地方のギネに非常勤で週一回見えてたあたしの主治医君

オペはその先生の病院で。前後の外来通院は地方の非常勤にみえる病院で

対応してました。


が、術後の造影CTでの不手際から通院を取りやめ、以前の同僚医師のクリニックに通院してた三年間でした。


三年間毎日出血してました。

半年ごとに子宮がん生検もし・・・。


今年の八月から居住地の大きな病院に子宮全摘を目的に治療を開始いたしました。


勤務との兼ね合いで来年の四月にラパロ全摘を本日決めてまいりました。

それまではマックス半年のぉ高い腹部へのホルモン注射いたします。

平滑筋腫でした。


次回受診は、2008/01/04です(これ以上 なにをするんだろう?)



術後 子宮のかたちは すっかり元通りに戻っておりました(経膣エコー)


で、入院期間中は、下の研修医君が毎日 あたしを診ていたのですが、

そこは(ここ!当地では、非常勤外来医)、直接 あたしを診察(当たり前だが)、

ちょっと恥ずかしかったです。


この病気になって、これが2回めの内診でした。

一回めは、主治医君を紹介してくれた女医さんが、。

で、今回が、2回目です。

と、いうことは、つまり

主治医君が、内診したのは、初でした。

(オペの日 したと思いますが、あたしは全身麻酔下)



主治医君が、術後どーですか?と。

あたしは、鼓腸と腰痛に苦しんでますと、申しました。

が、そのあとは、続きませんでした。

(お医者さんは、その科・・・)




ほんまに あたしの主治医は、

スコープ先生とペインのお友達医師になるのでしょう ね(笑)



でもでも あたしは 本心から、

ギネ主治医君に感謝する気持ちでいっぱいです。

病理結果を明日 聞きます。
主治医君が当地の病院に非常勤として みえます。
明日のあたしのお仕事 胃カメラが終わったら 速攻で早退して 受診します。

あたし?!
今でも 思います。
標本の回収方法!

おなかの中で 粉砕!

粉砕したから 傷が めっちゃ小さい!
腹腔鏡のメリットのひとつ!

消化器外科の それは、
標本回収のための傷は大きい

それは 考えればわかること!

今さら 肉腫だっ!なんて 言われたら、
どないしょー です。

昨日 おなかが張ってしまって切ないので、

勤務先の消化器内科医=スコープ先生の診察を受けた。


疑いは、ふたつ



ギネ的な出血???

こちらは、採血し、否定していただいた。

その過程では、考えられること、すべて話し合い、

「あたしじゃぁ 主治医君に説明できないので、

 スコープせんせぇ~~電話して~~」

と、頼りない心境だった。

そして、

「あたしには、あれ以上の手術は、もうできないもん」

と、涙ぐんでしまった。

ひごろにない(笑)、あたしの動揺に、

スコープ先生を混乱させてしまった。



で、もうひとつの疑いは、

やはり!弛緩性便秘


腹部の診察!

触診では、そんなに!!ガスは感じられないとのことだった。

あたしは、わがままを言った。

「また、拒食症になったり、不眠症になっても いいのぉ~~。

 あたしを納得させるためにも、レントゲンを撮ってよ~~」と。


レントゲンには、便は、

上行結腸に少しと下行結腸に少し 映っていただけ。



ガスが、横行結腸に いっぱい

ほかにも、ガスが点々と映っていた。



スコープ先生「これ以上、腸を動かす薬はない。

         myururuが言う ガスコンを飲めば、腸の動きが緩慢になる。

         今日から、ウオーキングしなぁ~~。」と。



だから、いまの主治医は、スコープ先生です。


職場で顔つきあわせて、切磋琢磨し、働いている先生に、

あたし!

はだかも こころも 露呈し、

完璧に頼り切っております。



そして、職場のほかの方には(ほかは、全員女性です)

あたし!病名も術式も話しておりません。

あたしは、かなり 今回の病気には へこみ、

知られたくない気持ちなのです。

ですので、

スコープ先生が書く!あたしの電子カルテには、

一部!記載されない シークレットがございます。



そして、あたしの診察には、

看護師がつくことも ございません。

なので、あたしの「いいよーー」っで、

スコープ先生は、ベッドだったり レントゲン室であったり~~、

はいっていだきます。

ちょっと へんてこな診察進行になります。


そして、すこープ先生も あたしに言いたいこと言います。

「おなかが術後 出た出たって言うけど、

 それって、動かないから!太ったんじゃぁないの」と。


きっちり!体重計 見せてあげます。

「せんせぇの!!!半分しか体重 ないでしょ」と・・・・。


相手は さる者


「だって、体重はたしかに術前より一㌔減ってるけど、

 ミオーム どんくらい採ったのーーー」


こんなくだらない言いあいが、

今のあたしのこころを慰めております。


医療は、医学のみ提供できれば、患者は満足するものでは ございません。

を、地でいくような、

ほんとうに 身近に良いかかりつけ医を

あたしはもてて、幸せなのでしょうね。



それでは、ウオーキング~~~

(かっこうから はいる あたしです。

 しっかり、トレーニングウエアーを購入したあたしです)

