その男㊵
ありえない。
完成間近に書いていた記事が消えた。
いきなり。
信じられん。
俺の1時間を返してくれ。
気持ちが折れそうだ。
更新をやめるのか?
その男の過去はここで止まるのか?
「俺はいいよ。けど「その男」はなんていうかな?」
やるしかない。
書きなおそう。
YAZAWAに激を入れられたようだ、「その男は」
ゼーフェルトの世界選手権が終了し、日本へ帰国した。
その数日後に「その男」の地元で全日本選手権が開催された。
4x10㎞リレー
15㎞スケーティング
50㎞クラシカル
この3種目だ。
初日 リレー
一走のマサトが早々に差を広げた。
一人だけ抜けだし、差をつけて蛯名へ。
2走の蛯名もその差をさらに広げる。
3分近くあったのではないか?
3走は倍償。
バイアスロン選手だ。
ノブヒトが怪我により、この大会には参加ができなかった。
「その男」が所属するチームは当時、ノブヒトを除くと3人しかいなかったため、バイアスロン選手の倍償が走ったのだ。
彼も良い走りをし、大きな差を保ったまま、アンカーのその男へ。
ふと振り返ると、「その男」は所属するチームでのリレーではアンカーしか走ったことがないようだ。
5分ほどはあったはずだ。
ぶっちぎって優勝した。
プロ集団が負けるわけにはいかない。
二日目 15㎞スケーティング。
「本当にドローしたんですか?」
馬場が言う。
「音威子府の闇を感じる」
宮沢が言う。
スタート順番についてだ。
優勝候補筆頭の馬場と「その男」
馬場の後ろから「その男」がスタートする順番だったのだ。
日本のインディビジュアルスタートは、海外と違い15秒間隔だ。
そのため、スタート後から前の選手との間隔が狭い。
さらには、このコースのラスト3㎞ほどは下りと平地が続く。
選手の真後ろを走ると、かなり有利になるのだ。
案の定、このスタート順は「その男」に有利に働いた。
11㎞ほどで馬場に追いついた。
そこからは馬場の後ろを滑った。
「その男」がトップ通過。
馬場が二位通過。
このままいけば「その男」の優勝なのだ。
平地になると、後ろの選手はやはり楽についていける。
一緒にゴールをし、「その男」が15秒勝った。
三日目 50㎞クラシカル。
荒れた。
天候が。
吹雪の中でのレースとなった。
50㎞はマススタートだったが、天候が荒れれば荒れるほど、後ろの選手が有利になるのがマススタート。
いつも以上に前の選手を風よけとして使うことができ、楽をすることができるのだ。
多少力がなくても、ついていくことができる。
例外なく、このレースも大集団で進んだ。
展開はこうだ。
馬場が上りで引き離す。
下りと平地で後ろの集団が追いつく。
これの繰り返しだった。
この日は10㎞コースを利用した。
マススタートなので、一度選手が通過すると30分近く選手が来ない。
天気が悪かったこの日は、その間にコース内に雪がたまってしまった。
次の周回で先頭にくる選手は、ラッセルしなければならないのだ。
ラッセルされたコースは、滑った選手がたとえ一人であっても十分に踏み固められており、後ろから来る選手のほうがよほど滑るのだ。
先頭を積極的に引っ張った馬場がラッセルする形となり、上りで差がついても下りと平地で追いつくのだ。
下りと平地がグライドに及ぼす影響に比べ、上りの影響は小さい。
距離が経過してないうちはすぐに追いついたものの、距離を重ねるごとに追いつくまでにかかる時間が長くなってきた。
次第に追いつけない選手が増えてきた。
振るいにかけられていった。
集団が崩れ始めた。
馬場の開脚は本当に速かった。
スキーを開く角度が狭く、直線的に上る。
ランニングのように駆け上がり、体が横にぶれなかった。
最終周回に入るころには、集団はさらに小さくなってきていた。
「その男」は開脚で一気に話されることがあったが、なんとかついていくことができていた。
最終的には、ぴたりと後ろについていた。
残り6㎞ほどだろうか。
