『捨てない片付け』美化輝ちえ

『捨てない片付け』美化輝ちえ

「片付け」というと、『捨てる』ことだと思っていませんか?人が『捨てない』には理由があります。その思いに寄り添いながら解き明かし、工夫を凝らして活かします。在るモノだからこそあなたの思いとあなたらしさがあります。捨てずに工夫することでモノを美的に活かします。

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新月の数時間前におばさんは逝った

ALSの診断を受けてから一年半を過ぎ 

初診からは二年を経過した

 

 

救急車が来たのは前日の午後

もしかして・・・不吉な予感がした

 

数日前に介護している家族がコロナに感染したと聞いていた

 

もし、搬送されるのがおばさんなら

生きて帰ってこれないだろう・・・

そう考えざるをえない状況が揃っていた

 

 

そして、

それは24時間も待たずして起きてしまった。

 

訃報が届いたのは新月を迎える数時間前

 

おばさんも陽性になり

状態が悪化したわけではないが、

看護師さんのアドバイスで

大事をとって入院のつもりだった と

 

本人は

「行きたくない」と拒否していたらしい

でも説得され、最後は

「ベストと靴下用意して」

 

それが、最後の言葉になったと

自分が回復すれば、また迎えに行って、帰ってこれるしか思ってなかった

狐につままれたみたい 

と 娘さんは現実を受け止めきれていない様子だった

 

 

出かける前のご飯も口からとれていたし

自分の意思も伝えることができていたのだから

まさか、一日もたたずに逝ってしまうとは考えなかったのだろう

 

 

 

 

おばさんは生きるスイッチを切ったのだろうと思った。

 

がんばりやのおばさん

辛い!と言葉にできなくなって

その思いが一層強くなっているのは感じていた。

 

半年ほど前から、酸素吸入器を使うようになり、

ここ数ヶ月、私を呼ぶのは

息苦しくて薬が欲しいときだった。

 

今年に入ってからは発声ができなくなり

1ヶ月ほど前からは文字盤と指し棒を使っての会話になった。

その指し棒の動きは素早く

「もうちょっとゆっくりしてー」と笑い合っていた

きっと頭の中は、すっきりしているのだろうな と思った

 

数年前から難聴もあったが、娘によると

私の声はよく聞こえているようで

私たちのコミュニケーションに不自由はなかった。

 

 

日中はベッドでラジオを聴いて過ごしていたので、

半月ほど前にオーディブル(聞く読書)を聞かせたところ

再生速度をゆっくり、音量最大にすれば、

ちゃんと聞き取れることがわかった。

 

娘が休みのときに、インストールして

操作を手伝ってもらえるように説明することになっていたが

叶わぬまま逝ってしまった。

 

 

訃報をうけて

よく頑張ったよ、自由になったね。

という気持ちと

おばさんも、最期の場所の願いが叶わなかったという

虚しさを感じた

 

 

 

入院はしない

自宅にいたい

それは、ずーっと本人が言い続けていたこと

 

胃ろうも嫌がっていた

「そんなことをしてまで生きたくない」と

だから、がんばって口から食事をとっていた

 

去年の夏が来る前だったと記憶している

「まだ胃ろうをしたくない」と主治医に伝えたが

「それなら病院来る理由がないですね」と言われたそうで

医師の言葉に娘が怯んでしまい

「何かあったときに病院に受け入れてもらえなかったら困るから」と

娘の説得で、胃ろうを受け入れた

 

胃ろうをしてからも、口から食事をとることをがんばって続けていた。

そして、

喉に穴を開ける(気管切開)は絶対しないとさらに意思を固めたようだった。

 

おばさんは、

治療や新薬の開発に期待をしながら、

日々を自宅で穏やかに過ごすことを望んでいた。

娘と二人暮らしのおばさん。

「こんなふうになってしまったけど、娘の生きがいになってるから

まだがんばるわ」と娘の帰りを待っていた

娘の帰宅後は車椅子にながら、TVを見たりしていた。

 

 

 

病気が発覚してからも

痛みがないのが幸いが口癖だった

きっと鼓舞していたのだろう

 

 

自分で身動きが取れなくなってからは

布団や服の皺が痛く感じるようになっていた。

朝、昼、夕方と訪問介護で

娘が勤務している日中は寝たきりになる。

 

敷布団や服の細い皺さえも、痛くて苦痛なのだ。

両膝を立て、座布団やクッションで位置を保つのだが

その微妙な角度に定めるのがなかなか難しかった。

 

 

私にできることは、

わずかでも、苦痛を改善することだった。

 

おばさんは

私のオイルマッサージを気に入ってくれていた。

呼ばれたついでに背中と足にオイルでマッサージをする。

うつ伏せは無理なので、横向きでやる

体制がしんどくないかと覗き込むと半分眠りながら

気持ちいいと言っていた

 

 

穏やかな時間はまだしばらく続くと思っていたのに

 

 

おばさんは、家族にお別れをいうこともなく逝ってしまった

やりきれない思いが残る

 

 

 

陽性になり、病気のこともあるから、

医療者として、入院を勧めることはわかるが、

プロだからこそ

生きて帰れないことも十分予想できたのではないかと思ってしまう

 

 

生きて帰ってくると信じて疑わなかった家族に

一言その可能性を家族に伝えることをなぜやらないのだろう・・・

本人の意思を確認し、

家族が選択できる道はなかったのだろうか

 

 

医療者や介護士にばかり求めることに

無理があるのもわかっている

 

 

家族側

おばさんは延命措置についても最期の場所も意思表示していた

その意思を尊重する覚悟があるのかは

家族側の覚悟の問題

 

意思を尊重できないなら、どうするのかは

話し合うしかない

 

最期の話をするのは辛いし、考えたくもないだろう

でも、そこをしっかりと話し合っておかないまま

先延ばしにしても、必ずやってくる

その時は、突然にやってくる

 

 

 

 

病気を発症するまで、

地元の健康教室の主力メンバーとして活動していたおばさん

 

病名は伏せて、限られた人にしか言ってなかった。

 

看護師さんや介護士さんに

もう一人の娘です と私を紹介してくれていた

 

 

おばさんにしか伝えられないことを

伝えていく人なのだと思っていたし、

その、エネルギーを持っている人だった

 

 

 

おばさんがおばさんらしく

病気に向かってきた姿を

忘れない

 

 

 

 

お正月にお餅を食べなかったというおばさんに

差し入れしたぜんざい

美味しい美味しいといってたいらげた

小さく小さくしていれたお餅が

喉の奥で飲み込めなかったようで、

慌ててゼリーで流しこんで、大笑いした

あの笑顔がわたしの中のおばさん

 

 

今日、お骨になって帰ってきます

おばさんが何十何眺めてきた桜が満開です。