St.Augustinusのように語りたくて・・・・

St.Augustinusのように語りたくて・・・・

インターネットに持っているのは、様々な形で、これで7個目になってしまいました。時々、逸脱します!そんな時、「告白」を読み返したいと思います。余りに重いタイトル。少しでも、何かを語れればと思いました。

Amebaでブログを始めよう!

ヨブ記

事の起こり

1 ウツの地にヨブという人がいた。

  ウヅの地にヨブと名くる人あり

      There was a man in the land of Uz, whose name was Job;

      There was a man named Job who lived in the land of Uz.

      無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。

  その人と成り完全かつ正しくて、神を畏れ、悪に遠ざかる。

      He was blameless, a man of complete integrity.

      He feared God and stayed away from evil.

      And that man was perfect and upright.

      and one that feared God, and eschewed evil.   

  7人の息子と3人の娘を持ち、

  その産めるものは、男の子7人女の子3人。

      He had seven sons and three daughters.

      And  there were born unto him seven sons and three daughters.

 

      未了

  

1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。ただ、OCNさんのブログは廃止。同じgooのOCNさんからの引越しブログ“Sard_Cafe“ではMTに落とし成功しているので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。ただし、残念ながら写真は越して来てない。

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2 今回カテキズムの変更。木曜日に書いたが、アップ出来なかった。パソコンの不調。インターネットに接続すると全然動かなくなる。以来アップを放棄する。今回、多忙なので読んだ本だけ追加し、映画の項を書き加え、そのままアップする。福音朗読もそのまま。
写真は、11/22(土)東京・11/23(日)駒ヶ根・11/27(土)天竜峡・11/29(土)浜松。12月4・11(木)天竜峡など
前回に引き続きだけれど、東京は「詩と思想研究会」、駒ヶ根は教会の委員会、天竜峡は介護ボラ、浜松は「学と楽」。介護ボランティアを毎週木と金に行うことに。6日、7日と8日、詩を3篇作り「詩と思想」に送る。ここ一週間歯の痛みに苦しむ。我慢しきれなくなって、火曜日歯医者さんに行く。大分酷く歯と更には神経を抜くことに。痛い!これが現実。厳しい老いの現実。総入れ歯まで後何日とカウントダウンが始まった。目は既に老眼で眼鏡を外さないと見えない。日一日と、新たな肉体的な衰え・老いを思い知らされる日常が。祈りと読書のみ生涯の伴侶。先週は後半3日、教会に夜行って祈る。書物は既にハーレム状態か。なかんずくラスト3冊を溺愛する。

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“価値と資本(上)”(ヒックス)“免疫学”(ベナセラフ)“免疫学のはなし”(奥村康)“免疫学への招待”(多田富雄訳)“ダーウィンフィンチ”(ラック)“可換体論”(永田雅宣)“可換環論”(飯高茂)“体とGalois理論Ⅰ”(藤崎源二郎)“現代の短歌”(高野公彦)“英文収録おくのほそ道”(キーン訳)“ドルジェル伯の舞踏会”(掘口大学訳)“近代フランス詩集”(齊藤磯雄訳)“ワイルド詩集”(日夏こう之介)“海潮音”(上田敏訳)“The Book of Psalms”“角川短歌賞受賞作品集““角川俳句集のすべて“”介護上手の胸の内“(広瀬久美子)”言葉と意味を考える1・2”(赤羽研三)“ソシュールを読む”(丸山圭三郎)“萩原朔太郎詩集”“翻訳教室”(柴田元幸)“新・基本英文700選”(鈴木長十他)“現代詩辞典”“現代外国詩辞典”“文典”“Aクラス理科 地学・生物・物理・化学”(昇龍堂)“アメリカン・マスターピース古典編”(柴田元幸訳)“Acts of Worships”「鍵のかかる部屋」(三島)「虐げられた人びと」(ドストエフスキー)「小海永二著作選集2」「ボードレール全集Ⅲ」「これがボランティアだ!」(森口秀志編)「ハイレベル理系数学」「現代詩手帖現代詩年鑑2015」“Nixon and Kissinger”(Dallek) “万葉名歌”(土屋文明)“歴史の研究”(トインビー)“狂王ルードヴィヒ”(カール)“楊貴妃”(大野実之介)。

