最近、幸せとは人によっていろいろで親子であっても、パートナーであっても違うのだとわかることがたくさんあります。

 

 

特に親はよかれと思って子供の幸せを願っていろいろ面倒をみますが果たしてそれが彼らにとっての幸せに当てはまるかは疑問です。

 

 

子どものことは母親の私が誰よりも知っているという過ちにも似た思い込みは、親孝行の子供にしたら重荷でしかありません。

 

 

親の愛情が身に染みるから余計に我慢してしまうというのはよくあることです。

 

 

親子であっても違う世界に身を置くようになるといろんな考え方を目の当たりにして自然と自分の中で選択するようになります。

 

 

小学校を卒業したころから親から離れている時間が多くなるのですから当たり前の事なのですが、そんな時間の流れさえも親は気が付かないでいるものです。

 

 

成長するにつれてそれは親はがし。ちょっと乱暴な言葉ですが、そうやって子供はひとりの人間、おとなとして成長するのかもしれません。

 

 

よく思春期の時は親を悩ます反抗期があったとしても、おとなになったらとても仲のいい関係になったという話を聞きます。

 

 

 

そんな時期があったから分かり合えるようになったのだと。

 

 

一卵性双生児のように仲のいい母子がいますが、外の世界を知らない分、傷つくことも少ないし、いつも親が守ってくれるという安心感がある反面、いつかは何かの形で独り立ちを余儀なくされると今までの平和な暮らしが崩れてしまうこともあります。

 

 

 

彼女は40歳後半で結婚して、最初は実家の近くに住んでいましたが、ご主人の転勤で、東京に行くことになりました。

 

 

 

それまでは細かいことまで母親に連絡してアドバイスをもらったり実家に帰って母親手作りのおかずを持って帰ったりとそれが毎日のように続いていたそうです。

 

 

ところが離れて暮らすと電話で聞いてもわからなければ帰って聞けばいいという安心感もなくなりちょっとしたうつ状態に。

 

 

 

 

母親もそんなにしょっちゅう行くこともできず、この結婚は失敗だった!とまで思うようになったそうです。

 

 

解決策は何でしょう。

 


今まで甘え過ぎていた、甘やかしていたことに気が付いたら、この遠距離を幸いとして今からでもお互いが独り立ちする時と知ることでしょう。

 

 

一日二回のLINEが一回となり少し自分で行動するようになったようですが、精神的な独り立ちにはもう少し時間がかかりそうです。

 

 

親子であっても一人の人間同士。新しい家庭を持つようになったことで親はがしが出来ればまた違う景色が見えてきそうです。

 

 

親子関係の柔らかい部分はなかなかデリケートな問題ですが、ちょっとした粗治療も時には良いかもしれません。

 

 

沖縄に台風。

 

 

その影響なのか風が雲をいつもより早く動かしています。

 

 

 

日の出が5時過ぎになって今朝は曇り空。

 

 

 

あちこちで捕らわれた蝉の悲鳴とバタバタ最後の力を振り絞ってもがいている羽の音が残酷であり、蝉の終末を知らせています。

 

 

 

 

目も耳をふさぎたくなりますが、これも自然の生業。夏 真っ盛りの風景です。

 

 

 

争って奪い合うカラスやスズメ。我先にと獲物に飛びつきます。

 

 

 

 

毎年の事ながら遠い昔、父と雑木林に虫籠を持って蝉取りに行ったこと、子供たちも同じように主人と。籠いっぱいになれば、放してあげるのが約束。

 

 

 

最初は怖がっていた娘も教えてもらってこわごわ掴んだのに暴れる蝉に驚いて、すぐに話してしまうのがいつもの事でした。

 

 

 

 

道野辺には早くも虫の声が聞こえます。シロツメ草の中から小さなバッタが飛び出しました。

 

 

 

大きな蜂には闘志を燃やして追いかけまわすニケですが、それ以外の虫には全く興味を持たずに熱くなる前のひと時を楽しんでいるようです。

 

 

 

ひらりちょうちょがオリーブの古木の幹、ひと休みなのかなかなか飛びそうにありません。

 

 

 

仲良しの柴犬、麦ちゃんが坂を上がってきました。

 

 

 

ハアハアと言う息使いがしてニケも気が付いたようです。

 

 

 

お互い、喜びの再会などと言う感情は表さず、少し尻尾を振っただけ。これも柴の挨拶なのでしょう。

 