上りで離れては、下りで追いつくを繰り返し、何とか馬場と「その男」についてきていたのが
「蛯名」
だ。
このコースのラスト5㎞は3~4分ほどの長い上りから始まる。
その後一気に下った後は、スケーティングと同ように平地と下りが3㎞ほど続く。
そこまで行くと、ほとんど差がつかないということは15㎞の時と同様だ。
よって、3~4分ほどの長い上りが非常に重要だ。
ラスト5㎞が勝負のポイントとなるのだ。
その勝負の上りに入った。
時を戻そう。
この上りに入る数分前に。
「返事はしなくていい、いいか落ち着いて聞け」
その男が言った。
蛯名に。
下りと平地が続くパートでだ。
「その男」はわかっていた。
「スプリント勝負になったら、蛯名に勝てない」
と。
夏場から一緒にトレーニングをしている。
10秒ダッシュでは彼に勝てなかった。
スプリント系の練習でもだ。
もう一つわかっていた。
「スプリント勝負になったら、馬場は勝てない」
実績が物語っている。
「今日のレースはお前が勝つ日だ。スプリント勝負になればお前の勝ちだ。」
この段階で自分の負けと、蛯名の勝ちを悟っていたのだろうか?
練習パートナーの蛯名の初勝利をみたかったのだろうか?
「ラスト5㎞の長い上りで馬場に引き離されなければいい。上り切ってしまえばあとは平地と下りだ。そこまで行けば差は開かない。後ろにいれば、差がつかない。」
「全力を使ってもいいから、長い上りで離れるな。このコンディションだから、上ってしまえばいつも以上に休める。体力を回復できる。」
「だから最初の上りに全精力を使え。」
「その男」の考えを伝えた。
馬場が勝つためには、「その男」と蛯名をラスト5㎞の上りで引き離さなければならない。
「その男」が勝つためには、馬場についていき、蛯名を引き離さなければいけない。
蛯名が勝つためには、上り終わりまで前の二人についていけばいい。
これは確かなことではなく、レース中の「その男」の考えにすぎないが。
それぞれの勝利条件を持って、三人の最後のサバイバルが始まった。
(覚えてないけど、もし宮沢もいたらごめん・・・)
開脚からはじまる上り。
やはり積極的に馬場が出た。
「その男」は、もがきながら、離されないように動いた。
ここですでに蛯名が離れそうになっている。
馬鹿野郎。ついてきやがれ。
さらに馬場がペースを上げるが、必死についていった「その男」
後ろを振り向くと、じりじりと離れている蛯名。
上り終わり付近。
「その男」は離れなかった、馬場から。
もう一度振り向いた。
蛯名との差がさらに広がっている。
上り終わって下りに入り、振り返ったときには、まだ彼を確認することができた。
「押せ!体を動かせ!どうにかして追いつけ!」
叫んだ。
その下りとその後の平地で蛯名は追いついてきた。
馬場、「その男」、蛯名の順でレースが進む。
「ここまで来たらお前の勝ちだ」
蛯名に言った。
「このまま俺の後ろを滑れ。会場に入る前に体を回復させろ」
「会場に入った直後の直線で俺が仕掛けて馬場を抜かす。俺にぴったりついて、お前も一緒に馬場を抜け」
「最後の直線に入ったらあとは行くだけだ」
そう伝えた。
三人の隊列が変わることなく、レースが進む。
会場が近づいて来る。
ゴールが近づいて来る。
どれだけ進んでも隊列は変わらない。
三人が会場に入ってきた。
レーンを変え、作戦通り「その男」が仕掛けた。
蛯名もついてきている。
予定通りだ。
いつもの練習の時のように、二人になった。
いざ、最後の直線へ。
スプリント勝負へ。
「お前が勝つ日だ」
といっても、「その男」も負けたくないようだ。
全力で押した。
それが勝負だ。
いつもの練習の時のように、横から蛯名が・・・・・来ない。
ストックの音が一向に大きくならない。
自分の視界にやつが入ってこない。
「蛯名、押せ!抜かせ!」
おかしな話だ。
抜かれたくないのに、優勝したいのに、後ろを走る選手に抜けと言っているんだから。