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久々にインターネットのオンデマンドで映画を見る。3本予約。三島の最後、若松監督・利休、勅使河原監督、離別。購入したはいいが多忙で三島しか見てない。しかも、自決直前で止めている。「刀を見せる」間隙に長官を人質に取る、その不純さに異議を挟んだからだ。日本刀を騙しに使っていいのか?三島美学の範疇でない。シナリオを一考だ。作り直す必要がある。利休は冒頭しか見てない。が、最初の2~3分で不朽の名作と分かる。離別も未だ。

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Lispマシンに関し。「コンピュータ・アーキテクチャ」(坂村健)からの引用。名著なので是非買っていただきたい。p.39からが、「3章Lispマシンのアーキテクチャ」。そこの「3.3アプローチの方法~3.6超革新的アプローチ」を読んでいただきたい。3.3にアプローチが4つ纏められていて、3.4~3.6に詳しく述べられている。3.4の表題から、
“①基本的に計算機を速くする ②高級言語マシンの一つと考える ③パーソナル化(VLSI化) ④まったく別のメカニズムを考える ”
3.4従来型アプローチとして、
“ CONSマイクロプロセッサーを使い、CDRコードを使うもの。CHAOSネットで個々のLispマシンを接続する。
 MBALMマシン。MBALコードなるリスト処理用の機械語に翻訳し、MBALMコードがB1726でインタプリートされる。
 FLATS。ECLを使って製作したもの。シンボルサーチ方式にハッシング方式を採用し、これをハードウェアで実現している。“
などが挙げられている。3.5~3.6は省略する。Lispは基本的にlist処理の塊。それを如何に早く行うかの競争。「データ構造とアルゴリズム」の話はまたいつか行う予定。そのとき、これら用語の説明もしたいが・・・。

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3 「パッテン発生学」(西村書店)から。p.323「第11章 四肢の発生-肢の再生」に再生に関する記述があるので、最初の方のみ引用する。興味を持ったら買って読んでいただきたい。やはり名著、読む読まないに関係なく一家に一冊備えておくべき書かとも思う。

“ある脊椎動物の四肢は切断されても再生する能力がある。切断によって切断面を被覆する表皮の損傷治癒と初めの傷によって生じた内部破片の除去がおこる。数日中に肢の断端は脱分化期に入り、その間に肢の遠位部の分化した組織が解体し原始的にみえる細胞集団に置換する。これらの細胞は集合して肢の断端縁で増殖し、再生芽を形成する。それは多くの点で胚子の肢芽に類似性がある。再生芽が成長するにつれて、胚子の胚芽でおこる一連の出来事にきわめて類似したやり方で新しい肢を形成する。胚子における肢の発生と再生との間には多くの類似性があるけれど、また若干の相違もあり、体に対する再生肢のより強固な統合に反映している。少なくとも3つの条件-傷ついた表皮、中胚葉の損傷、適当な神経の供給-が肢の再生開始に必要である。他の因子の役割、たとえばホルモン、生物電流などは明らかでない。脱分化期とそれに続く形態形成には、位置情報の読み取りと、それに対する再生にたずさわる細胞の反応が含まれる。・・・・”

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4 去年3月に「詩と思想」新人投稿欄に投稿するも採られなかった詩のシリーズがあります。第2回を何回かに分けて掲載します。選考に落ちてますから当然一定のレベルには達していません。第2回目。

“<冬の期待> あっ、あそこのビルは?雨も降り出した。このまま走り続けようかしら。それとも引き返す?どっちも同じって気づいた時にはもう天辺来てた。/炉端がいい?弁当?炉端なら暖簾の店、弁当ならコンビニ。でも、あの天辺意外と高いのねえ。展望レストランって訳にもいかないし。まあ、地味な食堂でも見つけて都会の雰囲気でも。/ああそうそう、お母さんに電話しなくちゃ。天辺って、意外とこう物ないものね。(この稿未完)”


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天辺とは実は江ノ島。カトリックの教会があります。そこから街を抜け丘へ登ると公園があります。何となく飯田天竜峡を彷彿とさせるので、そこに舞台を設えました。語り口は女性。演歌を作詞し小沢亜貴子さんに贈った経験があってというか、そもそも彼女への作詞から出発し詩に転じる。詩からシナリオ・短歌へと広げる。演歌なので女性口調。堪える女性。その延長。落とし所は分かっている。日夏先生すみません!

