新•帝王切開物語(22)未熟な産科学の時代 | マーブル先生奮闘記

マーブル先生奮闘記

マーブル先生の独り言。2024年1月1日の能登半島地震後の復興をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

そんな時代に、
一般の世間の女たちに、
この風潮を批判する力も、
場所も、手段も
何もかもがなかった。

過酷な労働と、
貧困な食生活は
妊婦の基礎的な妊孕能力の
ひずみを形成していた。

また、多産は妊娠時の
着床の揺らぎを作り出し、
その結果、簡単なお産ですら、
多くの危険を孕む
女の命がけの仕事に
変化させていた。

妊娠高血圧症候群、
多胎、
常位胎盤早期剥離、
前置胎盤、
胎位異常、
遷延分娩など、
いわゆる、
多産がもたらす、
異常分娩のデパートが
そこに存在した。

これら異常分娩に対する
漢方医学の答えは
初期の堕胎術と回生術、
そして穿頭術であり、
母と子の両方を
無事に救う明快な
科学ではなかった。

しかし、
一方では西洋産科学に
匹敵する学問も育っていた。
それは賀川玄悦が
薦めた産科学である。

今では笑い話であるが、
当時、子宮内の胎児は
母と同じ姿勢でいると
思われていた。

今でいう、骨盤位である。
この骨盤位が
分娩直前に
頭位に変化すると
思われていた。
したがって、骨盤位は
その変化を分娩までの
短時間に出来なかった、
異常分娩であると
考えられていた。
あの杉田玄白も同様に
考えていたほどである。