『二つの旅の終わりに』 | 翻訳家の毎日

翻訳家の毎日

翻訳の仕事や勉強の話、読んだ本について



『二つの旅の終わりに』エイダン・チェンバーズ作・原田勝訳(徳間書店)


*****


今年の初読み、ようやく読了。


イギリス人のジェイコブは、戦地で命を落とした、同じ名前を持つ祖父ジェイコブの追悼式典に参列するため、オランダへと渡る。


短い滞在のうちに、愛読書「アンネの日記」の隠れ家を訪れた帰りにひったくりにあったり、戦時中祖父の世話をしてくれたオランダ人ヘールトラウが末期癌でまもなく安楽死を迎えることを知ったり、街で出会った魅力的な子がゲイだと判明したり……と、ただでさえ不安定な17歳のジェイコブ(いわゆる"Identity Crisis"の真っただ中にある)に、心かき乱される出来事が続く。


ジェイコブのストーリーと交錯して描かれるのが、ヘールトラウを語りととした戦時中の話で、兵士ジェイコブ(祖父)との出会い、疎開、恋、別れなどが描かれる。


祖父と孫の人生が交互に語られていくうち、ふたりのジェイコブの時を超えた絆が明らかになっていく。


*****


この作品は、あらすじを伝えても、その良さを半分も伝えられないと思う。


というのも、内面を掘り下げた人物造形、一次資料挿入による戦争のリアルさ、ストーリーに載せた様々な問題提起(戦争はもちろんのこと、安楽死、同性愛、不貞……)等々、本作の魅力は、ディテールにこそあるからだ。


また、あらすじとは直接関係ないエピソードが、そこここに散りばめられ、物語に奥行きを与えている。


実際、私がこの長い物語の中で、一番印象に残っている場面は……


ジェイコブが追悼式典に参列したとき、地元の子どもたちが墓に花を手向けるシーンがあるのだが、祖父ジェイコブの墓の前にやってきた少年について、こんな描写がある。


「どの子も腕を花でいっぱいにしていたが、この少年のもっているような花束はほかになかった。少年は自分の場所までやってくると、墓石の周囲の地面を見渡し、かがんで落ち葉を何枚か拾ったが、どこに捨てていいかわからず、ジーンズのポケットにつっこんでしまった。それからうつむいてじっと待った」


そして、いよいよ花束を手向けるシーン。


「少年はほかの子どもたちと同じように、色あざやかな花束を捧げたが、そのあとで、まるで花瓶に生けるように、細心の注意をはらって花を広げ、いろどり豊かな扇形に整えた。それが終わると、腰をそらしてできぐあいを確かめては、二、三度前かがみになって花をあちこち直し、見ばえをよくした。」


物語は、ジェイコブがこのお姉さんと仲良くなるという展開を見せ、少年自身はストーリーから姿を消してしまうのだけど、学校行事のひとつとして、なおざりな態度でやりかねない献花を、それはそれは誠意を込めて行っているこの少年に、わたしは心惹かれずにはいられませんでした。


*****


また、ときおり、普遍的な真実が、詩的に豊かに表現されていて、はっとさせられます。


★「人生はすべて記憶です。そして変わっていきます。この窓から見える雲のように。時には輝きながら波のようにうねり、時には隙間なく空をおおい、風にちぎれて飛ぶこともあれば、薄く、長く、高くたなびくこともあります。」(P170)


★「今、ジェイコブの前、三、四メートルのところ、身長ほどの深さの土の下には現実がある。(中略)祖父という人間が遺したもの、その存在の芯となるものは、土の下の肉体の残滓にあるわけではない。祖父の存在の一部は、今、タウンブーツをはいてここに立つ孫息子の中になって、死んだ当人の墓を見つめているのだ。」(P270)


*****


物語の冒頭で、ジェイコブがアンネの家から不機嫌に出てきた理由が、終盤で明らかになるのも、全体をきゅっと引き締めていて、まとまりのよい作品に仕上げています。


まあ、私が千万の言葉を尽くすより、読んでみたほうがいいと思いますキラキラ


*****


そして、これを読んだ人の十中八九は、これを手に取りたくなるのではないでしょうか。


02081


手元にあるもの。

小学生のころに一度子供向けのものを読み、大人になってから購入したのがこちら。


*****

02082


これは未読。

小川洋子さんのアンネ好きは有名ですよね。


*****


こうして、積読本の山が、いや山脈が築かれていくのであった……。