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5 “Hamiltonの四次元数”に関し、同じ名前の章が、「数(下)」(エビングハウス他、シュプリンガー)のKoecherとRemmertによる第7章にある。そこからの紹介。名著。読む読まないに関係なく買って一家に一冊備えておくべき書。是非!p.220から。第2回。

“Hamiltonの企ては、最初は成功しない。彼は実数対の場合と同様、通常の規則が引き続き成り立つような-すなわち、彼は永続原理を置いた-3つ組の乗法を求めている。彼は、i^2=j^2=-1 のもとで α+βi+γj と置き、”可換であるように計算して“最も簡単な2乗の場合を考察する。 
(α+βi+γj)^2=α^2-β^2-γ^2
+2iαβ+2jαγ+2ijβγ
Cの場合のように、乗法の値に対する試金石は、積規則であり、これによれば、積の長さは長さの積と一致すべきとなっている(ここで、α+βi+γjはユークリッド的長さ√(α^2+β^2+γ^2)を持つ)上の式の右辺における1、i,jの係数の2乗の和は、計算すると、
(α^2-β^2-γ^2)^2+(2αβ)^2+(2αγ)^2
=(α^2+β^2+γ^2)^2
となる。そこでHamiltonは、ij=0と置けば間違いなく積規則が満たされることを確認している。だがこれは彼の気に入らない。そこで彼は、上の式の右辺には、2ijではなく、実は(!)ij+jiがあることに気づいたのである。これは、零とならなければならない。すななち、ij=-ji。こうして彼は可換律を犠牲にすることを余儀なくされたのだった。“

6 “橋桁に青き静かな水の凪”
「何だかなあ」という句だが一応。

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7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: The same criterion is applied by analogy in international relationships.Interdependence must be transformed into solodarity,based upon the principle that the goods of creation are meant for all.That which human industry produces through the process of raw materials,with the contribution of work,must serve equally for the good of all.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 降誕節第2水金曜日福音朗読より。マタイによる第11章から。

“「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、「あれは悪霊に取りつかれている」と言い、人の子が来て、飲み食いすると、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」”
-(心を閉ざす、自己本位な口実は簡単に見いだされる。受肉した神の知恵イエスの御業にしっかりと目を注ごう。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年12月12日(15日)
                       乗倉寿明記す


1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。ただ、OCNさんのブログは廃止。同じgooのOCNさんからの引越しブログ“Sard_Cafe“ではMTに落とし成功しているので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。ただし、残念ながら写真は越して来てない。

2 数学の変更のみ。goo/アメブロと併せて10日間ブログ更新なしだった。
写真は、11/22(土)東京・11/23(日)駒ヶ根・11/27(土)天竜峡・11/29(土)浜松。
東京は「詩と思想研究会」、駒ヶ根は教会の委員会、天竜峡は介護ボラ、浜松は「学と楽」。2週間、様々な場所に顔を出し、それなりに多忙だった訳だ。更に妹が週後半帰飯した所為もありバタバタしていて「角川俳句」への投稿を怠ってしまう。各旅行の詳細は省く。一言ずつだけ。
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東京。今回特に、他の人の作品が力作揃い。何度でも読み返していろいろ自分のものにしないと。その他では、新宿マックで勉強が印象。駒ヶ根。強行日程になった。2019年に南信地区がどうなるか?ウルバン神父様のご容態も心配。“将来、教会は都会だけになる”もショッキング。天竜峡・上郷。ほぼ2年振りの介護ボランティア。ヘルパー2級を大分忘れている。帰り、隣接の喫茶店で珈琲を飲む。浜松。目的には間に合わず、結局献血とミスドで勉強。ただ、往復の飯田線鈍行列車での読書が楽しい。旅愁とは読書体験。
この間、読んだ本は、沢山になるので主要なものだけ。