 

 

飼い主の話が長くなりそうだと見越してお互い冷たい土の上に腹ばいで同じ方向を見ています。

 

 

 

数分のことですがそれも散歩のメニューの一つ。二頭は別れ際に少し鼻先をくっつけて「また明日ね!」となります。

 

 

 

少し行くと小さな公園があります。

 

 


青々とした草の絨毯を踏みながら、遠くの海を見ると朝日を受け入れるようにキラキラ輝いています。

 

 

 

ベンチに座ってひと休み。空は今日も雲を流して、心を和ませてくれます。

 

 


原爆が投下されて78年にもなるとか。

 

 

同じ空の下、大変なことも人は乗り越えてこられたと思えば、生かされているありがたさがしみてきます。足元のニケは風に目を細めて今!を生きています。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

 

        

環境の違いや考え方、今までの人生がその人を作っています。

 

 

 

年を重ねるとその人なりが出来上がってしまって分かっていてもなかなか短所はなおせないものです。

 

 

 

性格は仕方がないとしても人への気使いは別物。思いやりはどんな人にもあるはずです。

 

 

 

誰しもいままでに何回も助けてもらったり、癒してもらったことがきっとあったはずです。

 

 

 

「ありがとう!」その一言が言えるかどうか。ところが意外と言えない人が多くいます。病んだ時には「ゆっくり休んでね。お大事に!」は沁みます。

 

 

 

「照れくさいから言えない。」という人もいますが…。その一言はそんなに⁈

 

 

 

「小さな時にきっと親から教えてもらわなかったのかも」という優しい?言葉をかける人もいますが、今までの生きてきた時間で十分学習できたはずです。

 

 

 

 

訓練生を卒業して、長いフライト。ファーストクラスの担当になったことがありました。

 

 


搭乗早々、コートをお預かりしたり、雑誌や新聞をお持ちしたり、コーヒーを、食事を…。

 

 

 

結構こまごまとした仕事がありました。最初は緊張していましたが、必ず「サンキュー!」「ありがとう!」と言葉をかけてくださいました。それが自然でとても心地よく、私もこんなおとなになりたいと思ったものです。

 

 

 

そうしよう!そうであれ!と思っていても年を重ねるごと、手のひらから知らぬ間に誓ったことは零れ落ちているものですが、その言葉をかけることだけは、なんの身構えもなくあらゆる場面で使っている私がいます。

 

 

 

子供には何か頂いたら「ありがとうと言うのよ。」と親は教えますが挨拶のできない、お礼を言えない子の親が案外自身が言えていない場合も見受けられます。親は子供の手本。まずは自分もというところでしょうか。

 

 

 

小さなもの弱いものを育てることで、優しさが育まれます。今ある自分を思えば「ありがとう」と言えます。

 

 

 

自分がつらい思いをしたとき、同じような境遇に陥った人にどんな言葉をかけられるかそんな時にその人!が現れます。何も人気取りの口上手ではなくとっさに出る言葉、そこで今の自分の心理状態もわかります。

 

 

 

余裕のある時は優しくなれて、うまくいってないときは相手のせいにする。

 

 

 

何度も反省して、学んだはずなのに果たして人への思いやりや感謝が自分にはあるのかと…。それらを身近に伝えるのが「ありがとう。」と言う言葉なのかもしれません。

 

 

 

「人のふり見て我がふり直せ」小さなころ何度も聞きました。

 

 

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「人は自分の鏡」そのときはそれほどしみる言葉ではありませんでしたが、今はそれを私に話した家族の気持ちがよくわかる気がします。

 

 

 

「生きていくのには必要なこころ構えだよ」と言いたかったのだと思います。

 

 

 

今朝もいつもどうりに散歩に行けたことに感謝です。台風が遠くても迫っているのが分かる雲の様子です。

 

 

 

この年代になると何があってもおかしくない。身体も心も…。

 

 

 

朝がいつもと同じなのが何よりなのかもしれません。自分の体に、傍にいるニケに「ありがとう!」です。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

昨日、知り合いの葬儀に参列しました。

 

 


「ご香典は遠慮します。」

 

 


彼女の家族らしいというか彼女らしい静かで温かいお別れでした。

 

 


ちいさなお葬式をひっそりと身内だけでしたいという遺族の意思表示なのかもしれません。昨今、お葬式の様式も変わってきました。

 