それでも「その男」の視界に蛯名は現れない。
そして
いつもの練習の時とは違い、「その男」がスプリント対決を制した。
「その男」の優勝だ。
1秒ほど後ろで蛯名がゴールした。
激怒した。
「今日はお前が勝つ日なのに、なんで勝たなかったんだ?」
「こんなチャンスの日はないだろ?俺に勝つ絶好のチャンスだったんだぞ?」
「全日本で勝つチャンスだったんだぞ?」
ゴール後、苦しくて倒れている蛯名を罵った。
ゴール付近にいる役員や応援しているひと、続々ゴールしてくる選手の目をはばからずに。
「何を怒ってるんだ、あいつは?」
と思われていただろう。
蛯名しか理解できなかっただろうから。
いや、「その男」に激怒されることは理解できなかったかもしれないが。
やりすぎかな、「その男」
「うれしくないですよ、怒られてるんですから」
ゴール後にマサタカに漏らしていたようだ。
50㎞クラシカルも「勝ってしまった」
このことで、「その男」の気持ちが揺らいでしまった。
その男㊴
エレベーターに乗ろうとしたときに、お母さんと3歳と1歳くらいの女の子がいた。
「お先にどうぞ」
と言われたが、
「どうぞどうぞ」
と、譲り合いになった結果、三人が先に乗る形におさまった。
「優しいね」
と、3歳くらいの子がお母さんに言っている。
1歳くらいの子はこちらを見てニコニコしながらお菓子を自慢げに見せてくる。
可愛すぎる。
手を振る二人に「その男」も振り返しているうちに、エレベーターのドアが閉じた。
聞いた話だが。
どうやら「その男」は恐れられているらしい。
現役の学生選手たちに。
「いやいや、俺何もしてないから!何もしてないのに、なんで恐れられるか意味わからん!」
というと、
「何もしないのが怖いんですよ、一番」
と、宮沢。
「その男」を恐れる様子はもちろん微塵もない。
「確かにそうかも・・・」
と思いつつ、年の離れた後輩と話すのが苦手なのだ、「その男」は。
さて、冒頭の話。
なぜそんなことを書いたのだろうか?
「実は優しさであふれてるんだぜ、「その男」
そんなことを伝えたかったのか?
何をいまさらそんなことをアピールしているんだか、「その男」よ。
すごくかっこよく見えたようだ。
「先陣を切って下っていく選手たちの勇気と自信が」
ゼーフェルトのコースは、会場に入ってくるときに、長く急なくだりがある。
その勢いでかなり長い距離の平地をクローチングで行くことができるのだ。
リレーやスプリントの時にはいつもそのくだりの前で駆け引きがあった。
「誰が一番初めに下るか」
後ろから下る選手は、前の選手が風よけとなり有利に働き、下りのスピード、平地での延びに与える。
このコースの下りは、どこのコースよりもその影響を強く受けた。
特に下り終わりから平地に入ってからの差が大きく、クローチングで行ける距離が全く違った。
後ろからいくだけで、この下りのみで3~4秒逆転できることもあったのでは。
クローチングからの動き始めの勢いも全く違うので、それ以上に差を開く、縮めることができる。
この下りが終わるとゴールまではわずかであり、下りでの差が致命傷となるため、誰も先頭で下りに入りたくなかったのだ。
下りの前で止まって、譲り合うシーンを何度も見ていた。
「誰が行くんだ?」
というワクワクはあったが、やはり勢いのままに行っているのを見るほうが気持ちはよい。
リレーでメダルをかけてフィンランドとフランスが争っていた。
そこまでは全力で滑っていた両者はその下りの前に急に止まり、先に行くよう道を譲り合ったが、どちらも下ろうとしない。
しびれを切らしたのか一転、フィンランドの選手が一気に加速して先に下りへ行った。
「男だ、ペルトゥ!」
テレビで見て、一人で叫んだものだ。
さて結果はどうなっただろうか。
後ろから下ったフランスの選手。
彼はスプリントにめっぽう強い。
下り初めのわずかな距離で一気に加速。
フィンランドの選手を風よけに使い一気に抜いた。
