随分、寄り道をしたが本題。
あの日、兼人の葬儀を知らせる葉書を片手にタクシーに乗りこんだ。
薄情なことに日時も季節も失念している。
憶えているのは夕刻。
中野坂上を過ぎた先の寺だったから、中野か杉並か。
暗いので周囲は良く見えない。
ただ、やたらに大きな寺で境内も広かったな。たぶん有名な大寺院だろう。
タクシー降りると、境内の松越しに見える夥しい人影。
宵闇に紛れているが、兼人のファンなのは分かった。
「おっ兼人、すげーじゃん」などと胸の内で呟きながら、テントの受付へ。
記帳と香典を済ませたが、どこへ行っていいんだか皆目分からない。
たぶんオレは相当遅刻したんだろうと思う。
知ってる顔も見えないし、案内もない。
「どこ行けばいんだよ兼人」
とボヤキつつ、心細くなったオレは、葬儀場の周囲をウロウロするだけ。
「しょうがない。もう帰るか」と、またまた薄情な思いが脳裡を過ぎる。
変な言い方だが、オレは葬儀というシメヤカな状況にはなかなか馴染めない。
親父のときに喪主を務めたときも場違いな気分でいた。
親族やお世話になった人の葬儀もそうで、儀礼に欠けると思いつつ、静かに送るということが出来ない。
よく説明出来ないが、別れるのが嫌なのだ。
それも理由の一つだと思う。いなくなるなんて認めたくないのだ。
この時も、「兼人はまだいるんだし。こういう儀式は嫌だ」との思いが強い。
申し合わせたような空涙なんか出したくないし。
そんな思いがあるので、早々に帰ろうと、うろうろしていると、非常口みたいな扉が目の前に開いていた。
迷路のような廊下をくねくねと曲がる。で、気がつくと大きな部屋に出た。凄い人数で、見知ったスタッフや声優さんの顔。ライターでは首藤なんかがいた。
皆グラスを片手に料理に時折り箸を付けている。壁際に椅子はあったが立食形式。どの顔も俺の記憶よりどっと老けこんでいた。
女性の声優さんは、場所柄もあってか化粧は殆んどしてない。髪には白いものも混じっている。「嘘だろう」というのが第一印象。あのときの美女たちがもうババアかよ・・。認めたくない現実だ。オレはアフレコで出会ったときの印象しかないから、まるで浦島太郎の気分だ。首藤なんかは養老院から這い出してきたように老いて見えた。俺と同世代なのに・・・自分の姿形が見えないせいもあるが、タイムスリップした錯覚を覚えた。
「どうしたんだお前ら。これじゃ老人ホームのお通夜じゃないか」
話す気分にもなれない。
オレの肉体精神年齢は40代前半で止まったままだ。
ジジババの仲間入りする気はない。
「老いと燻りは感染する」というのがオレの持論だから接触は避けた。
ただ不思議なことは、だれとも目線が合わなかったことだ。
オレだけ状況になじまずに浮いている、というか同じ空間を共有している実感が無い。
「これじゃ兼人も楽しくない。なに沈んでんだよお前ら」
で、そのまますり抜けて出口を探す。
「帰っちゃだめだよ、優さん」
もしオレが霊感体質なら、兼人の声は聞こえていただろう。
行きあたりばったりで入ると、椅子の並ぶ厳かな部屋で、よくよく見れば近親者とごく内輪の人たちがいるような雰囲気。歩き疲れたので、とりあえず空いている椅子に座ると、なんと隣で「何しにきたんだ」という顔でオレを不思議そうに見ているのは、前回のブログで登場したKさんだった。
「え・・なんで」という思いはオレにもある。ニアミス、ミスマッチ。
しめやかな席なので私語はしない。落ち着いてよくよく見ると兼人の遺影があることにようやく気がついた。
前方には、葬儀を仕切る兼人の事務所の幹部が振り返ってオレを見ていた。
「え? なんであなたがここにいるの? 招いてもいないのに」
といった顔をしている。
「優さんこっち、こっち」と兼人がオレを誘導していたんだろう。
そうとしか思えない。
かつて国際映画社が日の出の勢いにあった時、
「いやあ、ゼロから作品を生み出すなんて素晴らしい才能ですね」
とか頻りにオレを持ち上げた人だ。
オレも人が誹るほどバカではないから社交辞令で気に染まない笑顔で応えていたが、「季節は巡り」で、亡霊を見るかのようにオレを見つめて声もない。
そのうち、導師入場。偉そうな袈裟をつけて数名の坊主を従え読経に入る。
その時オレは、初めて気がついたのだ。
「兼人、お前、この瞬間にオレを立ち会わせたくてナビしたんだな」
どんなシナリオでも、こういう偶然は極力避ける。まあ事実は小説より奇なりの見本みたいなモノだが、額縁の兼人はほほ笑んでいるのみだ。
「オレは優さんもKさんも大好きだから、いいかげん仲直りしてよ」
という引き合わせだったのだろう。
オレはこいつらにとって招かざる弔問者である自覚はある。
オレだって進んで会いたいとは思ってない。
葬式という雰囲気が苦手だ。
なのに、ここに座っている。
兼人の気配りの最後の置き土産だったのだろうか?
そう思えてならなかった。
オレは、そのまま流れで遺族に挨拶し、焼香する。
「そうか、お前オレに、ここに来て欲しかったんだな」と遺影を仰いだ。
もちろん涙なんか流しはしない。
この後だれとも言葉を交わさずに出た。
見知った顔のだれも誘わずに、俺だけで兼人を偲んだ。
場所が例の中華料理屋だとわざとらしい。
「それにしても兼人よ。もっぺん一緒にJ9やりたかったな」
オレは近くの飲み屋で兼人の思い出を肴に一人しみじみと呑んだ。
兼人についてはまた話す機会もあるだろう。J9についても。
一つだけ言えるのは「兼人は俺の中では死んではいない」と言うことだ。
その証拠は近々見せてやるつもりだ。・・・うふふ。