昊ちゃんの生きる道〜無脾症、重度の先天性心疾患、低酸素脳症と戦う日々〜

昊ちゃんの生きる道〜無脾症、重度の先天性心疾患、低酸素脳症と戦う日々〜

26年7月に生まれた息子は先天性疾患(無脾症、単心室、総肺静脈還流異常、肺動脈閉鎖)。
8月にBTシャント術を受け、その後3度の急変。それでも奇跡の復活を遂げ12月に自宅退院。
27年2月心カテ治療翌日、ICUにてミルクで窒息し心肺停止状態に。低酸素脳症になりました。

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昊太朗がお空に旅立つ前日に撮った写真。


私の妹に抱っこされている昊太朗。

昊太朗の小さな手が、おばちゃんの背中をしっかりと触っていて、

その姿が可愛くて可愛くて、何枚も写真を撮りました。

妹はなぜか、旅立つ前日と前々日、2日続けて家に来て、昊太朗をたくさん抱っこしてくれました。







旅立つ日の朝、パパは一度仕事に出かけたあと、なぜか5分くらいしてから家に戻ってきて、「昊ちゃん、パパ仕事頑張ってくるからな」と昊太朗のほっぺにキスをして、再び仕事に出かけていきました。

パパは何しに戻ってきたんだ?と不思議に思ったのを今でも覚えています。

その2時間後に昊太朗は急変しました。

あとでパパに「なんであの時戻ってきたの?」って聞いたら、パパは「なんでか分かんない」って言ってました。







急変する直前には、大好きな訪看の所長さんと大好きな沐浴をしました。

前日に沐浴してたから、その日は沐浴の予定ではなかったけど、

調子も良いし、昊ちゃんお風呂大好きだからその日も沐浴しようってことになって、所長さんが昊太朗の体を支えてくれて、私が昊太朗の体や頭を洗いました。

今となっては最後の沐浴になってしまったけど、昊太朗は本当に気持ち良さそうな顔をしていました。









今思い返すと、いろんな偶然が重なっていて、

突然に思えた旅立ちも、実は昊太朗自身が最後の時を決めたのかなって思うこともある。

昊太朗は自分の運命を分かっていたのかもしれない。

一番長い時間関わってくれた人達にちゃんとお別れをして、

僕、いっぱい頑張ったでしょ?そろそろお空に帰るねって...







けれどママは、今も昊太朗がいない現実を受け入れることが出来なくて、泣いてばかりいる。

もう一度この手で抱っこしたい。

ぷにぷにのほっぺを触りたい。

もう一度沐浴もしたいなぁ。

ついこの間、ベビーバス買い替えたばかりだったんだよ。

とにかく昊太朗に会いたくて会いたくてたまりません。
昊太朗がお空に旅立って10日が過ぎました。

今日からパパは仕事です。






私は何もする気が起きなくて、ただただぼんやり。

時間だけが虚しく過ぎていきます。








なぜ昊太朗はここにいないんだろう。

もっと出来ることがあったんじゃないか。

もっとこうしてれば昊太朗を失わずにすんだんじゃないか。

窒息さえなければ昊太朗は今頃私達のそばにいてくれたかもしれないのに。

なんで昊太朗がこんな目にあわなければいけなかったの?




・・・でももう苦しまなくていいんだよね。

楽になって、自由になって、お空でお友達と楽しく遊んでるのかな。

2人の曾じいちゃんに、可愛い可愛いって抱っこされてるのかな。










毎日毎日これの繰り返し。

夜も1時とか2時に目が覚めてしまって、眠れず朝まで延々と...



パパは、抜け殻のようなママを必死で支えようとしてくれます。

そんなパパも毎日夜になると昊太朗のお骨のそばで眠り、時に涙を流し、写真の昊太朗に話しかけています。






昊太朗がお空に旅立ってから数日間、泣いているママにみーちゃんが、
「こうちゃん、また帰ってくるから大丈夫だよ。お空に行くことは悲しくないんだよ」と何度も慰めてくれました。


3歳のみーちゃんが、弟の死についてどの程度理解しているのかは分かりませんが、

弟がお空に行ったことで両親が悲しみ涙する姿は、相当ショックだったようで、

翌週から保育所に行きたがらなくなり、保育所に着くと泣き叫んで嫌がるようになりました。

そして先週の金曜日、

「明日は保育園おやすみ?」とみーちゃんに聞かれたので、おやすみだよって答えると、

「やったー!ずっとママと一緒にいれる。お空に行く人は行く。ママもお空に行く?」

と不安そうな顔で聞かれました。

みーちゃんにそんなことを思わせてしまって、大きな不安を与えてしまって、

本当に申し訳ないことをしたと思いました。

私は、心の中で昊太朗のことを思い続けるけど、

みーちゃんの前では泣いてはいけない。




まだまだ悲しみが大きすぎて、

これから自分がどう生きていったらいいのか

まだ何も考えられないけど、

みーちゃんのことは全力で守っていかなきゃいけないって思います。




昊太朗、かわいい笑顔で見守ってくれてるよね、きっと。












※コメントやメッセージを下さった皆様、本当にありがとうございます。

お返事を返せず申し訳ありません。

突然の報告だったにも関わらず、お言葉をかけて下さったこと、とてもありがたく思っています。
こんなにも早く、こんな報告をしなければならない日が来るなんて。

あまりに突然のことでした。





8月27日 11時00分

昊ちゃん、改め、昊太朗(こうたろう)

天使になりました。











1ヶ月近く更新出来ていませんでしたが、調子が悪かったわけではなく、

痰を溜めないよう、詰まらないよう、吸入と体位変換を繰り返し、

がむしゃらに毎日を過ごしてきました。

そんなケアのかいもあってか、好調とまではいかないまでも、

痰が溜まることもなく、適度に良い状態をキープできていたと思います。






昨日の朝はいつもに増して、換気も酸素も良く、

朝9時に訪看さんが来て、一緒に沐浴して、気持ち良さそうな顔をしてくれていました。

沐浴後、少し苦しそうな表情をしたので、

痰が上がってきたかなと思って急いで吸引したのですが引けず、

換気が下がり、サチュレーションも数値をひろうことが出来ず、

急激に反応がなくなりました。

訪看さんと心マやアンビューを繰り返しながら救急車を待ちました。

救急車の中では、脈20~30をなんとか維持するのが精一杯で、

私は「昊ちゃん!お願いだから!」と泣きながら叫び続けました。



病院に到着してすぐ、強心剤を5回気管に直接入れてもらいましたが、

そのまま回復することなく、パパ、私、先生や看護師さん達に見守られるなか、

昊太朗は息を引き取りました。

急変の原因は、シャントの詰まり、とのことでした。







午後1時頃、ICU・NICU・小児病棟の看護師さん、先生、保育士さん、相談員さん、たくさんの人達に見送られ、家に帰ってきました。




今は、あまりにも急なことすぎて、頭の中はぐちゃぐちゃ、

パパと2人で泣き続け、

目の前にいる昊太朗があまりにも穏やかな顔をしているので、

また目を覚ましてくれるんじゃないか、

これは夢なんじゃないか、

と、まだ現実をちゃんと受け入れられていない自分がいます。







1年と1ヶ月、昊太朗は本当に本当に頑張ってくれました。

私達の自慢の息子です。

今まで昊太朗を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。