不思議旅行案内 長吉秀夫 -19ページ目

あけましておめでとう!

今年も、宜しくお願いします。

皆の中にある志が、叶いますように。

City

city

昨日、友人と久しぶりに再会した。彼は、ある大手の企業で都市の開発と都市デザインをしている。僕の後輩であり、大切な友人だ。

彼は、昔はまぁ、所謂、いっぱしの不良で、ハイティーンの頃は、よく遊んだ仲だ。

でも、多くの不良たちがそうであるように、彼もまた、純粋に人とのことを考え、魂同士のふれあいを大切にする男だった。

再会した彼も、昔と変わらず、純粋で、そしてトッポイやつだった。

彼は、今の仕事の中で、想いを抱きながら、迷いもあったようだ。そんな想いを誰かに伝えたくて、僕に久しぶりに連絡してくれた。

勿論、僕などに、彼の迷いを払拭する力などあるはずもなかった。しかし、何かを語り合ううちに、互いの道を見据えることが、少しだけできた。少しだけだけど。

彼は、都市とは何か。何が大切なことなのか、ということに、いつも自問自答しながら仕事を続けているようだ。

人の住む「街」というものには、いったいなにが必要不可欠なのか。

僕は、以前、ロンドンから帰ってきたある女性から話を聞いたことがある。その時、英国へはいったことの無かった僕は、彼女へ聞いた。ロンドンて、どんなところなの?と。

彼女は答えた。

「ある日、駅に行ったら、階段の下に荷物をたくさんもったお婆さんがいあたの。彼女は、階段を昇れずに、困っていたわ。そのとき、彼女はおおきな声でこう言ったの。『Help me!』 て。そうしたら、すぐに通りかかった男性が、彼女の荷物をもって、階段の上まではこんでくれたのよ」

「なるほど、それこそ、紳士の国だね」

僕はそんな感想を彼女へ言った。すると彼女は言った。

「ううん。それだけじゃないの。階段を昇り終えた女性は、対した挨拶もなく、当たり前に『ありがとう』とお礼をのべただけだし、その男性も何事もなく去っていったわ」

僕は、この話を聞いて、街とはこういうものかと関心した。勿論、これが英国の全てではないことは言わずもがなではあるが、この話には大変興味のある要素がある。

困ったら、当たり前に助けを求める。そして、その都市に住んでいる人たちは、自分のできる範囲で、進んで手を差し伸べる。しかし、そこには、それぞれの個人としてのそれぞれの立ち位置を自覚している。だから、必要以上に施しをしたことをアピールせず、された人間も恐縮がらない。

多分、昔の日本には、これと同様か、これ以上の精神性を持っていたと思う。しかし、現代の日本の中では、この話の中に垣間見る精神性は、十分ヒントになるものではないだろうか。

Cityとは、自分の内面のほんの少しでも、勇気をだしてさらけ出すことが大切な、そして、そうすることで、少しでも相手も、自分自身も、勇気をもって明日を迎えることができるように努力をしつづけた、都市生活者たちの意志の結晶ではないだろうか。

エロトラバ

最近、「あなたのブログにトラックバックがつきました」なんてメールに喜んで見てみると、ほとんどがエロサイトからのトラバなんだよねぇ。

チッと思って削除しようとして、試しにそこに行ってみてはっと気がつくと、じっくり見ちゃったりしている自分がもう情けない。

もう、エロトラバはごめんです。全部削除します。絶対に!

でも、それじゃあ寂しいので、この記事に限り、エロトラバOKにしちゃおうかなぁ…なんて、くだらない?

まぁ、そんな感じです。

ところで、みんなはもう仕事や学校は休み?

楽しい年末年始をすごしてね。

人と人と人の間

人と人との間には、思いやりが必要だという事は、すぐにわかる。

でも、人と人と人と、そのまた先の人の間のすべてにその心を持つというのは

やはり、大変なことだ。

ネットで皆がつながってゆくことは、すごく嬉しい。

でも、やはり、僕は皆とライブでつながりたいと、いつも感じている。

そして、この空間でも、その感覚が少しでも相手の人に伝えられればと

自分なりに悪戦苦闘しているのだが…

昨日の誕生日から、始まった僕にとっての新たな1年も、やはり、人と人と人との間について、

僕なりに考えたり感じあったりしてゆきたいと思っているよ。

ダイちゃん、wabbie/Galateaさん、そして、メールをくれた皆さん、誕生日へのメッセージ、ありがとうございました。

これからもよろしくね。

特別な日なのです!

え~っと

今日は、なんと誕生日なんです

いきなり私事ですみません!


1961年12月26日が誕生日なんですが、

子供のころは、何故か損した感じだったんだよね。

だって、誕生日というより、クリスマスの次の日。

だから、子供の頃は、プレゼントは年に1回、この日だけ。

でも、ケーキは2つもある!