“European Literature”(西脇順三郎)「万葉集(上)」「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「医学部への物理」「数学問題精講」「ハイレベル理系数学」「数学‘14・10月号」「日本物理学会誌’14・11月号」“Growing up with Jazz”(Stokes)“King Solomon‘s Ring”(Lorenz)「天使のいる星で」(鈴木重子)「中国語で短編小説を読もう!」「一冊目の中国語」「簡明実用漢語課本」[行動経済学入門](真壁昭夫)「ドストエフスキー作家の日記(上)」「芭蕉入門」(幸田露伴)「詩の原理」(萩原朔太郎)「ヨブ記講演」(内村鑑三)「教皇ヨハネ・パウロ2世の詩」「万葉の秀歌」(松尾聡)「現代詩の鑑賞4」(明治書院)“Pomes Penyeach”(Joyce)「楊貴妃」(大野実之介)「聖性の詩人フランチェスコ」(ボナール)「テレジアの詩」(幼きイエスの聖テレジア)「文芸批評論」(T.S.エリオット)「現代世界アジア詩集」“Mrs.Dalloway”(Woolf)「応用エレクトロニクス」(霜田光一他)“mathematics:Frontiers & Perspectives”「エムペードクレス」(ヘルダーリン)「カフカ全集7・日記」「日本文学鑑賞辞典古典編」(吉田精一編)。

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エンジニアだった頃の想い出。その7。
アーキテクチャ。ハードからOS、アプリケーションまで、コンピュータの設計に関わる各層の中で、一番面白いのがアーキテクチャだとは良く聞く。矢張り面白いんだろうなと思いながら、未だ実感出来ないでいる。結局、本物の専門家にはなれなかったのだと思う。

「アセンブラプログラミング詳説IBMシステム/360・370(上下)」(ストラブル)「コンピュータ・アーキテクチャの設計」(マイヤーズ)「コンピュータの構成と設計(ⅠⅡ)」(ヒル/ピーターソン)「第5世代コンピュータの計画・文化」(広瀬・渕)「TRONを創る」(坂村健)「コンピュータ・アーキテクチャ」(坂村健)「コンピュータ・アーキテクチャ」(へネシー&パターソン)“IBM Personal XT・AT・System/2 Technical References”(IBM)“Introduction to Computer Architecture”(Stone)、


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周辺含めてリストしたが、一応一通り読んではいる。その中、例えば、坂村健氏の本では、第2章でアラン・ケイのアーキテクチャ、第3章はLispマシン、第4・5章非ノイマン型、第6章スーパーコンピュータ、第7・8章VLSIなどとなっており、「はじめに」には、(p.ⅳから)

“現在(‘84)重要と思われるトピックの多くは、80年代初頭までさかのぼって勉強すれば十分なものが多い。つまり、80年代初期から中期を根気よく勉強すれば、おのずと現代コンピュータの基礎を勉強したことになり、ひいては90年代のシステムを見通せるようになる。本書はそのような意味で80年代初期のコンピュータ・テクノロジーの整理を行ったものとも言える。”

とあるように‘80年代の雰囲気といったものを感じさせる。一方、へネシー&パターソンは、1990年刊。「序」には、(p.ⅰより)

“各クラス別の最も代表的なコンピュータを利用し、分析と比較のための基準を確立した。そのコンピュータとは、メインフレームのIBM360,ミニコンピュータのDEC VAX、マイクロコンピュータのIntel80x86である。この基準に従い、より単純なパイプライン・プロセッサ、あよび、並列プロセッサの将来を提示している。これらの新技術は、教育上有用でかつ実現性も高い、著者らが設計したプロセッサDLXタイプのマシンとして示されている。”


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とあるが、“今後の方向”の章では、SIMD型・MIMD型コンピュータ、Sequent社のSymmetryマイクロプロセッサなどの紹介がある。付録には、彼らがその“生みの親”であるRISCアーキテクチャに関するサーベイも載っている。アラン・ケイ、Lispマシン、非ノイマン型、VLSI、VAX,80x86,RISCといった言葉が懐かしい。それらの全盛時代にごく些細ではあるが、関われたことは技術者冥利に尽きる。当時、ハード・ハードで、“出来る限りハードに置き換えて”という流れだった気がする。“OSの一定部分も何れハード化されるのでは?”と思っていたわたくしにとって、RICSは将に大きな驚きだった。Workstation。上に挙げた言葉一つ一つに、“当時ああだった、こうだった”の思いがある。

