臨月に入ってから、特に不妊治療中の事をよく思い出していました。



旦那ちゃんの精子が1匹も動いていないと言われたのが2008年の1月。

もう3年も前の事です。


頭が真っ白になり、我が子を抱く事が出来ないかもしれないという現実を急に突きつけられ、辛い日々の始まりでした。



それから大学病院での旦那ちゃんの治療。進展しない結果に月日だけが流れました。

ついにTESE手術をして、生きている精子を採取できたとわかった時の事は今でも忘れられません。




そして始まった顕微授精。

たくさんの薬や連日の注射、採卵の痛みや移植の不安。

判定日までのそわそわした日々や陰性判定の悲しさ。




今でもあの時の辛さは生々しく覚えています。





辛い治療の中でも一番の悲しみはのびちゃんの事。

2回目の移植で授かった初めての我が子。2ヵ月お腹にいてくれた。妊娠の喜びを教えてくれた。




のびちゃんがいなくなってから私の精神状態は鬱寸前に陥りました。

それでも、まだ見ぬ我が子に会いたくて会いたくて治療を頑張りました。





ちょうど一年前の3月、2回目の採卵。

念には念をで2ヵ月体を休めてから6月、5回目の移植。

初めてちゃんとした陽性判定をもらい、妊婦になれました。




妊娠中は毎日毎日お祈りしていました。

ただただ無事に健康に産まれてきてくれますように。

臨月までつわりはきついし、お産は4日間もかかっちゃったけれど、無事に産まれてきてくれた娘をみて、本当にありがとうの気持ちでいっぱい。





3年前のあの日から、ずっと夢みていた赤ちゃんとの日々。

やっと会えた我が子。

本当につらい日々だったけれど、あきらめなくて良かった。

諦めなければ必ず夢は叶うと本当に思いました。




産まれてきた娘はびっくりするほど、旦那ちゃんにそっくりなお顔でした。

まぎれもなく旦那ちゃんの子。

うちは男性不妊だったので、なおさら

それが本当にうれしかった。






一年前、失意のどん底の中で始めたこのブログ。

このブログではたくさんの人に励まされ、心を落ち着かせてもらいました。

このブログの存在はとっても大きかったです。

本当にこのブログに救われました・・・。



今日、このブログを初めから読み返してみました。

一年前はこんなことを思っていたんだ…。

涙が止まりませんでした。




そんなこのブログもここで一区切りをつけ、最終回にしたいと思います。

これからは育児を頑張っていきたいと思います。




本当にありがとうございました。



最後に



赤ちゃんを心待ちにしてがんばっている全てのご夫婦に

赤ちゃんがやってきますよう願っています。
赤ちゃんが産まれるとさっきまで押し寄せていた陣痛はピタリと止まるのが不思議でした。



産まれたての赤ちゃんは色々処置をしてもらったり、体重を測ったり、足型を取ったり・・・
看護師さんたちが忙しくしている中、旦那ちゃんはずっと赤ちゃんの写真を撮りまくりでした



私はというと、胎盤がなかなか出てこず先生がてこずっている。
胎盤ってどんな大きさなんだろうか…
まさか赤ちゃんとおんなじくらいって事はないよね…
となかなか出てこないので少し恐怖を感じる。



やっと胎盤が出てきた。
ちょっと痛かったけど、まぁ赤ちゃんに比べれば楽勝。
これが赤ちゃんと繋がっていたのか…



その後先生が縫合し始めたので、知らない間に会陰切開していたんだなぁと気づく。
いつ切ったのかまったく気づかなかった。
もしかしたら、吸引の時に裂けたのかな…。



それから看護師さんと助産師さんがおなかをグイグイ押して子宮内の血を出す。
が…血が出るわ出るわで、1リットル以上も出たらしい。
出血量が多すぎでかなりまずい状況だったらしいです。



それでも私はボーっと隣で泣いている赤ちゃんを不思議な気持ちで眺めていました。
本当に私が産んだのかな??
なんだか信じられない。






やっと回復室に移ってカンガルーケア。
生まれたての娘が私のおっぱいを吸い始めた。
はじめまして…。


本当にうれしい瞬間でした。






その後、出産から6時間後に歩行訓練。
看護師さん2人に支えられおトイレに行くも、個室内で意識がぶっ飛んでしまい気がついたら車椅子で運ばれていました。
やっぱり1リットルの出血量はハンパじゃなかった。
翌朝になってまだクラクラするものの、やっと動けるようになりました。





