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里国隆 / あがれゆぬはる加那

あがれゆぬはる加那



あがれゆぬはる加那
里国隆 96年発売

01. あさばな
02. あがれ世ぬはる加那
03. 舟ぬたかども
04. 花染め
05. 六調
06. 那覇
07. 食料についての歌
08. 徳ぬさみ獄
09. 雨ぐるみ
10. 芦花部一番
11. 俊良主
12. やちゃ坊
13. あがれ世ぬはる加那
14. 黒だんど

すごい唄ですよ。押し出すような、呻きのような唄い方。刃を突きつけられているような。
これは、ものすごい絶唱。これぞ『放浪芸の華』だって僕は思いますね。小沢昭一

「世の識者と称する人々は、ヤマト復帰後のいわゆる“琉球民謡”が、観光ショウに堕落してしまったという。
悪しきジャパナイズから、島うたの芸術性と音楽性とを、純粋に透明に守らねばならぬ」と言う。
しかし竹中労は反転して
「うたは何よりも、人々にとっての娯楽であるという当然のことを、忘れてはいないか?」と問うた。
たとえ公害、観光の穢土と化し、海は汚れ果て、花うつろうとも。ウチナーはウマンチュと共に。
したたかにその調べを、活力を継承していく。

良くも悪くも島うたをレコード化するという竹中労の膨大な試行錯誤には、
記録以上の意味がある。そこには竹中労自身が意識していたように毒と、
至福が含まれているのだろう。
「橋を架け道を造る物は地獄に堕ち、火を放ち人を殺す者のみ天国に入る。」
(「“凡”アジア幻視行目録・第二回タイ篇中」『話の特集』1973・9)

「乞食の里国隆。」
生前、そう呼ばれていた盲目の放浪芸人が1970年代に残した「里国隆の公開放送」。
幻想的かつ神秘的なたて琴の音色と、搾り出すような“しゃがれた”ブルース。
一体、彼の脳みその中には何が見えて、どんなビジョンの調べが映っていたのだろう?
まるでニライカナイでポツンと佇んでいるかの様だ。
しかし、それは悲しい嘆き等では無く、世俗から遠く離れた神からの彷徨うメッセージなのかも知れない。

●里国隆(さと くにたか)
1919年(大正8年)6月10日生  1985年(昭和60年)6月27日没  享年66歳
鹿児島県大島郡笠利町崎原(かさりちょう・さきばる)出身

(3分の2は「“音の力”奄美・八重山・逆流編」より抜粋しました。)

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サディスティック・ミカ・バンド / BEST OF SADISTIC MIKA BAND

20 Songs to 21st Century -BEST OF SADISTIC MIKA BAND-

BEST OF SADISTIC MIKA BAND
サディスティック・ミカ・バンド

曲名リスト
1. サイクリング・ブギ
2. オーロラ・ガール
3. ダンス・ハ・スンダ
4. 快傑シルバー・チャイルド
5. シトロン・ガール
6. アリエヌ共和国
7. ピクニック・ブギ
8. ハイ・ベイビー
9. 墨絵の国へ
10. タイムマシンにおねがい
11. よろしくどうぞ
12. どんたく
13. 塀までひとっとび
14. 颱風歌
15. お花見ブギ
16. WA―KAH!CHICO
17. マダマダ・サンバ
18. ヘーイごきげんはいかが
19. それ行け!トーマス
20. ファンキーMAHJANG
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90年頃(自分は確か中一くらい)ミカバンド自体を初めて聴いた時、
それまでに自分が聴いていた音楽とは180℃違い、とても新鮮な驚きがあった事を今でも覚えている。
全体的なアレンジやコーラスワーク、スタイリッシュなギターテクや小原礼のファンキーなベースライン、
タイトに刻む高橋幸宏のドラムなど、昔の曲なのに、全てがとてもモダンを感じて、でも古くて懐かしい感じがして。
また松山猛の歌詞もどこかオトナの恋愛を身近に感じさせてくれ、まるで映画のワンシーンを観てるかのようだった。
この驚きは今現在聴いてもあまり印象に変わりが無い。
なんだかんだ言われてるけど、ああやっぱりオリジナルの輝きだったんだな、そいうこと。

