なずかんゆりママ成長記

なずかんゆりママ成長記

我が家の三姉妹の日常です。

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手術入院しましたの記事から更新滞り、ご心配お掛けしている事と思います。


結里菜、12月7日(土)午後8:22
永眠致しました。


亡くなって10日が経ち、少し落ち着いて結里菜との思い出を振り返る時間が持てるようになってきたので、更新します。


心の傷が癒えるのが早い、そう思われるかもしれませんが、そうだからこそ、そんな私だからこそ、病気の結里菜が私を選んで生まれてきてくれたと思っています。
この人がママなら安心だと。
強いママの元に産まれようと。

決して悲しくないわけじゃないし、辛くないわけもない。人一倍、いや人十倍くらい泣いたし、亡くしてから泣かない日は一度もない日々を送っています。

けれども胸張って言える事は、家族力合わせて結里菜がいた1年10ヶ月を全身全霊で全うしたと言う事です。


家族、親族
ブログで出会えた皆様
いつもそばにいてくれる友達
ご近所の皆様
病院で出会えた戦友たち
先生方
看護士の皆様
同じ病で天使になった尊い命


そんな沢山の人達のおかげで前だけ向いて頑張ってきました。


妊娠7ヶ月頃に判明した時、沢山自分を責めました。胎動を感じながら、出産する恐さと、このままお腹の中で生き続けてくれたらいいのにと思う弱さとの戦いでした。 

それでも無事に産まれてきてくれた事を心から喜び、先生方の御尽力に感謝し、結里菜の命の重さ力強さに、何が何でもこの命を守ってやろうと成長と共に強く思うようになりました。


沢山の機械に囲まれ、日々変動する体調に一喜一憂しながらお家に連れて帰れる日を夢見て面会しました。


初めて我が家に連れて帰れたのは、5ヶ月を過ぎた頃。冬産まれの結里菜ですが、季節は真夏になっていました。


退院から3ヶ月半、体調も優れない状態がほとんどで、常に心配と不安を抱えながら過ごしていました。何度も外来に行き、何度も救急にお世話になりました。


その後グレン手術をし、在宅酸素をしながらも調子良くお家での生活を楽しんでいました。
お姉ちゃん二人の玩具にされながら賑やかな毎日で、食卓を囲み、一緒にお風呂に入り、布団を並べて寝る、そんな何気ない日々の出来事が本当に嬉しく幸せに思っていました。


夏頃、肺静脈狭窄が進行し、狭窄解除術をしてもらいましたが、すぐに副血行路が次々とでき、少しめげそうになっていたのを思い出します。


そして、夏の解除術から4ヶ月。
早いスピードで再び狭窄が進行しており、今回の手術を余儀なくされました。



いつものように、無事に終わり、しばらくしてICUから病棟に上がり、付添いする日が来る事、クリスマスはお家で過ごせるかななんて事を普通に、当たり前に思っていました。

いつかのブログで、「死」について考えていたのを思い出しますが、あの時の私の言葉は薄っぺらくて心底口にしていたものではない事だと、尊い命を失ってから気付きました。


結里菜の本当の痛みや苦しみ、病気の怖さ、全然わかってなかったし、甘い自分が情けないし悔しいです。


もっとお話したかった。
抱っこしたかった。
お出掛けしたかった。
成長と共に悩み苦しむ時は、一緒に解決し乗り越えていこう、こういう風に伝えようって考えていた。


やっと歩いたのに、言葉も話始めたのに、一人でご飯も食べ始めたのに。


楽しい事、全部奪ってごめん。


お空に行ったら、のびのび遊んでね。



結里菜の事を忘れないでいてくれる人が沢山います。
これまでも、これからも。


結里菜が生きた1年10ヶ月。
この短い命がどれだけの幸せを運んできてくれたか。結里菜のママで本当に幸せだったよ。
ありがとう。


最後に。
このブログを愛読してくれている、同じ病で闘う皆様へ。
幸せな未来がずっと続きますように願いをこめて、迷わず解剖をお願いしました。
結里菜の命が、誰かの希望になれば、それ以上の喜びはありません。



ブログはしばらく更新を控えますが、生前の病状や治療について、ご質問などあればメッセージにてお返事します。



本当にありがとうございました。



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