そのままの勢いでゴールに向かい、フランスがメダルを獲得したのだ。
決してそのことを卑怯というつもりはない。
自分の特徴や、相手のタイプを見極めての作戦なのだから。
立派な実力だ、戦略だ。
そもそも、これを見越してフランスのアンカーにスプリンターを置いたのだから、フランスチームの戦略の高さを伺える。
しかし、「その男」にとっては、メダルは逃したものの、自ら突っ込んだペルトゥの姿がかっこよく見えていた。
50㎞スケーティング。
ラスト2㎞ほど。
「その男」は、3位争い集団の中にいた。
この集団でトップをとると銅メダルだ。
しかしその集団は大きく、20人近くの集団だったと記憶している。
世界選手権はテレビで放送されていたが、テレビでは映っていないところにも争いがある。
「その男」が仕掛けたのは、まさにテレビに映らない争いの場面だ。
会場に入る前の下りのさらに前。
その下りに似たような箇所がもう一か所ある。
下りの勢いをフルに活用できる場所だ。
そこがラスト2㎞ほどとなる。
同様に、先頭を切って下るという判断はどの選手もしたがらない。
「その男」は10番手くらいにつけていただろうか。
ラスト2㎞の下りに向けて、ペースが落ちていた。
後ろを振り返る選手、横を見る選手、コースをあえてそれるような姿勢を見せる選手。
それぞれ、どのタイミングで下りに入るかを伺い始めていた。
それは「その男」も同様だ。
「どのタイミングで行くのがいいのか、誰の後ろにいるのがいいのか」
いつものように伺っていた。
が
どうしたのだろうか。
ふと思った。
「これでいいのか?これだといつもと同じだぞ?」
ペルトゥが先に下る姿のかっこよさが忘れられなかったのか。
いや違う。
「このレースでは絶対に後悔したくない」
その気持ちが「その男」を駆り立てた。
一気に加速して、先頭でラスト2㎞の下りに入った。
3位で下りに入ったのだ。
結果はわかるだろう。
「その男」を利用して後ろから来た選手は加速し、抜き去る。
下り初めで非常に重要な加速(スプリント力)も遅い「その男だ。」
より影響を受けやすい。
悪い意味で。
10人近くには抜かれただろうか。
下りは何もできないのでもどかしい。
先に断っておくようだ。
スキーが滑らなかったということを言いたいわけではない。
スキーは滑っていた。
下りで抜かれた理由は、風よけの影響や、「その男」の加速が弱い、加速の押し切りまで動き続けられる力がなかったということだ。
そこから急坂を上って、例の下りに入るのだが、その上りでついていく力は残っていなかった。
しかし、
目の前にとある選手がいる。
「顔が小さくて、身長が大きくて、歯並びが良くて、イケメンで、スキーの速い男」
「ハービー」だ。
これは最終決戦だった。
ハービーとの。
彼はこのレース前、今シーズンで引退することを表明していた。
50㎞レース前の宿。
「今日でハービーと走るのは最後だ。絶対勝ってくるからな!!」
息子たちと誓っていた。
その頃には、息子たちもハービーの存在を理解していたのだ。
親父が(勝手に)ライバル視していると。
集団のどの選手にも負けたくなかった。
特にハービーには負けたくなかった。
彼はスプリントが強い。
直線に入ってからは勝てない。
上りで追いつかなければ勝ち目はなかったが、差は縮まらなかった。
例の下りに入っても追いつけない。
差は開かないが、縮まることもない。
その距離はゴールまで維持されたまま、フィニッシュラインを切った。
16位。
12位のハービーとは4秒差。
つい先ほどまで一緒にいて、3位に入った選手からは15秒も遅れた。
ラスト2㎞の下り。
自分の判断で先頭で下った。
そうしたことに、全く後悔はない。
いつものように後ろで待機してついていくという展開を選ばなかった。
自ら進むことができたことに、ある種の達成感、清々しい気持ちはあったように感じていたようだ。
だが
それでも悔しくて泣いた。
