外は暗かった。
一台のタクシーも停まっていないロータリー。
人の姿もない。
唯一確認出来る灯り、セブンイレブン。
缶コーヒーを買って、この辺りにサウナかネットカフェがないかと聞いてみたけれど、さあ?、つれない返事の若い店員。
通りの裏手で、ポツポツと営業しているらしき看板。
いずれもスナックか居酒屋か。
暗闇に斑のネオンが寂しい。
駅に戻って、ベンチでコーヒーを啜る。
長い椅子は、一人分のスペースで区切られていて、横にもなれない。
腕を組み、体を屈め、朝を待った。


少しうとうとしていただろうか。
改札が開く音で現に帰り、広島行きの始発に倒れ込む。
車内の暖房がただ幸福で、車窓を流れる景色、トンネルを潜り、山間を抜け、海へ出る。
頭に霞がかかって何も感じない。



広島には一度だけ訪れたことがある。
とは言っても小学校の修学旅行の話だから、何も覚えてはいない。
原爆ドームくらいか。
電車に揺られて2時間超。
広島駅の外は、意外に閑散としていた。
何やら高いビルは建っているものの、中国地方一の都市としては、なんだか寂しい。
都会がいいという訳ではないけれど。

その、唯一記憶に残る原爆ドームを見たくなって、キヨスクのおばさんに道を尋ねると、前のチンチン電車(チン電)で行けるらしい。
左端のホーム。
どこまで乗っても150円だから。
親切に教えてくれた。
発車間際に間に合い、行き先を確認して(原爆ドーム前ならこれでいいよ)乗り込んだ。


ガタゴトガタゴト、ゆっくり進む。
そんな情緒ある想像は裏切られ、シューン、結構早い。
内装も綺麗で、観光バスみたいだ。
ただ、駅と駅の間隔が短く、出発したと思ったらもう停まる。

真っ直ぐ来た道を大きく曲がったら、段々とビルが増えてきた。
どうやらここから、広島の中心に近付くらしい。
乗り降りする人数が増え、連れて建物も高くなっていく。
デパートが多い。
アーケードらしきものがある。
これなら今日の借宿は、楽に見付けられそうだ。
大きな交差点を渡って、またもやデパート、そごうを越すと、目的の停留所だった。
眼前に広く大きな河。
右手には広島球場。


降りる前からあのドーム型の屋根が、木々の隙間から姿を見せていて、それはすぐにあった。
河沿い一帯が公園のように開放されていて、緑も多く、清々しい。
でもここは、悲惨な歴史的事件の証の場所。
なのに僕はこの時、どちらかと言えば、ノスタルジーに浸って佇んでいた。
小学生の僕。
歳も顔形も境遇も、全てが激しく変わって、またここへ来た。
あの頃は、何を考えただろう。
何を夢見ていただろう。


しばらく歩いた。
千羽鶴が供えられた慰霊碑。
立ち止り、僕なりの祈りを、死者達に捧げた。


商店街へ入る道があり、その手前の店で、サイコロステーキランチを胃に詰め込んだ。
食後にジキニン。
ふう、やっぱり駄目だ。
新しい街に辿り着いた興奮と、一日目を寝て過ごしたくはないという念いで来たけれど、喉、頭、悪寒、典型的な風邪の症状。辛い。
タクシーを捕まえ、近くにサウナがあったらそこへ。
「ニュージャパンでいいですか?」
どこでもいい。

1メーターちょっと、初めての道をぐるぐる回って、サウナ『ニュージャパン』は、風俗街の中にあった。
周囲は、客引きに忙しいおじさん達。
どこでもいいけれど。


休憩室のリクライニングチェアを目一杯倒し、おでこに冷えピタを貼って横たわる。
明日には治りますように。

風景を観賞する余裕くらいは欲しい。
食事は味わって食べたい。
たまにでいいから、マシな宿に泊まりたい。

翌二十日。
寒気は治まったものの、咳が出て止まらない。
喉が痛む。
顔が熱い。
和らいできたのか、ひどくなっているのか、判断がつかない。

小倉駅にあった薬局で病状を説明し(ああ、風邪ですね)、薦められるままに、アンプルとビタミン剤とジキニンを購入。
その場で服んだ。


今日はとてもいい天気だ。

空気は暖かく、時折吹く冷たい風が顔を撫で、心地良いだろう。
川の水面は、光が反射してキラキラと流れている。

通りにあったミスタードーナツで、朝食代わりのカフェオレを啜りながら
そう想像した。
橋まではここからそう遠くはなく、渡れば小倉城。
その景色を。

でも、体がだるい。
これから増々辛くなっていきそうなことは確信がある。
情けないけれど、病気が恐い。
情けないけれど、今は。

冷えピタシートを買って、サウナに引き返した。
過去の悔恨、未来の不安にまみれてまどろんだ。



ここに足止めされたまま、じり貧になっていくのは嫌だ・・・



何故、いきなりそんな行動に出たのか解らない。
目が覚めたら少し楽になっていたせいなのか。
もやもやとしたプレッシャーへの反発か。
寝汗を流したくて浸かった湯舟で、突然、今日中に本州に渡りたくなった。
そしてその通りにした。


