永井秀樹ブログ『Wander of This Life』 Powered by Ameba
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アスリートジャーナル

この度、『アスリートジャーナル』にて定期的にコラムを書かせて頂く事になりました。
スポーツを文化と捉え、スポーツが文化として人々の生活の中に溶け込み、豊かに人間らしく生きるためになくてはならない喜びや感動に変わる。自分自身、この考え方に大変共感出来ました。
スポーツから沢山の感動を貰い、多くを学び、アスリートとして生きてきた人間の一人として、アスリートジャーナルという“言葉のスタジアム”でのコラム参戦嬉しく楽しみであります。

どうぞ御愛読宜しくお願い致します。


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RESTART

私事のご報告でありますが、この度、東京ヴェルディに復帰することとなりました。

まずは素直に、再び愛するヴェルディのユニフォームを着ることが出来ることを大変嬉しく思いますし、自分の中での我が家のようなヴェルディに戻れることを大変嬉しく、有難く思います。
羽生社長、三浦監督以下、ヴェルディ関係者全ての方に感謝致します。

ヴェルディでプロサッカー生活をスタートし素晴らしき沢山の思い出があります。その後、降格争いの厳しい時期も過ごし、2006.2007年は昇格争いの戦いも経験しました。
トータル8シーズンプレーさせて頂き、今でも最も思い入れが強く一番大好きなチームです。

自分自身、ヴェルディのポテンシャルを確信してますし、王者ヴェルディの復活を信じてます。
ヴェルディ再建の為に、とにかく全力を尽くして取り組みたいと思います。
才能ある若い選手達とプレー出来る事は楽しみですし、若い選手達と共に汗を流せる事は喜びです。

緑のユニフォームを着る重みを知る人間として、責任と誇りを胸に精一杯頑張りたいと思います。
宜しくお願い致します。

ヴェルディを愛する皆様と共に、完全復活する“その日”に向かって…



東京ヴェルディ 永井秀樹

感動.感謝


約5年間過ごした沖縄を離れ、新しいスタート、挑戦をするにあたり、この場を借りて沖縄で大変御世話になった人生の師に感謝を綴りたい。


沖縄滞在時、日々のトレーニング以外の大半の時間を読谷の読谷山焼、大嶺工房の部屋で過ごした。
今となっては人生の師である大嶺實清先生。出会いのきっかけは、これまた沖縄滞在時、貴重な時間を沢山過ごさせて頂いた風庵だった。目の前に並ぶ焼き物の数々、手に取った器の各々に衝撃、感動の連続、まさに一目惚れだった。その感動の器を作られてるのが大嶺實清先生。
翌日早速、読谷山焼(現やちむんの里)大嶺工房を訪ねると、先生と奥様が気さくに迎え入れてくれた。
それから連日、トレーニング後、通いつめ、焼き物の話、歴史の話、人生哲学の話、芸術論等々色んな話を聞かせて頂き学ばせて頂いた。
茶道の教えも学ばせて頂き、詫び錆びの精神も学ばせて頂いた。


今や沖縄有数の観光地となった、やちむんの里(読谷山焼)を一から作り上げ、沖縄芸術大学の学長をも務められた大嶺先生。
本当に沢山の教えを頂いた。
《信念を貫き“良いモノ”を作り続ける事。芸術とは人々の心を豊かにし感動させることが出来る。》

自分自身、soccerも芸術だと思っている。勿論厳しい勝負の世界であり戦いの場であることは間違いないが、ピッチ上で描かれる作品(プレー)に人々は胸踊らせ感動する。だからこそ選手は質に拘り、人々を感動させるsoccerを作り続けなければならない。

大嶺先生から最初に頂いた大きな器。『器の大きい人間になってください』とメッセージが添えられていた。
まだまだ先生のような器の大きい人間には程遠く、全くの未熟者ではありますが先生の教えを教訓に日々精進していきたく思います。
沖縄を離れる最終日、ご挨拶に伺った際の帰り際に先生から『長い間、沖縄の為に有難う』と初めて握手を求められた。
頂いたこの言葉で、全ての胸の内が晴れた。
感動の余り、返す言葉も出ず必死で涙をこらえた。

