適当に創作物載せてく(予定の)ブログ

適当に創作物載せてく(予定の)ブログ

小説、絵、ステッカーなど、自分で創作した作品を不定期に上げて行く予定のブログです

絵や動画など、いろいろやってます。興味があればぜひどうぞ。

pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=4187941
YouTube→http://www.youtube.com/user/myorin1
Amebaでブログを始めよう!
うーん、切実。

いやね、仕事はあるっちゃありますよ?
一応メインでやってるらっかみのゲームマスターとか、ちょっとした説明文のライティングとか。
もちろん不満なんかありません。ありませんとも。
ただ、ちょっと書いてない時間が多すぎるんですよね。
らっかみはシナリオガイドというものをこちらが提出して、それにプレイヤーの方々が参加申請して、アクションを書いて、それからこちらが書き始めるのですが、要は書き始めるまでに結構な待ち時間があるわけなんですね。

で、他の仕事も来る時と来ない時があるので、ほとんどその時間は何もしてなかったりします。
何もしてない時間が多いということは、そのぶん稼ぎも少ないということで……

要は、お金を稼ぎたいのです。生活費生活費。
というわけで、もしライターのお仕事を任せてやるという方がいらっしゃったら、ぜひご連絡をください。
もちろんネットでの募集に自分から応募するということもしていますが、ブログでも言っておこうかと。

シナリオライティング、記事作成、とにかくなんでも構いません。ノウハウはないようなものですが、やる気はやたらあります。常に募集していますので、アメーバのメッセージでもこの記事へのコメントでも構いません。何らかのお声かけをしていただければ、こちらからご連絡いたします。

それと、同人ゲームなどのシナリオもやれと言われればやります。
とにかくジャンルなども問いませんので、まずは気軽にコメントでもしてみてください。


とは言ったものの、こんなアクセス数も少ないブログ書いてる奴を信用してくれる聖人なんているのか……?
いや、でも言うだけならタダだし……もごもご
どうもこんにちは。
なんだか最近ブログタイトルに合った記事を書いてないので、ここらでひとつ。

というわけで、LINEスタンプを作りました!

こんなの↓


https://store.line.me/stickershop/product/1015605/ja

これは5月頃から作っていたスタンプなのですが、審査が長いのなんの。一度リジェクトされたというのもあって、承認されたのはつい一昨日のことでした。

もし気に入ったなら、使ってみてくれると嬉しいです。
そんなわけで、露骨な宣伝でした。

以前死恐怖症について書いてから、かなりの時間が経ちました。
よく役に立つかどうかもわからないような記事ですが、同じ悩みを持つ人達に共感してもらい、またコメントで体験談を聞かせていただき、嬉しい限りです。
私自身、誰かにアドバイスできるような人間ではないのでコメントは返していませんが、すべて読ませていただいています。

さて、今回は死恐怖症(タナトフォビア)の原因について考えてきたことを少し。

死恐怖症の症状はさまざまです。人によって死への恐怖の感じどころが違い、しかし皆、死を恐れて日々苦しんでいます。

私の死恐怖症の始まりは、死について考える機会があったことでした。
当時高校生だった私は(今でもそうですが)小説を志し、拙いながらも少しずつ小説を書いていました。
設定こそ少し凝ってはいましたが、至って普通のファンタジーもの。その中で主人公が死の危機に瀕するシーンがありました。
私はできるだけ生々しく死を描こうとし、それゆえ頭の中で自分が死ぬイメージをし、それが死恐怖症を発症させる引き金となってしまいました。

死恐怖症が発症するきっかけは人によって違いますが、その始まりは「自分の死を意識してしまった」ことにあるのではないでしょうか。


死というものは誰にでも、植物や星にさえもあるものですが、人間の死を自ら体験し、それを語った人は一人もいません。当然ですが。
しかし、その当然の事実こそが、死恐怖症を抱える人にとって最も不安なことなのでは、と思います。

人生、恐いことはいくらでもあります。初めて受けるテストや面接、初対面の人との挨拶、歯医者や肉食獣や毒キノコや……

しかし、これらの恐怖は取り除くことができます。なぜなら、
何度でも挑戦できたり、
ネットで情報を収集したり、
関わりたくないなら関わらないと選択できるからです。

ですが死というものに関しては、それができません。

一度経験すれば終わり。
ネットの情報も憶測や根拠のない無責任なアドバイスばかり。
関わりたくなくても、必ず関わらなくてはいけません。

だからこそ、死は恐ろしいのです。今まで数えようもない人数が体験してきたのに、「自分にとっての死」というものが全く見えてこない。知りたいのに知ることができない。だからこそ、死への恐怖はぬぐえないのです。

自分にとっての死を知ることはできません。死を知ろうとするのは、初めから負けるとわかっている戦いに挑むことであり、虹を捕まえようとするようなものです。

私は以前死恐怖症の治し方、といった感じで書いていましたが、あれは治し方ではなく、死というものを考える事から遠ざかるための方法です。


しかし、なぜ同じように死ぬことを考えている自殺志願の方は死ぬのが恐くないのでしょうか。

私も過去にいじめを受けた経験があり、その時には死にたいと考えていたので、少しは考えがわかります。

死にたいと考えている人は死について考えていません。いま自分が置かれている状況、その状況からいかにして逃げるかを考えています。死については辛いかどうかもわからないので、死よりも辛い現実の方が恐ろしいと感じるのは無理のないことだと思います。


かといって、死恐怖症の人は辛い思いをしましょうなんてことを言うつもりはありません。
ただ、一つだけ言うとすれば。

死恐怖症を治そうとし、治療の方法を探すことは、かえって症状を重くしてしまう恐れがあります。
決して無理はせず、趣味や仕事があるならそれに没頭し、貴重な時間を死を考えることに費やさないようにして下さい。

断言はできませんが、恐らくそれが、薬などを使わずに死恐怖症をやわらげる最短の道だと私は考えています。