 

ゆっくりお別れが出来たとは息子さんたちの言葉。家族に愛されていたんだなあとこちら迄嬉しくなりました。

 

 

 

子どもたちが幼稚園の時からのお付き合いでしたが、そんな彼らも立派なおじさん?叔母さんになってあのころの私たちがそのまま彼らの中に納まったみたいにきれいに世代交代されているのだと感じました。

 

 

 

昭和のお葬式は親せきも多かったですが、何年も顔を見せなかった田舎のおじさんや、体調がすぐれない叔母さんもお通夜にやってきて、和室二部屋をぶち抜いた大広間?とは少々大袈裟ですが、そこにいくつもテーブルが並びました。座布団が足らない、お茶碗が…。となると近所の人が抱えて持ってきてくれました。

 

 

 

仕出しを頼むこともなく、大勢の近所の夫人が予行演習をしたみたいに、手際よく、おにぎりや煮物を作ったり、廊下や玄関を素早く掃除してきれいにしてくれました。

 

 

新婚のお嫁さんは、言われるがままコマネズミみたいに…。

 

 


それはお互い様の精神。次回近所のおうちに不幸があれば同じようにまた集まります。

 

 

 

忙しくてぐったり疲れたでしょうが誰一人「疲れたー」とは言いません。

 

 


台所で熱い日本茶と自分たちが作ったおにぎりをほうばりながら故人の話。自然と昔の話になりました。小さな私には、知らなかった祖父の話も聞けて、とても興味深いものでした。

 

 

 

今までは挨拶する程度のおばさんたちが妙に身近な存在になって、子供ながらに近所の人たちが好きになりました。

 

 

 

葬儀も無事終わって、家族だけになっても、いろんなところで後かたずけをしているおばさんやおじさんの姿は妙に気高く?美しいと思えたのはなぜでしょう。

 

 

 

今は個の時代。近所付き合いもあまりしなくなって、お醤油を借りるのもはばかれるようなお隣さんです。

 

 

それは仲が悪いとか無理に付き合うということではなくて、時代!としか言いようがありませんが、それでも昭和の時代が懐かしく、「良かったなあー」と思うのは私だけでしょうか?

 

 

 

「それは年のせい!」と息子なら言うかもしれませんが、年齢の割にドライな私もやはり人の温もりは大切にしたいと思っています。

 

 

 

一つの時代に一緒に生きた身内の最後は、盛大にとはいかなくなってきた現代ですが、見かけの問題ではなく、今の家族が出来る精一杯のお見送りをして故人を偲びたいものです。

 

 

 

見送る人の故人への感謝や寂しいけれど区切りの気持ちの儀式。

 

 

 

葬式は簡素に小さく!焼いてくれるだけでいいと年長者は口をそろえて言います。それは家族に気を使って、面倒をかけたくないという気持ちが大いにあるからです。

 

 


「そんなこと言ってたけど…。」
育ててくれたことに感謝して、命のバトンタッチ、その家ごとの見送り方をしたいものです。

 

 

 

時代によって送り方は変わって当然。変わらないのは亡くなられた方へのリスペクト。

 

 

 

見送る側の心にそっとその人をしまうことかもしれません。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

70歳を過ぎるといろんなことを忘れやすく覚えにくくなります。

 

 

 

だからと言って、あきらめてしまえばおしまい。

 

 

 

それを悩んで鬱状態になる人もいて、なかなか年を重ねるのも大変なことです。最後の修行時代⁈かもしれません。

 

 

 

体も丈夫で頭もあんなにしっかりしていた親が、自己中心の我儘な老人になって足腰の衰えを目の当たりにするとショックを受けてたまに辛辣?な言葉を発してしまうという知り合いがいます。

 

 

 

親はそれを真に受けるのか、流す老人力を発揮出来るかで、親子関係は変わってきます。

 

 

 

親が大切な存在であることや、どんなに手を焼く老人になろうと最後まで面倒をみるのは自分たちの責任であることは百も承知しています。

 

 



親は子供のそんな気持ちはよくわかっているのに、おとなとなった子供たちの言葉に腹を立てたり自分が情けなくなったりするものです。

 

 

 

親の老後への不安や、寂しさも入り混じって、親以上にその一見もろくて、でも堅固な壁の前で途方にくれるのは大なり小なり。

 

 

 

ついこの間までは親の面倒をみる立場であっても知らぬ間に立場は逆転していて今更ながらその時の親の気持ちが分かるときがあります。

 

 

 

もう少し優しくできなかったのだろうか?