4日間、同じように戦っていた妊婦さんも、私の1時間半後に無事に出産されていました。
病室も同じで歳も1つ違い、なんと住んでいるマンションも徒歩5分圏内のご近所さんで、なんだかびっくり!
とっても仲良しになりました。

総合病院は大部屋なので入院生活はどうなるかと思っていましたが、
これがとても楽しく過ごせました。


歳が近い人ばかりで(高校時代の仲良しだった先輩も偶然いたし)合宿みたいでした。

経産婦さんの話は為になるし、
看護師さんも助産師さんもいい方ばかりで、
育児のこと、母乳のこと、手取り足取り教えてくださってずっと病院にいたいくらいでした。





ただ…今回の震災で被災された方々、特に妊婦さんや乳児を抱えるお母さん達、そして震災の中でご出産された方を思うと、こうして何不自由なく出産させてもらえた事にただただ感謝と、申し訳ない気持ちです。






出産直前まであった…私を妊娠中ずっと苦しめた…あの「よだれつわり」も、出産したらピッタリ治まりました。
もう唾がとめどなく出ることはありません。

ポンポコリンだったおなかもフニャフニャになって、胎動もなくなって、ちょっと淋しい気持ちもします。




新生児室ですやすや眠る娘。
母子同室になって同じベッドで眠る娘。
旦那ちゃんに抱っこされてキョトンとしている娘を見て、思わず涙が出てきてしまいました。


本当にパパとママのところに来てくれてありがとう

大切に育てていくからね。

たくさん家族の思い出を作っていこうね
3月18日


夜中2時になると痛みがだんだん遠のく。
やっぱり誘発剤が抜けてきたら、陣痛もおさまってしまうのかと思うと複雑な気分。


NSTも外され、旦那ちゃんと帝王切開への気持ちを固める。


「ここまで頑張ったんだもん、よくやったよ。帝王切開でもいいじゃん。明日の午前中には赤ちゃんに確実にあえると思えば楽しみだよ。」

と旦那ちゃんが励ましてくれる。

そうだよね。無事に産まれてくれれば何でも良い。とにかく明日には会える。あとちょっとだ!と思い直した。




少しずつ眠気が来て、ウトウトし始めた明け方4時頃、また痛みが3分間隔で戻ってきた。

痛い。かなり痛い。ちょっとやばいくらい痛い。

でも、もう誘発剤いれてないし…もう少し様子を見ようかなと思い耐える。




でもだんだんとイキミたい感じも出てきてさすがにナースコール!
でも今までの経過ですっかり狼少年化していたので信じてもらえない。

「あと少したらまた様子見に来るから」
と言うだけでほっとかれる



6時にもぅ耐えられなくてまたナースコール!
よつんばになって痛みを逃がし、どうにかなっちゃいそうな程ヒィヒィ言っている私を見て、
仕方なく(?)内診してもらうと子宮口8㎝!

「ありゃ!こりゃ下から行けるかもよ!すぐ先生呼ぶね!!」

と助産師さん。
急いでNSTをつける。



が、なかなか先生が来ない。私・・・かなり限界。

早く早く!先生早く!



8時にやっと先生が内診。
子宮口9㎝!先生からも普通分娩のGOサインが出て、分娩室に移動となる。



どんどん分娩室が準備され、午前中には赤ちゃんに会えるよ!と励まされる。

しかし分娩台にあがったものの、最後の1㎝がなかなか開かない…。



昨晩も一睡もしていないから陣痛と陣痛の間に猛烈な眠気が襲う。
陣痛の間の2分、意識を失ったように寝入り、また強烈な痛みで起き上がりヒーヒー叫ぶ。



私、なるべく声は出さずにスマートなお産を目指して頑張りたいと思っていたけれど、本番はかなりの暴れぶりになってしまった。
助産師さんを殴りそうになるしギャアギャア叫んでは声出さない!って怒られ…今思うとかなり恥ずかしい。
ほんと、反省です。



最後の1㎝がなかなか開かないため、先生がグリグリして(物凄く痛い!!)何とか全開に。



やっと、いきんでOKになりそこからはもう、早く出てきて!って気持ちで無我夢中でした。
いきみ方は教わったわけでもないのに、なんとなく自然に分かって動物の本能ってすごいなぁと自分でも思いました。


