~わが子が突然~闘病記改め普通の日記
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心配だけど、大丈夫!

帯状疱疹がよくなったと思ったら、今度は熱が38.5。
今日一日グッタリ。食欲もなし。
治療中のあの辛い時を思い出してしまったよ。。。涙

頭もガンガンするって。

昨日、寝たのが12時過ぎてたし、疲れ?寝不足?
今日バーバとジージが来る事になってたから興奮して寝られなかったみたい。

かわいい奴だ。

小さい頃は二人に会うとキャーキャー言って喜びを身体一杯に表してたっけ。

今でこそそんなキャーキャー言わないけど、笑 かなり二人に会うと喜ぶ。っていうか、甘える。

なんだか、私よりバーバが好きなそうな。笑

ま、そのうち、バーバんちに行くよ!って言ってもついて来なくなったりするのかな??
そんなに早くに大人にならなくていいよ!!笑

写真は病院の帰りにダイエーに立ち寄り、ジージと私の買い物が終わるのを広場で待っているところ。
近寄ったらなんと、同じ格好で二人とも爆睡してた!!
うけるね、同じかっこうだよ!!

photo:01

言葉の力

先日、元看護師総長までやられたという方とお話をする機会がありました。
色々と体験談など話してくださり貴重な時間を過ごしました。

その中で、一番心に残っているのは、
母親である私が、子供たちに対して不安がらせてはいけないと。
大丈夫だよ、
その一言、その笑顔でどんなに子供は安心できるかと。。。
当たり前のことのように思うけど、はたして私にはで来ているのだろうか?って思いました。
特に入院中は、私自身、恐怖と隣り合わせで、Jにそれが伝わっていたのかなと、思います。
子供の前では常にドンと構え、いない所で泣いても、病気にたいして怒りをぶつけてもいいと。

なぜこんな事を書いたのかというと、Jと同室だった親友に手紙を書いていたのを、
絶対にママは見ないでね!
と言われたのにもかかわらず、読んでしまった内容が、ふつうの五年生では書かないな。。。と思って興味深く、というか。。。

内容は、帯状疱疹の事について。爆笑

俺はいま、帯状疱疹という、お腹から背中にかけて.......それは疲れがでているからでたらしい........飲み薬と塗り薬で........痛いけど大分よくなった.....

などという、まあドクターから言われた事をそのままだけど、そんな事を便箋びっしり書いてあった!笑

でも、その手紙からは、どれだけ自身の身体を心配しているか。
どれだけ不安なのか。と、私はくみとりました。

入院中はもっと不安だったんだろうね。

大丈夫だよ、と親が子にいうと、子はとても安心するのだそう。
私たちが思ってる以上に。

これからは、もっとこの言葉を言ってみようかな。

でも、しつこい!と、怒られそう。笑
ほどほどに。。。
(うちの場合。)


*久々に登場。


photo:01






こんなに髪の毛のびました。

だんだんと元のJにもどりつつあります。
体重も増えたし。

私は、

最近色々な事がおこりすぎて、なんだか心がはち切れそう。

こんなことしている場合ではないのに。

私の問題はさておき。

Dの足の裏にできた黒子をとったり、

Jは今なんと帯状疱疹になってしまい、

しかも最近、耳がよけい聞こえずらくなってるみたいで。。。

しゃべるのも大きい声でしゃべらないといけなくて。

うちは、もしや、皆、大殺界???とまで疑ってしまうほど、

ついていないというか。

でも、逆にこうなったからこそ、未来の私が笑顔でいられるのかも、とか、

色々思ってしまうわけで。

よく言うじゃん?

彼とわかれたのは、きっと新しいもっとかっこいい人と会う為、とか。

そう思えば、私のこの不安は、きっと将来幸せに変えてくれると、思える。

ま、私の悩みはほんのちっぽけな物で、

子供たちが幸せだったら、それでいい。

写真は、Dの誕生日を行きつけ!?のレストランでプチ祝いしたときのもの。




子供たちの笑顔、大切にしなきゃね!!

ってことです。

photo:02



*げんきだからこそ、、、

心配ごとがふえる。

毎日友達と外で遊べるようになって、野球やサッカーなど遊べようになって、
ボールが頭にあたらないだろうか。。。
転んで頭打たないだろうか。。。

余計な心配なんだけどね。


運動会がもうすぐあるから、学校では練習の毎日。

五年生ともなると、組体操やら騎馬戦やら、あるんだよね。

去年はちょうど外泊できて、見学に行ったっけ。

クラスメイトの出し物の時は、黙って、最前列で応援して、その後ろ姿を見て涙が止まらなかった。。。

だからこそ、今年は全ての競技に出させてあげたかった。

けど、現実問題、平衡感覚が危なっかしいJは、組体操も一人演技のみ参加。

騎馬戦も、激しい闘いになる⇨もし頭など蹴られたりしたら?⇨見学か??