 

 

 

私自身も、着実に脳細胞が毎日破壊⁈していることを実感しています。

 

 

 

二階に上がって「さて私は何を取りに来たのか?」と自問自答。

 

 

 

答えが出ないまま全く違うモノへ気がいって最初とは程遠いものを持って降りることがあります。そんなときは自分に突っ込みを入れる!

 

 

 

こんなことは序の口。昔なら探していたものの最後に見た時の事や、「こんなところに入れるとまた忘れるだろうなあ」と思ったことまで分かっていたのに今では手あたり次第あちこち探す羽目になります。

 

 

「この家の中にある。でも冷蔵庫にはない!」など訳の分からないことを言って探すのですが、そのことばかり考えていると余計に隠れてしまうように思います。

 

 

 

数日前も探し物。何度も同じところやこんなところにあるはずがないと思いつつも自分を信用していないので覗いてみます。

 

 

 

それでも見つからないときはできるだけ他に意識を移して忘れるようにしています。ある日こんなところにどうして?と思う場所からひょっこり出てきて、情けないやら、出てきたことが嬉しいやら…。

 

 

 

これが今の私の立ち位置です。

 

 

 

「私何を探していたっけ?」と人に聞いてもわかるはずもなく、出てくるまでは悶々とするものです。

 

 

 

二日ほどお気に入りのピアスを探していました。今日はもう一度気になってしょうがないので同じ袋を開きました。

 

 

やはり答えは同じ。ところが前ポケットの小さなカードケースの裏。表からは見えない、中を探しても見つからないとことからひょっこり出てきました。どうしてここに?今も謎です。

 

 

 

見つかればものすごくいい日になったような、晴れ晴れと⁈した気分になります。なんとまあ単純な…。

 

 

 

シルバー、ゴールドも悩める年代ですが、そんなボケ具合もまた楽しと思えれば平和かもしれません。

 

 

 

親たちが通った道をいよいよ私も踏み出しているようです。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

 

        

体にいいものはまずい。美味しいものは体には毒⁈残念。

 

 

子供たちはマクドでバーガーやポテトを食べることにあこがれ、母親たちは体に悪いとあまり連れて行かなったのは遠い昔。最近はママたちもジャンクフードで育った時代です。

 

 

 

みんな楽しそうに食べてます。食事の基本は楽しくいただくこと。ならばいいじゃん!となります。

 

 

 

私もたまに無性に食べたくなります。マクドのポテト!

 

 

モスのも美味しいですが、あの本物でなさそうな?柔らかいポテト。

 

 

 

どんな時に食べたくなるか?

 

 

 

変な話ですがなんだか仕事で疲れてホッとしたいとき。小腹が減った時、お店の前を通ると立ち止まらずにはいられない。

 

 

 

誘惑についつい負けてLサイズ!

 

 

 

小さな時からジャンクフードばかり食べている子供は肥満になったりキレやすくなったり骨がもろくなったり、良くないことばかりと言われていました。

 

 

 

しかしバランスの良い食事を心がけていても嗜好は真逆な方を欲します。

 

 

 

我が家も小学校に上がるまでは、連れていく機会を逃していました。というより強いて食べさせませんでした。

 

 

 

本人たちもその悪魔の味を知らない分、せがんだりはしませんでした。

 

 

 

しかし、それは時間の問題。

 

 

 

幼稚園ごろから誕生日会をマクドでする友達や、おまけのおもちゃを見せ合うこともあり、「何それ?」「どこにうってるの?」と興味津々。

 

 

 

 

 

 

ある日サッカーの試合後にみんなで行くことになりマクドデビューとなりました。

 

 

 

もちろんすぐにダブルバーガーのとりこ。徐々に「何食べに行こうか?」と聞くと二人口をそろえて「マクドがいい!」

 

 

 

こんなにもみんなのハートを鷲掴みする魅力はどこにあるのでしょうか?

