あの恐ろしい恐怖の大地震から2週間経過しました。
その間、いろんなことを思い、いろんなことを経験しました。
まずは被災地の大切な命を落とされた方たち、心よりご冥福を申し上げます。
被災地の皆様、原発問題で毎日不安にかられている皆様、心よりお見舞い申し上げます。
私は地震当日、仕事はお休みだったので、前から勝手に電源落ちしてしまう携帯のかわりに新しい携帯を探しに車で15分ほどの駅のショッピングセンターに出掛けていました。
その前に実家の母が泊まりに来ていたので、12時半くらいに駅まで車で送りにいってその足でショッピングセンターへ。
ちょうど機種を決め、契約をしている途中での地震。
母のことが気になりましたが、時間的にも電車の中には閉じ込められないでいることは明らかだったのでほっとしました。
あとで聞いたら、新宿のデパートで地震に遭ったとのこと。
実家は新宿からは歩いてもなんとか帰れるのでまずは一安心。
ショッピングセンターから安全確認できるまで全員屋外退去を強いられ、私たちは外へ出ましたが、大きな余震に不安になりました。
子供のことが心配で、早く車に乗って帰りたかったのですが、地下の駐車場には入れてもらえず><
こういうときは引き取りになるので、まずは末っ子の小学校に行くのにどうしようか思案した挙句、車で15分の距離をひたすら走りました。
30分走って小学校に行き、無事に息子を引き取り、次いで次女の中学校へ向かおうとしたら、自宅付近で下校させられた娘に会いました。
長女はまたあいにく、その日は船橋のららぽーとに出掛けており、全然電話がつながらずに本当に焦りました。
そしてさらに悪いことに主人が当日、出張で仙台に行っており・・・。
内陸のほうでしたが、全然連絡がとれずに不安でした。
不安な気持ちのまま長女をとにかく迎えに行こうと必死でした。
そこは埋め立て地域なので、液状化になっていないか・・・本当に不安でしたが、そのうちに携帯がつながり、無事を確認し、電車も走っていないし、ららぽーと自体急遽閉店になってしまったので、なんとか迎えに行こうと、まずは車をとりにまたショッピングセンターまで自宅から歩くこと、子供と3人で徒歩40分、そして車をとりに行き、そのままららぽーとまで向かったのですが、20分くらいで普段なら着くところが大渋滞で1時間半くらいかかったのです。
運転中も長女に会えるか不安で、埋め立て地域に突入すると道路は陥没していたり、液状化していたり、何より怖かったのは広い道路の街灯や信号機が停電のために点いていなかったこと・・・・渋滞の上にみんな普通の精神状態でなかったので、ものすごく真っ暗な中での運転が不安でたまらなかったです><
よく無事に事故もなく運転できたなと・・・。
奇跡的に長女にも会え、我が家に帰ってきたのは夜の9時頃。
それから主人の無事も確認できましたが、地震の影響で家に無事に帰ったのは月曜日の夜でした。
結果的にはみんな無事で本当によかったのですが、私はいまだに地震の日の恐怖の運転からか、車の運転が怖くてできません><
仕事に行くのも大きな余震がありますが、子供を留守番させて行くので、不安な日々を過ごしています。
千葉は、うちのほうはそうでもないですが、車で10分くらいのところの地域ではいまだに停電、断水の不自由な生活を強いられています。
電柱が傾いたり、家が崩壊しています。
とても他人事ではありません。
この時期、うちのこの通う小学校の体育館も危ないので、隣の中学で卒業式や入学式が行われています。
上水が復旧しても下水がだめなので、生活排水ができないから、お風呂や洗濯ができない人たちがそばにたくさんいます。
そんな中、修了式を迎えましたが、春休みになってもTDLやTDSなどもまだ再開の見通しもつかず、出掛ける気持ちにもなりません。
息子との約束の「ワンピース」の映画も、近所の映画館はやはり液状化の土地なので、今は再開していますが、なんだか怖くていけなくて・・・。
大きな余震が続く中、上映中に大地震が起きたらと思うと、映画を観る気持ちにもなれません。
私がこんな気持ちになるくらいですから、被災地の皆さんの気持ちを思うと胸が痛くてたまりません。
いつかは復旧するでしょうが、本当に今回のことはよく考えなければいけないことだと思います。
ブログも更新する気持ちになかなかなれませんでしたが、やはり記しておきたくてやっと更新しました。
当たり前のように今までできていたことに本当に感謝して生活している今日この頃です。
すぐ近くにはまだ不自由な暮らしをしている友達もいます。
生きていることに感謝。
そしてまっすぐに前を見て、今、私にできることを精一杯してこれからも生きていこうと思います。