ととまる日報 -94ページ目

今週のウルトラマンネクサス

朝から気を取り直して、今週のネクサス情報を。(誰も読んでないって・・・。)

先週生き返った姫矢くん、「黙示録の始まりだ」と宣言する敵・ダークメフィストの繰り出す怪獣・ビーストとウルトラマンに変身して戦いますが、
「今度変身したら命はない」とその前の週に敵に宣言されています。
なんだか「七つの封印を解くと地獄か開く」という地点・新宿中央公園で
最終決戦が始まったのですが。
行ったことありますが、しょぼい公園でした。せめて都庁の近くとか・・・
もっと最終決戦にふさわしい場所あるでしょうが。とツッコミはおいといて。

別の世界に移動して戦うウルトラマンと怪獣。しかし、ついに力尽きて、
ウルトラマンのカラータイマーと、目の光が消えました・・・。
「いやーっ。」これは私の魂の叫び。番組途中で死なないで欲しい。主役が。
そうして磔体制で繋がれたウルトラマン。

エヴァンゲリオンか聖書かい?って感じの30分でした。

そうして神奈川県から帰ってきたら、とどめの旦那の一言。
「ウルトラマン見たか?死んだな、あれ。」

あんた~私が熱中して見てるのバカにしてたくせに、自分だって見てたんじゃんかよう!

オタクな夫婦だなぁ・・・と、つくづく思いました。


朝から暗い話してごめんなさい。

よく考えたら、私って聴覚障害メインなので、
ついつい強がった事を書いてしまいますが。

注意力散漫とか、計画性がないとか、人の話聞かないとか、
全部聴覚障害とは違う面でも問題があるということに気づいたとき、かなりへこみました。いや、よくまっくらでした。

仮死状態で生まれたので、その時いくらか脳細胞が死んだのかもしれない。
片耳は生まれつき聾状態だったらしいし。

い、いかん。ますますへこんできた。
とりあえず、なんだか偉そうに書いて申し訳なかったです。

障害は個性か、病気状態か。

朝から暗い話題で申し訳ないです。
ととまるです。 ととまるは障害を抱えていますが、
この障害ってすごいバリエーション豊かなんですね。

まぁ、どの障害だっでピンキリありますんで聴覚障害だけがそうだって言えないんですが、親の教育方針と、本人の聞こえ方の状態によって障害手帳は同じ重度なのに対面は普通の人と変わらない人と手話オンリーの声も出さない人とに別れる障害は、あまりないのではないかなと思います。

この前お会いしてきたキャリアカウンセラーの人も言っていましたが、「聴覚障害の方だけは、あまりにも個人差がありすぎて紹介するときもどこまて聞こえてるのか、電話が取れるのかきちんと聞かないと判らない。」
・・・はい、そうです。ととまるも初めて会う人にはまったく判りません。

うちの旦那も聞こえない人なんですが、旦那ははるかに聞こえない。
ジェット機の音位です。旦那か聞こえるのは。
ととまるも右耳はジェット機位です。

でも~旦那とととまるの障害の捕らえ方は決定的な違いがある。
旦那は「聞こえない俺はかわいそうなんだ。」と思っています。
ととまるは「けっ、世の中にはもっと大変な人がいるんだよう。絶対聞こえない位じゃかわいそうじゃないよ~どこがかわいそうなんだ。」
・・・素直じゃないんです。

勿論ととまるもへこみます。
落ち込みます。
あ~障害があるから駄目駄目だなと甘やかしたりもします。
でも自分ってとりでじゃないですか。
自分だけは、自分をかわいそうだと思ったらいけないとととまるは思う。
自分だけは、自分を信じてあげなきゃ。
・・・というわけで、強がるわけです。

でも旦那の気持ちも判りますよ。だって大変なんだもん。聞こえないのって。いつもいつも心の中でひとりぼっちだから。
電話もできない、ラジオも聞けない、人の輪に入れない。
こんな大変もののどこが個性だ、はっきり言って病気だよな・・・。
そういう考え、確実にととまるの中にもあります。

障害は程度個性だとととまるも思うけれど、どこかで、「やはり病気が固定してるんだよな。」と冷静に何パーセントか思ってる。
その位が丁度いいかなと思います。みなさんはどう思われますか?

実家から帰る。

やれやれ、神奈川からやっと宮城に帰ってきました。
しかし、今回は忙しかった。

そもそも今回の帰省は私の再就職の為の帰省だったので、息子を
連れて行くのは予定になかった。

まあ、たまにはいいかな~とつれて帰ったら大変。
新幹線の中、電車の中、大変でした。

しかし帰ったら帰ったで母親の愚痴の嵐に付き合わされた・・・。
なんでああ文句ばかり出てくるのかね、あの人は。
私は三人姉妹の長女だけど、下二人はかなりのしっかりもん。
なので母の文句はほとんど私に向けられていた。

長らく文句と怒りの刷口だった私だか、離れると色々愚痴りたくなるらしい。
年取ったな~と実感する。

まぁ孝行したいときに親はなしと言うし。話ぐらいならいくらでも聞きましょう。



障害を持った親であると言う事。

うちのちびはまだ1才10ヶ月で、私と旦那が障害を持っている事を理解していない。
ただ、私が聞こえていないのは理解できるみたいで、振り向いて欲しい時とかはおもちゃを投げて音を立てたりする。

彼のような子供は、聴覚障害業界ではコーダという。
聞こえない親を持つ子供。
彼らは、普通の世界と聞こえない世界と二つの世界を行き来する。

そんな大層な運命を彼に背負わせてしまった親の私だか、私の気持ちとしては「うちに生まれてきて運が悪かったわねえ~頑張ってねホホホ。」
・・・漫画の悪役かい。

若いときは、それこそ悩んでいた。
障害の事を言われて逆上して子供殺したりしたらどうしよう。
だから子供が欲しいとは思わなかった。

だけどある事がきっかけで自分の人生は自分で選択していけると気づいた時、「そうか~子供だって親は選べないけど子供自身の人生は選択できるものねえ。」と思えるようになり、子供をもってもいいなぁと思えるようになった。

後は映画「アイ・アム・サム」を見て。親として、子供が自分を超えていくのを認められるサムは知的障害があっても賢いと私は思う。私の指針になった。

実際に育ててみると、あんまり気にならないものだな~と。
若いときにあんなにぐるぐる考えていたのがバカみたいだ。

とりあえず、息子に愛想を付かされないように親も精進するのみである。