突き抜けた偉大なる巨匠、尊敬する人物からの有難き感謝の言葉。
神様は必ず見ている。見てくれてる人は必ず見てくれてるし、わかってくれている。

改めて大嶺先生の器の大きさに心から感動した。


いつの日か、夢の茶室を持ち、大嶺先生ご夫妻を御招待出来るよう、毎日を精一杯頑張って生きていきたいと思う。


感謝。
永井秀樹

謹賀新年

新年おめでとうございます。


昨年は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)20周年という記念すべき2013シーズンとなりました。

20年前の1993年5月15日、Jリーグ開幕戦。
当時22歳の私は国立競技場で緑のユニフォームを来て、なんとかJリーグ開幕戦にベンチ入りすることができました。
残念ながら開幕戦には出場できなかったのですが42歳の今でもサッカー選手でいられるのは、あの時の感動があるからだと思います。

国見高校を経て国士舘大学に進学。その後、大学を中退してプロサッカー選手としての人生を選びました。
入団したのは、日本で最も強烈な個性とプロ意識の高い集団「読売クラブ」。
1980年代の日本サッカーをリードしてきた読売クラブ(ヴェルディ)の選手達のプロ意識は、それまで学生だった私には衝撃の毎日でした。
勝利への執念、球際の闘い、攻守の切り替え、質の追求、ひとつひとつのプレイに対する責任感。
そこは、全てに於いてプレーでの甘え、妥協は一切許されない世界でした。

入団当時はJリーグが誕生する直前の時期であり、日本のサッカー自体が大きく変わろうとする時期でもありました。

Jリーグ誕生前年に入団した事もあり、Jリーグの前身であった日本サッカーリーグ(JSL)の厳しい時代を経験することなく、startからプロサッカー選手としてプレーする機会を得る事が出来ました。
それまで長きに渡り日本サッカーを支えて下さった、たくさんの人達の苦労があって、プロ選手やJリーグが誕生したことを、先輩方々からの話で知りました。


Jリーグ誕生前年から日本のトップカテゴリーでプレーしてきた選手も、カズさんと自分のみになりました。
素晴らしき先輩達に恵まれ、本物のプロ集団で日々質を追求しプロの心得を学び、サッカーに於いて一切の妥協を許さないプロ魂を学ぶ事ができ身に付ける事が出来ました。まだまだ道半ばではありますが…。

質を追求するが故に時として言動、立ち居振る舞いに誤解を生むこともありますが、思いを汲んでくださる方々からの声に励まされております。

自分自身、支えて頂き励ましを頂いてる方々の思いを汲みながら、もうひと踏ん張り。これまでの言動、立ち居振る舞いを振り返りながら、更にもうひと踏ん張り邁進していきたく思います。


百年構想を掲げたJリーグに微力ながら貢献できるよう、日々精進していく所存です。

『サッカー道の追求』。
永遠のテーマでもありますが、今一度、サッカーに於いての全ての常識を疑い世界基準の質の追求を日々考え追求していきたいと思います。


2014年。ワールドカップイヤー。
サッカーfamily皆様の幸せを心から祈念致します。


本年も宜しくお願い致します。


永井秀樹

2013 Jリーグ終了

2013シーズンJ1.J2が終了した。
色んなドラマがあったシーズンだった。
J1に於いては、間違いなく横浜Fマリノスの優勝かと思いきや、最後でサンフレッチェ広島が逆転優勝。
名門ジュビロ磐田が降格。
J2は順当にガンバ、ヴィッセルが昇格。残念ながら尊敬する名将.大木監督率いるサンガは昇格出来ずだった。


改めてsoccerは難しい、そして、だからこそ深く、面白い。


2連覇を達成したサンフレッチェ広島は本当に素晴らしくNiceなチームだと思う。
是非近々で森保監督に秘訣を聞いてみたいと思う。
必ず優勝チームには“何か”が有り、チームが一つにまとまる“何か”がある。


サンフレッチェ広島の皆々様、そしてガンバ大阪の皆々様、各々優勝おめでとうございました。

最後に、個人的に俊輔(中村)のMVPと、嘉人(大久保)の得点王は大変嬉しく思う。


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