七色の足跡(難病結節性硬化症と生きる)

七色の足跡(難病結節性硬化症と生きる)

いろいろな色があるように、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、たくさんありました。
難病結節性硬化症を持つ私が、そんな足跡をつづっています。

このブログは、2005年に腎血管筋脂肪腫により、左の腎臓を摘出し、退院した後の出来事から書いています。
それ以前のことは、2006年に出版した「幸せのかぎ 難病結節性硬化症と共に生きる」と2008年に出版した「風のような出会い 難病結節性硬化症と共に」という本でふれています。(現在は、どちらも絶版になっています。)
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昨日家の近くの耳鼻科に出かけてきた。
先週来ていないので、2週間ぶり!
診察の前に鼓膜の振動の検査をした。すると左の耳は前よりも悪くなっていることが判明。
先生に「わるくなってる!」と言われてこちらも動揺してしまった。私の中では、先週いつも言っている病院の耳鼻科で抗生剤をもらったからそれでよくなると思っていた。だがそれではだめだったようだ。

そしてこのあいだもやった鼻から管を入れて耳から風を入れる治療をした。
その後先生は「1週間に2会くらいとか、こまめに来てね」と言った。

病院から帰る途中、私は「ショックだったなー。」とつぶやいた。すると母は「そんなこといったってしかたがないでしょ。まだ鼓膜の石灰をするって言われなくてよかったじゃん。」と少し強い口調で返事が帰ってきた。
私は「それはわかってる」とだけ返した。心の中では、もっと話に共感してー!治るのか不安だし考えたくないー!と叫んでいた。

家について母がいないところで、こっそり泣いた。泣いたおかげか気持ちがすっきりした。
それから仕事に向かったんだけど、ショックな気持ちから気持ちを切り替えるのって難しいなーって改めて感じた。
治ることを信じて治療に専念しようと心に誓った。
頑張れ私!ぜったいなおる!治してみせるぞー!
7月5日。
今日は、耳鼻科と脳神経外科、そしていつものMRI検査に出かけてきた。
耳鼻科の診察の時に左耳の聞こえが悪かったので、近くの病院にかかった話をした。
私の話を聞いて先生は耳も見てくれた。
診察の結果なんと中耳炎だった。
自分では痛くないからびっくり!先生によると、痛くない中耳炎もあるらしい。
しばらく前から鼻水が続いているので、それが原因でおきたのだろうということだった。
次は9月に診察の予定。
薬は抗生剤と咳もでていて痰も出ているので、痰霧も出た。
この薬で治るといいなー。
さて耳鼻科の後、いつもの頭のMRIの検査が入っていたので受けたよ。
今回は終わった後、なんだかふわふわする感覚が襲ってきて歩くのが大変だった。でもこのふわふわ感もしばらくすると収まって一安心。
その後結果を聞きに脳神経外科へ!
結果は特に変わりなしで、放射線の副作用(はれていた部分)も小さくなってて一安心。
次は4か月後にMRI検査と診察になったよ。
6月20日。
この日、近くの耳鼻科を受信した。ちょうど先週の今頃かなー。
はっきりはわからないんだけど、なんだか左耳だけ耳に水が入ったような感じで聞き取りにくい。
それに体の向きを変えると耳の中でぽこっというお供する。
最初は「どうせまた耳垢が溜まっているんだろう」と思ってた。でもやっぱりなんだか気になる。
そして鼻水や咳も出てる。気になりすぎてどうしようもなかったので受信したというわけ。

結果は、耳のほうは聴力検査や鼓膜の振動の検査をしてわかったんだけど、左のこまくがへこんでいるとのこと。
それを治すために耳に風を送り込む治療をやったよ。
どんな治療かというと、左と右それぞれ鼻から管を入れて耳の孔の近くに器械を近づけてそこから空気がでるもの。

さて治療が始まった。
鼻からの管は痛いし耳からの風が出てくる音は怖いし……。
やっている間、びっくりしすぎてパニックになり、大人なのに泣いてしまった。
治療が終わったとき、母に「恥ずかしい。いい大人がこんな治療で泣いて!」と怒られてしまった。
私は思わず「見えないんだからどんなことをされるのかどきどきだからしかたがないよ」と返した。
ほんといつもながら思うけど、やったことがない治療は怖いはー。でもこれで少しずつよくなるといいなー。
先生は最後に「来週もまたきてねー」と言ってた。
短い時間だったけど、大仕事に感じたよ。