旦那ちゃんいわく、この時、凄い声だったらしい。



旦那ちゃんはずっと立ち会ってくれて励ましたり腰をさすったり一緒に呼吸法をしたりしてくれました。
あんな姿見せて恥ずかしかったけど、隣にいてくれてすごく心強くて、いてくれて良かったって思いました。




何回かいきんだあと、吸引することに。
例えるなら、先生と赤ちゃんを綱引きしている感じでした。

陣痛に合わせて私は思いっきりイキみ、先生は思いっきり赤ちゃんを引っ張る。
私の場合、よく言われているようなドゥルンって感じではなく…
最後はミシミシというかメキメキ~って感じでした。




そして11時58分


3074グラムの娘が誕生しました。


元気な産声をあげた瞬間、私は大号泣でした。


やっと会えたぁ!!ありがとう!と旦那ちゃんと手を握りあって喜びました。



旦那ちゃんが
「よくがんばった。ありがとう。」
と声をかけてくれた。



つづく…
3月17日


40週0日、出産予定日。



今日も朝から誘発を点滴していく。昨日よりは断然効いてる感じ。
だんだん痛みが増してくる。


正午についにドS女医先生登場


内診するも、子宮口は5㎝から変わらず…
結構痛いんだけどなぁ・・・


ここで先生が人工破水させる。
破水したらもっと痛みが強くなるからね~と言われ、言葉通りもっと痛くなってくる。



14時、誘発剤を変えて様子をみる。
相変わらず痛みは3分間隔で私的にはかなり痛いんだけど、子宮口に変化はなし。



夕方くらいから声が漏れるほど痛くなってくる。
3分間隔で陣痛が押し寄せる。


お尻にテニスボールを強く押してもらうと痛みが和らいで耐えれるので、陣痛が来るたびに旦那ちゃんに押してもらう。
でもかなり力が必要らしく旦那ちゃんも途中でへばりついてしまう。



夜、先生がまた内診するが子宮口は相変わらず5㎝のまま。
かなり痛いのになんでだ~





そして先生が一言、




よし、切るかっ!




とあっさり言われ、初めはなんの事だかわからなかった。
どうやら明日の朝9時から帝王切開決定!になったらしい。

もう破水もさせているし、かなり誘発剤使っているのに進展が見られないし、19日から三連休になるし、もうタイムオーバーとの事でした。

まさか自分が帝王切開になるとは思ってもいなかったので、心の準備が全然出来てない!ってか今だって結構痛いのに!これ陣痛じゃないの!?出来れば普通分娩してみたかったしょぼんしょぼんと、色々な思いが駆け巡りました。




そうこうしているうちに心電図やら採血やらレントゲンやらあれよあれよとベッドの上で検査され、帝王切開の準備が始まっていく…




誘発剤の点滴は抜かれたものの、体に3時間くらい薬が残るからそれまで陣痛みたいな痛みはあるらしい。
あと数時間もこの痛みと戦って、結局帝王切開なんて損だぁ~あせるあせる
などと思いながら必死で痛みに耐えた。




唯一の心の救いは隣の妊婦さんもまだ戦っていた事。
この時の彼女の進み具合はわからなかったけど、同じ思いをしているんだろうなぁと勇気づけられた。


つづく…
3月16日

朝、内診してもらうと子宮口は5㎝開いていた。
これは予定通りだそう。

今から誘発剤を点滴していって上手く陣痛が乗れば夕方、遅くても今日中には赤ちゃんに会えるよと言われ、わくわく半分、痛みへの不安半分。

しかし、この誘発剤の点滴が全く効かないsweat*
昨夜の痛みは遠のき、軽いお腹のハリがたまに来る程度に。

看護師さんも助産師さんもありゃ~って苦笑い。
たぶん昨夜一睡もしていないのが悪いみたい。
疲れていると陣痛も乗らないらしい。
こりゃダメだって事で16日の夜、誘発は一旦打ち切り。
今夜はよく寝て、体力戻して明日仕切り直しになる。

いったい今日は何だったのだ。
ただモンモンと過ごした一日だった。



電球ちなみに隣の妊婦さんも陣痛が乗らないらしく、まだまだみたい。
バルーン入れても子宮口が2cmしか開かず苦戦しているらしい。
勝手に親近感を覚え、戦友のような気持ちになっていた。


とにかく明日には産みたい…と思いながらこの日は爆睡した。

つづく…