CD向けに編集されたサディスティック・ミカ・バンドのベスト集。やはり「ニッポンのロック・バンド」という冠をつけたくなってしまう程、記名性の高い独自のノリを持った楽曲ばかり。伝説は死なず、だ。クレジットの歴代メンバーの顔触れにも驚くばかり。(CDジャーナルより)88年発売

HI, Bbaby ねむそうなのね HI, Bbaby 落葉の音ね
HI, Bbaby もう眠たいの HI, Bbaby 私はいいの
HI, Bbaby 機嫌なおして HI, Bbaby 明日の朝に
HI, Bbaby ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・ラ HI, Bbaby お休みなさい
毅然とした態度で加藤和彦の遺影を抱く残された同居女性を新聞やワイドショーで観て、
この曲「ハイ・ベイビー」が頭をよぎりました。
私が初めて聴いたミカ・バンドの曲です。謹んでお悔やみ申しあげます。

登川誠仁 / スピリチュアル・ユニティ

SPIRITUAL UNITY

SPIRITUAL UNITY
登川誠仁 知名定繁 比嘉盛勇

曲名リスト
1. くんじゃんジントーヨー
2. なりたい節
3. 安里屋ユンタ
4. 戦後の嘆き
5. 緑の沖縄
6. 祝い節
7. ナークニー~ハンタ原
8. 新デンサー節
9. ヒヤミカチ節
10. 油断しるな
11. 島の花
12. 具志川ナークニー
13. ゆしぐとぅぬ宝
14. かたいなか
15. 旅の空に
16. うたのこころ

※なりたい節。試聴は→コチラ
※緑の沖縄、試聴は→コチラ

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あえて言わせてもらえれば、登川誠仁はいわゆる『民謡歌手』の範疇には収まらないオルタナ唄者なのだ、と思う。

沖縄という土地でしか成しえなかった元々特別なオンリーワン、登川誠仁。ニックネイムは誠小(セイグヮー)。
その彼にしか出せない声と間合い、巧みなジミヘン以上の六線さばきは、聴けば聴くほど
「何かもうどーでもいいや(イイ意味で)」となり、
それでいてなんともアットホームでハッピーでピースで多面的かつ自由な暖かさを肌で感じられるだろう。
正に世界中どこを探してもここにしかないサウンドがくっきりと「青春の老境」を迎えているのだ。

例えば、彼女のベルトになって、いつも彼女の腰に巻きついていたい、とか。
酒と女性とタバコ(沖縄産のうるま、ハイトーン)を愛するウチナーンチュの
“ちょいワルおじい”ぶりというアティチュードはホントつくづく同姓ながら微笑ましい。

ゆえに「嗚呼、自分も歳をとったらこうなりたいものだなあ」とか思ったりするのだが、
バクチのかたに家を取られたり、一週間の予定で出かけたハワイに半年間も住みついてしまったりとか、
そっち寄りの破天荒な人間には絶対なりたくないものなのである。
まあ多分絶対なれやしないから、そんな無責任な事をふと思ってしまうのだろう。

と、久々に喜々として沁み込んでくる過去からの未来を彼方に感じてしまった、そんなアルバムなのである。
もちろんプロデュース・コラボ組のソウル・フラワー・ユニオンが奏でるギターやチンドンも
絶妙な頃合いで馴染んでおり心地が良いのは言うまでも無い。

「“緑の沖縄”で、〈中川(敬)という青年がいっしょにやりたいといってるが〉と訊かれて、〈あぁそうしなさい〉って答えたんだ。やる気があればなんとかなるよって。でもこれもおもしろいな、と思って。強いてヤマトンチュ-とやったりしないからね、ワシも。でも自分ひとりでやろうとも思わんから。この曲にはどんな声が合うか?とか常に考えているんだ」(登川誠仁談)