でも、やらせてあげたい。
ジェイもやる気あり。
だけど、心配。
担任もどうしましょう。。。と、最終的には私の判断でと。

騎馬戦って、結構ぶつかり合いだよね。。。
三人で馬作るでしょ、足元がふらついてしまうジェイには、やはり難しいのか???。。。
考えればキリがないけど。

ジェイは、こんな心配しているのも知ってか、知らずか。。。

上にのりたい。

と。

それこそ、頭、つつかれちゃうじゃん!

組体操は、自分でフラつくからか、怖いと言い、すんなり一人演技のみって、本人も納得。

ふびんだ、と思ったらいけないけど、
我が子ながらにかわいそう。。。

この間の検査は、耳鼻科もあって、やっぱり結果は、

耳が遠くなってきている、とのこと。
でも、
今は補聴器もいいのがでてるしね。。。

わたし的には、腫瘍が再発さえしなければ、いいのだが。

耳だけの後遺症だけで、止まってと、願うばかり。
あとの晩期障害、おことわり。

心配は、まだつきない。。。

眼球がやっぱり上にいっちゃうから、
顎を突き出したように物を見るときがある。

視点があわせにくいのかな、
黒板が見えずらいとかいっちゃって、メガネ買ってくれだって。

まったく、金かかるな。。。笑

ま、このまま

元気すぎて心配かけられるのは、大歓迎ですけどね。

ま、兄弟げんかができるくらいだから、騎馬戦出させようかな。。。???

うーん、悩むが、答えは明日の朝までに決めなきゃ。。。なの。

あー、どしよ。。。






*思いで。


私が高校生のとき、黒の雑種犬をもらい、かっていました。

私の家族は、ひいばあさん、祖父母、両親、兄、私、そして妹という、八人で暮らしていました。

97サイでひいばあちゃんが亡くなり、その三年後にあばあちゃん、通称 ちゃあちゃんが。

あっ、今でも亡くなったひいばあさんや、祖父母を思い出すと、涙が溢れてきちゃう。

最愛の妻を亡くし、表にはださないけど辛い気持ちを少しでも明るくしてあげたい、っていう祖父の為っていうのもあり、

もらってきました。
とても美人な女の子、

ジョルディ
名前が男のこっぽいのは、スルーで。。。


学校から帰ると、シッポがきれてしまうんじゃないかってくらいふって、
喜びを表現してくれてた。

私達兄妹に対しては、ジョルちゃんも兄妹のような感じだったんだろうね、
母親にはやっぱり甘える感じ。

そして祖父と父親は、しつけ担当(笑)
だったから、彼女もその二人には逆らえない。爆

でも、二人の事は怖いけど、もちろんふたりの事が大好きなジョルは、シッポフリフリしながら、道を開ける、みたいな。
むやみに飛びつかない。

犬も上下関係作るっていうしね。笑

そして、私が21のとき、オーストラリアに行く事になり、しばしのお別れ。

行く前に、祖父が入院して私はプータローだったから祖父の病院に母親と交代で見舞ってた。
退院したからってのもあり、私はオーストラリアへ。

でも、その三ヶ月後、また祖父は入院。帰らぬ人となってしまいました。

祖父も、もう家には生きて帰ってこられない。。。っていうのが、なんとなく心にあったんだろうね、後から聞いた話は、病院に行く前、普段はジョルのお腹を二三度、なでるだけなのに、その日は、何度も、何度も、触っていたそうな。

ジョルもずっと見送っていたそうな。。。

私がオーストラリアに行くとき、家族で成田まで送ってきてもらったんだけど、祖父は家でお留守番だった。

祖父が部屋の窓を開け、にこやかに見送ってくれたのが、あの姿が、最後になっちゃったけど、

思い出すと、もちろん辛いけど、

なんか、天国でちゃあちゃんや、ひいばあちゃんと、仲良くけんか!!しているんだろうな。。。って思える。

小さいときから、親におこられると、すぐに祖父母の部屋に行って、慰めてくれた。

戦争の話とか、昔の話とかもいっぱいしてくれた。

ちゃあちゃんの話もまたいつか、書いてみたいな。

結局、祖父が亡くなったことは、私が悲しい思いをしないようにと、結構後で知らされた。

最後のお別れはできなかったけど、

今もずっと、三人はわたしの心のなかで生きている

ジョルにも、その後不思議な。。。というか、私達は家族の中ではきっとそうなんだろうね、っていう事がおこり、

あー、ただの偶然だよ、って思うかもしれないけど、

ある事がおこったので、また、後日、記事にしてみようかなと、思います。

なんせ、めんどくさがりなんで、。。いつになるかは、???







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