不幸なのかどうなのか
頭から離れないCMソングはある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようそもそも、社会人適性があまりなく、真の解釈(真の解釈とは)での、”社会不適合者”といったレッテルに近いものを貼られている実感をしつつ、大衆社会が自分に対して優しくないのに、何故自分から社会に寄り添う気持ちを作らないと生きられないのか、なんて批評みたいな事を考えていたり。結論としては自分のスキルまた知識が現状では足りていないから、の一言でしたが。天才は天才らしくないと、天才として認められないのに、中途半端な天才は凡人以下として切り捨てられ、その部分に対する救済が出来ない社会なんてフェミや男尊女卑なんかより全然大きな問題だ、なんて皮肉を語りつつ。大谷翔平・八村塁・藤井聡太・成田悠輔・常田大輝・西尾維新……等、ビジネスの世界でも各所におそらく同世代の天才が居るはずで、――――、現実離れした特級レベルの天才が存在している限り、そんなに沢山要らない。たくさん居るなら天才ではない。みたいな大衆の方向性というか、大衆心理が働いてしまうから、なんなら不器用なだけ普通以下だよね、という事が本当に、Hmmm,,,,不幸な生まれなのでは、なんて考えました。最近のアニメにも、最強になったヤツとなれなかったヤツが居たような。が、人間の人生はレモニー・スニケットの物語ほど不幸の連続ではないので、彼の物語の存在により堕ちるものは救われる、みたいな部分はある。今からもう一度ネトフリのシリーズを見直そうかな、と思います。