例えばLispマシン。推論の三段論法のマシンだが、そもそも、“p->q&p”=>“q”の“p->q”は、順序関係“p>q”と解釈出来なくもない。そこで、それをハードでやってしまえ!ダイオードを使えば出来る!と考え特許を出した。“水が低きに流れる様に推論するマシーン”。ナンセンスと思ってたけど、2~3年後、確かカーネギーメロン大学で、同じ様なことを考えたらしい。工業新聞だかに発表があった。ただし、膨大な数のルール順序関係をどう“配線”するかに独特の工夫を凝らしたらしい。詳細はその後聞き知ってないし、実用化されたとも聞かない。だから、その事を前の会社の課長に自慢げに話したが、そんなに威張れる話ではない。今は懐かしい思い出だというだけ。だから次回Lispマシン。

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小保方さんの”stap細胞検証”が終了とか。前回の経過発表のとき、”発光細胞は見受けられる”に、”それだけでも世紀の発見では?”とブログに書いた。前回を受けて2点。1点目。”イモリの尻尾など再生する器官の細胞でも、stap性は見出されないのか?”2点目。”あるとする。あるとすると、再生しない細胞では発光現象だけとしたら、その違いは何なのか?”1点目で既に発生学を理解しない者の眉唾と思うが。「発生学」の本は持っているので、次回参照し尻尾再生メカニズムに関し掲載する予定。

マグダラのマリアについて。教会では7月22日を“マグダラのマリア”の記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。なお、マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。「マグダラのマリア様、・・・」と祈るか、叙唱の“聖人”「聖なる父、全能永遠の神、聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、・・・」に従って祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”


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4 去年3月に「詩と思想」新人投稿欄に投稿するも採られなかった詩のシリーズがあります。第2回を何回かに分けて掲載します。選考に落ちてますから一定のレベルには達してません。

“<冬の期待> あっ、あそこのビルは?雨も降り出した。このまま走り続けようかしら。それとも引き返す?どっちも同じって気づいた時にはもう天辺来てた。/(この稿未完)”

天辺とは実は江ノ島。カトリックの教会があります。そこから街を抜け丘へ登ると公園があります。何となく飯田天竜峡を彷彿とさせるので、そこに舞台を設えました。語り口は女性です。日夏先生すみません!

5 “Hamiltonの四次元数”に関し、同じ名前の章が、「数(下)」(エビングハウス他、シュプリンガー)のKoecherとRemmertによる第7章にある。そこからの紹介。名著。読む読まないに関係なく買って一家に一冊備えておくべき書。是非!p.220から。第2回。

“Hamiltonの企ては、最初は成功しない。彼は実数対の場合と同様、通常の規則が引き続き成り立つような-すなわち、彼は永続原理を置いた-3つ組の乗法を求めている。彼は、i^2=j^2=-1 のもとで α+βi+γj と置き、”可換であるように計算して“最も簡単な2乗の場合を考察する。 
(α+βi+γj)^2=α^2-β^2-γ^2
+2iαβ+2jαγ+2ijβγ
Cの場合のように、乗法の値に対する試金石は、積規則であり、これによれば、積の長さは長さの積と一致すべきとなっている(ここで、α+βi+γjはユークリッド的長さ√(α^2+β^2+γ^2)を持つ)上の式の右辺における1、i,jの係数の2乗の和は、計算すると、
(α^2-β^2-γ^2)^2+(2αβ)^2+(2αγ)^2
=(α^2+β^2+γ^2)^2
となる。そこでHamiltonは、ij=0と置けば間違いなく積規則が満たされることを確認している。だがこれは彼の気に入らない。そこで彼は、上の式の右辺には、2ijではなく、実は(!)ij+jiがあることに気づいたのである。これは、零とならなければならない。すななち、ij=-ji。こうして彼は可換律を犠牲にすることを余儀なくされたのだった。“

6 “順序さえ任意にありて空の青”
これも「何だかなあ」という句だが。最初「空の色」とした。

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7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: Positive signs in the contemporary world are the growing awareness of the solidarity of the poor among themselves,their efforts to support one another,and their public demonstrations on the social scene which,without recourse to violence,present their own needs and rights in the face of the inefficiency or corruption of the public authorities.By virtue of her own evangelical duty the Church feels called to take her stand beside the poor,to discern the justice of their requests,and to help satisfy them,without losing sight of the good of groups in the context of the common good.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 

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9 降誕節第1火曜日福音朗読より。ルカによる第10章から。

“「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」”
-(幼子のような信頼の心をもって主を迎えよう。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年12月2日
                       乗倉寿明記す