チャンプルーの素地があるからというのでなく、精神的に若いことがセイ小を時代の人に押し上げている。加えて本作では登川流の弟子たちが多数参加している。琉球民謡協会名誉会長ならびに琉球民謡登川流の宗家としての一面も打ち出された格好だ。私的な好みを言わせてもらえば、しかしセイ小は弟子を従えて大勢で歌うよりも一人の弾き歌い、もしくは2、3名での演奏のほうが遥かに似合う。わんぱくな性格がよく唄に出ている。人徳があるゆえに偉い肩書きを持って人の上に立っているが、本来はどこにも属さない自由奔放の人なのだ。 (森田純一)

突然段ボール / 抑止音力

抑止音力

抑止音力 91年発売
突然段ボール

曲名リスト
1. 夢の成る丘
2. 正体
3. ヤケクソ、デタラメ
4. 視力の限界
5. 標識の見方
6. 安住の地
7. テーブル
8. 孤立の理由
9. 合金とハム
10. 日々・反省の毎日
11. 眼前の敵
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こんな退屈でクダラネエ世の中。そこで吐き出される毎日の感想は誰もが心の中でそう思ってるはずで、
しかし、どう足掻こうが大半の人間はいつしか行き場を無くしてしまいクダラネエ行く末をただ待つだけ
・・・かもしれない・・・
そういったタイミングの悪い世代に運悪く産まれたのならば
あの幸福の丘で 不可能の壁を越えて 喜びの全てを束ね 丘の花壇に埋めてみればいいのではないか。
その時、空はねじれ、やがて地面は崩れ落ちるだろう。

埼玉県深谷市から突然産み出された奇才芸術兄弟『突然段ボール』の抑止できない音の力。
そこに宿る溜まりに貯まったネガティヴなエネルギーは、
リズム・マシーンやギターや木琴といったニューウェイヴチックなパンク・サウンドに姿を変え見事にスパークしている。
これこそが正に刺激的かつパンクでアートな存在感なのだ!

くだらねえ人生、くだらねえラブ、くだらねえ男、くだらねえ女、くだらねえ日本、くだらねえ一生、くだらねえババア、くだらねえガキ、くだらねえ仕事、くだらねえテレビ、くだらねえくだらねえ、くだらねえ日本人、くだらねえ東京、くだらねえジジイ、くだらねえ会社、くだらねえバカ、くだらねえ夢、くだらねえ毎日、くだらねえ食い物、くだらねえ表現、くだらねえ遊び、くだらねえ幻想、くだらねえもの、くだらねえ関係、くだらねえ事実、くだらねえ生産、くだらねえ主義、くだらねえ技術、くだらねえ科学、くだらねえ家族、くだらねえ意識、くだらねえ決まり、くだらねえ未来、くだらねえ部品、くだらねえ全部、くだらねえ価値、くだらねえ生活

「このアルバムを聞かないでいて日本のロックを語るべからず。『抑止音力』を 聞いたことがない方は、早いうちに聞いたほうが良い。それだけは間違いない。」―JOJO広重

北村大沢楽隊 / 疾風怒涛!!!

疾風怒涛

疾風怒涛
疾風怒涛 北村大沢楽隊

01.竹に雀
02.ドドレミⅠ
03.ワルツ
04.ソミド-徒競走リズム-
05.美しき天然Ⅰ
06.花笠音頭
07.シシラ
08.万朶の桜Ⅰ
09.敵は幾万-徒競走リズム-
10.ラファレミ-ワルツ-
11.斉太郎節
12.ラドレ-ワルツ-
13.君が代マーチ-徒競走リズム-
14.浪子と武男
15.鉄道唱歌
16.徒競走音頭-徒競走リズム-
17.ドドレミⅡ
18.万朶の桜Ⅱ
19.美しき天然Ⅱ-マーチ-
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コノオトコタチ、過激ニシテ愛嬌アリ。大衆音楽の真実ここにあり!最古かつ最強。
奇蹟の和魂洋才音楽隊、北村大沢楽隊、渾身の一撃!
題名の無い曲から、ルーツ・トラッド・テキトー風インプロヴィゼーションまで!
林幸治郎プロデュ-スのチンドン・アラモード・シリーズ第一弾!
ちんどん通信社がゲストで参加するも、まったくのマイペース、イイ意味で効いてないぞ!
2005年リリース