 

 

 

 

あの大正生まれの父が嫌ったハンバーグを挟んだバンズ。

 

 

 

ところが実家で子供たちをみてもらうことになり、用事が済んで迎えに行った時です。

 

 

 

二人が何やら興奮気味で、「おじいちゃんにマクドに連れて行ってもらった!」とピョンピョンしながら報告します。

 

 

 

父は少々バツが悪そうに新聞を読んでいます。

 

 

 

 

私にはいろいろ厳しく、かき氷さえもお腹を壊すと食べさせてくれませんでした。その父が…。

 

 

 

やはり孫には弱いということでしょうか。

 

 

 

子供たちも祖父なら、おねだりしても大丈夫と踏んだのでしょう。

 

 

 

こんなにうれしそうな顔をするのですもの。根負

けしたのでしょう。

 

 

 

孫たちはもうとっくの昔にデビューしています。

 

 

 

私は私で「こんなに早くから食べることが出来ていいなあ~」と全く子供レベルです。

 

 

 

たまにはコーラとハンバーガー。

 

 

 

初めて銀座にマクドナルドが出来たのは丁度東京で暮らし始めたころでした。

 

 

 

訓練生はみんな東京暮らしは初めて。「まずは銀座でしょ!」と週末の歩行者天国をお上りさん。その一角がものすごい人だかりでした。

 

 

 

あのMのマークが銀座に不釣り合いでしたが、そこだけ違う場所のような混雑ぶりでした。

 

 

 

小さいころテレビで見たアメリカのホームドラマ。芝生のお庭に、大きな家。素敵なキッチンのテーブルで子供がほうばっているバーガー。

 

 

 

それがとうとう日本にやって来た!その当時はまだまだ高価なスナックだったように思います。

 

 

 

「味噌で育った子供がバーベキューソースに侵される!」と大人たちが批判した時期もありましたが、波は日本の食生活をのみこんで、いつの間にかすっかり日常に入り込んでいます。

 

 

 

食べさせてはもらえないけどせめて匂いだけでも!とニケは首を伸ばして見つめますがこれだけは叶わないようです。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

        

他人の性格はよくわかるのに自分のそれはと聞かれてすぐに答えられない自分がいます。

 

 

とっても複雑な人間のようで、すごくシンプル。単純なところもあります。

 

 

 

10人に印象を聞いたら果たして同じ答えを出す人は何人ぐらいいるでしょうか?

 

 

 

家庭で、職場で、または学校で、スーパーでと一日にもいろんなところで人と会って話します。

 

 

話しぶりも体調によります。うまくいっているときと悩んでいるときでも違うような…。

 


心の中にはきっといろんな色の小さなボールがいっぱいあって、それが話すという行為で目には見えない状態で口から出てきます。

 

 

 

その時に出た多い色に左右されているのかもしれません。赤が多かったら元気で積極的、青なら落ち着いていて静か。黄色は少し恥ずかしがり屋だったりと…。

 

 

 

沢山のいろんなボールを持っているということが、情緒豊かということになるのかも!

 

 

 

その一方で一人の中に20人もの人格がある人の犯罪はその中の一人!というややこしいお話がありました。

 

 

 

その犯人が出てくるまで逮捕できない。例えば男性の体には少女、老人、僧侶、学者…その一人にずつ名前がついています。天真爛漫だったり神経質、短気ですぐ癇癪を起す人物もいて、異次元のスポットライトの場所に現れた人物がその時の彼。到底お芝居とは思えない話しぶり。

 

 

実際の人物をモデルにしている内容は不思議だけでは表現できない内容でした。

 

 

 

そこまで極端ではなくとも私にも2,3人はいると思っています。

 

 

初めての人に会ったとき、思ったより活発な言い方だったり、落ち着いて丁寧に話したり、時にはこれも私?と思うほど消極的だったり…

 

 

 

まあそれもひっくるめて私なのですから、その時々の出会いで印象が変わっていても仕方がないような気がします。

 

 

 

 

第一印象は大切ですがそれはいやな感じでなければ良しとなり、だんだんと回を重ねるうちにいろんな相手がみえてきてこの人楽しい!となるかどうかです。もう一度会いたいと思えるかどうか。

 

 

 

「きっとこの人はこうだろう。」とはこちらの精神状態での感想であってその時々で印象は変わるものです。おたがいフラットな精神状態ではない場合もあるのですから。

 

 

 

私ってどんな人間?と自分に問うてもすぐに出る人は少ないのではないのでしょうか?

