統合失調症との共同生活
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起きてから暇で憂鬱でたまらずビールを飲んでいる。

酒に酔うと、退屈がまぎれ気持ちが楽になる。

 

YouTubeで見かけたのだが清原選手は逮捕されて以来5年間も鬱に苦しんでいるようだ。

楽になるにはもう一度薬物に手を出すか、酒に逃げるしかないと言っていた。

自殺も考えたらしいが怖くてできないと。

そして5か月、酒を辞めているとのこと。

 

酒を5か月も辞めて鬱が治らないならば飲んでいてもいいのではないかと思った。

私がかかった医者は薬物依存症者は鬱状態が永続的に続くなどという絶望に追いやるような言葉を平気で口にしていた。

だとしたら、さっさと死ぬべきである。

この苦しみが永続的に続くというならば生きてはいけない。

それでも、自殺する勇気は持てない。希望が見えているからではない。怖さの方が勝っているからだ。

 

昨日母に暇で退屈だけど何もできなくて苦しいという話を打ち明けてみたら、シカトされ部屋に戻っていてくれと言われた。

私の母にはもう私を助ける気はないようだった。まあそんな母親もたまにはいるだろう。

 

友人とも再び会えたし昔の自分には戻れないし鬱がひどいし家族と呼べる家族もいないしそろそろ死に時だなと思っているが、

それでも自殺する勇気が出ない。

過去に三度未遂をして未遂する度に恐怖心が膨れ上がっている。

どんどん、死にたくなるがどんどん死ぬことが怖くなっていく。

 

友人と連絡をとってからスマホのバイブ音の幻聴が聞こえるようになった。

それが聞こえるとドッと疲労感が押し寄せてスマホをチェックして、連絡が来ていないことを確認してホッとする。

 

もうかつての自分には戻れない。元気で明るくて人が好きだった私は消えてしまった。

今は人が怖くて仕方がない。コミュニケーションもうまくとれない。

 

やっぱり死に時だなあと思うが、飛び降りも飛び込みも怖いし首吊りだってあの手足が痺れていき意識が遠のいて脳内がパニック状態になる恐怖感が怖すぎてできない。

今どきODで死ねる薬もない。

 

私は心底生まれてくるんじゃなかったと思っている。

最初から生まれていなければこんな苦しみを味わう必要もなかったのに。

SEXした親を憎んでいる。

今の私には好きなもの、事がない。

食事は食べられればなんでもいいし、女性にも興味がないし、趣味を持てる程の関心もないし、

とにもかくにもつまらないの一言。

 

過去一緒にいるだけで楽しかった友人達とも会ったが、何をどう楽しく話せばいいのか分からないレベルだ。

友人達からあいつつまんなくなったなと私が見捨てられる前に死にたいなどと思ってしまう。

 

自殺は苦しいし殺しは怖いし生きるのは楽じゃないし人生とはまさに苦しみだなと私は思うのだが、健常者の友人は子を生むということに積極的で前向きだった。

私の場合はこんな所に生んだら可哀想だと考えてしまうのだが、健常者にはこの世が素晴らしいものに見えているようだ。

 

今後どう生きればいいか分からない程に何もできなくなった。

だから不安と恐怖がやってきて死にたくなる。

もっと楽になりたい…。

訪問看護でグループホームへ行きたいと思うという話をしたら日中活動できるの?と言われ分からないと答えると早々に話を切り上げられ帰ってしまった。

一応医者とケースワーカーに話はつけるそうだ。

 

正直言って日中活動はできないと思う。

まず朝起きるというのが無理だ。タバコ無しも考えられない。

昨日とは打って変わって自信がなくなっている。

めんどくさいのである。

 

私は今の状態を鬱か陰性症状かで聞かれたら、混合している感じがする。

寝たきりでいられれば楽なのだが、暇で退屈で仕方がない。

なのになんの興味も関心もないため何かをするということができず、ただひたすらに一日が長い。

これをもうずっと、一年近く繰り返している。

 

私は今回の入院で確実に病状が悪化した。

入院前は人と楽しく話をしたり、怒ったりという感情があったのに入院中に三度も再発して感情の起伏が無くなった。

入院鬱が続いている感じだ。

 

何かをしていないと暇で退屈で仕方がないのに何もする気が起きないという矛盾に苦しんでいる。

あとはただ漠然と不安と対人恐怖がある。

 

誰も助けようがないくらいに気持ちが持ち上がらない。

薬を頼るしかないが医者は今の私の状態を理解できていない。

何もできないなら何もしなくていいんじゃないかと言われるが、暇で退屈でものすごいストレスを感じるのである。

 

死にたくなる程の退屈というものは健常者には到底理解不能だろう。