の人生の宝物になっています。そんな素敵な経験が出来たのも、ヌース出版という会社を守ってきたからだと思っています。そのお陰で六巻全ての学問の英知が私の頭の中に入っています。今回も数カ所で引用させて頂きましたが、こうした形で今後の私の執筆活動等にも活用させて頂きたいと思っています。
 今回の最後の引用として、世界的な科学者である西澤潤一先生のインタビュー記事「暗記ばかりやっていると、思考能力が低下する」の一部をご紹介致します。

「暗記だけしていればいいというのはローレベルな教育ということですが、その暗記と創造とは、どのように関係してくるのでしょうか」という私の質問に対して、西澤先生は次の様にお話し下さいました。

「だいたい学問というのは、暗記から始まるわけですよ。ところが、暗記をあまりにもしすぎると、ものを考えなくなるんです。だから、暗記の量には適量があるんですよ。ここまでの暗記なら非常に創造性が豊かに展開されるし、思考能力が同時についてきて、ものを考えるようになる。そこから、新しいものを展開していくわけですね。知識が適量だと、知識がつながってくるから、変な現象が入ってきたときに、「これはおかしいぞ」と思うんです。ところが、バラバラな知識がいっぱいあるだけだったら、「ああ、こんなものもあるのか」で済んでしまうんです。今までの知識が充分につながっていればこそ、「これはおかしい。変なものが出てきた」と思って調べるんですがね。頭の中がバラバラだと、疑うこともしない。そのように、思索をしているかしていないかによって、非常に対応が変わるんですよ。」
     『学問の英知に学ぶ 第一巻』「十一章 日本を救う教育哲学」【ヌース出版発行】

 西澤先生もお亡くなりになられましたが、日本から科学技術が無くなると日本人は飢えてしまう、といったことを危惧されておられました。憶えているか憶えていないかをチェックするローレベルな教育を、戦後にアメリカから強引に押し付けられた。その為に日本の創造性が奪われた、という主旨のお話でした。そのローレベルな教育を、後押ししているかの様な日本のクイズ番組。高学歴な人たちがいつまでも、膨大な量の知識や情報の暗記に躍起になっている。最も影響力のある日本のテレビ局が、そんな暗記ヒーローを生産している。そんな暗記ばかりをしていないで、まずは自分史をつくることから始め、自分の善き個性を見出し、世の為、人の為になることに優れた頭脳を使って頂きたいと思っています。

     『超自分史のススメ』(第三部 思い込みと失敗と挫折を繰り返して社長になった)<133頁〜135頁>【ヌース出版発行】

ネットに公開した『超自分史のススメ』の目次で誤解されたので、当該文をご紹介致します。

 

検察庁の事務官に就職内定

 私の卒業年は一九八五年で、バブル景気の前年でした。それでも、就職課に行けば募集に溢れていました。大学六回生の就活時にも、依然として夜のバイト(ディスコのDJ)をやっていました。楽しかったので就職せずに、このままDJをやって、いずれはディスコを経営しようかとも考えていました。

 私の大学時代はまだ携帯がなく固定電話を引いていたのです。母から電話がかかってきたのは、真面目な四回生が就活で忙しくなる時期でした。「検察庁に就職が内定したよ」と、とても嬉しそうな声でした。正兼のオイサンのコネで内定が決まったそうです。当時の私には、どんなことをする役所なのか分かりませんでした。とにかく、母が大喜びしていることだけは伝わって来ました。それまでに何度か、警察の人が就職を勧めに来たことは聞いていました。しかし、柔道部のこともあり、スピード違反のこともあり、自分には肌が合わないと、断るように言っていたのです。

 バイト先の後輩たち(大学生のバイトの中で私が一番年上でした)に、「検察庁に内定したよ」と話すと、「すごいですね!」とか「良かったですね!」とか、皆が検察庁の就職内定に対して高評価をするのです。そんな後輩たちの反応に、検察庁に対する私のイメージが次第に良くなっていきました。その頃の私は他人の評価に左右されるバカな大学生だったのです。 

 しかし、一度は企業の面接というものを受けてみたいという思いもありました。旅行が好きというのもあって、松大の就職課に募集が来ていた近畿日本ツーリストに応募しました。すると、東京での面接の日が指定されました。面接の前日に松山空港から羽田空港まで行き、その夜は当然のように知人と待ち合わせて六本木のディスコへ行きました。翌日の面接は午前一〇時でしたが、起床した時には既に一〇分前でした。「やはり、俺は検察庁に就職する男なのだ」という思いが湧きあがり、連絡も入れずに面接をすっぽかしてしまいました。