その男㊳
「びっくりしましたよ、24時過ぎに更新しているので」
「その男」が宇田に連絡をしたときの返事だ。
たしかに、宇田には想像できないだろう。
「22時30分消灯、7時前起床」
つい数日前まで規則正しい生活をしていた「その男」からは。
「0時30分消灯、8時起床」
が「その男のサイクルになっている。
罪悪感を感じなくなった。
何かやらなくちゃいけないという焦りが薄くなってきている。
確実に時間が経過している。
「世界選手権50㎞が終わってから」
例年と違う寂しさを、ふと感じることがあった。
「レンティング」がいない。
オリンピックが開催された昨シーズン。
彼は引退をしていた。
当たり前に一緒に遠征を回り、国内にいても当たり前に会場にいた彼がいない。
あの独特のふてぶてしさを見ることができない。
「ユキティー」
彼女もだ。
「その男」が大学生の時から世界ジュニア、U-23世界選手権、そしてワールドカップをともにした彼女だ。
「一緒に走ることができるのは明日が最後です」
昨シーズン、年始に行われた札幌FISレース中に連絡をくれた彼女。
どうやら悩んでいたようだ。
連絡をもらったその日、「その男は」体調がよくなかった。
FISレースは三日間あり、初日のレースで体調不良を感じていた。
そのため、二日目のスプリントは、レースを棄権していたのだ。
連絡がきたのはレースに出場しなかったその日の夜。
体調は良くなっていたように思えたが、オリンピックを控えているので無理をする必要はない。
だが、三日目のレースには出場したかった。
「無理はできない、だが出場はしたい」
そんな葛藤していた時に、彼女からの連絡。
即決だった。
「出場する」
彼女が滑る姿を見られる、一緒に出場できる最後のチャンス。
見逃したら、棄権したら絶対に後悔すると思った。
結果的には一緒に優勝することができた。
最高の最後だ。
彼女の声援は、もはや大会会場の名物となっていた。
「騒がしい、うるさい」
と・・・・
だが、その声も聴けなくなると寂しいようだ。
彼女を応援できる最後のレース。
スタート前に彼女に会い、レース中はアップをしながら応援し、ゴールで待った。
一つ決めていた。
「いつもうるさいくらい全力で応援してくれる彼女だから、最後くらいは「その男」も同じくらいでかい声で応援しよう」
と。
それは無理だった。
恥ずかしさは全くなかったのに。
彼女の滑る姿を見られるのが最後だとおもうと悲しすぎて、声を出すことができなかったからだ。
彼女のいつもの声量と比べると雲泥の差だったが、何とか声を振り絞って、「その男」なりの全力の応援をした。
大きな声は出せなかったけど、その滑りをしっかりと目に焼き付けた。
視界が狭く、ぼんやりしていたことは言うまでもない。
オリンピックに向けてさらに気持ちを高めることのできる良いレースだった。
もう一人、昨シーズンで引退していたのが
「宇田」
だ。
ここではこの事実を伝えるのみにしておきたい。
このシーズンは、オーストリアのゼーフェルトで世界選手権が開催れる。
選考方法が大幅に変更となっていた。
ワールドカップでのポイント獲得という点は変更がない。
大きく変わったのは、ナショナルチーム外の選手にも出場チャンスが大きくなったことだ。
ワールドカップでポイントを獲得している選手を除いて
「1月下旬に開催される、全日本選手権優勝者、上位者」
様々な詳細がこの条件にはあったが、ここでは割愛するようだ。
最大で男女ともに4名。
この全日本選手権前、ワールドカップポイントですでに条件を達成していたのは
宮沢
「その男」
だ。
よって、男子は2名が全日本選手権の結果で選出される。
馬場はまだポイントをとっていなかったと記憶している。
ダボスで33~34位くらいだったではないだろうか。
だが確実に実力をつけていた馬場は、この大会で総合優勝し世界選手権出場権を得ることとなる。
二位には宮沢が入った。
あれ?
