南山、金州
大連を過ぎると、すぐに金州市です。
金州の手前、鉄道の左側の車窓からは南山の激戦地を眺めることができます…、と言っても、なだらかな丘陵地帯が続くだけで、どこがそうなのか良く分かりませんが、文献を見ると南山はゆるやかな丘だと書いてありますから…、「おそらくこの辺かな?」と思いつつ通過です。
明治37年5月13日までに遼東半島に上陸した奥大将の第2軍は、満州のロシア本軍と旅順のロシア軍の分断を狙い、5月24日から金州を攻略(金州の闘いで乃木の長男・勝典中尉が戦死します)、26日早朝からはここ南山のロシア軍陣地への攻撃を開始します。
鉄条網と機関銃により守られたロシア軍陣地に銃剣突撃を反復する日本軍は、ロシア軍陣地前に屍の山を築き苦戦、予想の10倍以上の4500名の死傷者を出してやっと攻略することができました。
金州の手前、鉄道の左側の車窓からは南山の激戦地を眺めることができます…、と言っても、なだらかな丘陵地帯が続くだけで、どこがそうなのか良く分かりませんが、文献を見ると南山はゆるやかな丘だと書いてありますから…、「おそらくこの辺かな?」と思いつつ通過です。
明治37年5月13日までに遼東半島に上陸した奥大将の第2軍は、満州のロシア本軍と旅順のロシア軍の分断を狙い、5月24日から金州を攻略(金州の闘いで乃木の長男・勝典中尉が戦死します)、26日早朝からはここ南山のロシア軍陣地への攻撃を開始します。
鉄条網と機関銃により守られたロシア軍陣地に銃剣突撃を反復する日本軍は、ロシア軍陣地前に屍の山を築き苦戦、予想の10倍以上の4500名の死傷者を出してやっと攻略することができました。
あじあ号
奉天郊外の「機関車博物館」に展示してある旧・満鉄の「あじあ号」を牽引していた「パシナ」型機関車です。
パシナとは、パシフィック型の7番、という意味だそうです。(パシフィック型とは、前輪2軸、動輪3軸のC型、後輪1軸=日本のC62と同じ=の車輪配置の蒸気機関車のことだそうです)
同じツアーに当時を知るご年配の方がおられ、「こんな色じゃなかった…」と。もっとグレーに近い落ち着いた色だったそうですが、戦後にこのようなケバケバしい色に塗り替えられたようですね。
きちんと整備され保存されているだけでも立派ですが。
この機関車は日本の「川崎車両」製です。動輪には「住友」の刻印がありました。
とにかく巨大な機関車です。
運転席内を覗くことができますが、中もたいへん広かったです。
パシナとは、パシフィック型の7番、という意味だそうです。(パシフィック型とは、前輪2軸、動輪3軸のC型、後輪1軸=日本のC62と同じ=の車輪配置の蒸気機関車のことだそうです)
同じツアーに当時を知るご年配の方がおられ、「こんな色じゃなかった…」と。もっとグレーに近い落ち着いた色だったそうですが、戦後にこのようなケバケバしい色に塗り替えられたようですね。
きちんと整備され保存されているだけでも立派ですが。
この機関車は日本の「川崎車両」製です。動輪には「住友」の刻印がありました。
とにかく巨大な機関車です。
運転席内を覗くことができますが、中もたいへん広かったです。