旅順、大連、奉天  -5ページ目
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南山、金州

大連を過ぎると、すぐに金州市です。

金州の手前、鉄道の左側の車窓からは南山の激戦地を眺めることができます…、と言っても、なだらかな丘陵地帯が続くだけで、どこがそうなのか良く分かりませんが、文献を見ると南山はゆるやかな丘だと書いてありますから…、「おそらくこの辺かな?」と思いつつ通過です。

明治37年5月13日までに遼東半島に上陸した奥大将の第2軍は、満州のロシア本軍と旅順のロシア軍の分断を狙い、5月24日から金州を攻略(金州の闘いで乃木の長男・勝典中尉が戦死します)、26日早朝からはここ南山のロシア軍陣地への攻撃を開始します。

鉄条網と機関銃により守られたロシア軍陣地に銃剣突撃を反復する日本軍は、ロシア軍陣地前に屍の山を築き苦戦、予想の10倍以上の4500名の死傷者を出してやっと攻略することができました。

得利寺?

たしか得利寺駅を過ぎたあたり?だったと思うんですが、ふと車窓から見上げると山上に石碑がありました。

はっきりと場所を覚えていないんですが…、もしかすると得利寺の古戦場の碑でしょうか?

金州、南山の敗北を受け、反攻を意図するロシア軍は得利寺一帯に東西5.6kmの陣地を構築、約4万の大軍を終結させていたところに、日本の第2軍約3万が攻撃を開始、明治37年6月13日から3日間、激戦を展開しました。

周囲は山々に囲まれ、鉄道と道路はその合間をぬうように走ります。
おそらく当時のロシア軍の陣地は、鉄道と道路を見下ろすように、こうした山々を活かして構築されていたのでしょう。

大石橋

大石橋駅を通過です。
ここは明治37年7月25日に第2軍が占領しています。第2軍は遼東半島に上陸後、戦いながらここまでくるのに2ヶ月かかっていますが、我々は列車でたったの1時間でここまで来てしまいました。

遼陽近郊…

列車は北上し、遼陽の手前あたりから一面の雪景色になりました。(まだ11月初頭ですが、緯度が高いですから…)

日露戦争当時はたいした防寒議も無く、ひたすら歩きつづけてさぞかし寒かったことでしょう。ゴアテックスのオーバーを着てても寒いくらいですから、昔の人は大変でしたね。

さすがに広いです、地平線が見えます。
当時の日本人は、この広大な大地に畏怖すら感じたことでしょう。いけどもいけども果ての無い大地…。

沙河

遼陽を過ぎ、沙河のあたりにさしかかりました。
車窓の左側(北西側)の遠いかなたが黒溝台の方向になります。(コンパスで確かめたので間違いないと思います。)ただし遠すぎて見えませんが…。

いちめんの畑(当時は高粱?現在はとうもろこしが多いそうです)、ここを駆けていく秋山騎兵旅団の姿でも想像しつつ…、列車はさらに北へ北へ、審陽(旧・奉天)まであと少しです。

審陽(旧・奉天)市内

面倒くさいのでこれから「奉天」と書きます。

ついに奉天に到着、奉天の北駅(新駅)は数年前に立てられたばかりで立派な近代的な駅でした。
しかし寒い、大連とは比べ物にならないくらいの寒さです。

バスに乗り換えて市内観光へ。
バスの車窓から見えた当時の奉天城門ですが、これも再建されたもの。
城壁、城門ともに「邪魔だ」ということで取り壊されてしまったそうです…。

「大山巌の奉天入城」の絵画のシーンを思い出し、当時を偲ぼうと思いましたが、まったくイメージできないほどの大都会で、ちょっとガッカリです。
市内では、当時の印象が残っているところはほとんどありませんでした。

奉天郊外(南東)

奉天市内から東に抜け、「あじあ号」のパシナ(機関車)のある機関車博物館へ行く途中、バスの車窓から撮った写真です。

ちょうど奉天の南東方向、日露戦争当時、黒木大将の第1軍がこの方向から奉天を目指し進撃してきました。

奉天郊外

おなじく奉天郊外です。
当時の写真に出てきそうな荒涼とした大地です。寒そうですね。

あじあ号

奉天郊外の「機関車博物館」に展示してある旧・満鉄の「あじあ号」を牽引していた「パシナ」型機関車です。

パシナとは、パシフィック型の7番、という意味だそうです。(パシフィック型とは、前輪2軸、動輪3軸のC型、後輪1軸=日本のC62と同じ=の車輪配置の蒸気機関車のことだそうです)

同じツアーに当時を知るご年配の方がおられ、「こんな色じゃなかった…」と。もっとグレーに近い落ち着いた色だったそうですが、戦後にこのようなケバケバしい色に塗り替えられたようですね。
きちんと整備され保存されているだけでも立派ですが。

この機関車は日本の「川崎車両」製です。動輪には「住友」の刻印がありました。

とにかく巨大な機関車です。
運転席内を覗くことができますが、中もたいへん広かったです。

赤い夕陽…

奉天郊外、西の大地に沈む夕陽です。
まさに「♪赤い夕陽に照らされて…」の"赤い夕陽"です。

当時の日本兵たちも、毎日この光景を眺め、とおい故郷に思いをはせていたに違いありません…。

これで3日目の観光もおわり、明日4日目は早朝から移動して審陽空港から成田に帰国です。あっという間でした。

しかし、念願の旅順にも行けましたし、満州の大地も感じることが出来ました。また、本レポートでは割愛させていただきましたが、参加者の皆様ともいろいろと有意義なお話をすることもでき、たいへん意義深い旅ができたと思います。

それでは、簡単でしたがレポートを終了いたします。
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