バタバタと着替えてチェックアウトし、駅へ走る。
朝の気持ちは忘れてしまっていた。
夜の街が賑やかに惹き付けるが、目の前に出来た新しい目標には敵わない。
新幹線はパスして(高いから)、広島までの乗車券を買った。
行き先を広島にしたのは、小学校の修学旅行を思い出したから。
それだけ。

「在来線で広島方面へ行くにはどれに乗ったらいいですか?」
(思えばこの時の聞き方がまずかった)
「それなら下関から乗り換えたらいいよ」
上り列車は全て、下関止まりになっている。
多分、そこから管轄が代わるのだろう。
「ありがとうございます」

電車を来るまで間、ホームの立ち食いで、かしわ蕎麦を食べた。
かしわと葱がたっぷり乗って、七味をかけたら、体が暖まった。


下関。
すぐに着いた。
窓の外は暗くて、何も見えなかったけれど、本当にここは本州の下関なのだろうか?
本当にこれで良かったのだろうか?
今更言っても仕方ないけれど。


広島・岡山方面の乗り場から、新山口行きに乗った。

まだかな・・・

まだかな・・・

車窓の風景は楽しめないのだから、ただ揺られながら、到着をひたすら待つ。
各駅停車にいらいらする。
硬いシートに腰が痛くなってくる。

やがて二時間くらい経っただろうか。
心も身体もすっかりだらけ切ってしまった頃、終点を告げるアナウンスが流れ、新山口駅に停まった。

あちらこちらに列車が停車していて、どれに乗り換えればいいのか判らない。
駅員さんに尋ねた。
「広島駅行きはどれですか?」
「広島駅行きはもう全部出たよ」



誰も居ない改札を抜けて、外を見渡した。
灯りは、ロータリーの向こう側にあるセブンイレブンのものだけ。
悪寒が振り返してくる。
どうやらまたやってしまったらしいことだけは解った。

夜中に目を覚ました。
仮宿を探すのも、飯を食うのも面倒くさくて、鞄を枕に眠ってしまった小倉駅の連絡通路。
いつの間にか周囲には、寝息をたてる浮浪者達。
服を整えてもう一度横になった。
僕も浮浪者だ。



19日朝。
今度は、激しい靴音に起こされる。
またいつに間にか、寝ているのは僕だけになったいた。
どこから来て、どこへ消えたのだろう。
とにかく僕も、ここを離れよう。
人通りから注がれる視線から逃れよう。


体の節々が痛いのは、固いコンクリートの地面に横になっていたせいだな。
まあ、しばらく経てば治るさ。
暢気に構えて、すぐ目に入ったマクドナルドで朝マックを頼んだ。
ベーコンエッグのマックドグリル。
でも、丸一日ぶりの食事を目の前にして、何故か食欲が湧かない。
ハッシュドポテトの油の匂いが胃に刺さる。
それでも何とか、コーラで流し込んだら、吐き気がした。
まあ、外の空気を吸えば治まるさ。


商店街をポチポチ歩いていた。
まだほとんどの店は、閉まっているか、準備中だ。
適当に一周して、歓楽街らしき通りを抜けると、大向こうに石垣が見える。
小倉にあるから小倉城。
木々の緑から微かに頭を出す天守閣。
行きたい。
無理だろ。もう一人の僕が言う。
間接の痛みはひどくなっていた。
頭がぼんやりする。
ひどく寒い。

今日のところは諦めろ。

そうした方が良さそうだ。


大通りを、重い体を引きずりながら探す。
それほど迷わずに見付かったサウナ。
11:00から翌朝11:00までの料金表示。
その待つ数時間を、膝を抱えて動かず。
人目は感じても遠く、寒気はいよいよ増す。

時間丁度。
チェックインして、仮眠室の段ベッドに倒れた。
昨日、こうしておけばよかったのに。
今更言うなよ。
寝苦しく浅い眠り。



夕方に起きて、食堂でうどんを食べた。
喉がいがらっぽい。
浮浪者放浪者。
ただの風邪だろうけれど、身を置いている今の状況が、ひどく頼りなくさせ、心細かった。