 

 

 

グウタラだと思っていたらある時は几帳面な自分が出てきたり、大盤振る舞いしたくなるほど気が大きくなったと思えば、ケチな買い方。

 

 

何が基準なのか⁈人類の総人口の何倍もの人格がこの地球には存在しているということかもしれません。

 

 

 

今日の私はさて、どんな性格が出ているのでしょうか?

 

 


今日から八月。庭の蝉はあちこちで鳴いてそれは耳の奥に残ります。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

        

「何度来ても飽きない。」遠方からやってきたともだちは言います。「いいねえ、神戸!」自分が褒められたわけではないのになんとなく嬉しいのは小さな郷土愛でしょうか?

 

 

 

西日本の端に転勤した娘一家はそこでの友達からも憧れのまなざし?で神戸の事、いろいろ聞かれるそうです。

 

 

 

山側の北野と、海側の旧居留地。最近はまた新しいカフェやレストランが出来ました。

 

 

しばらく来ないと知らぬ間に、いつの間にか今までからあったように開店しています。華々しくしく飾る開店の花が最近はないので気にならないだけかもしれません。またそこがいい!

 

 

 

新しいカフェに友達と入りました。そこはビジネス街。

 

 

 

ランチの時間だったので近くのビジネスマン、ショップの人、その中に交じってロマンスグレーのおじさんも。常連さんのように馴染んでいます。いろんな年代が席を占めています。シルバ―マダムのおしゃれな杖もカラフルで、持つのに抵抗のないものが増えました。

 

 

 

向かいには大きなレトロビル。どっしりとしていて貫禄があって、静かで落ち着いた趣があります。こちらのカフェで食事をしながらの風景はまるで外国に来ているような感覚です。

 

 

 

たっぷりのステーキにサラダ、スープがついてフリードリンク。大満足で外に出ました。

 

 

 

この辺りはビジネス街ですが、ワンブロック山側の高級ブランド店や、大丸界隈と人の感じが違います。男女の比率もありますが、やはりあちらのブティック街は華やかです。

 

 

バブル時期の何時間も並んで買い物をするという風景は見られませんが、古いビルのショーウインドウは流行の先端、バックや、ドレスで道行く人の足を止めています。

 

 

 

少し西のフラワーロードを渡ると中華街。ずいぶん観光客が増えたような賑わいで、売り子の元気な声が聞こえます。やっぱりここは元気が一番!

 

 

 

半世紀前!ピンクレディが大人気で、急にスリムになったのはウーロン茶!と言ったのがきっかけで、ここもそのお茶を求める若い女性が殺到しました。

 

 

 

食料雑貨を売るでっぷり太った店主はほくほく顔で、冗談を言ってました。

 

 

 

「僕も飲んでるよ!」輪になってその話を聞いている女性たちは大爆笑。そんな風景があちこちで見られました。

 

 

 

品切れが出るくらいだったそのお茶も、いつの間にか山積みで店先で残るようになり、流行とは恐ろしい、集団心理を見たようでした。

 

 

 

タピオカ屋さんが、モンブランの店に、クレープ屋さんは 流行りのふわふわ食パンの店にと…。

 

 

 

あんなに夢中になったスイーツも飽きる前に次のが生まれてくる。それを楽しむ人と知恵を振り絞るお店側。

 

 

 

この様子はどの地域、いろんな街で繰り広げられているのでしょう。

 

 

 

そのどちらでもない私とニケが一番気が楽なのかもしれません。

 

 

今日も夏らしい一日になりそうですがいい日にしましょう!

 

 

 

        

小学生の頃はあっという間に夏休みは後半戦。宿題はそこそこ。

 

 

 

遊ぶことに忙しくて勉強をする暇もなし!

 

 


送られてくる孫たちの様子も花火にプール。家族旅行と盛りだくさんのようです。

 

 

 

毎年小さくなる浴衣を祖母は丁寧に縫い直して、地蔵盆に間に合うように準備してくれました。

 

 

浴衣の柄は朝顔。白地にきれいな赤の花が咲いていました。

 

 

 

地蔵盆がすむと次は夏祭り!おとなたちも何やら忙しそうで、町内会は頻繁に開かれました。

 

 

大体我が家が集合場所。お昼前には三々五々集まって、おばさんたちの輪、おじさんたちの輪。わいわい手も口もにぎやかです。

 

 

 

 お昼は巻きずし。早くから何本も用意して、着物姿の祖母や母の紐をたすき掛けをする手順が手品みたいで、りりしくかっこいいなあと思ったものです。

 

