City
昨日、友人と久しぶりに再会した。彼は、ある大手の企業で都市の開発と都市デザインをしている。僕の後輩であり、大切な友人だ。
彼は、昔はまぁ、所謂、いっぱしの不良で、ハイティーンの頃は、よく遊んだ仲だ。
でも、多くの不良たちがそうであるように、彼もまた、純粋に人とのことを考え、魂同士のふれあいを大切にする男だった。
再会した彼も、昔と変わらず、純粋で、そしてトッポイやつだった。
彼は、今の仕事の中で、想いを抱きながら、迷いもあったようだ。そんな想いを誰かに伝えたくて、僕に久しぶりに連絡してくれた。
勿論、僕などに、彼の迷いを払拭する力などあるはずもなかった。しかし、何かを語り合ううちに、互いの道を見据えることが、少しだけできた。少しだけだけど。
彼は、都市とは何か。何が大切なことなのか、ということに、いつも自問自答しながら仕事を続けているようだ。
人の住む「街」というものには、いったいなにが必要不可欠なのか。
僕は、以前、ロンドンから帰ってきたある女性から話を聞いたことがある。その時、英国へはいったことの無かった僕は、彼女へ聞いた。ロンドンて、どんなところなの?と。
彼女は答えた。
「ある日、駅に行ったら、階段の下に荷物をたくさんもったお婆さんがいあたの。彼女は、階段を昇れずに、困っていたわ。そのとき、彼女はおおきな声でこう言ったの。『Help me!』 て。そうしたら、すぐに通りかかった男性が、彼女の荷物をもって、階段の上まではこんでくれたのよ」
「なるほど、それこそ、紳士の国だね」
僕はそんな感想を彼女へ言った。すると彼女は言った。
「ううん。それだけじゃないの。階段を昇り終えた女性は、対した挨拶もなく、当たり前に『ありがとう』とお礼をのべただけだし、その男性も何事もなく去っていったわ」
僕は、この話を聞いて、街とはこういうものかと関心した。勿論、これが英国の全てではないことは言わずもがなではあるが、この話には大変興味のある要素がある。
困ったら、当たり前に助けを求める。そして、その都市に住んでいる人たちは、自分のできる範囲で、進んで手を差し伸べる。しかし、そこには、それぞれの個人としてのそれぞれの立ち位置を自覚している。だから、必要以上に施しをしたことをアピールせず、された人間も恐縮がらない。
多分、昔の日本には、これと同様か、これ以上の精神性を持っていたと思う。しかし、現代の日本の中では、この話の中に垣間見る精神性は、十分ヒントになるものではないだろうか。
Cityとは、自分の内面のほんの少しでも、勇気をだしてさらけ出すことが大切な、そして、そうすることで、少しでも相手も、自分自身も、勇気をもって明日を迎えることができるように努力をしつづけた、都市生活者たちの意志の結晶ではないだろうか。
エロトラバ
最近、「あなたのブログにトラックバックがつきました」なんてメールに喜んで見てみると、ほとんどがエロサイトからのトラバなんだよねぇ。
チッと思って削除しようとして、試しにそこに行ってみてはっと気がつくと、じっくり見ちゃったりしている自分がもう情けない。
もう、エロトラバはごめんです。全部削除します。絶対に!
でも、それじゃあ寂しいので、この記事に限り、エロトラバOKにしちゃおうかなぁ…なんて、くだらない?
まぁ、そんな感じです。
ところで、みんなはもう仕事や学校は休み?
楽しい年末年始をすごしてね。
人と人と人の間
人と人との間には、思いやりが必要だという事は、すぐにわかる。
でも、人と人と人と、そのまた先の人の間のすべてにその心を持つというのは
やはり、大変なことだ。
ネットで皆がつながってゆくことは、すごく嬉しい。
でも、やはり、僕は皆とライブでつながりたいと、いつも感じている。
そして、この空間でも、その感覚が少しでも相手の人に伝えられればと
自分なりに悪戦苦闘しているのだが…
昨日の誕生日から、始まった僕にとっての新たな1年も、やはり、人と人と人との間について、
僕なりに考えたり感じあったりしてゆきたいと思っているよ。
ダイちゃん、wabbie/Galateaさん、そして、メールをくれた皆さん、誕生日へのメッセージ、ありがとうございました。
これからもよろしくね。
特別な日なのです!
え~っと
今日は、なんと誕生日なんです。
いきなり私事ですみません!
1961年12月26日が誕生日なんですが、
子供のころは、何故か損した感じだったんだよね。
だって、誕生日というより、クリスマスの次の日。
だから、子供の頃は、プレゼントは年に1回、この日だけ。
でも、ケーキは2つもある!