 それからは就活はせず、残りの大学生活を如何に楽しむかという方向に心が変わっていきました。バイトばかりやっていたので、お金はありました。楽しいバイトでしたがきっぱりと辞職し、検察庁の事務官という将来の自分を思い描きながら、一人で国内旅行に行きました。

 殆どの四回生の就職先が決まっていた頃だったと思います。母から検察庁の内定が取消しになったとの電話が入りました。いつになく落ち込んだ声だったので、変な予感はしていました。理由を聞く気持ちになれなかったので、「分かった」とだけ言って電話を切った様に記憶しています。後で分かったことですが、私の身辺調査が行われて、スピード違反を繰り返して免許取消しになった過去が判明し、検察庁の職員には不適格とされたそうです。

 既にバイト先は辞めていましたし、新人のDJが皿(レコード)を回していることも聞いていました。仕方なく、また就職課に行くと、東洋観光株式会社がまだ募集していることを知りました。会社概要を見るとホテル経営を始め、ボーリング場、スキー場、レストラン、結婚式場等など、いろんなレジャー関連の事業をやっていました。私は大学時代に全日空ホテルでバイトをした経験もありましたし、スキーも趣味でやっていましたし、ディスコのウェイターも経験していました。自分に合っているかもと思い応募すると、面接が行われ後日採用通知が届きました。

 入社式前に、新入社員数名で広島県内のお寺に二泊三日の合宿研修に行かされました。その研修は他の会社の新入社員と合同の研修だったので、一〇〇人以上の新人がいたことを覚えています。朝五時起床で、掃除をさせられ、精進料理を食べ、座禅を組み、和尚さんの説法を聞き、夜一〇時には消灯という厳しいものでした。それに耐えられず、逃走した者もいたそうです。私にとっても、本当に厳しい合宿研修でした。

 入社式後は、各部所での研修がスタートしました。ホテル内が中心で、フロント、宴会、厨房、経理などを順に回り新人紹介と仕事内容の説明を受けるといった感じだったことを覚えています。ベッドメイクやテーブルクロスの掛け方や料理の出し方などの実地研修も行われました。特に、ワインの注ぎ方実習で手が震えたことが印象深く記憶に残っています。

 私の心の底に染み付いたことは、システムエンジニアの中途採用の方による講義です。自己紹介で広島大学卒だと分かり親近感を持ちました。ヘッドハンティングのようなことだと思いますが、コンピュータの専門家で、会社にコンピュータを導入する為に欠かせない人物だったようです。私より一回り位上に見えましたが、特別な扱いをされている紳士でした。特定の部所に所属されているわけでもなく、会議室でその方一人で新入社員の前で講義をされました。

 九〇分位の講義でしたが、社内のコンピュータ化に関する内容のお話は三〇分もしない内に終わり、後は殆どが読書の勧めでした。コンピュータの専門家なので理系の方だと思うのですが、読書を熱心に勧められたことがとても意外に感じられていました。正兼のオイサン以来の読書の勧め論でした。今思えば、コンピュータのことを話しても誰も理解出来ないと感じ、講義内容を変更されたのかもしれません。私にとっては、その人物(名前は覚えていません)の機転によって、人生が大きく変わっていったのです。新人研修でのたった九〇分だけの関わりでしたが、この出会いが無ければ、私が本の虫になることはありませんでした。

 新人研修後、私はホテルのフロント部に配属されました。心の底では経理部の方が良かったという思いを持っていました。経理部の社員には自分の机がありましたが、フロント部にはロッカーだけでした。しかも一ヶ月くらいは毎日、ロビーやホテル回りの掃除ばかりをやらされました。当時の私は掃除が嫌いでしたので、「どうして、大学で六年も勉強した人間に掃除ばかりさせるのか!」という不満を心に抱えながらやっていました。

 その内に、ゴールデンウイークが近づいてきました。フロントの上司にお願いし、連休をもらうことが出来ました。その頃は「人生って、何なのだろう?」という思いで悶々としていました。読んでいたのは人生論の本が多かったように思います。書名は覚えていませんが、連休には本を持って一人で旅に出ました。その旅先で、会社を辞める決意を固めました。結局、入社後五〇日で東洋観光株式会社を辞職しました。フロントの上司が何度も自宅に電話をかけて下さったのですが、母を説得し毎回居留守を使っていました。今思うと、本当に申し訳なかったと思っています。

『超自分史のススメ』「第三部 思い込みと失敗と挫折を繰り返して社長になった」(102頁〜106頁)【ヌース出版】