 

 

中学生は子供たちに渡すお菓子の袋づめ、小学生は絵をかいたり夏祭りと書いた大きな看板作りに一生懸命です。

 

 

 

夕方にはほぼ準備が出来て、子供はジュース、大人はキンキンに冷えたビール。乾杯と同時に賑やかな前夜祭⁈が始まります。

 

 

 

当時は神戸の空にもいっぱいの星。この日は少々夜更かししても叱られません。

 

 

 

何が楽しみって、それは皆で一緒に公園での盆踊り。

 

 

 

数日前まで大きな和太鼓はでんと玄関のたたきを占領していましたが今日は表舞台!櫓の真ん中で待機中です。

 

 

 

当日は履きなれない鼻緒の下駄をはいて、足は痛くてたまらないのにそれを忘れるくらいはしゃいでいましたっけ。

 

 

またカラン、コロンと軽やかに歩く度、それがまた靴では味わえない耳障りの良さ!わざと鳴らして…。誰からともなく片足を蹴って「明日天気になあ~れ」

 

 

 

2時間ほどの祭りは花火の後のかすかな火薬のにおいを残して公園は静かになります。提灯も知らぬ間にそおっと消されて…。

 

 

 

次の日には祭りが終わった寂しさと、もう少しで夏休みも終わり!学校に行くのは楽しみだけれどやっぱりもっと遊びたい!と後ろ髪引かれる思いでした。

 

 


同じような思いを子供たちもしたでしょう。今は孫たちが甚平姿で写真に納まっています。

 

 

 

初のデートは花火大会。母に浴衣を着せてもらい、つぎには私が娘に着せて、何年か先には孫娘の帯を娘が結んでいることでしょう。

 

 

 

やっぱり日本人はお祭りが大好き。

 

 

きっと盆踊りの輪にはご先祖さまも加わって、見ている以上に賑やかだったのかもしれません。

 

 

今日もいい日にしましょう!

 

 

 

        

散歩から帰るとそのまま庭に出て草花に水やり。

 

 


メダカと金魚に餌をやります。蕾を付けた!背が伸びた!セミの抜け殻が増えた!と大したニュースではありませんが、今日も一日の始まりです。

 

 

 

なんとなく針子の泳いでいる水槽を覗くのも少し前からの習慣です。

 

 


十分大きくなったらみんな⁈の待つ大きいほうに移すのですがなかなか手ごわくて、運動神経の鈍くなった私との追いかけごっこです。

 

 

 

まだまだ小さな針子は大きく口を開けて餌を飲みます。その姿は何とも可愛いものです。

 

 

 

そんな時、珍しいお客さん!なんと30cmほどの蛇がその水槽の淵をなめるようにしなやかに動いています。

 

 

蛇を見るのは何十年ぶりでしょうか⁈

 


割れた下をぺろぺろするのかと思いきや、そんな様子は見せず、ぐるっと一周して、アジサイの根元に消えました。

 

 

 

部屋から私の様子を涼しげに見ているニケを呼びましたが、蜂の時ほどの興味は全くなし!と言った様子です。

 

 

 

小さなころ父とよく山や海に行きました。

 

 


今のように遊園地はなく自然が遊び場。砂や小石。山なら珍しい草花。急に空気が変わったのが分かるくらい山は別世界でした。

 

 

 

所々にお地蔵さん。言われなくとも手を合わせて…。

 


きっとそこにも蛇や昆虫はたくさんいたでしょう。

 


もちろん大きなイノシシも!

 

 

子どもたちも夏休みには父親と蝉取りに毎日早くから出かけていました。当時の柴犬アルは男の子。蝉を見つけると素早く銜えて子供たちに届けてくれました。「えらい!賢い!」と言われることが嬉しそうでした。

 

 

しまいには野鳩まで得意げに銜えて来ました。子供たちが遠くまで走って逃げたのを、困った顔で見ていました。

 

 

 

そのアルが先程の蛇を見たらどうしたかなあ?と思いながらニケを振り返るといつもの爆睡中。

 

 

同じ柴でも性格の違いはあるものです。

 

 

あっという間に小一時間。

 


蝉はますます大音響で、涼しい部屋の中での珈琲はいつになくビターで、静かに喉を通り過ぎていきます。

 

 

今日も暑い一日になりそうですが、いい日にしましょう!