何年経っても何年経っても
ふと脳裏によぎる・・
そういえば、施設に居た最後の一年は如何に施設に居る時間を短くするか
寝に帰るだけだった、仕方なく
女子からの集団いじめ
誰も助けてくれる人はいなかった
最後の一年、施設から出て自由になる身が嫉みの対象だったのか、女子全員からの無視、物が無くなる、お昼のお弁当が私の分だけ詰めてもらえない、帰っても晩御飯がない、など…
いっときだけならともかく最後の一年、とてつもなく長く感じた
男子だけは話してくれたっけ・・
でも女子と男子が仲良くすることに異常に厳しかったので、ボソッと面白い話をするくらい
ちょっと救われてたかも
空気みたいに過ごさないといけない状況なのに、部屋は集団部屋、逃げ場がなくてつらくて
統括みたいな職員に泣いて言った事もあった
「お前も悪いところあるんちゃうんか!?あと半年ほどやろが!我慢しろ」と言われた
このオッサン、外面良すぎて私がこんな事言われた、と周りに訴えても信じてもらえなかったと思う
贔屓が激しくて美人な女子には鼻の下伸ばして、やたらのタッチの多いオッサンだった
いつだったか子供達全員で海に行った時自分で日焼け止め塗ってたら「塗ったるよ」と言われ拒否も出来ないので、背中塗ってもらってたら水着の肩紐ずらされて塗られて、それをみていたオバサン職員がびっくりしてたっけ「カップルみたいやな〜」とからかわれてむかついた
そのオバサン職員は子供達のご飯に出るパンをいつも多めに発注して、帰りにゴッソリ袋に詰めて持って帰ってたなぁ・・
イジメは私の担当職員にも言ったけど
「あともう少しやんか〜!相手にしたらあかん」と明るく軽くあしらわれ取り合ってもらえなかった
毎日毎日帰る足取りは重く、涙が出た
帰るたびに
「どんなイジメが待ってるんやろ・・」と怖かったけど
何が怖いと言うのは、何かされると私は口に出したので一触即発、そうなると言い合いになる、そうなると孤立無縁
掴み合いになると尚更不利
「負けへん、負けへん、泣いたら負けや」と何事もないように玄関に入ることを心掛けた
女子も職員も
それがまた気に入らなかったんだろうと思う
イジメの効き目が感じられないのでエスカレートしたようにも思う
空気の様に過ごした
まぁ、私が気付いてないだけで私が悪いところもあったなと今思えば思う
年功序列みたいな風習があったので、女子は特に年上が一番偉い、みたいなところがあった
もっと下の子の気持ち考えてあげれてたらな・・と。それが積もり積もって女子の集団一揆みたいになった気がする・・笑
今でもふとやっぱり許せないのはあの頃周りに居た大人
施設に情なんて皆無
ただの仕事場
問題さえ起きなければよし
家畜みたいに叩かれて躾けられて、死ぬまで怨みしかない
少しでも柵から出ようものなら電気柵のように罰があった
死ぬまで怨みます
よく叩かれたし、正座何時間もさせられた
今でも夢に見る
CHANELみたいな大阪ガスのマークのネックレス付けた職員にもよく睨まれたり暴言吐かれたな
根本は私を捨てた親
面倒見れないのでその施設に入れた親戚を一番怨むけど
その親戚ですら、私が大きくなるにつれて、大人になって就職したら給料取り上げて家政婦みたいにしようと食い物にしようとした
私の人生の登場人物生まれた時から全員カス
親ですら、「大きくなったなぁ」といきなり現れて、暫くは距離を詰めるみたいに仲良くしてこようとしていたけど、結局は老後の面倒見てくれみたいな事言ってきたからスッパリと絶縁して20年、まだ死んだ報告はない
どこかから連絡くるのかしら?
次会うときはどちらかが骨でしょう
怨み晴らしたところで、傷は消えないんだけど
不思議と一緒に過ごしたあの時同世代の施設で一緒に過ごした子供達に恨みはない
あんなに虐められたのに不思議
というかもはや顔も名前も覚えていない
道ですれ違ったところでお互い覚えてもないだろう
ただ、親、親戚、職員、あの建物丸ごと呪ってる
雷落ちて燃えないかな…
燃えたところで税金でピカピカの建物になるだけか…
呪う気持ちが間違ってても構わない
夢に何度も出るフラッシュバックから、呪う事でなんとか平常心を保ってるから
神様も救いも何も求めていない
何もないのに近付いてくる人は全員クズ