この間テレビを観るでもなく観ないでもなく流していたら、
出し抜けにジンタ(ヂンタ)の調べが耳に飛び込んできた。
自称無類のチンドン好きな自分としては、
そのルーツ・ミュージックでもあるジンタという存在はずーっと気になっていたので、
その時何かをしていた作業は当然一旦中断をし、てか本格的に止め、
しばらくの間メモを取りながら普段マジメに観る事の無いテレビに釘付け熱中時間となってしまった。

なんとジンタは生き残っていた

さてはてジンタを奏でていたバンドが活動する場所は、
宮城県石巻市の北村大沢地区にある人口260人ほどの小さな集落だという。
戦中から引き継ぐ現活動メンバーはお年寄りばかりの
ナチュラル・ノンアルコール・ヘロヘロ・リズムのぶっつけ本番五人組で、
大体60年以上を農業&ジンタでローリング・ストーンしているらしい。
時には運動会に呼ばれたり、町の演奏会を催したり、
この「演奏を頼まれれば断れない」という楽士魂スタンスとジンタを心から愛する気持ちの強さは、
ロックンロールにも通づる“何か”を感じるのは言うまでも無いだろう(多分、私の中だけだろうが)。

またその貴重なジンタの生き証人的存在価値は地域の人達ばかりでなく、
日本の音楽界にとっても見過ごしてはならない“楽”術的存在意義があるような気がしてならないのも
気のせいに変わらないうちに付け加えておこうじゃないか。

懐かしきヂンタは地平線の彼方に消えた。日本だけの持った音楽芸術の一分野として、この特殊な吹奏楽は追想に値する。大太鼓と小太鼓の煽り立てるリズム。クラリネットの血みどろな絶叫。コルネットの尖った哄笑。バリトンの飲んだくれた戯唄。しかもなお、ヂンタ諸士は冷静そのものの様に毅然たる微笑さえも浮かべて闊歩していくのだ。彼等は街のメフィストであった。音の魔術師であった。(堀内敬三)

このCDにおける二日間の現地録音は和やかなうちに終了した。
それから、一ヶ月も経たない2003年7月26日、同地区を含む宮城県北部は、
震度6の地震が一日に三回も発生するという大変な災害に見舞われた。
メンバーに怪我などは無かったようだが、町には住宅の全・半壊など大きな被害がもたらされた。
大沢楽隊は町の復興震災イベントなどに出演、力強い演奏で町の復興に一役買った。
徒競走を応援した時のように、被災者の背中をグッと押して勇気づける熱気溢れる演奏だったに違いない。
(ライナーより)

CDを聴く限りじゃワカラナイ“誰か”の背中を押してくれるパワーがジンタにはあるのだろうか?
いや、きっとジンタだからというワケじゃなく
彼等の熱意や人々の心を繋ぐという想いが高齢化久しい町の復興を後押ししていたのだろう。

ちなみに当時(2003年7月26日)の地震で私の部屋も半分ぶっ壊れた。
テレビのブラウン管が倒れた衝撃で割れ(買ったばっかだったのに)、
CDと本の棚は釘が歪み、みるみるうちに崩れ落ち、ただ唖然とその模様を見てるだけみたいな。
他にも、住んでいる地域のアスファルトが微妙に亀裂が入るなど、
未だに何となくだけど鮮明に覚えている地震だったです。



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