雪のかぶった山小屋をかたどったチョコレートの横の生クリームには、
ポッコリと穴があり、サンタクロースのチョコが二体、皿に横たわっている。
そんな感じだった。
しかも、生まれた日は爺さんの四十九日だったらしい。
なんだそりゃ!
お袋が家で一人で生んだそうだ。
当時の、1961年の東京でも、それは既に珍しいケースだったらしい。
そんな、ちょっと変わった誕生だったようです。
でもうれしい。
マンハッタンにて
もう、10年以上前になるが、年末にマンハッタンの路上で友人と共に、正月のお飾りを売り歩いたことがある。
タイムズスクエアーやハーレムやチャイナタウンや、ジャパニーズレストランの店先で、印半纏を着て塗り箸や小物と一緒に、注連縄やお飾りを売ったのだ。
今考えると、あきれるやら笑うやらの話かもしれないが、当時の僕は真剣になっていろんなことを試していたのだと思う。
寒空のなか、いろいろなトラブルを経た僕らは、グランドセントラル駅のメインコンコースにある、大きなTOYOTAの看板の下に毛氈を敷き、店を広げた。
しばらくすると、向こうのほうから日系の女の子が走ってきた。
「え、これ本当に売っているのですか?」
英語訛りの日本語で、彼女は僕たちに尋ねた。
「勿論!」
僕たちの今までの疲れは一揆に吹っ飛んだ。そして、様々なおまけをつけて、日本から持ってきたお飾りを彼女へ渡した。そして、彼女から紙幣を受け取ったとたん、後ろに控えていたポリスにしょっ引かれた!
今考えると、間抜けで笑える話だが、あの時は真剣だった。そんなことを繰り返して、今まで来たのだと思うと、あきれるよりも妙な感慨がある。
例えばクリスマスになると、あのときグランドセントラルで美しく響いていた、クラシックギターによるグレゴリオと、あの日系の女の子の笑顔を思い出すのだ。
黒潮のこと
- 長吉 秀夫
- タトゥー・エイジ
今年の初めころから、なぜか黒潮のことが気になっている。
きっかけとなったのは、僕の著書『タトゥー・エイジ』の執筆だった。
タトゥーはもとは海の民たちのものだったのではないかという仮説から、様々なトライヴァル・タトゥーの源流を探っていったのだが、その中で、人々がこの地球を舞台に、どんな出会いをしていったのかということを、タトゥーを頼りに、もっともっと知りたいと感じたのである。
そして、海の民たちが行き来してきた海の道のひとつである、黒潮と僕たちとの関わりから迫ってみたいと、この一年、ずっと考えていた。
どうも、来年は海外取材も含めて、本格的にこのことを書いてゆけそうな気がする。
来年もまた、楽しい一年になりそうだ…て言いながら、今年のやり残しがまだあるでしょ!って怒られる前に、シッゴトしま~す!
冬至
今日の東京は、特別寒かった!
冬!!って感じ。
そして、今日は1年で夜が一番長い日、冬至。
毎年、この日を迎えると、街全体が特別な雰囲気につつまれる。
得に、夕方にとっぷりと日が暮れている状況は、エキゾチックだ。
何か、僕たち全員が死の真ん中に放り出されてしまったような、そんな感覚である。
この感覚の中から、先達たちは命の復活を願い
多くの祭を生み出していったのだろう。
人類とは、本当にポジティブな生物なのだと人事のように関心してしまう。
音楽仲間
僕はミュージシャンではないけれど、長くウラカタの仕事をしているので、多くのミュージシャンたちとの付き合いがある。
最近は特に、音楽サイトに携わっていることもあり、ほぼ毎日、彼らと接触がある。
アーティストの中でも、音楽家は特に自由な発想をもっているので、ミーティングをしていても、触発されることが多く、表現や発想に楽しい刺激を受けまくっている。
多くの人と発想のやり取りをすることの大切さを実感している。
宝船
一昨日、「バーストハイ」の連載原稿を入稿した。
年始の号なので、縁起の良い初夢の話をかいてみた。
「一富士二鷹三茄子」とか、「宝船」などが、代表的な初夢のテーマである。
江戸では、新年の2日目の夜に見る夢を初夢といい、その夜の夢は、現実になると言われてきた。
新年2日目なのか1日目なのか、或いは2月の15日なのかは、地域によって異なるようだが、この初夢の話は、日本人ならば誰でも知っているのではなかろうか。
夢を現実にしていったり、夢の中から、現実の世界をコントロールしようという考え方は、人種に関わらず、共通した呪術的なアプローチだろう。
では、日本人以外で、初夢を信じる文化は、他にあるのだろうか?