あたしは退院時、主治医君から(めっちゃ ばりばりのギネ外科医)、

明日から なんでもしていいよーーー

って、言われた。


もち!入院中も、いたたまれない(まわりは、重症の方ばかり)環境だったので、

病室にはいなく、

ふらふら院外にまで足を伸ばし、

研修医君からは、「また~~逃げられた~~」と、

いわれていた がっ。


退院して、翌日から職場復帰し、一週間。

先週のお仕事は、

昼休みがとれるように、

毎日 昼休みにやっている大腸内視鏡をいれなでいただいた。

また、重いしごと・・・

特に、内視鏡洗浄機のさまざまな溶液のセッティングを、

小児科ナースに、手取り足取り やっていただいていた。

ほかにも、今ほんとうにやらなければいけないことは していたが、

あとは すべて!はしょっていた。


明日から 溜めに溜めた大腸内視鏡患者さんが、

2ヶ月も はいっている。


うちのクリニックには、ギブギブの従業員しかいない。

が、ほかの方の仕事は、あたしでも代行できる(レセコンもできますよ~~)

(新生児の採血 サーフロも みのむし君で、やってます)

しかし、あたしの仕事は、もうひとりの小児科ナース(BB)には、できない。


自信がないが、できるかなぁ・・くらいの気持ちで、

年末まで、ダッシュしていきたいと 想います。


家の家事はそりゃぁーーー子に頼っております。

今日 初めて スーパーの送迎(子に買い物してもらってます)をしました。

仕事以外では、寝て暮らしました(笑)


今回 手術をし 治療のために、仕事を早退したり、休んだり・・・

で、職場環境の改善を、スコープ先生に直訴した、あたしです。

(労働者としての権利をちょっと いいました)


で、そのなかで、あたしとスコープ先生の

意思確認が、すっごく進んだことが、なによりの収穫でした。


あたしのバイト(一次QQ)先では、今!すっごい数のスタッフを求人しており、

そちらを本職にし(公務員に準ずる条件なので)、

いまの職場を 大腸内視鏡のバイトにしようかと、

経営者とも実感してない=ためきち医師=スコープ先生に、

相談しちゃいました。

(よく言ったものだが、話しやすいスコープ先生なのです)


が、ためきちトークの中から、


同じ年齢を重ねていこう~~~って、

誘われました。

スコープ先生は、今はまだ!

小児科医のパパに甘えてる経営者してます が、


リース期間の切れる頃に、またーーーー

新しい機種を欲しいーーーーなんて、

駄々はこねさせません よっ です。


で、スコープ先生の愛に(爆)答えるために、

あたしは、来月でQQのバイトを辞めますって、

今日 バイト先に連絡しました。


いろんなお医者さんが、みえるQQです。

最強医師のオーダーで、

喘息患者さんに、ネ○○・・・を、40ml静注したことも ございます・・・。



ところで、

あたしの子宮は ぼちぼち いい形に戻っているのかしら????

なんたって、7センチのミオームを採ったところは、

ぶよぶよに伸びてましたよ~~~

ほか2~3センチのミオームの採った痕だって、

でこぼこしてたし~~~


おへその抜糸してないところは、

ようやく おへそだよ~~~って、自己主張した形になってきたし・・・。


今週の金曜日に主治医君に会えます。

(病理結果)



いま 医療の専門性が進み、重症さんはここ

地域連携にだせる患者さんはここ

と、進んでいますよね。


あたしは、今回 ほんとうに これって不便だし、

チーム医療の進んだアメリカでは、考えられない日本の医療の現状を、

身をもって、実感しました。



主治医君に当地でかかれるのは、非常勤の金曜のみ。

ほかの曜日に、そこを受診しても、やってない術式なので、

受付で受診拒否。


患者とは、医療を受けるのみでなく、

ひとりの人格ある人間として、

ときには、はなしを聞いてもらいたかったり、

不安 疑問に想うこともあったり・・・・・



たらたらと書いてしまいました。

長すぎ・・・・・(汗)

あたしは ふだんから機能性便秘で、

大建中湯 カマ ガスモチンを服用していた。


以前にも書いたが、あたしは

165センチ 45~48キロ と、痩せタイプ

おなかは、でていない(笑)

