私の母方の祖母が、旅立った。


齢93年と11か月。

1週間後に迎えるはずだった誕生日は、私が生まれた日と同じ日だ。



 以前から入退院を繰り返していた祖母が、今年の初めに様態が悪化し再度入院した。

昨日の朝、母から電話があり、


「もう危ないから合わせたい人を呼んでくれって、お医者様が言っていた。合ってきなさい」


と・・・・。


 昨日は突然だったので、今日の午前中に家族と共にお見舞いに行く予定だった。

痴呆が悪化し、寝たきりになった祖母が危ない危ないと言われ、数年が過ぎた。


今年になってから私は、25年前に先に逝ってしまった祖父の夢を見た。

生前は私と姉をとても可愛がってくれていた祖父だが、夢に出てくることは滅多になかった。


「おじいちゃんの夢を見たよ。迎えに来たのかもしれないね・・・・・」


と、母に告げると、母も「そうかもしれないね」、と言った。

 

 先生の話では、あと2~3日だろうということだったが、昨夜私はなかなか寝付けなかった。

ふいに涙がポロポロと溢れて止まらない。


主人に、「まだ亡くなったわけじゃないのに」 と、言われたが、

どうにもいえない不安にかられた。

寝てしまったら、寝ている間に祖母が旅立ってしまう気がしたのだ。


「落ち着かないなら薬飲んで寝たら?」


私を気遣って主人が言った。

私の病状は最近安定していたので、夜だけ飲んでいた薬も飲まない日もあったのだ。昨日は薬を飲んでいない、

だけど薬がないから不安なんじゃない。

心がざわざわして、明日病院へ行っても祖母に合えない気がしてならないのだ。

祖母と過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。


同居はしていなかったが、歩いて10分もかからない距離に住んでいた祖母。

いつもニコニコしていて、いつも家事に忙しそうだった。


 翌朝、母から祖母が亡くなったと知らせをうけた。

やはり、逝ってしまったのだ。


昨日の晩、祖母の魂が私の元へ来てくれたのかもしれない。

もう行くよ、と、伝えに来てくれていたのかもしれない。


祖母の知らせを聞いて、私は泣かなかった。

おじいちゃんが迎えに来てくれたから、きっとおばあちゃんも安心して旅立って行けたのだと思う。

私が突然の訃報に動揺しないよう、きっと事前に知らせてくれたに違いない。


心の準備は出来ていた。



けれど祖母の遺体と対面したら、悲しみに身体が支配されてしまうかもしれない。

そうしたら、また声が出なくなってしまうかもしれないという不安は拭いきれない。

だけどこれから先、私はいくつもの別れを経験しなければいけない。
その度に喋れなくなるわけにはいかないのだ。


強くならなくては。


悲しみが心を、


声を閉ざしてしまわぬように。






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 今年の3月に私が失声症を発症してから、9か月。


間もなく一年が終わろうとしている。

失声当初はすぐに治ると思っていたのに、なかなか声が出なかった。


今年の終わりには、私はどうなっているのだろうか?


と、よく考えたものだ。


 最近の私はなかなか調子が良い。


とはいえ、先日も1週間ほど突然声が出なくなってしまった。

とある日曜日の夕方にふいっと出なくなって、翌日もその翌日も声が出なかった。

久々にメモ帳を持参して筆談だ。


 声が出なくなると、周りがうるさい。

「どうしたの?」 「またでないの?」 「何の病気なの?」


そして大抵こう言う。


「原因はストレス?」


 そう言われたり、あれこれ詮索されることが、ストレスだと言ってやりたい。

無神経な女性に、あまりにしつこく詮索されたので、


「病気のことはあまり聞かないで下さい。繰り返して、完治には時間がかかります」


と、メモ帳に書いた。

声の出ない病気の人に、どうしたどうしたと詮索して、あげくにこんな事をわざわざ書かせて一体何が楽しいのだろうか。

その女性はつまらなそうに、


「ああ、ごめん、ごめん」


と仏頂面で吐き捨てて、その場を去って行った。


 それでも声は1週間後には殆ど戻っていたので、私にとっては

「出なくなっても、また出るようになる」

という自信につながった。


 完治といえるにはまだほど遠いだろう。

けれど、回復している事は間違いない。



 今年は病気もしたけれど、懐かしい人と再会したり、良いご縁があって色々な人と知り合うことが出来た良い一年だった。


来年は、もっと良くなる。


やりたかったこと、

出来なかったこと、


全部やるつもりだ。





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 約2か月も更新をおこたってしまいました。



 11月の舞台は、公演の数日前に声の調子が悪くなり、このまま不調のまま本番をむかえるのだと覚悟した。

毎日毎日、少しでも良くなっていないかと祈ったが、調子は悪いまま前日のリハーサルを終えた。


 悲しくて落ち込んで、「沢山練習しているのになぜ?」と、何度も思ったが、もう割り切って舞台を楽しもうと決めた。


 歌えなくてもソロがあるわけじゃないから口をパクパクさせていればいいし、笑顔で踊ればいいんだ!


 

 いよいよ、当日を迎えました。

舞台独特の雰囲気が懐かしい。

真っ黒の暗幕に照明の光があたって、小さな埃がチラチラと光る。


 あぁ・・・・・・・・。

私は舞台に戻ってきたんだ・・・・・・。


 結婚と同時に役者の仕事を辞め、声を失い、なぜだかまた今ここに立っている。

不思議な気持ちだった。


 周りのみんなは緊張している様だったが、私は全く緊張はなかった。

自然と背筋が伸びる。


 私は2000人も収容できる客席のある舞台の光の中へ歩き出した。


音楽がかかり、歌い始める。

最初は出る。

だけど、サビの少し前の部分から、いつも出なくなる。


それでもいい。


自分の声が、自分の耳に届く。


あれ?


声が出ている・・・・・。


いつも出なかったところも、ちゃんと出ている。

なんて不思議なんだろう?!


奇跡だ・・・・・・・


神様は、とても悪戯だ。

私を失望させたり、喜ばせたり。


頑張って沢山練習したから、ご褒美をくれたのかもしれない。

なんでもいいや。

だって私は歌ってる。

自分の声で!!



無事に舞台を終えると、心地よい疲労感と脱力感に襲われた。


終わった・・・・・・・・・。


もうこれが人生で最後の舞台かもしれない。

でもちゃんとやれた。

辛い時もちゃんと病気と向き合って、声の出ない自分を受け入れて、やりとげられた。


頑張った自分を褒めてあげよう。



それからしばらくの間、私はとても快調に声が出る日々を送る事が出来た。


もう完全に治ったんじゃないかと錯覚させるほどだった。



だけど、病気はまだ治っていなかった。 





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