雪のかぶった山小屋をかたどったチョコレートの横の生クリームには、

ポッコリと穴があり、サンタクロースのチョコが二体、皿に横たわっている。

そんな感じだった。

しかも、生まれた日は爺さんの四十九日だったらしい。

なんだそりゃ!

お袋が家で一人で生んだそうだ。

当時の、1961年の東京でも、それは既に珍しいケースだったらしい。

そんな、ちょっと変わった誕生だったようです。

でもうれしい。

マンハッタンにて

xmass

もう、10年以上前になるが、年末にマンハッタンの路上で友人と共に、正月のお飾りを売り歩いたことがある。

タイムズスクエアーやハーレムやチャイナタウンや、ジャパニーズレストランの店先で、印半纏を着て塗り箸や小物と一緒に、注連縄やお飾りを売ったのだ。

今考えると、あきれるやら笑うやらの話かもしれないが、当時の僕は真剣になっていろんなことを試していたのだと思う。

寒空のなか、いろいろなトラブルを経た僕らは、グランドセントラル駅のメインコンコースにある、大きなTOYOTAの看板の下に毛氈を敷き、店を広げた。

しばらくすると、向こうのほうから日系の女の子が走ってきた。

「え、これ本当に売っているのですか?」

英語訛りの日本語で、彼女は僕たちに尋ねた。

「勿論!」

僕たちの今までの疲れは一揆に吹っ飛んだ。そして、様々なおまけをつけて、日本から持ってきたお飾りを彼女へ渡した。そして、彼女から紙幣を受け取ったとたん、後ろに控えていたポリスにしょっ引かれた!

今考えると、間抜けで笑える話だが、あの時は真剣だった。そんなことを繰り返して、今まで来たのだと思うと、あきれるよりも妙な感慨がある。

例えばクリスマスになると、あのときグランドセントラルで美しく響いていた、クラシックギターによるグレゴリオと、あの日系の女の子の笑顔を思い出すのだ。

黒潮のこと

長吉 秀夫
タトゥー・エイジ

今年の初めころから、なぜか黒潮のことが気になっている。

きっかけとなったのは、僕の著書『タトゥー・エイジ』の執筆だった。

タトゥーはもとは海の民たちのものだったのではないかという仮説から、様々なトライヴァル・タトゥーの源流を探っていったのだが、その中で、人々がこの地球を舞台に、どんな出会いをしていったのかということを、タトゥーを頼りに、もっともっと知りたいと感じたのである。

そして、海の民たちが行き来してきた海の道のひとつである、黒潮と僕たちとの関わりから迫ってみたいと、この一年、ずっと考えていた。

どうも、来年は海外取材も含めて、本格的にこのことを書いてゆけそうな気がする。

来年もまた、楽しい一年になりそうだ…て言いながら、今年のやり残しがまだあるでしょ!って怒られる前に、シッゴトしま~す!

冬至

今日の東京は、特別寒かった!

冬!!って感じ。

そして、今日は1年で夜が一番長い日、冬至。

毎年、この日を迎えると、街全体が特別な雰囲気につつまれる。

得に、夕方にとっぷりと日が暮れている状況は、エキゾチックだ。

何か、僕たち全員が死の真ん中に放り出されてしまったような、そんな感覚である。

この感覚の中から、先達たちは命の復活を願い

多くの祭を生み出していったのだろう。

人類とは、本当にポジティブな生物なのだと人事のように関心してしまう。

音楽仲間

僕はミュージシャンではないけれど、長くウラカタの仕事をしているので、多くのミュージシャンたちとの付き合いがある。

最近は特に、音楽サイトに携わっていることもあり、ほぼ毎日、彼らと接触がある。

アーティストの中でも、音楽家は特に自由な発想をもっているので、ミーティングをしていても、触発されることが多く、表現や発想に楽しい刺激を受けまくっている。

多くの人と発想のやり取りをすることの大切さを実感している。

宝船

一昨日、「バーストハイ」の連載原稿を入稿した。

年始の号なので、縁起の良い初夢の話をかいてみた。

「一富士二鷹三茄子」とか、「宝船」などが、代表的な初夢のテーマである。

江戸では、新年の2日目の夜に見る夢を初夢といい、その夜の夢は、現実になると言われてきた。

新年2日目なのか1日目なのか、或いは2月の15日なのかは、地域によって異なるようだが、この初夢の話は、日本人ならば誰でも知っているのではなかろうか。

夢を現実にしていったり、夢の中から、現実の世界をコントロールしようという考え方は、人種に関わらず、共通した呪術的なアプローチだろう。
では、日本人以外で、初夢を信じる文化は、他にあるのだろうか?

いずれにしても、夢の中と現実との境を行き来することが許される文化に、やはり僕は親しみを感じてしまう。