だが、ガス腹になることが たびたびあり、

そのときは、下腹が、もっこり


あたし!し腹腔鏡してから、

「こんなに、おなかが でてなーーーーい」

って、くらい でてしまった。

便は、でていても、

ガスは でない。


なので勤務先の頼れるためきち医師=スコープ先生に相談


「いっつも、下腹でてんじゃんよーー」って、言われた。


だが、「へそのあたりまでは、でてないもん」

と、言い返した

そしたら、「そーだなぁ・・・」って、。


ちょっと、お友達感覚のため口として、言ってやった。

「へぇ~~~スコープ先生(甘ったるく)~~

 あたしのこと!!見てたんだぁ・・・・」と。



しかし、おまじめ治療を考えてくれたスコープ先生


「傷は、どこにあるのーー?」


「おへそに、抜糸してない傷と、あとは、ビキニラインに3つ ちっちゃいのが」


「でも、少ないながら癒着も考えられるから、

 動かそうーーー。

 いっつもの、大建中湯 カマ ガスモチンだけじゃぁ

 効きそうもないから いや 効いてないみたいだから、

 パントシンを追加しよう」



と、処方してくれ、昨日の昼から服用した。


夜、、、、、へそあたりが、痛かった。

寝れないくらい


で、今日 スコープ先生に言った。


「いまさら、へその傷が、ぐちゅぐちゅしたとは、思えないし、

一応 傷を診てよ」と。


スコープ先生は、あせって、言った。

「ぼくは、傷跡は見た事あるけれど、

術後の傷を診ても、さっぱりだよーーー」

と、あたしが、

バスタオルをもち、白衣をめくりあげる

瞬間に、拒否られてしまった。


・・・・・・・・・


パントシン

今日は、怖くて服用しておりません まだ。



まじ 癒着したのかよーーーーーー。



おなかは いつ ぺちゃんこになるのでしょうか。

あたし ふだんから すっごく肌が弱いです。

今回の入院でも、アルコール綿をヒビテンにかえてもらったり、

麻酔科の先生にも、絆創膏すべてみせていただき、

選びました 事前に そして緊迫感のない患者してオペ室入室したときも。

病棟でも、絆創膏気遣っていただきました。


が、すべて だめでした。

あたしの入院中の服薬は、アレグラでした。

(抗アレルギー剤)


まず、血栓防止用のハイソックスで、かぶれ

オペ中 バルーン固定の絆創膏で、大腿部にかぶれ

背中は、エピドラチューブ固定ラインすべてが、かぶれ

メインのおなかの傷のオプサイトにかぶれ

へそのみのガーゼ 固定絆創膏によるかぶれ

と、、、、、、、、からだのほとんどが、、、



かいいの~~~でして

入院中 夜おふとんで温まると、かゆさ倍増し、

4つのアイスノンで、冷やしておりました。

日中の長い散歩時も・・・これは、シャワーあびました(冷やしてた)



で、かぶれがだんだん落ち着いてきましたら、

ほんとうに手術したのぉ?????って、想うほど


おへそのみ、縫ってあります。

(あと1~2ヶ月で自然に抜糸・・放置プレーです)

ビキニラインの右 まんなか 左に

オートスーチャー(ホチキスみたいなものです)のあとが、

それぞれ。2個 1個 2個と、(あとです・・抜針してます もちろん)

ほとんど切ってないーーーーーって、かんじです。


ほんとうに、ミオームなんだなぁと、感じます。

(標本をふっくうで、粉砕したから、小さな傷ですよね)



傷はなくとも、いまだに

大きな声や咳はできませんが・・・・・。



今日は おしごとのお休み日です。

ゆっくりしたいところですが、

快気祝い おくってきます~~。

そして、バイト先の方と、ランチしてきます。

(個室にはいってしまうので、今日の天気はなんだったけ???に、

 ならないようにしたいと想っておりますが・・・・・)



本心は、病理待ち こわいです。

あたし、精神的に弱い人です。

否定してますが、

人から「また痩せたんじゃぁないの??」って、言われます。

ただいま、165センチ 45キロです。


6月からの治療

長いです・・・・・・・・・。(精神的にいろいろにあります)

あたしは ようやく 振り返ることができます。

主治医君とは、ぜひ~この先生にみてもらいたいと

、おもったわけでもなく、知り合った。


はじめは、なんて医者だろうとおもったし、

セカンドしてて、手遅れになった患者を診てきたとも言ったし、

で、myruruさんは、どーするのとも言われたし、


さんざん 説明はしたとも言われたし、


でもでも、入院し、手術ビデオをみながら、

あたしは、感じた。

この先生に手術していただいて、ほんとうによかったと。


あたしは、仕事柄 内視鏡でのポリペク EMR

手術室勤務してたので 術式 術後の管理

看護学校時代の大学病院システムなどなど

冷ややかに、自分の治療をみた。


主治医君は、ばりばりの外科医

ビデオにこそ、声は入っていなかったが、

怒鳴る ぴりぴりの操作手技など 感じた。聞いた(聞こえるよう)


