桐野夏生 『ロンリネス』
出版社/光文社文庫
■本文より■
外はむっとするような暑さだった。潮のにおいが錆臭く感じられて、海のそばに住んでいることが急に厭わしくなる。
…
またしても苦しみが蘇ってきて、有紗の息を詰まらせる。嫉妬などという、甘やかなものではなかった。有紗を苦しめているのは、自分と花奈が蔑ろにされていた、という激しい痛みだった。
…
俊平が心配そうに言うので、振り向いて微笑んだ。
嫌な思い、怖い思いをした記憶はあるけれど、今そこに感情は伴わない。せっかく遠くへ追いやったものを、わざわざ手繰り寄せて、煩わされたくない。
ただ、誰が何を言ったか、何を言わなかったか、忘れたわけではない。5歳だった娘が私に掛けてくれ言葉を、忘れることもない。