「その男」は?
そのレースが行われている時、「その男」の姿は札幌の自宅にあった。
全日本選手権出発直前。
気管支炎になってしまった。
とてもでないが、レースで走れる状態ではない。
幸いワールドカップで世界選手権の出場権は得ていたので、全日本選手権をパス。
世界選手権に向けて体調を整えていたのだ。
毎日寝続けていた。
あの時期はいろんな面でしんどかったようだ・・・
順当に1位、2位が決まった。
これで世界選手権四枠のうち三枠が埋まった。
最後の四枠目。
滑り込んだのは
「カイチ君」
だった。
この世界選手権の出場に賭けていたらしい。
夏場は練習に集中をするために、家族と別居をしていたそうだ。
開催地が彼の地元ということもあり、気合も増していただろう。
「その男」も喜んだ。
特別視していた彼が出場できるということはもちろんだが、ほかにも理由がある。
当時の彼は30歳。
世界選手権に選出されるのは初めてだ。
「長い間あきらめないで続ければ、チャンスは必ず来る」
そんなことを体現してくれているかのようだったからだ。
女子で初選出された石垣さんもそうだ。
社会人になってからも長い間競技を続けることで、世界選手権の出場権を始めてこのレースで獲得した。
「その男」も確実に年齢を重ね、ベテランの域に入っていた。
年齢が近い選手の活躍は余計にうれしく感じていただようだ。
「馬場、宮沢、カイチ君、「その男」」
この四人で世界選手権に挑むこととなった。
「その男」にとって5度目の世界選手権がはじまる。
特別な世界選手権が。
初戦
スキーアスロン30㎞
前回大会のスキーアスロンのようにはいかなかった。
クラシカルパートで遅れた。
上りと下りがはっきりとしているクラシカルパート。
長い上りでクラシカルのスペシャリストが引っ張り、ペースは速かったのだ。
一度離れてしまってから、追いつけるほど「その男」には力がない。
数人の集団でレースを進め、そのままフィニッシュ。
19位に終わった。
ゴールをしてからしばらくミックスゾーンに立っている「その男」。
何かを待っているようだ。
いや、誰かを待っているようだった。
数分後にそこに来たのが
「カイチ君」
「その男」の「憧れのライバル」の弟。
何度もかけてもらった優しい言葉が忘れられていないのだ、「その男」は。
何度も救われたのだ、「その男は」
「憧れのライバル」からの言葉に。
「その男」からしてみると、家族と一緒に過ごせる時間をあえて断ち、練習に集中するために別居するなんて馬鹿げているように思えた。
ありえない。
「その男」も家庭を持つ身だ。
彼にとっても苦しい決断だったことはわかる。
だが、
そうしてまでもこの大会出場に賭けていたのだ。
そして勝ち取ったのだ。
彼の苦しさを、「その男」はほんの一部しか理解できていなかっただろう。
見えない部分で、たくさん苦労していただろう。
でも、だから伝えたかったのだ。
「がんばってきてよかったな、続けてきてよかったな」
と。
そのレースの結果に満足していた彼ではないので、どう受け取ったかはわからない。
もしかしたらよく受け止めてくれなかったかもしれない。
それでも、「その男」は伝えたかったようだ
「憧れのライバル」
君のお兄ちゃんのように。
他にも「その男」の想いを伝えた。
「一緒に走りに行って話しましょう」
と誘われ、その日の夕方に一緒にランニングへ行ったあの時間が忘れられない。
「その男」自身の事を伝える時間が多かった。
「その男」なりの覚悟があったのだろう。