術後の管理にしても しかり

抗生剤の一日投与のみの打ち切り方。

主治医君の術後の自信に満ちた治療 生活指導


そー

退院後は、もうなんでもして良い

とのことでした。


そのとおり、

あたしは 退院後すぐから 職場復帰

一日目こそ ためた仕事の多さに、いっかいしゃがんでしまったが、

本日2日目のしごとは、しっかりこなせた。


そして、主治医君に感謝する気持ちでいっぱいです。


入院中、主治医君とのかかわりは、そんなにはなく、

研修医君とばかりだったが、

主治医君の自信にあふれた管理を研修医君が実践し、

仲介をはさみながらも、

主治医君の偉大さに触れていた。



そして もうひとこと


あたしは いま とある病院から引き抜きをうけている。

で、正直といいましょうか、なんと言いましょうか、

今現在仕える医師=スコープ先生と

一時間お話をしました。

ビジョン~内視鏡への考えかた~いろいろに


あたしのスコープ先生も

とっても素敵な医師だと感じた。

退院したのが土曜

今日からしごとに行った。

やはり ちょっと無謀だったかなぁ・・


一応 今週は胃カメラは介助できる体力はあるが、

大腸は自信がないので(昼休みにやるため そしておなかは押せないし、体交もできそうもない)


で、スコープ先生に 言った。

ぼちぼち~~~やらせてと。

OKだがやぁ・・・・

今週は、大腸 いれず。


市の検診もストップさせてたし、時期も終盤とあって、

すっごい人数の検診もこなした、今日。

途中で、スコープ先生のとなりに、へたりこんでしまった あたし。


先日 スコープ先生の学会先 携帯に電話したとき、

「元気と言っても、病人なんだから、ぼちぼちいけばいいよーー」

って、言ってくれてた。

し、

今日は、よく動いてくれた、スコープ先生でした。


あたしは、病院の売店で、この地に行ったら これでしょう土産を買い。

スコープ先生は、TSUMAGARIのお土産を。

ぶつぶつ交換した、今日でした。


あたしも11月の半ばには、

お勉強会 申し込んであるもん です。

あたしは ほんとうに自由に入院生活を過ごした。

入院すれば、”あなたの予定スケジュールですよー”の用紙が与えられる。

検温の時間も、手術後日数によって、減少していき、

病室にいなくてはいけない時間も 減っていく。

あたしの場合は、術後1日までが、拘束時間があった。


あたしは 普段からフリー主義者(笑)


病棟に研修医君がくる時間は早いが、

ナースステに3台しかないPCを、いろんなお医者さんが、とりあっている。

あたしの研修医君も PCを確保できると、

なかなか動かない(そー踏んだ)

だから、あたしは、包交を待っても、15分と勝手に決め、

研修医君が来なければ、すたすた院外の散歩にでてしまった。


同室の方が、教えてくれた。

研修医君が、myururuさんのとこに、からから~~ワゴン車を・・

「また逃げられちゃった」って、毎日言ってるよーーーーと。


てな わけで、

病棟に不在が多いあたしは、

”白いキョトウ軍団”回診??も、一回もベッド上で受けたことがない。

軍団の後ろ姿を追っかけると、研修医君が 目ざとく気づいてくれ、

「ぼくのmyururuさんです」と、廊下で紹介してくれる。

あたしは、「どーも~~myururuです」と、・・・・。


で、あたしの病室には、眼科・口腔外科の患者さんがいらした。

その科の回診では、毎回と言って、あたしは

その患者さんたちの御家族に間違われていた。


なぜかというと、

あたしの入院生活は私服だったこと(短パンとTシャツ) と、

ギネの患者さんで、直立に起立している患者が、あたしだけだったこと。

そして、あたしの病室には、おとぼけなおばあちゃんたちが揃っていて、

面倒をみていたこと。

だから・・・・。


退院の前夜 看護師さんが消灯前の処置にきたとき、

おばあちゃんたちに、入院オリエーテンションをしていた。

「お茶は ここよ」

「食べ終わったら、ここに書いてね 量を」

「お部屋のまえに、これを目印で飾るから」

・・・・・・・・・

などと。


みなさんは、夜中の1時に自分のベッドに

他人が寝てたら、きゃーーーーーって、でますか?



同室のおばあちゃんたちは、毎日

・・・・・・・・・・・・。

(夜中も、おばちゃんたちがなかなかトイレから帰ってこないと、心配でした)

で、連れにいってました。




あたしの入院生活でいちばんつらかったことは、

大きな声で、笑えないこと でした。

(傷は小さくても、手術内容はそれなりですので)